上砂理佳のうぐいす日記

巨匠漫画家、楳図かずおさん逝去。あべのハルカスで私も見た「楳図展」は金沢21世紀美術館で9月に開催されていました★

長く苦しい時を経て★

2020-10-31 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ
ハッピーハロウィン!
…ってエキスポシティでは何もハロウィンディスプレイしてませんでした。
ですが仮装してる人は一人だけ見かけました。どこかのパーティに参加するのでしょうか。
これは大阪市内のある商店街のディスプレイ。ここは各商店がカボチャを飾り頑張ってます。
やっぱりね。コロナ禍でもやれるだけのことはやる!気合ですね。

朝ドラ「エール」のも第20週に入りました。
遂に先日10月29日にクランクアップされたそうで、実に1年1ヶ月の撮影期間。コロナで中断して志村けん氏も亡くなり、絶対に誰も感染者を出してはならない状況で、撮影頑張られたと思います。でもメイキング動画とか見てたら、みんな以前と変わらない楽しい撮影現場で、メイキングの方が見ごたえあるぐらい(笑)。
先日のあさイチプレミアムトーク、久志を演じている山崎育三郎さんのワンマンショーと化していましたが、素晴らしい「エンタメびと」っぷりでした
声がね!いいのよね。「艶のある声」「華のある声」ってこういう人をいうのかな。
でも、小さい時に小椋佳さんのミュージカルで主役を演じてたなんてビックリ。小椋佳さんのミュージカルは当時話題になってました。輝ける「いっくん」に拍手です

ドラマ中では、あの王子様久志が戦後ご実家も没落して身寄りも無く、ボロボロ状態で闇市の一角で酒と賭博におぼれている、という設定でした。
久志のモデルの伊藤久男氏も、戦後の一時期「戦犯としてとらえられるかも」と恐れ、酒におぼれていた時期があるそうなので、史実も取り入れてるとはいえショッキングでした。あの美しい後妻さんのお義母さんも、紳士のお父さんも亡くなってしまったなんて。ちょっと意地悪だったお手伝いさんはどうしたのかなあ。桁外れにゴージャスなお屋敷だったので、今、お仏壇がある佐藤家がひっそり侘しい(実際の伊藤久男さんのご実家は戦後も繁栄されてたそうですが)。

久志に赤紙が来て壮行会やってる時、藤丸さんはいなくて「あれ?」と思ったけどその時はお別れしてたんかな。かなり長い間会ってなかったのかも。でも藤丸さんはずっと久志が好きだったのね。
華やかだった久志の変わりようを見ていると、戦争が人の運命を変えて、ゼロどころかマイナスから復活する過程って、なんて長い時間なのだろうと思う。
ただ一生懸命に生きてきただけなのに、戦争で日本が負けたことで「戦争に加担した歌手=罪人」扱いされるのが悔しい。
大衆って勝手なもんだ。流行りの時はもてはやすのに、流行が去ると冷たくなる。
焚き火で焼かれる「暁に祈る」のポスターを、呆然と眺める久志の目が虚ろで悲しい。

「栄冠は君に輝く」は誰もが知る甲子園(全国高等学校野球選手権大会)の応援歌。
学制改革で従来の「中等学校」が「高等学校」になり、中等学校野球歌は既に山田耕筰氏の曲があったそうで、インパール慰問先で会った新聞記者から古関氏に作曲の依頼が来た、という流れは史実に即しているようです。
誰もいない甲子園に立ち、熱闘と歓声を想像しながら作曲したであろう場面は、あの「紺碧の空」を作った時とかぶりますね。
思えば「紺碧の空」では久志が裕一を助けてくれた。最初の出世作で名曲となりました。
あのときの反対で、苦しむ久志をなんとか説得して歌の世界に立ち戻らせるため、あれやこれやと奔走する裕一さん。池田さんまで使って久志の新曲レコーディングまでこぎつけました(池田さんと久志のバクチ。あれは池田さんのイカサマだと思う)。
コロンブスレコードの録音室だけど、久志は歌手として契約してたのに今はどういう身分なんだろう。フリーなのかな。
そして最近の裕一さんは、廿日市さんを通さず直に仕事の依頼を受けてるから、どういう仕事の仕組みになってるのかなー。鉄男はおでん屋→新聞記者ときてまた作詞家一本で食べていけてるのかな。鉄男に赤紙が来なかったのは記者だからかな。
と、いろいろ妄想しだしたらキリが無いのですが、朝ドラって「ナゾの部分」が滅茶苦茶多いのが、「はね駒」「澪つくし」見ててよ~くわかったので、もう考えないようにしよう(笑)。

戦後、ドンと老けた感が出てきた裕一さんですが、風体だけでなく言ってることにも厚みが感じられるようになってきました。昔はあんなにアワアワしてたのにね~。
歌い手として久志の多彩な実力を推すことを、朝一新聞の記者さんに猛然と訴えるところ、ただのゴリ押しではありませんでした。音楽に対する真摯さが感じられる絶妙なセリフ回しでした。
でもこの話も、そもそもビルマに行かなかれば記者さんとも会ってなかったわけだし、「人との不思議な縁」で運命を切り開いていく裕一らしい展開です。

甲子園に再び、今度は久志と二人で立って、裕一が投げたボール=エールを、久志が歌で返すところは、ある意味このドラマのハイライトでした(毎週のように「週末はハイライト」だ)。
ゆっくりとアカペラで歌う「栄冠は君に輝く」の、なんと美しいことか。
長く苦しい時を経て、再び友が輝けるように願った裕一さんの、思いが天に届くかのようでした★
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希望の鐘の音が鳴り響く★

2020-10-29 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ
もう先週の話ですが、エール第19週「鐘よ響け」の感想です!
小峰書房という出版社の方のツィッターで知った「鐘を鳴らす子供たち 作:古内一絵」。ネットで買ってしまいました。
表紙の絵が可愛い!ドラマに出てきた「鐘の鳴る丘」という戦後ラジオドラマに一般から参加した子供たちの奮闘を描きます。
まだ最初の方しか読んでないのですが、結構、NHKでは流せないような描写もある。。。作者がまだ若い人なので、現実を元に創作されたフィクションということですが、ここでは池田さん=「劇作家の菊田一夫氏」は「菊井先生」として、裕一さんこと古関裕而氏は「古坂さん」として登場します。
「古坂さんの『予科練の歌』が大好きでよく歌っていた」と少年が語る場面があり、「予科練性の七つボタンの制服は憧れだった」とも。「戦争は悪」なのに、「戦争に行く人」は憧れの対象となる。この矛盾。
当時の庶民の心情も歴史のうねりも細かに描かれ、エールと並行して読むとより深く時代背景を知ることが出来ます。

裕一さんがなかなか戦争の深い傷から立ち直れずに、1年半ほど仕事もせず時計作りにいそしんでいた。って生活は成り立っていたのかな~。確かお金持の人でも銀行預金は凍結されておろせなかったはず。しっかり者の音ちゃんが戦前にタンス預金にしておいたのだろうか。
前回のドラマ感想でも書きましたが、戦後の昭和24、5年ぐらいまでは物が無く、食糧もまだ配給でみんな闇市(やみいち)で手に入れてた、とウチの母は証言しておりました。智彦さんが弟子入りしたラーメン屋台は相当儲かってたみたいだけど、麺やチャーシューは手に入ったんかいな。
古山家は華ちゃんにお弁当持たせてたので(中は麦御飯かもしれんけど)、お金はあるとはいえど、どうしてたんでしょうね。そこんとこ気になりましたが、「時計作り」というのがミソで、「いったん古い時計(過去)をぶっ壊して新たに人生を組み立てる」裕一さんの姿を、時計作りになぞらえているのかなと思いました。
古関さんも手先が器用で、少年時代にラジオを組み立てて「日本のラジオ第一声!」を聞こうと奮闘してたそうです。実際は、自家製ラジオはウンともスンとも音を発さなかったそうですが。

自伝本「鐘よ鳴り響け」では、玉音放送は故郷の福島から一人東京に戻り新橋駅で聞き、その後10月には「山から来た男」というラジオドラマが始まり音楽を担当した、とあります。菊田さんとは戦前から一緒に仕事をしていて、戦後本格的にタッグを組んだ。「運命の人」なんですね。
菊田一夫氏はドラマの池田さんのように、破天荒で豪快な男だったようですが、毎回毎回ドラマの脚本はギリギリになるまで完成せず、なんと生放送の時間になってもお話が出来てなくて、しばらく古関さんのオルガン演奏を流していた、とか。どんだけいい加減なの。
「みっどりの丘の~あっかい屋根~♪」は私でも知ってます!あの可愛い曲が古関さんだったなんて!
「なんという愛らしく、優しく詩情に満ちた美しい詩であろう。幼い日に不遇であり寂しさを味わった菊田さんならではの詩である」と古関さんは絶賛しています。だからすぐに「曲をつけよう!」と思ったのでしょうね。歌う子供たちが可愛い。誰でも元気になれる楽しい曲です。
丸メガネにちょびヒゲの池田さんのおかげで裕一さんは立ち直るきっかけを掴み、オルガンを弾く姿にも笑顔が戻りました。
音ちゃんのストレートな喜びようが素晴らしい!でも解ります。
長く暗いトンネルから脱出して、やっと古山家にも光が差す時が来ました。明るい音ちゃんの本来の笑顔がはじけ、こちらまで嬉しくなります。そして悲しみを乗り越えた華ちゃんも、あっという間に高校生になった!

その後ほどなくして、長崎医大の永井隆博士の著書「長崎の鐘」からの映画主題歌として作曲をするエピソードが描かれますが、実際は古関さんは博士に会っておらず、「贖罪ですか」のやりとりも無い。曲が出来てから永井博士から手紙を頂いたとか。
裕一さんは長崎を訪れ永井さんに直接会い、掘り起こされた大きな鐘や荒れた地、復興に頑張る人びとをこの目で見て、感じ入るものがありました。
ことがことだけに、大きな使命を背負って作曲に挑んだのではないでしょうか。でも、葛藤の中から生まれたこの曲で、裕一さんの「戦争」がやっと終わったのだと思いました。病床の博士との禅問答のようなやりとりの中で、「頑張る人のためにエールを送る」ことが自分の使命だと悟る。
つまり、戦前も戦後もやることは同じなのです。
結果的に人々の戦意高揚に加担したことになったけれど、「エールを送るために創作する」こと自体は変わらない。
ならば、「戦前、お前は重大な罪を犯した」呪詛からは解放されるのではないでしょうか。
永井博士から与えられた重要なヒントで、「罪深い自分が再び音楽など作っていいものか」という「迷い」の最後の部分が、「希望」へと変換された。
「長崎の鐘」の曲の途中で転調する部分、「なぐさめ、はげまし」でパアーッと暗い空から光が差してくる。
あの見事さは、創作家の心境と戦争で傷ついた人々の心とが完全に合致する「希望」の瞬間で、自然と涙があふれてきます。
「ああ芸術って素晴らしい。音楽ってありがたい」と感嘆せざるを得ません。

冒頭に書いた「鐘を鳴らす子供たち」本の中で「戦後、軍歌を歌うことは禁じられた」とありました。歌を作った人はどんなにか、胸のつぶれそうな想いだったことでしょう。
でも現実を受け止め、苦しみを希望に変換出来た。人はそうやって、自力で苦難を乗り越えるしかない。
これまでも「他人がきっかけをもたらした」ことが多かった裕一さんですが、きっかけから運命を切り開くには才能と努力は不可欠なので、戦前に精力的かつ一心に仕事をしてきた蓄積も、無駄ではなかったということでしょう★
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2021年カレンダー発売★

2020-10-23 | お知らせ
キンモクセイは、今日の雨で散ってしまうのかな。街中良い香りで嬉しい季節です。
せめて外を歩いている時は、マスクを外して金木犀の甘い香りを楽しもう!と思っているのですが、あいにく秋草の花粉が絶賛(大量)飛散中。
悲しいよ~。
でも今年はマスク生活のせいか、例年よりハナ水が出ません。それは良かったとすべきか?

ネットギャラリーのブログを更新しました。
今回は「2021年カレンダー発売」です。
前も作ってましたが、余りにも大変で挫折(笑)。自家製です。
もう来年のカレンダーが出る時期なんて。
今年はあっという間に過ぎてしまいました。
私は今年の年賀状に「2020 TOKYO OLYMPIC YEAR」と印字して、「HAPPY NEW YEAR」を書くのを忘れていました(笑)。
全部発送してから気がつくって!
でもまあ東京でオリンピックが開催されるのって、あと50年はないだろうから、「特別な年」ということで許したってください~。
なんて思っていたら、まさかの「開催されない2020年」に。
来年は?果たして?(もう、「2021 TOKYO OLYMPIC YEAR」とは書きません)★
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「ポツン」の住人★

2020-10-20 | うぐいすよもやま日記
丹波篠山に住む叔母が、生の枝豆を送ってくれました。
丹波篠山といえば、名物の「黒豆の枝豆」。大粒で甘く濃い~い豆です。
枝から房を切り離し、綺麗な枝豆だけ集めて土をはらって箱に詰めて、送り状を書いて郵便局に運ぶ。
高齢者にはなかなか手間のかかる作業です。

中に入っていた手紙に
「来年100歳になるのでもう、最後の挑戦と思い作りましたが、長雨の影響かいまひとつです。ゴメン」
と書いてありました。
しっかりした文面と文字で、99歳の人が書いたとは思えません。
叔母は丹波篠山の古民家に一人住まい。畑で野菜も作っています。
まるで「ポツンと一軒家」に出てくる高齢の独り暮らしさんみたい。なんでも自分でやります。
数年前に病気になってしまいましたが、復活して今も元気。

塩をもみこんでサッと茹でたら、最高に美味しい。100歳の人が作る豆!
叔母、偉大なり。
来年は何かプレゼント贈りましょう★
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もし戦争に勝っていたら「無駄な死」ではないのか★

2020-10-18 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ
私の母は昭和5年生まれで終戦時は15歳。「エール」の華ちゃんと弘哉君の間ぐらいでしょうか。
あの昭和20年8月15日の玉音放送を聞いて、どう思ったのでしょう。戦時中は何を考えていたのでしょうか。

裕一さんの「最大の恩師」である藤堂先生が亡くなってしまいました。
慰問先のビルマで奇襲に合い、目の前で銃弾に倒れ、自分の腕の中で息を引き取ってしまう。これほどのショックがあろうか。。。私なら帰国の途の船中から海に飛び込んでしまうかも。
悲惨な戦場で「先生」を前にした裕一さんは、まるで子供の頃の姿でした。訓練されていない一般人が、修羅場に放り込まれたらこうなる。何も出来ず、ただただ惨めで生き残った兵士にすがりつくしかない。この「弱さの表現」が秀逸でした。
戦場のドラマって大抵かっこいいアクションで、死ぬ時もやたらかっこいい。でもここでは「かっこいい」ことは何も無かった。
戦場で死ぬことは、意味も何もない。ただただ「死」だけ。
あの画家さんの言う通りでした。
あの画家さんは「この目で見たものを人々に伝える」自分なりの使命でビルマへ来たし、同行の文筆家もそうでした。
つまり「戦争の現実を取材する」強い意志を持ってやってきた人と、裕一は違っていた。
だからあれほどまでに、「何も知りませんでした。ごめんなさい」と、詫び続けたのでしょうか。
「目を背けたくなる人間の本性」を表現するのが窪田流で私は好きなのですが、朝ドラでも容赦しませんね。。。
森山直太朗氏がもう「藤堂先生」以外何者でもなくて、でも歌番組ではカケラも無くて。いやこれ書いてても泣ける。裕一を運動会でしっかり抱きとめてくれた先生を、戦場で看取るなんて。思い出すだけで号泣してしまう。

呆然自失の状態で福島に帰り、無事に家族と再会しても全てが虚ろ。
東京で終戦を迎え、今度は可愛がっていた教え子で予科練に入った弘哉君の訃報が。お母さんが持参した弘哉君の遺品は、かつて自分がプレゼントしたハーモニカ。真っ黒に焼け焦げたそれは、まるで遺骨の如くでした。
戦争で「先生」と「生徒」を同時に亡くし、お国のために奮闘してきたつもりの自分は、一体なんだったのか。
音楽で兵士を勇気づけるなんて、しょせん絵空事だったのか。
私も芸術をやる人間として、裕一の心情を思い、釘付けになってしまう2週でした。
「兵士を勇気づける音楽を沢山作ってきた自分自身が、兵士になって戦場へ行くなんて(考えられない)」。
この「赤紙が来た時の葛藤のリアル」も凄いけど、予科練でまっすぐな瞳の少年達を見て、高揚して帰ってくる単純さも、まぎれもなく裕一のリアル。
兵士になっていない自分の負い目でますます軍歌作りに力を入れてしまい、自分の技術もまた軍歌にマッチして大ヒットしてしまう。大ヒットするからまた類似のオファーが来る。。。という負のサイクルにハマっていることに、うすうす気付いていながらも道を戻ることが出来ない。
ビルマに行く際に妻の音ちゃんに当てた手紙だけが、彼の真意で、誠実の限りであることに泣けました。
また音ちゃんがずっと耐えて彼を精神的に支えていて。。。史実ならば終戦直前に奥さんの金子さんが腸チフスに倒れ、生死の境をさまようのですが、さすがにそこまで描く尺は無かったか。裕一さんが帰国後、病み過ぎてますもんね。
福島で空襲に合い、入院している金子さんを古関さんが背負って、真っ暗な中を階段を降り地下の防空壕に逃げ込む、という描写が自伝の中であるので、私は「これはテレビ的にどうしても再現して欲しい!」と願っていたのですが、叶うことなく終戦になりました。って、どんだけ裕一さんを酷使するのか私(笑)。

日本は戦争に負けて結果的に良かった。
勝っていたらますます軍国主義になって大変なことになっていたでしょう。
北朝鮮みたいな。。。
だから、多くの犠牲を出して「人が人らしく生きることがもっとも尊い」ことを勉強したのでしょうか。
もしも。
もしも、だけど。
「日本が戦争に勝っていた」ならば、先生の死も弘哉君の死も、「名誉」として悲しまなくてもいいものなのか。
負けたから虚しさが募るのであって、勝っていたら。。。
裕一さんの功績は大変なものになり、それこそ勲章までもらえたのでしょうか。
そして良心の呵責も何も感じなかったのでしょうか。
そこをずーっと考えていて、母に訪ねてみると。
「あの時代にはみんな、“日本は負ける”という思いは無かった。少なくとも男の人はみんな“勝つ”と思ってたはず」
「女の人は“負け”も考えていたかもしれない。でもとにかく天皇陛下は神様で、お上からの命令は絶対だったから、戦争に疑問なんて誰も持たなかった。予科練に行った人は超エリートだし、特攻隊で死んだ人も尊敬された」
「敗戦でみんな“アメリカ兵に占領される”と思ってた。女子供は乱暴されるから外に出るなと言われていた。でも、実際はそんなこともなかった。価値観があの1日で180度変わってしまい、善だの悪だの考えているヒマが無い。とにかく物がなかったから。毎日、食べるので精一杯。戦争はそれだけ。昭和25年ごろまでとにかく物が無かった。そこからは豊かになったかな」。
としっかり証言。
今のことはかなりボケてるのに、戦争時のことはくっきりはっきり答える昭和ヒト桁でした。

今の我々は「日本の負け」を知っているから、「沢山の人の死は無駄だった」と過去を振り返って言えますが、あの当時の人が皆「これは聖戦」「これは正しい」と思うのは、ごくごく自然な流れだったのかなと思います。
五郎ちゃんがキリスト教に傾倒し、裕一に「戦争で多くの人が無駄に死んでいる」と訴えますが、そちらの概念の方が「当時としては」異端でしょう(もっとも欧米の人たちはほとんどキリスト教徒なわけで、でも戦争で人を殺している。ここは疑問)。
藤堂先生は、裕一の作る「戦時歌謡」を、本音ではどう思っていたのでしょうか。
もともとが軍人さんだから、戦争反対派ではないわけだし。
でもあの温厚な先生が、敵を殺せるのかしら?
いろんな「人間の矛盾」をはらみながら、「それもまた戦争」と唸ってしまう展開でした★
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ショップブログを更新しました★

2020-10-16 | お知らせ
ネットギャラリーのブログを更新しました。
今回は、新作のお話など
そうなんです。最近、小さな小さな版画の版は、もう「拡大鏡」のお世話になってます(!)
これがまたよく見えるんです(笑)。
でもやっぱり「ハヅキルーペ」の方がいいのでしょうか。。。あれ、けっこうお値段しますので、失敗したらね~と躊躇して結局、拡大鏡を買ってしまったんですよね。
前にもブログで書きましたが、拡大鏡をネットで購入したら「巨大な本格的なもの」がやってきてしまい、まるで大学の研究室みたいになってしまいました。
先日、あるアメリカ映画を観ていたら、化学者が机の上で私の拡大鏡とソックリ同じものを使っていて、「これって海外製やってんね」とまた驚き。
そんなに大層な拡大鏡はいらなかったのに。。。でもおかげで版画が作れている。
この先も当分、「ちび版」を彫る際はお世話になりそうです★
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Prints展無事終了しました★

2020-10-12 | うぐいすとお仕事

  「黄昏Street」 銅版画 180×130mm

昨日の日曜日でPrints展が終了しました。1週間があっという間です。
お越し頂いた皆様、ありがとうございました。連絡を下さった方も感謝いたします。
ai gallery様、まことにお世話になりました。
メンバーの皆さんいい人で、楽しく情報交換なども出来ました。
私自身、勉強になることばかりでした。
自分が、「ゴールを決めてそこから逆算していく」版画のやり方なのに比べて、他の方はもっと偶然性や創造性に富んでいて、そこを楽しんでいるかのようでした。
今回は「ミナトマチ38番館」を出しました。ネットショップにも出している大きな版画です。
旧作ですが、なかなか出す機会が無いので。2011年作なのでもう9年も前!
2010年がバンクーバー五輪なので、大輔さんの五輪メダルも絵の中に出てきます。
よく、「制作してる時に起こった時事ニュース」を絵の中に盛り込むのですが、この版画には「チリの落盤事故」のシーンも入ってます。
でも、「この絵のこの部分、何かわかる?」となぞかけをしても、正解する人は稀でした(笑)。

もうひとつは「冬の旅」。これは、冬の絵はなかなか出す機会が無いので。
お客さんって、冬の絵はウケないんですよね。。。私もそうだけど(笑)。
そしてこの新作「黄昏Street」ですが、TVでたまたま「Always 三丁目の夕日」を見ていて。
夕暮れの絵ってあまり描いてないな~と思い、作ることにしました。
その「夕暮れ」には、走る機関車のシルエットが似合う。列車は猫の耳がついている「猫列車」なのです。
不思議な高い塔のestacion=エスタシオン(駅)まで、一本道が通っていて、街は夕飯を作るかまどの煙が、家々の煙突から上がっていました。
塔の上の空には「天気輪」が出来ています。
何かが起こる、たそがれどき。
「天気輪」とは、宮沢賢治のお話に出てくる造語ですが、いつか描いてみたいと思っていました。
たそがれどきにだけ出来る天気輪。その時間に発車する列車は、銀河鉄道みたいに彼方へと行ってしまうかもしれない。
。。。ちょっと宮沢賢治的イメージで作りました★
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Prints展~版画の可能性~

2020-10-06 | お知らせ
Prints展が始まりました。
昨日搬入後に、大阪日日新聞の方に取材して頂き、今週木曜日の朝刊に掲載してもらえるそうです。ただ、大阪市内のファミリーマートにしか売ってないそうなので(午前中)、なんとか手に入れなくては~。
作家さん全員と親しくお話出来て、なんだか久々に「版画魂」がうずきました(笑)。


森久和さんの作品 小品は塩ビ板による版画でした。


Eri Moonさん 私と同じ銅版画だそうです。全然違うタイプ!


佐々木優奈さん aigalleyで4月からスタッフとして活躍しながら作家さんでもあります。


勝木有香さん シルクスクリーン。生で見るとその躍動感が面白い。


荒木帆乃香さん 木版画ですが淡く不思議な世界。空想力をかきたてます。


上砂理佳 今回は朝日新聞に掲載して頂いた「黄昏Street」が新作です。
「密になりたい」「ライブハウスにエールを」という、超ちび版画も作りました。
コロナ後の気持ちを初めて出したものです。

私の在廊日時はマチマチです。なるべく密にならないように告知しない、というのもあります。検温機器、消毒・換気も完全ですので、お気軽に覗いてみてください★
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同調圧力★

2020-10-04 | アート・音楽・映画・本・舞台・ドラマ
今、「同調圧力」という本を読んでいます。ベストセラー。鴻上尚史×佐藤直樹両氏の対談形式の新書です。
この中に書かれているに鴻上さんの意見、
「戦争は、軍部が暴走した結果ではない。結局、メディアや国民がその“空気”を作り出したことが最大の原因と思っています」
に、少なからず驚いてしまいます。私は、日清・日露で勝ってしまって日本全体が「アジア制覇、いけるかも」と気が大きくなってしまったことが、いけないのだと思ってましたが。
このあいだガダルカナルの戦いの特集番組で、生き残った元兵士の方が「戦争は、いつのまにか始まっていて、そうなれば誰も止めることが出来ない。だからそうなる前に、戦争を起こさないことが大事」と仰ってました。
「露営の歌」を作ってる頃の裕一さんも、どこか他人事のようでした。でも「いつのまにか始まって」暴走してしまうのです。

朝ドラ「エール」も昭和15年から18年に入り、そんな「空気」=「同調圧力」が、ジワジワジワジワと「古山家と仲間たち」を追い詰めていく様子が描かれます。
怖いですね。。。国のために尽くすのは、誰だって賛成だと思うけど、それが度を越して「強制」となってくると。
私なら音ちゃんの入った国防婦人会で竹槍作るのは嫌ですね。。。でも、隣近所でみんなやってて自分だけ「やりません」って言ったら非国民呼ばわりされるんだろうなあ。配給も差別されるとか。
華ちゃんと同世代の母の言によれば、「竹槍訓練なんかやってもアメリカに勝てるわけないとみんな思ってた。でも“やらねばならなかった”」。まさに同調圧力。
華やかだった食卓がどんどん貧しくなって、ご飯炊けずにカボチャだけって。
敵の言語=英語は使えず喫茶「バンブー」は「竹」に。音ちゃんが開いて順調だった音楽教室も、どんどん生徒がやめていきました。オルガンが来て楽しそうに歌ってた音ちゃんの笑顔が、曇って切ない日々が続きます。

裕一さんは国威発揚の曲ばかり求められ。。。「紺碧の空」が威勢良い応援歌であり、「露営の歌」が大ヒットしたので、「応援歌といえば古山」になってしまったのも皮肉です。木枯さんみたいな曲で大ヒットしてたら、軍歌のオファーは来なかったのかも。
古関裕而さんは自伝で「露営の歌」や「暁に祈る」「若鷲の歌」などを「戦時歌謡」と呼んでいます。「軍歌」ではない。
心情として「軍から命令されて作ったのではなく、あくまで民衆の心に寄り添ったものだ」と言いたいのだと思います。
なぜなら、芸術家は決して「上からの強制」では作品を作らないから。自らが望むもの、自分の奥底から湧き出るものでなくては、産み出せない。少なくとも古関さんはそういうタイプだったのでは。
オファーは断れない。生活はどうする!妻と娘を路頭に迷わせるわけにはいかず。
今が戦後だからこそ、「戦意を煽る音楽を作った」かのように言われてしまうこともありますが、あの当時の「作らざるを得ない」状況を受け入れ、同時に純粋に、兵士とその家族のために曲を書いたのでしょう。
また体力的に一番パワフルに創作出来る年代だし、「作れば喜ばれる」なら、次から次へ軍歌もとい戦時歌謡を作るのは、必然の流れであったと思います。

音ちゃんが「心で何を思うかは、自由だ」と.自分に正直であり続けることを選び、裕一さんは「でもこういう流れになった以上、自分に出来ることをするしかない」と、割り切る。
軍人さんの妻となりお国のためにすべてを捧げる長女の吟ちゃん、自分を曲げず小説を書いて出版社から拒否される梅ちゃん、新聞社で戦局の現実を知っているのに、それを正しく国民に伝えることが出来ず憤る鉄男、物資が無く遂に店を閉じる喫茶バンブー。
それぞれの思いが食い違い、美しい音の重なりにならない。だから「不協和音」というタイトルなのね。

バンブーのマスター・保さんが、「戦争って、人の本音をあぶり出すよね」とポツリと言ったこと。今のコロナ禍の世界でもあてはまる。
同調圧力で「県外に出るなんてけしからん。コロナをばらまくな!」という空気が醸し出されてるけど、「しっかり対策してるからいいじゃん」と思ってる人もいるし、「来るな!コロナめ!」と貼り紙する人もいる。
鴻上さんは本の中で、「日本は、だれかをおおっぴらに叩いていい、となったら、徹底的にSNS民が叩く風潮が出来上がっている」と書いています。
息が詰まりそうな時代は今も戦時中も似ている。。。そんな中、遂に裕一さんに召集令状が来てしまいました!

自伝でも本当に古関さんに召集令状は来るのですが、本名が「古関勇治」なので、軍局がまさかこれが「あの古関裕而」とは気づかず、本籍地の福島へ送っってしまった、となってます。
一度出した召集令状というのは取り消せないらしく、古関さんは出征することに。でも彼が東南アジアへ赴いていたのはこの召集の前で、ビルマ、ベトナム、シンガポールとまだ戦況が明るかった頃のようです。あの時代に慰問団が海外旅行できたものかと驚きますが、コロンビアやNHKは財力があったのでしょう。
この東南アジア見聞録の記述は、古関さんの自伝中でもっともダイナミックなパートで、芸術家らしい観察力と描写力が光ります★

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遂に開花★

2020-10-03 | うぐいすよもやま日記
株分けで頂いた月下美人の花の蕾が、2週間ぐらい前から膨らみだし、今夜ついに開花!
部屋の中に入れたので、めっちゃいい香りがします。
というか香りで充満してて酔いそうです。
咲くまでに三年かかりました。
やっぱり「石の上にも三年」★
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秋いちばん★

2020-10-01 | うぐいすよもやま日記
今日から10月スタート!
あっという間に秋モードです。
本日10月1日の読売新聞と朝日新聞朝刊に、aigalleyで来週月曜から始まるPrints展の広告が掲載されました。展覧会・イベントのページです。
朝日新聞の方は私の版画がモノクロですが掲載されています。
六人の作家さんはそれぞれ、技法が違う版画=Printsなので、銅版画は私だけ。
様々な世界を味わってください★
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