今日はTVでザギトワさんやってましたねえ~。
あのヒョウ柄のお衣装で出ずっぱりって。。。なんてサービス精神旺盛なんだろか。
ハビにケイトリンに、皆様こんな日本のバラエティに出て頂いて、ほんと申し訳ないっす。いっぱい稼いで帰ってください
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もうこういう番組にメドベージェワ出ないのかなあ。
なんか衝撃の移籍でしたが、メドベージェワ選手は五輪銀メダルに終わり、同門の後輩のザギトワ選手が優勝したことで、それは心穏やかではいられないでしょうね。
でも、オーサーのところってのは意外でした。
メドベージェワはもう完成されているので、オーサーに師事することでどんな化学変化が起こるのか、疑問だし、でも見たくもあります。
ユナ・キム選手、そして羽生選手、ハビエル・フェルナンデス選手のコーチとしても有名になったブライアン・オーサーですが、私は元々彼の大ファンでした。
若い時のオーサーは、もうそれはそれはカッコ良く、初めて見たのは1984年のサラエボ五輪
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当時はスコット・ハミルトンというアメリカの大スターが君臨していて、金メダル大本命でした。
しかしこの時、期待の新鋭として颯爽と登場したオーサーは、SPもフリーも、目の覚めるような素晴らしい演技で、会場をかっさらいました。
検索してみたらありました
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オーサーのサラエボ五輪の演技!
そうそう。フリーのフィニッシュ・ポーズも記憶通り。よく覚えてる(笑)。
もう、キラキラでハツラツとしてて
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、あっちゅうまに私の「フィギュア王子」になってしまいました(笑)。
ハミルトンも今見ても素晴らしいスケートだけど、オーサーの演技は更にエモーショナルで、お客さんのハートを掴むのが上手かった。だからみんなオーサーに夢中になりました。
このサラエボの時は確かSPもFSも1位だったけど、「規定」が苦手で出遅れて銀メダルになったと思います。
当時は「規定」=「コンパルソリ」があったんですよね。
TVではほとんど放映されない。これが全体の順位点で大きな比重を占めていたんで、素晴らしい演技をしても優勝出来ない、なんてことがあった。
王者のハミルトンは規定が大の得意だったんです。いつも首位通過でした。
それにしてもハミルトン、今見てもいいわあ~。上手いわー
さてサラエボの翌シーズンからハミルトンは引退し、遂にオーサーの時代がやってきた
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と小躍りしていた私の前に、立ちはだかる大きな壁=ブライアン・ボイタノ登場。アメリカの若手です。
オーサーが先駆者だったトリプルアクセルジャンプも、軽々と2本(!)跳びました。
当時はフリーで3アクセルを跳ぶことは、1本だけでも大変だったのに、85年以降のトップ選手は「2本」が主流になっていって、多分オーサーは相当焦ったことでしょう。
85年に日本で開催された世界選手権。
オーサーは優勝大本命として取り上げられたのに、実際に勝ったのはロシアのファデーエフでした。彼は3アクセルをコンビネーションで跳んだ!軽々と。オーサーファンの私も、脱帽せざるを得ない位の素晴らしい演技でした。
そしてボイタノの台頭。彼はほんっとうにジャンプを失敗しない人でした。
腹立つぐらいに完璧でした(笑)。
でも芸術性は低かった。オーサーの方が優れた演技をするのに。お客さんを沸かせるのに。
なのに勝てない。ボイタノが完璧なジャンプを跳ぶ一方で、オーサーはいつもどこかで少しミスしてしまう。惜しいところで勝てないのです。
この頃の私のストレスたるや、もうもう、半端なかった(笑)。
オーサーは「無冠の帝王」と呼ばれていました。ボイタノがミスした世界選手権でやっと初優勝出来たけど、88年のカルガリ五輪では再びボイタノに敗れ、五輪金メダルの夢をかなえることなく、引退していきました。
今思うと、オーサーは「規定」が苦手だったことが最後まで響いたのかな~と思わざるを得ません。でも本当に演技そのものは素晴らしかったです。
素晴らしかっただけに、「世界一」を獲ったのが一回だけだったのが、私としては悲しかった。
動画を見ていたら、やはり88年のカルガリ五輪より、「めざましい若手」として登場した84年サラエボ五輪の方が、はるかに輝いて見えます。
あの時はハミルトンを追い上げれば良かったから、気持ちも楽だったのかな。
後ろから追い上げられるようになってからのオーサーは、ちょっと変わりました。やや萎縮というか、守りに入ってミスが出たような記憶があります。
今はもう、あの「王子様オーサー」のおもかげはありませんが(ごめん)、不思議なのは彼自身の現役時の演技スタイルと、今の生徒達の演技があまりリンクしないこと。
あまり点数計算せず情熱のままに滑ってる印象が強かったので、「GOE対策万全」と言われる今の「オーサー・スタイル」が、どうにもしっくりこない。
まあ時代が違って採点法が劇的に変わったから、なんとも言えませんが。
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輝ける若き日のオーサーと、今の戦略家オーサーは、別人なのでしょう。
そう思って自分を慰める?世界の片隅のフィギュアファン★