1月17日は天皇陛下ご夫妻も神戸に来られて、切なさがよみがえる日となりました。
悲しい記憶とは、忘れていったり、消えていったりしては駄目なんだろうか。
毎年書いてることなんですが、悲惨な記憶・経験の継承よりも「○○があったから助かった」「○○が必要だとわかった」の「○○」の再構築と継承の方がずっと有効ではないですか。
この先大きな地震・災害が起きても、出来るだけ「悲惨」を少なくすることが、30年の重みの意味だと思うのですが。
今、自分が住むところの防災委員をやっているのですが、「自分たちで備えてね」という防災論が、ここ数年のトレンドみたいになっています。
「公の助けをあてにし過ぎないでね」ということです。
それは正論だけど、地方自治体で出来ることには限度がある。そもそも公務員が災害時の被災者対応もせねばならないっておかしくないですか。自衛隊とボランティア頼りっておかしくないですか。政府の怠慢に見えてならない。
イタリアのように国がしっかり「災害時にレスキューに回る人」の組織を構築して、被災した人の苦難を軽減して欲しい。あのイタリアに出来て、几帳面で真面目な日本が出来ないって、なんなんでしょう?
そんなことを書きながら、非常用ポータブル電源をまだ買っていない私です。うーん、悩む。。。★
悲しい記憶とは、忘れていったり、消えていったりしては駄目なんだろうか。
毎年書いてることなんですが、悲惨な記憶・経験の継承よりも「○○があったから助かった」「○○が必要だとわかった」の「○○」の再構築と継承の方がずっと有効ではないですか。
この先大きな地震・災害が起きても、出来るだけ「悲惨」を少なくすることが、30年の重みの意味だと思うのですが。
今、自分が住むところの防災委員をやっているのですが、「自分たちで備えてね」という防災論が、ここ数年のトレンドみたいになっています。
「公の助けをあてにし過ぎないでね」ということです。
それは正論だけど、地方自治体で出来ることには限度がある。そもそも公務員が災害時の被災者対応もせねばならないっておかしくないですか。自衛隊とボランティア頼りっておかしくないですか。政府の怠慢に見えてならない。
イタリアのように国がしっかり「災害時にレスキューに回る人」の組織を構築して、被災した人の苦難を軽減して欲しい。あのイタリアに出来て、几帳面で真面目な日本が出来ないって、なんなんでしょう?
そんなことを書きながら、非常用ポータブル電源をまだ買っていない私です。うーん、悩む。。。★