MとAのミュージカル・ラン日記 ♪♪♪

音楽を聴きながら走る市民ランナーのブログです。ランと音楽以外のスポーツについても書きます。今は大谷翔平に夢中です!

ランニングも時に命がけである。

2016-07-26 | 走りながら考えたこと
 走っていて転んで怪我した経験について書いたばかりだが、ついでなので、ランのリスクについて----ランニングも命がけのところがあるってことを書いてみたい。

 特に夜ランの最中、「ここで何かあったら終わりだな」と思うことは時々ある。排ガスがひどいし信号も多い国道などの大きな道はなるべく走らないようにしているので、マイコースは街灯も多くはないし、人通りも多いとはいえない。が、一種の抜け道に使えるところなので、車は意外と走っていたりする。ここで、走っている時に何か身体の異常が起きて倒れたり、たまたま車が横を通るタイミングで、何かにつまずいて大きくよろけたりしたら、これはもうよほど運が良くないと車にひかれることになる。
 抜け道故、人のそばを走るにもスピードを落とさない車が多くて、「この運転手は、もし、私が車側によろけたりしたらどうするつもりなのだろう?」とよく思う。

 同様に、日中でもすれ違う人が5人にも満たないであろう土手沿いの道など、心臓麻痺でも起こしたとして、セーフティに発見してもらえる可能性は相当低い。夜は走らない(暗くて走れない)が、そんなことを考えることがある。
 土手などでは、時に落雷のキケンなどもある。わたしは雷の音が聞こえたら基本的には速攻で帰宅することにしている。

 そして、もちろん、レースなどでは心肺に相応の負荷を掛けることは当然あるわけで、熱中症なんかも含めて、救急車の音を全く聴かないまま帰れる大会のほうが逆に少ない。明らかに「日常とは違う」ということは意識しておくべきだろう。
 意識してれば100%どうにかなるとはいえないが、意識してればどうにかなることもある。

 安全確保のために、できる限りの努力はしなくてはならないし、してるつもりだが、100%安全な環境なんてありえないし、もしあったとしてそんな中でだけ走っていても面白くもなんともないだろう。第一何の成長もない。これは子供の教育なんかにも通じる。ケースバイケースで相応の安全確保は必要だろうが過度になってはそもそもやる意味がなくなってしまう。キケンを「自分で」察知するの能力、それをなんとかやり過ごすためにどうすべきか「考える経験」を養う機会でもある。
 
コメント
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