昭和の初め。ミッチャンは樺太(からふと。今のサハリン)の
小学校5年か6年だった。
勉強嫌いで運動の得意な、典型的悪ガキ。
担任の先生が「頭が良いので勉強をさせたら出来る子です」
わざわざ家まで来て、母親に言ってくれたこともあったが
そんなことを聞くようなガキじゃない。
ある時、習字の時間が自習になったので、習字嫌いのミッチャン。
先生がいなくなると同時に・・・「ほらぁ、時計だよー!」
自分の手首に毛筆で時計を書いて、みんなに見せた。
(当時の小学生は腕時計なんて、持っていない)
すると、他の級友たちも人気者のミッチャンに習って
「私も時計~」「私も~」と大騒ぎ。
(墨で汚れるという発想がなかったんですねぇ)
クラスに、マーニャというロシア人の子がいた。
家ではロシア語だが、日本の学校に通っているから日本語は
完璧に話せるし、ミッチャンとは大の仲良し
そのマーニャが「ほら、ヒゲだよー。眼鏡も~」と自分の顔に
描いてみせたりしているうちに・・・
先生が戻ってきた
机に伏せたまま・・・顔を上げられないマーニャ
机の下・・手から手へ、マーニャのところに救援物資(?)の
ちり紙(ティッシュのない時代)が・・・。
顔を伏せたままのマーニャに気付いた先生が「マーニャさん
どうしましたか?」と尋ねた時・・
級長(学級委員)のカオちゃんが、すかさず言った。
「先生、マーニャさんは熱があるようです」
「それは大変だ。顔を上げてごらん」
もう、この時点でミッチャンはどきどき。
顔を上げたら、ばれてしまう。ヒゲや眼鏡が~。
観念したマーニャが顔を上げると、白系ロシア人のきれいな
顔が真っ赤!!
当時の紙質の悪いちり紙でゴシゴシこすっているんだもの。
そりゃあ、真っ赤になるでしょう。
でも・・額に手を当てた先生・・・
「これは大変な熱だ。普通の人なら学校には来られないくらいです。
○○(ミッチャンのこと)近くだから、送って行きなさい」
神妙な顔をして廊下に出た二人。
教室から離れると同時に、こらえていた笑いが炸裂
怒られると覚悟していた後の、想定外の開放(?)だっただけに
その楽しさ!!面白さ。想像できます!!
さて、ここまで書くとお分かりかもしれません。
これは母の子ども時代の話。悪ガキミッチャンは、母のことですぅ。
この話・・・私の友人たちにも受けるので・・・記事にしてみました。
それにしても、この時の級長のカオちゃん!!
とっさの機転だったのでしょうが、賢い子だったと思います。
そして・・・母と仲良しだったマーニャ!
ロシアのどこかで、元気に暮らしているのでしょうか
トップ写真は、母とは違い、書道好きの父の書です。
体力的に無理となった今は書いていませんが・・。
これは70才代 の書らしい・・・書の意味??
ごめんなさい。今度聞いてきます。