『杉原千畝 スギハラチウネ』
杉原は大戦前夜のヨーロッパで、ナチから逃れようとする多くのユダヤ人に、
日本の通過ヴィザを独断で発給した外交官として知られている。
杉原千畝が発行したビザを持ったユダヤ人たちは、シベリア鉄道で極東ウラジオストクへと向かう。
そこから船に乗れば、自由への第一歩、日本の地を踏めるのだ。
ところが、国内へと押し寄せる難民の数の多さに、日本政府は受け入れを拒む。
ウラジオストク総領事代理、根井三郎は、杉原と同じハルビン学院の出身。杉原とも旧知の仲であった。
根井は、「日本の領事が出した通行許可書を持っているのに、入国の許可を与えないのは、
日本の外交機関が発給した公文書の威信をそこなうことになる」と抗議。難民たちを船に乗せたのだ。
遠いリトアニアから、杉原によって託された命のバトンは、ウラジオストクで根井へ。
このシーンを見て、根井三郎が、全責任は自分が持つと言い、
杉原と同じ勇気を持った日本人がいたことを誇りに思いました。
日本政府は戦後、杉原を冷遇し、彼を理解しようとしない、理解できないのかも。彼は外務省を辞めた。
それから約半世紀後:
2000年(平成12年)、河野洋平・外務大臣の顕彰演説によって、日本国政府による公式の名誉回復がなされた。
それは、千畝の没後14年目、そして生誕100年という節目のことであった。
1985年、イスラエル政府より、多くのユダヤ人の命を救出した功績で日本人では初で唯一の
「諸国民の中の正義の人」として「ヤド・バシェム賞」
映画の舞台のリトアニアで上映会が行われた時の主演の唐沢さんの話:
リトアニアに来て、多くの人が杉原さんのことを知っていることに驚き、ありがたく思いました。
日本よりも(千畝さんのことが)知られていると思います。
こちらでは中学校の教科書で杉原さんのことを勉強すると聞きました。
日本でも特に若い世代にもっと彼のことを知ってほしいです。
この映画は誰か一人だけにフォーカスした作品ではありません。
だからこそ時代背景がすごくよく分かると思います。
「杉原千畝 スギハラチウネ」 が遂に今週で終わってしまうので、滑り込みで見に行きました。
これは、どうしても見ようと思っていたのですが、延び延びになってしまった。
杉原千畝のことをWikipedia で、読んでみました。もの凄く長いので、所々読みましたが、
映画を見たので理解がしやすかった。
多くのユダヤ人を救った人ですが、日本ではあまり知られていませんでした。
リトアニアでは教科書に載っているとのことですが、日本では学校で習っていないですね。
今からでも遅くないので、教科書に載せてほしいです。
追伸:
今、新聞を見たら、BS朝日で2月3日9pm.
「昭和偉人伝」で杉原千畝です。