精神科医の斎藤環氏の記事の一部です。
コミュニケーション偏重主義
Q:若者の「ひきこもり」や「うつ」が増えた背景や理由として、
何が考えられるでしょうか。
A:
人間は、他者から認められることで、一定の幸福感を得ることができるのです。
その結果、多くの人とつながり、「承認」を得られること、言い換えれば
「コミュニケーション能力」が、過剰に評価されるようになりました。
現在では、学校や就職活動、会社などの場面において、
コミュニケーション能力が、その人の評価基準の大部分を占めている状況です。
「KY:空気が読めない」、「コミュ障」という言葉が誕生したのも、
社会全体がコミュニケーション能力を重視している裏付けともいえます。
しかし、そもそもコミュニケーション能力というのは、
人間が持つ能力の一側面に過ぎません。
また、それは周囲の状況や人の努力で伸ばすことのできる流動的な能力です。
にもかかわらず、最近は、その能力が固定的で先天的なものとして
捉えられがちです。
こうした「コミュニケ-ション偏重主義」の蔓延によって、
コミュニケーション能力が高い人は社会的に評価される一方、そうではない人は
「コミュ障」などとレッテルを貼られ、社会から落ちこぼれるという
状況が生まれてしまいました。そして、後者のような人たちが、
「うつ」や「ひきこもり」になりやすくなっています。
お互いに受け入れ合う
Q: 若者は、不安の多い社会の中で、さまざまな「不自由さ」と
格闘しているように思います。
A:
「出る杭は打たれる」ということわざがるように、日本社会では昔から、
人と違うこと、人より目立つことは、たたかれる風潮が強かった。
つまり、個人の尊重や自由よりも、集団の利益などを優先させる価値観が
ありました。これは、戦後の荒廃から復活し、高度成長の時代を支えた
一面もあるでしょう。
しかし、社会は変わりました。今は経済成長も頭打ちになり、
将来の見通しも持ちづらい。そうなると、
個人が自由でない社会はどうしても、一人一人が生きづらくなってしまう。
これからは「個人の尊厳を大切にする社会」に変わっていく必要があると、
私は思います。
Q:そのための、具体的な取り組みとは。
A:
私は、まず「教育」の在り方を見直すべきだと考えます。子ども時代に受ける
影響は大きいからです。
現在、家庭や学校においても「人に迷惑をかけてはいけない」など「協調性」が
重視されています。しかし、「協調性」ばかりが重視されてしまうと、
ある種の同調圧力が生まれてしまい、いじめの温床にもなります。
私は、今の社会に必要なのは、「自分を信じて」「自分の意見を大切に」と、
自己の尊厳を伸ばす教育だと思います。ある国の教育現場では、
「人は迷惑をかける存在だから、寛大な心を持ちましょう」と
教えられているそうです。
個人の意見を言えば、他人を傷つけたりしてしまうかもしれません。
しかし、そうした失敗を含めて、いったん受け入れ合うことが大切です。
顔を合わせての対話
Q: 個人の尊厳を大切にする社会をつくる上で、私たち一人一人にできることは。
A:
必要なのは、直接的に顔を合わせての「対話」だと思います。
インターネットでの「つながり」であれば、簡単につくることができます。
しかし、それゆえに、離れるのも簡単ですし、深い関係になるのも難しい。
また、書き言葉によるコミュニケーションは、相手の心情を読み取るのに
不適切です。「炎上」現象に象徴されるように、揚げ足を取ったり、
間違いに敏感になり過ぎたりしてしまいます。
一方で、直接的な「対話」によるコミュニケーションは、お互いの表情や
身振りから伝わるものもあるため、相手との関係性を深く築くのに適しています。
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対話というと堅苦しいけれど、一般に女子はおしゃべりが好き。
でも、女子でもそうでもない人もいる。KY等とレッテルをはるのは良くない。
仲間外れ、いじめにつながるかもしれない。← 若者。
シニア世代は、おしゃべりが脳の活性化に一番いい。