所沢の多聞院です。
例の鬼の像が、庭の番人のように鎮座しています。
いつ見てもユーモラスです。
上が「鬼の悟り」、下が「鬼の寒念仏」です。
実は、去年シラネアオイの花を見損ないました
ので、もう芽を出しているどうか、あるいは
大きくなったか気になっていました。
残念ながら見当たりませんでした。
その代わりかどうか、「雪割l草」展の札が出て
いました。
園内のあちらこちらに可憐な花が顔を出して
いました。たぶん全部雪割草なのだろうと
思います。
ところで、雪割草というのは、ミスミソウ
などの総称だそうですが、私には区別が
つきません。
上の写真は、鉢植えにしたものと思います。
洒落た感じになっていました。
園内には、キクザキイチゲも咲いていました。
しかし、今の時期の中心は花木です。
シキビと札がでていましたが、シキミとも
いうようです。漢字ではどちらも「樒」です。
オニシバリです。ジンチョウゲの仲間です。
花弁に見えるものは、「萼」のようです。
こちらはジンチョウゲ。だいぶ花が開き出し
ました。ジンチョウゲの花も花弁ではなく、
「萼」ですね。
アセビが穂状に花をつけています。
お読みになっていた方は多いと思いますが、
養老孟司さんは、読売新聞の連載(時代の
証言者:35最終回)で次のように指摘されて
いました。
「近代文明がおびただしい数の虫や生き物を
殺してきたことに気づいている人はどれ
くらいいるでしょう。加害する方にその
意識がないことがいちばんの問題です。
今のままの人間中心の日常がつづくと、
多くの生き物の日常は維持できない。
コロナ禍になり、ウクライナ戦争が起き、
私たちは日常の壊れやすさを目のあたり
にしている。そうなると人は、日常の
ありがたみをかみしめます。」
多聞院は、様々な草木の花を大切にして、
訪れる人に安らぎを与えてくれています。
小さな庭とはいえ、その維持には
苦労が多いことと思います。
養老さんがいう壊れやすい日常の大切さ、
多聞院の庭は、もしかしてそれを示唆して
いるのではないか、そんな思いがしました。
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