秋の気配が深まって来ました。
少しづつ散策の場所を広げていきたいと思います。
そうはいっても、まだまだコロナは心配です。
ふと思い出したのが、練馬の「田島山十一ヶ寺」です。
以前にもこのブログで紹介したことがあります。
ここが、先日閉園した豊島園のすぐそばとはとても思えません。
それほどに、都会の喧騒を離れた、静寂そのものの別世界です。
十一ヶ寺は、もともとは浅草にあった寺の塔頭でした。
1923年(大正12年)の関東大震災で、塔頭すべてが焼失したのを機に、
十一の寺院が浅草からこの練馬の地に移転してきました。
宗派は浄土宗です。
十一の寺院は通りの両側に配置され、それぞれが異なった造りの建物と
庭をもっています。通りの突き当りは墓所になっています。
多くの寺院の庭には、お釈迦様やお地蔵様が祀られています。
いいお顔をしていらっしゃいます。
不思議と心が穏やかになるものを感じます。
仏様の上に掲げられている言葉は「倶会一処(くえいっしょ)」と読むのだ
そうです。
その意味は、浄土宗のHPに次のように書かれていました。
「たとえこの世で大切な方との別れを迎えようとも、南無阿弥陀仏とお念仏
をおとなえする者どうしは、阿弥陀さまのお迎えをいただき、必ず俱(とも)
に一つの処(ところ)、すなわち西方極楽浄土でまたお会いすることができる
のです」という教えです。
庭は小さいながらも、花木や草花が植えられ、静謐な雰囲気を
醸し出しています。
最も多くみられたのはヒガンバナです。
ピンクや赤だけでなく白花も多く見られました。
寺院によって、萩・ユリ・シモツケ・ホトトギスなど様々に
植えられています。和みの庭園です。
各寺院には、仏道を深める意味合いでしょうか、励ましや戒めの言葉が
掲示されています。
思わず自分のありようを考えさせられます。
墓所には、10月桜でしょうか、早咲きの桜の花です。
なぜかしらほっとします。現世に戻った感がします。
秋を感じながら、コロナ禍の一日も早い終息と世界の平和を願い
ました。
少しづつ散策の場所を広げていきたいと思います。
そうはいっても、まだまだコロナは心配です。
ふと思い出したのが、練馬の「田島山十一ヶ寺」です。
以前にもこのブログで紹介したことがあります。
ここが、先日閉園した豊島園のすぐそばとはとても思えません。
それほどに、都会の喧騒を離れた、静寂そのものの別世界です。
十一ヶ寺は、もともとは浅草にあった寺の塔頭でした。
1923年(大正12年)の関東大震災で、塔頭すべてが焼失したのを機に、
十一の寺院が浅草からこの練馬の地に移転してきました。
宗派は浄土宗です。
十一の寺院は通りの両側に配置され、それぞれが異なった造りの建物と
庭をもっています。通りの突き当りは墓所になっています。
多くの寺院の庭には、お釈迦様やお地蔵様が祀られています。
いいお顔をしていらっしゃいます。
不思議と心が穏やかになるものを感じます。
仏様の上に掲げられている言葉は「倶会一処(くえいっしょ)」と読むのだ
そうです。
その意味は、浄土宗のHPに次のように書かれていました。
「たとえこの世で大切な方との別れを迎えようとも、南無阿弥陀仏とお念仏
をおとなえする者どうしは、阿弥陀さまのお迎えをいただき、必ず俱(とも)
に一つの処(ところ)、すなわち西方極楽浄土でまたお会いすることができる
のです」という教えです。
庭は小さいながらも、花木や草花が植えられ、静謐な雰囲気を
醸し出しています。
最も多くみられたのはヒガンバナです。
ピンクや赤だけでなく白花も多く見られました。
寺院によって、萩・ユリ・シモツケ・ホトトギスなど様々に
植えられています。和みの庭園です。
各寺院には、仏道を深める意味合いでしょうか、励ましや戒めの言葉が
掲示されています。
思わず自分のありようを考えさせられます。
墓所には、10月桜でしょうか、早咲きの桜の花です。
なぜかしらほっとします。現世に戻った感がします。
秋を感じながら、コロナ禍の一日も早い終息と世界の平和を願い
ました。
こちらでは白いヒガンバナは見かけませんでした。
十月桜はきょうの朝、テレビで咲いていますよ、と言っていました。♪
白いヒガンバナは意外に少ないようですね。
10月桜は偶然見つけました。
花は小ぶりでしたが、結構しっかり咲いて
いました。桜は私たちの感性にぴったり
くるんですね。