各地で、ひなまつりのイベントが
行われています。
今年も青梅市にある「津雲邸」の
「雛まつり展」を見てきました。
津雲邸は、青梅出身で、衆議院議員
だった津雲國利氏(1893~1972)に
よって建てられた(1931(昭和6年)
~1940年(昭和15年))迎賓のための
建物で、現在歴史資料館になっています。
ちなみに建物は国の有形登録文化財です。
この津雲邸には、津雲氏によって収集
された数百点に及ぶ有職雛(ゆうそく
びな)などの雛人形、芥子雛(けしびな)、
雛道具、御所人形などがあります。
段飾りの雛人形は建物の2階に飾られて
いました。
厳密には二段構成で、一段目の有職雛
(男雛・女雛)は江戸後期につくられた
もの。有職雛とは、公家の風俗を忠実に
縮小した雛人形で、本来、公家の格式に
応じて特別につくらせたものだそうです。
二段目は、五楽人(ごがくにん)で、
篳篥(ひちりき)、横笛、笙(しょう)、
羯鼓(かっこ)、火焔太鼓(かえんだいこ)
の奏者五人で、雅楽を奏じています。
(注:五人囃子は主に関東の飾り方で、
能楽を奏じる。五楽人(ごがくにん)
は主に関西・特に京都の飾り方で、
雅楽を奏じる)
三段目~五段目は雛道具類です。
スタッフの方によると、現在の五段飾り
とは違い、当時はお雛様と楽人のほか
飾り方に決まりはなかったのだそうです。
次第に豪華さを競うようになって現在の
ような段飾りになったのだそうです。
ちなみに、この津雲邸と同じ飾りの
雛人形は、国立歴史民俗博物館(千葉県
佐倉市)にもあり、皇女和宮様(江戸
末期に徳川家に降嫁)がお持ちになって
いたものだそうです。
雛人形の始まりは「紙雛(立雛)」で、
子どもの病気や災厄を祓い無事の成長を
祈るもの。それが今のような形になって
きたわけですね。
他にも有職雛の人形が飾られており、
この中には三人官女の人形もあります。
上の有職雛は、稚児仕立ての一種の
代わり雛で、富裕な女性の楽しみとして
所有されていたものだそうです。
これは雛人形ではなく、皇子女や公家の
子女などが誕生後はじめて御所に参内した
折に天皇陛下から下賜された特別な人形で、
「初参人形」(ういざんにんぎょう)と
呼ばれるものだそうです。
以下は御所人形(ごしょにんぎょう)
とよばれるものです。
御所人形は、宮中の祝い事に飾られて
きた由緒ある人形で、上の写真のものは、
宮中に参内した公家や大名に対し下賜
されたものだそうです。
上の雛・雛道具は、老中松平定信の
「寛政の改革」で出された贅沢禁止令
により、豪華な雛人形などの製作・
販売が禁止されたことに伴ってつく
られることになったと言われる、
「芥子雛(けしびな)」とよばれる
ものです。
精巧なミニチュアで、本来の物同様に
つくられていますので、その値段は、
返って、極めて高価なものになった
そうです。
これらの芥子雛や、黒塗・蒔絵を施した
極小雛道具を製作した店がいくつかあり、
上野池之端の「七澤屋」、浅草の「武蔵屋」、
市中の「黒田屋」などがあったそうです。
上の道具類は、この中でも特に有名な
七澤屋のものだそうです。
津雲邸の建物は、国の有形登録文化財に
なっていますが、その貴重な欄間などの
造りを上の写真に見て取ることができます。
かつて江戸・大正期につくられた貴重な
雛人形や雛道具類は、幕末の上野戦争や
東京大空襲で焼失したものがあるそうです。
そうした出来事を経て、津雲邸は、雛人形・
雛道具を、歴史的な文化財として今日に
伝えている史料館ですが、歴史民俗博物館
や徳川美術館や虎屋文庫などと比べると、
あまり知られていないかもしれません。
是非とも、これからも保存にご尽力をお願い
したいと思います。
説明して下さったスタッフの皆さんに
改めて感謝いたします。
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