今年もある女性の卒業生から夫君を亡くしたのでという挨拶状が来た。年末になると年始の欠礼挨拶状が来るが、中でも配偶者を喪ったという挨拶があると、妻を喪った身としてはひとしお哀悼の気持ちが強くなる。さぞ寂しいことだろうと思って電話した。
本人と同じ60歳半ばで、1年前に癌であることが分かったそうだ。告知もされた本人は覚悟していたとのことで、毎日のように感謝の言葉を口にし、最後には別れも言って逝ったそうだ。聞いていて胸が熱くなった。喪中欠礼挨拶状は作ったが、見るのも嫌で出すのを止めようかとも思ったくらいだったと言ったが、その気持ちはよく分かった。
いつも思うことだが、いつかは死ぬにしても、いったいどのような病で死ぬのだろうか。妻を亡くしてからは死ぬことには淡白になってきているが、せめて余命は後いくらというくらいは知りたい。いまさら執着するようなことも無いが、やはり感謝したり別れの挨拶をしたりしたい人は少なくない。けじめだけはつけたいと思うが、こればかりは思うようにはいかないだろう。
その卒業生には、妻がいなくなった最初の大晦日や正月には言葉では尽くせない悲しみを味わったことを話し、寂しいだろうが元気に過ごしてほしいと言って電話を終えたが、改めて、11年前の寒く冷たかった年末年始を思い出した。
本人と同じ60歳半ばで、1年前に癌であることが分かったそうだ。告知もされた本人は覚悟していたとのことで、毎日のように感謝の言葉を口にし、最後には別れも言って逝ったそうだ。聞いていて胸が熱くなった。喪中欠礼挨拶状は作ったが、見るのも嫌で出すのを止めようかとも思ったくらいだったと言ったが、その気持ちはよく分かった。
いつも思うことだが、いつかは死ぬにしても、いったいどのような病で死ぬのだろうか。妻を亡くしてからは死ぬことには淡白になってきているが、せめて余命は後いくらというくらいは知りたい。いまさら執着するようなことも無いが、やはり感謝したり別れの挨拶をしたりしたい人は少なくない。けじめだけはつけたいと思うが、こればかりは思うようにはいかないだろう。
その卒業生には、妻がいなくなった最初の大晦日や正月には言葉では尽くせない悲しみを味わったことを話し、寂しいだろうが元気に過ごしてほしいと言って電話を終えたが、改めて、11年前の寒く冷たかった年末年始を思い出した。