中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

逝き方

2010-08-07 10:33:06 | 身辺雑記
 生き方ではない。逝き方すなわち死に方だ。こればっかりは思いとおりにはならないのだが、この年になるとどうしてもどのように死ぬかが関心事になる。

 知人のUさんは80歳も半ばくらいになっているが、最近体調があまりよくないようだ。それで心配したこれも知人のSさん(女性)が見舞いのファックスを送ったら、折り返し電話が来て、どうも具合が悪く、今夜あたり死ぬかも知れないなから会いたいと言うので驚いて会いに行った。会ってみると、寝込んではいないがかなり弱っていて最近は夢か現かという状態があって、これはもう終わりなのではないかと考えたらしい。話していると同じことの繰り返しもあり、やはり元気な頃と比べると、かなり弱っているように思うとSさんは言った。

 人はある状態になると自分の死期が分かるのだろうかということになって、Sさんがこんな話をした。Sさんがかつて師事していた書家は闊達な性格の人で、90の半ば過ぎまで健在で奥さんを先に見送ったが、少し寝込んだある日、看病していた息子の嫁に「今夜死ぬ」と言い置き、有難うと言って本当にその夜のうちに亡くなったそうだ。どうして自分が死ぬことが分かるのでしょうねとSさんは不思議そうに言った。このようなことは高僧の臨終にまつわる話にあったりするが、悟ったような心境になると予知できるものなのだろうか。

 このような逝き方には憧れる。長く苦しむことはなくぽっくり逝きたいと誰もが言うが、それ以上に今日あるいは間もなく死ぬことを知ることができ、身近な人に感謝して逝くことができたら言うことはない理想的なことだ。願わくば夢の中に入るように逝きたいと思う。


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