京街道。朝鮮人街道とも言う。江戸時代に将軍が交代するたびに、朝鮮国国王の親書を携えて来日した「朝鮮通信使い」の一行が通った街道。当時は町を挙げて歓迎したと言う。



町屋。

庇は銅葺き

途中で 休憩した喫茶店も保存されている町屋を使っていた。
入り口の戸は内側に跳ね上げて、荷を積んだ車がそのまま屋内に入れるようになっている。

雨戸は普通は縦型で左右に滑らせるようになっているが、ここの町屋ものは上に設けられた戸袋から3枚の雨戸を引き下ろすようになっている。「すり上げ」と言うそうだ。


箱階段。階段が家具として造られていて、収納部分が段々に作られ、2階に通じる階段になっている。。

2階へは荷物が揚げにくいので、ここから吊り上げる。明かり取りの窓がある。

八幡堀。豊臣秀吉が運河として利用させ、琵琶湖を往来する船をすべて八幡の街に寄港させたので近江八幡が発展した。昭和30年頃からどぶ川のような状態になったが、市民の手で清掃活動が行われて昔の姿に戻った。


明治橋


八幡堀では時代劇のロケがよく行われる。もう少し足を伸ばせばそのような場所が見られたのだが、あまりに暑かったので、またの機会にすることにした



町屋。

庇は銅葺き

途中で 休憩した喫茶店も保存されている町屋を使っていた。
入り口の戸は内側に跳ね上げて、荷を積んだ車がそのまま屋内に入れるようになっている。

雨戸は普通は縦型で左右に滑らせるようになっているが、ここの町屋ものは上に設けられた戸袋から3枚の雨戸を引き下ろすようになっている。「すり上げ」と言うそうだ。


箱階段。階段が家具として造られていて、収納部分が段々に作られ、2階に通じる階段になっている。。

2階へは荷物が揚げにくいので、ここから吊り上げる。明かり取りの窓がある。

八幡堀。豊臣秀吉が運河として利用させ、琵琶湖を往来する船をすべて八幡の街に寄港させたので近江八幡が発展した。昭和30年頃からどぶ川のような状態になったが、市民の手で清掃活動が行われて昔の姿に戻った。


明治橋


八幡堀では時代劇のロケがよく行われる。もう少し足を伸ばせばそのような場所が見られたのだが、あまりに暑かったので、またの機会にすることにした