中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ある老人の死

2010-08-28 10:28:31 | 中国のこと
 東京の施路敏(敏敏ミンミン)が泣きながら電話してきて、南京のおじいちゃんが死んだと言った。1週間くらい前から急に容態が悪くなって入院したが、経過が思わしくなく、敏敏が南京に行こうとしていた矢先だった。胃の出血があり、腎臓の機能も失われていたと言うから、どうやら多臓器不全らしい。享年85歳だった。

 敏敏は女と男の双子として生まれ、両親が上海で男の子を育て、敏敏は祖父母に育てられて小学校に上がるまで南京で過ごした。祖父母はいわば養父母のようなもので、敏敏は祖父母が大好きだった。それだけに、いつかは来ることとは思っていてもやはり悲しみは深いようだ。

 2007年の8月末から9月初めにかけて、私は敏敏に誘われて南京に行き、敏敏の祖父母に会った。日本人が訪れたのは初めてということだったが歓迎してくれた。祖父の王明福(オウ・ミンフ)さんは2年前に事故に遭ったので車椅子の生活だった。私は日中戦争の時に南京を占領した日本軍の行状を知りたかったので尋ねた。私が日本の一部の新聞などは、南京事件はなかったとも言っていると話したら、王さんは穏やかに微笑んで「あったのですよ」と言い、父親から聞いた話をしてくれた。その当時(1927年)に王さんは香港に避難していたが、民間人だった父親は危うく日本軍人に射殺されるところを九死に一生を得たという話だった。祖母の鄭巧芳(チョン・チャオファン)さんは当時まだ幼かったが南京にいて、虐殺された死体を見ているし、日本軍がとても怖かったそうだ。だから当然のことながら2人とも日本人には良い感情を持っていないと敏敏から聞いていたが、初めて接した日本人の私には打ち解けて、心を開いてくれたようで「中国人はお客を大切にします」と言ってくれた。

 次の年に敏敏が、南京に帰った時のお土産と一緒に王さんの手紙を送ってくれた。敏敏が訳したもので次のようなものだった。

 こんにちは
 中国と日本の両国は隣人同士です。お互いに関心を持つべきで、過去の戦争についてはもう何も言いません。あなたは中国人民との友好と世界の人民との友好のために励んでおられます。未来の生活はもっと良くなるでしょう。両国は互いに助け合って、共に向上していきましょう
 ご健康をお祈りします。
              中国平和老人
                    王明福

 短いが誠実な内容で、私は心を打たれた。敏敏と一緒に南京を訪れた時、家族の人たちは非常に歓迎してくれ心温まる3日間を過ごした。その折りに家族の1人が、私に会って日本人に対する考えが少し変わったと言ってくれ、私なりに友好に役立ったのかと嬉しく思ったのだが、この王さんの手紙を読み、またその思いを強くしたのだった。

 敏敏の話では、王さんは最後まで意識はあったが、死ぬことは覚悟していたようだ。死んだら墓は要らない、骨は木の下に埋めるか、海に撒いてくれればいいと言っていたそうで、敏敏はおじいちゃんは賢い人だと言った。

 短い縁だったが、優しい家族達に看取られて旅だった、1人の温厚で誠実な中国の老人の死を悼み、冥福を祈る。

          

  
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