草津市立水生植物公園を後にして北上し、近江八幡市に足を伸ばした。近江八幡は近江商人発祥の地の一つとして有名な町だ。
近江商人とは、近江に本拠地をおく他国稼ぎ商人のことで、近江八幡・日野・五個荘などから特に多く出た。主に鎌倉時代から江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代にかけて活動し、大阪商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つとされている。近江商人は「売り手良し、買い手良し、世間良し」の「三方良し」を家訓とした。明治以後は企業として発展したものも多く、現在も高島屋、大丸、西武百貨店、丸紅、東レ、日本生命、武田薬品など数多い。
近江商人が住んだ屋敷が並ぶ新町通り。
森五郎兵衛邸(非公開)。たばこや麻布を売り出し、後には呉服(絹織物)、太物(綿織物、麻織物)も扱うようになり、江戸日本橋や大阪本町にも出店した。現在も近三商事株式会社として貸しビルなど不動産業を営んでいる。
旧西川家住宅。典型的な近江商家の面影を残す京風建築のこの家は、3代目西川利右衛門によって宝永3年(1706年)に建てられたもので、昭和58年1月に国の重要文化財に指定された。西川家は屋号を大文字屋と称して蚊帳や畳表を商い、江戸、大坂、京都に店を構えた。家系は11代で昭和5年に途絶え、約300年の歴史を閉じた。
土蔵。白壁の土蔵は普通は2階建てだが、この建物は大壁造り本瓦葺の3階建てで、全国的にも珍しいとされている。
市立資料館
資料館にある郷土資料の展示。
資料館に隣接する前記の森家の控宅は歴史民俗資料館になっている。
近江商人とは、近江に本拠地をおく他国稼ぎ商人のことで、近江八幡・日野・五個荘などから特に多く出た。主に鎌倉時代から江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代にかけて活動し、大阪商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つとされている。近江商人は「売り手良し、買い手良し、世間良し」の「三方良し」を家訓とした。明治以後は企業として発展したものも多く、現在も高島屋、大丸、西武百貨店、丸紅、東レ、日本生命、武田薬品など数多い。
近江商人が住んだ屋敷が並ぶ新町通り。
森五郎兵衛邸(非公開)。たばこや麻布を売り出し、後には呉服(絹織物)、太物(綿織物、麻織物)も扱うようになり、江戸日本橋や大阪本町にも出店した。現在も近三商事株式会社として貸しビルなど不動産業を営んでいる。
旧西川家住宅。典型的な近江商家の面影を残す京風建築のこの家は、3代目西川利右衛門によって宝永3年(1706年)に建てられたもので、昭和58年1月に国の重要文化財に指定された。西川家は屋号を大文字屋と称して蚊帳や畳表を商い、江戸、大坂、京都に店を構えた。家系は11代で昭和5年に途絶え、約300年の歴史を閉じた。
土蔵。白壁の土蔵は普通は2階建てだが、この建物は大壁造り本瓦葺の3階建てで、全国的にも珍しいとされている。
市立資料館
資料館にある郷土資料の展示。
資料館に隣接する前記の森家の控宅は歴史民俗資料館になっている。