鹿児島は枕崎のとねさんから新米とサツマイモを送ってきた。枕崎ではもう新米がとれている。
とねさんは私が幼い頃にいたお手伝いさん(当時は女中さんと言った)で、時折故郷の枕崎から農産物などが送られてきたようだ。その中に中が橙黄色のサツマイモがあり珍しく思った。とねさんはニンジンイモと言った。我が家にいた時にはとねさんはまだ10代の娘だったが、その後故郷に帰って嫁いだ。その後も我が家とは両親が死ぬまで付き合いがあった。両親の接し方が良かったのだろうが、とねさんも忠実、誠実で善良な人柄だったようだ。両親がいなくなった後は私が付き合いを続け、毎年この時期には新米を、年末にはポンカンやタンカンを送ってくれ、私もささやかな贈り物をしている。とねさんはもう80も半ば過ぎているが、とても元気で明るいお婆さんだ。
久しぶりのニンジンイモは甘くて独特の味がする。ニンジンと同じようにカロチンを多く含んでいるのだろう。子どもの頃を思い出しながら食べた。とねさんがこれからも元気であるようにと願っている。

大学の生物学科動物学専攻時代の同期の友人のK君から瓢箪を送ってきた。自分で育て、実を採って加工したものだ。今年はつくらなかったようだが、3年ほど続けていろいろな大きさのものを収穫したようだ。なかなか良い形のものはできない、とくに大きさはコントロールできなくてバカでかいものや、小さいものができると書いてきた。いろいろできたものの中から、形や大きさがまずまずのものを選んで送ってくれたようだ。口の栓はトウネズミモチの枝を削って作ったものだという。
K君は岡山県津山の出身、ヘイさんと呼ばれ、穏やかで素朴、まじめなな人柄。私の妻も結婚前から知っていてその人柄を好いていた。私が学生時代に妻と付き合っていたときにちょっとごたごたしたことがあったのを、同じ家に間借りしていたヘイさんは知っているから、どうも彼には頭が上がらない。
彼は酒でも入れてと言う。酒を入れて花見にでも行けば風流なのだろうが、残念ながら私は下戸だ。飾り物として大切にしていこう。
とねさんは私が幼い頃にいたお手伝いさん(当時は女中さんと言った)で、時折故郷の枕崎から農産物などが送られてきたようだ。その中に中が橙黄色のサツマイモがあり珍しく思った。とねさんはニンジンイモと言った。我が家にいた時にはとねさんはまだ10代の娘だったが、その後故郷に帰って嫁いだ。その後も我が家とは両親が死ぬまで付き合いがあった。両親の接し方が良かったのだろうが、とねさんも忠実、誠実で善良な人柄だったようだ。両親がいなくなった後は私が付き合いを続け、毎年この時期には新米を、年末にはポンカンやタンカンを送ってくれ、私もささやかな贈り物をしている。とねさんはもう80も半ば過ぎているが、とても元気で明るいお婆さんだ。
久しぶりのニンジンイモは甘くて独特の味がする。ニンジンと同じようにカロチンを多く含んでいるのだろう。子どもの頃を思い出しながら食べた。とねさんがこれからも元気であるようにと願っている。

大学の生物学科動物学専攻時代の同期の友人のK君から瓢箪を送ってきた。自分で育て、実を採って加工したものだ。今年はつくらなかったようだが、3年ほど続けていろいろな大きさのものを収穫したようだ。なかなか良い形のものはできない、とくに大きさはコントロールできなくてバカでかいものや、小さいものができると書いてきた。いろいろできたものの中から、形や大きさがまずまずのものを選んで送ってくれたようだ。口の栓はトウネズミモチの枝を削って作ったものだという。
K君は岡山県津山の出身、ヘイさんと呼ばれ、穏やかで素朴、まじめなな人柄。私の妻も結婚前から知っていてその人柄を好いていた。私が学生時代に妻と付き合っていたときにちょっとごたごたしたことがあったのを、同じ家に間借りしていたヘイさんは知っているから、どうも彼には頭が上がらない。
彼は酒でも入れてと言う。酒を入れて花見にでも行けば風流なのだろうが、残念ながら私は下戸だ。飾り物として大切にしていこう。
