本日、以前から楽しみにしていた箱館戦争関連の講演会が中央図書館で開催された。講師と演題は、ノンフィクション作家・合田一道氏の「箱館戦争の意味するもの」、榎本武揚の直系の曾孫で東京農業大学客員教授・榎本隆充氏の「榎本武揚の戊辰戦争~最後の戊辰戦争は何故は箱館で」である。
合田氏は、地元に残るいろいろな資料や史跡等の調査研究に基づいた戊辰戦争の経過や榎本武揚を中心とした脱走軍の願いや動きを、榎本氏は、自宅に残る本人から家族に宛てた手紙や彼を取り巻く人々の関係資料などの調査研究を基にした箱館戦争終結までの彼の半生が中心の話であった。
これまで断片的な知識として頭に入っていたことやその背景が体系的に把握でき、認識を新たにすることができた。とくに、その中で、自分的には新鮮で興味があったのは榎本氏の講演の中での「榎本武揚が箱館を選らんだわけ」であった。すなわち、蝦夷共和国を考えた根拠である。
3点ほどの理由があるらしい。その一つは、以前に蝦夷地に来ていて、地図等を入手していて土地勘があった。これは、結果的に戦いのときの兵の動かし方にも有利であったとのこと。二つめは、開陽丸建造に伴う5年近くのオランダ留学で、蝦夷地は農業立国のほか、豊かな地下資源や海産物をもとにした貿易立国としても十分やっていけると考えていたこと、三つ目は、当時海外に開かれて外国から重要視されていた箱館の立地条件である。津軽海峡を制圧すれば、外国の調停が入って、本州と分断されたひとつの国として認められるのではないかと考えたこと・・・などであった。
また、諸説がある土方歳三と榎本武揚がいつどこで出会ったのかという点も、これについては最近になって新たな資料が見つかったということも目新しい情報であった。
合田氏は、地元に残るいろいろな資料や史跡等の調査研究に基づいた戊辰戦争の経過や榎本武揚を中心とした脱走軍の願いや動きを、榎本氏は、自宅に残る本人から家族に宛てた手紙や彼を取り巻く人々の関係資料などの調査研究を基にした箱館戦争終結までの彼の半生が中心の話であった。
これまで断片的な知識として頭に入っていたことやその背景が体系的に把握でき、認識を新たにすることができた。とくに、その中で、自分的には新鮮で興味があったのは榎本氏の講演の中での「榎本武揚が箱館を選らんだわけ」であった。すなわち、蝦夷共和国を考えた根拠である。
3点ほどの理由があるらしい。その一つは、以前に蝦夷地に来ていて、地図等を入手していて土地勘があった。これは、結果的に戦いのときの兵の動かし方にも有利であったとのこと。二つめは、開陽丸建造に伴う5年近くのオランダ留学で、蝦夷地は農業立国のほか、豊かな地下資源や海産物をもとにした貿易立国としても十分やっていけると考えていたこと、三つ目は、当時海外に開かれて外国から重要視されていた箱館の立地条件である。津軽海峡を制圧すれば、外国の調停が入って、本州と分断されたひとつの国として認められるのではないかと考えたこと・・・などであった。
また、諸説がある土方歳三と榎本武揚がいつどこで出会ったのかという点も、これについては最近になって新たな資料が見つかったということも目新しい情報であった。