癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

弟の死

2009年10月16日 | 日常生活・つぶやき
11日に乙部岳を下りて来て携帯のスイッチを入れたら、飛び込んで来たメールが、「10日に西宮市にいるすぐ下の弟が心筋梗塞で倒れた」の報・・・。

帰宅後、すでに駆け付けていた大阪の妹に電話で詳しい状況を聞く。「緊急の手術は成功し、10日の夜は、あっけらかんとした感じで会話もできた。今は安静を保つために眠らされているが、回復は難しい状況」とのこと。

直ぐにでも駆け付けたかったが、13日に札幌での会議が入っていたので、様子見での自宅待機。しかし、12日の夕方遅くになって「血圧が下がり始めた。埼玉から駆け付けた下の弟も、眠ったままなので話をできないまま、仕事の調整のために帰って行ったばかり」とのこと。

直ぐに、会議は欠席の手続きを頼み、ネットで一番早く着く方法を検討。飛行機は午後の1便しかない。結果、3:22発の急行に乗り、特急と新幹線を乗り継いで向かうと、13:00過ぎには着くことかできそう・・・。

「着くまでなんとか持って欲しい」の願いも虚しく、京都を過ぎて新大阪に向かっているときに、「今、脈が切れたが、お兄さんが着くまで機械を付けたままにして置く」との知らせ・・・。

病院に着いたときは、人工呼吸器?で酸素を送り込んでいるので、呼吸はしていて体も温かいままだった。最後の別れの時間を与えていただき、機械を外した時刻が死亡診断時刻となった。

その後、医師から詳しい説明を聞く。

病院に搬送されたときは、3本の冠動脈のうち2本が詰まっていて生きているのが不思議な状況だった。しかし、2本とも風船治療の手術が上手くいって、一時は小康状態になったが、倒れてからの時間が長かったので回復は難しかった。直接の死因は心筋梗塞だが、基は糖尿病とのこと・・・。

しかも、2本のうちの1本は、かなり何日も前に詰まっていたはずだが、糖尿病の人はその症状に気付かないときがままあるらしい。そのときに気付いて直ぐにでも治療していれば、助かった可能性大だったとのこと・・・今回も胃が痛くて眠られず、自分でタクシーで掛かり付けの病院へ行ったらしい。胃の痛みは勘違いで、心筋梗塞の症状だったのである・・・恐るべし糖尿病!

実は、自分を頭に4人兄弟だが、体質的な遺伝なのか、全員が40代後半から糖尿病と診断されている。自分の登山も、この運動療法の一環として始めたのがきっかけである。中でもこの弟が一番症状が重く、インシュリン治療を受けていた。

最後に会ったのは、5/30に六甲山に登った夜だった。大阪にいる妹と3人で夕食会をしたが、そのときの太り具合を見てびっくり・・・昨春定年退職をして以来、1年間で13kgも太ったそうだ。

「糖尿病なのにそんなに太ったら、絶対いいことないよ。心筋梗塞になるぞ!」とかなりきつく脅したのだが、まさか数ヶ月で現実となるとは・・・。葬儀の弔辞の中でも「以前は厳しく取り組んでいた血糖値コントロールが、最近はちょっとおろそかになっているようで心配していた」と述べられていた。

この弟は、若いころから仕事の傍ら、学童保育の活動に携わり、全国的なリーダーとしてあちこち駆け回っていたこともあり、葬儀会場には、その関係者で溢れかえっていた。

その方々の「我々にとっては、まさに、巨星墜つ!ですよ。」という言葉が印象的だった。性格的にも、「多くの方々に慕われ、太く短く生き抜いた人生だった」と思わざるを得ない。それにしても呆気ない逝き方だった・・・。

彼の死をムダにしないためにも、より一層健康管理に努めなければならないとの想いを強くして帰路に就いた。