今年、華々しくデビューするはずだった道産ブランド米「ゆめぴりか」だが、冷夏の影響で当初予定の6%しか出荷できずに、もう販売中止だとか・・・・。
ところが我が家では、妻が、米が切れて買いに行った日がたまたまこの発売日だったらしく、誰も並んでもいない中、目に飛び込んだのがこの「ゆめぴりか」で、試しにと5kg入りをゲットしてきた。
我が家のこれまでの「ふっくりんこ」は、4年前に、山仲間を募って毛無山の登山道の笹刈り作業をしたときに、山好きの当時の大野町長だった吉田氏が全員にお礼にと送ってくださったのが初対面だった。それまでは「こしひかり」だったが、そのデビューしたばかりの新米の美味しさに感動し、それ以来、すっかり「ふっくりんこ」のファンである。
今回の「ゆめぴりか」は粘り気は強いが、美味しさについては、両者に大差はない。今後とも、我が家は、この道南が主産地の「ふっくりんこ」で行こうと思う。
さて、当時純米作地帯だった大野町(現北斗市)で子供時代を過ごした自分には、この米にまつわる思い出は多い。
<その1~コンプレックスだった配給米>
我が家は農家ではなかったので、子供の頃は、いわゆる「配給米」で当然麦飯だった。友達の弁当は、ほとんどが自分の家で穫れたいわゆる銀シャリの白いご飯。自分の弁当は麦が半分の黒っぽいご飯。恥ずかしくて蓋を完全に外して食べることができなかったとともに、たまに食べる麦の入らないご飯の美味しかったこと・・・。
さらに、もうひとつ「配給米」での肩身の狭い思い・・・子供の頃、田舎の優等生だったが、体が非常に小さかった・・・そんな自分に、浴びせられたひと言はショックだった・・・「配給米は、頭は良くなるけど、力が付かない米だよな~」・・・確かに、5,6年生になると米俵1俵(60kg)を担ぐ友達もいた。
<その2~労働の味>
当時、1週間ほどの田植え休みと稲刈り休みがあった・・・農家でない自分は、あちこちの友達の家へ手伝いに歩いたものだった。子供でも、一人前の労働力として重宝してもらえるのが嬉しかった。
直径10cmもあろうかと思うような大きな大福が5個セットの「田植え餅」、打ち上げ時の大人と同じお膳、秋になると、お礼にと届けられるいくらかの米・・・それらの思いや味は格別なものだった。
<その3~修学旅行の騒動>
当時、小学校の修学旅行には米を持参したものだった・・・農家では、自分の子供にと当然美味しい米を持たせた。当時、道産米で一番美味しいと言われていたのが、この大野周辺でしか穫れなかった「ともえまさり」である。
札幌の旅館に着いて、米の入った袋を持って並んで、大きな米びつに米を入れる・・・やがて、夕食になった・・・ご飯を一口食べた友達が「これ、オラだぢの持ってきた米でねぇ~。こったらめぐね飯食えるが~!」と騒ぎ出した。それに困った先生が旅館の方に問い合わせたのだろう。
その説明がこうだった・・・「大野の子供達の持ってくる米は美味しいので、別の米びつに入れてもらって、上客用に使っている」とのこと。「大野の米は美味い」というひと言に子供なりにも自尊心をくすぐられたのだろう・・・それで、一堂渋々納得・・・・。
ところが我が家では、妻が、米が切れて買いに行った日がたまたまこの発売日だったらしく、誰も並んでもいない中、目に飛び込んだのがこの「ゆめぴりか」で、試しにと5kg入りをゲットしてきた。
我が家のこれまでの「ふっくりんこ」は、4年前に、山仲間を募って毛無山の登山道の笹刈り作業をしたときに、山好きの当時の大野町長だった吉田氏が全員にお礼にと送ってくださったのが初対面だった。それまでは「こしひかり」だったが、そのデビューしたばかりの新米の美味しさに感動し、それ以来、すっかり「ふっくりんこ」のファンである。
今回の「ゆめぴりか」は粘り気は強いが、美味しさについては、両者に大差はない。今後とも、我が家は、この道南が主産地の「ふっくりんこ」で行こうと思う。
さて、当時純米作地帯だった大野町(現北斗市)で子供時代を過ごした自分には、この米にまつわる思い出は多い。
<その1~コンプレックスだった配給米>
我が家は農家ではなかったので、子供の頃は、いわゆる「配給米」で当然麦飯だった。友達の弁当は、ほとんどが自分の家で穫れたいわゆる銀シャリの白いご飯。自分の弁当は麦が半分の黒っぽいご飯。恥ずかしくて蓋を完全に外して食べることができなかったとともに、たまに食べる麦の入らないご飯の美味しかったこと・・・。
さらに、もうひとつ「配給米」での肩身の狭い思い・・・子供の頃、田舎の優等生だったが、体が非常に小さかった・・・そんな自分に、浴びせられたひと言はショックだった・・・「配給米は、頭は良くなるけど、力が付かない米だよな~」・・・確かに、5,6年生になると米俵1俵(60kg)を担ぐ友達もいた。
<その2~労働の味>
当時、1週間ほどの田植え休みと稲刈り休みがあった・・・農家でない自分は、あちこちの友達の家へ手伝いに歩いたものだった。子供でも、一人前の労働力として重宝してもらえるのが嬉しかった。
直径10cmもあろうかと思うような大きな大福が5個セットの「田植え餅」、打ち上げ時の大人と同じお膳、秋になると、お礼にと届けられるいくらかの米・・・それらの思いや味は格別なものだった。
<その3~修学旅行の騒動>
当時、小学校の修学旅行には米を持参したものだった・・・農家では、自分の子供にと当然美味しい米を持たせた。当時、道産米で一番美味しいと言われていたのが、この大野周辺でしか穫れなかった「ともえまさり」である。
札幌の旅館に着いて、米の入った袋を持って並んで、大きな米びつに米を入れる・・・やがて、夕食になった・・・ご飯を一口食べた友達が「これ、オラだぢの持ってきた米でねぇ~。こったらめぐね飯食えるが~!」と騒ぎ出した。それに困った先生が旅館の方に問い合わせたのだろう。
その説明がこうだった・・・「大野の子供達の持ってくる米は美味しいので、別の米びつに入れてもらって、上客用に使っている」とのこと。「大野の米は美味い」というひと言に子供なりにも自尊心をくすぐられたのだろう・・・それで、一堂渋々納得・・・・。