夜半からの雪が雨に変わり寒い1日だった。道路以外は積雪があり、冬景色の中の歩きだった。まさか、ここまで来て、この時期に雪に降られるとは思わなかった。上下雨具のほかがっちり着込んで、傘をさして、5:30にホテルを出て、前回のゴール地点の中ノ橋交差点の旧盛岡銀行本店の赤煉瓦の建物まで歩く。
8時過ぎには雨は止んだが、その後もときどき雨が降る天気だった。
22盛岡宿~23日詰郡山宿
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6:00、いよいよスタート。1911年(明治44年)建築のこの旧盛岡銀行の建物は、東京駅と似ているが、設計者は同じ人らしい。
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やがて、明治橋を渡る。往時は20艘ほどの小舟を繋いだ船橋が架かっていたこと、明治になって木造の明治橋が架かっていたと解説されている。
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明治橋から雪景色の東側を眺める。やがて、国道4号に合流し、まもなく、矢巾町に入る。
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一番先に目にした早咲きのウメ。
左手に今宮神社が現れる。そこの案内板にはこの付近は「塚根」といわれ一里塚があったが消失したと記されている。
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右手に広い史跡公園があり、徳丹城跡の看板が現れる。その先に案内板があり、813年ごろに、水害に度々あった志波城にかわるものとして大和朝廷の征夷大将軍・文屋綿麻呂によって造られたとある。城の外郭は350m四方あり、国道の左右に広がっていた。今は広々とした史跡公園となっている。
城跡の左手には、歴史民族資料館と南部曲屋・佐々木家がある。
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南部曲家佐々木家
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間野々一里塚跡。江戸から136番目の一里塚。
しばらくして国道から別れて旧街道へと入っていく。やがて、紫波町へ入る。
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左手に「月の輪」という看板を掲げた横沢酒造が現れる。陣ヶ岡の月の輪形から名付けたらしい。
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城山の麓の集落の端にくると左手に高水寺と走湯神社の鳥居が現れる。走湯神社の鎮守は伊豆の走湯権現を勧請したものであり、その側にある大道祖は藤原清衡が勧請したものと案内板にある。また、源頼朝はここに来たおりに鏑矢二つを槻に射立て走湯権現に奉納したともある。歴史のある神社と寺なわけだが、神社には珍しくなぜか男根が祭られているらしい。
この先に城山公園の入口があるが、斯波氏の居城だった高水寺城跡である。足利尊氏によって奥州管領に任ぜられた斯波家長がここを本拠地として奥州を支配していた。戦国時代となると斯波氏は南部氏との抗争に破れ、城は南部氏が占領した。城は郡山城と改称されて城代がおかれた、が1667年には廃止され、城も破却された。
城はなく、広い公園だけなので寄らないで先へ進むと国道に出る。すく先で、日詰郡山宿への旧街道へ入る。
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「銭形平次のふるさと紫波」の看板と「日詰発祥の地 習町」の説明板がある。「銭形平次捕物控」の作者野村胡堂は、ここ紫波町の出身である。また、説明板によると、この辺りが日詰郡山宿の中心地だったらしい。
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宿場内を進むと右手に煉瓦塀に囲まれた大きな屋敷が現れる。豪商平六商店の平井六右衛門宅で、大正10年、政治家でもあった12代目六右衛門が建てたもので、時の首相原敬もお祝いにきたとのことである。
やがて、国道に出る。跨線橋を潜る手前のレストランで昼食を摂る。
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跨線橋を潜ってしばらくすると、五郎沼が現れる。対岸の道へ回り込む。
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「樋爪館周辺歴史絵図」「五郎沼の蓮のいわれ」「歴史のロマン香る樋爪館」という3つの案内板があり、藤原清衡の四男清綱がここに派遣され、その子俊衡、季衡らが樋爪館を構えて周辺を支配していたと解説されている。
絵図をみると沼は今の倍以上あり広大な屋敷となっていて、神社裏の小学校付近に樋爪館があったようである。また、隣にある蓮沼の蓮は800年も前の藤原泰衡の首桶に入っていた蓮の実を開花させたものから株分けしたものである、と解説されている。これらの解説から、静かな五郎沼が実は陸奥の支配をめぐって戦った藤原氏と源頼朝とのダイナミックな争いの舞台の一つだったのだと思いが馳せる。
やがて、花巻市へと入っていくが、国道と別れて、街道は石鳥谷町内への直線道路を進む。ここから5kmもの直線の旧街道は珍しいという。
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街道を先に進んでいくと右手に「境塚」の案内板が現れる。ここには好地村とこの先の犬淵村とが境界を定めた境塚があったとのことだが、塚は標柱が立つだけだった。
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直線の街道を進み、商店街になると、石鳥谷宿の中心地である。
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七福神という銘柄の酒を造っていた酒造店井筒屋跡が現れる。宿場内は人通りも少なく、街道筋の面影もないのでどこが往時の宿場だったのか不明だ。
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その向かいに、酒蔵交流館があったが、管理人が外出中で、閉まっていて見ることができなかった。
13:50、ゆっくり歩いたが7時間50分で、今日のゴールの石鳥谷駅口へ到着。宿に入るのは16:00と伝えてあるのであまりにも早い。
宿の前を通り、突き当たりの石鳥谷駅の待合室で、ブログを打ちながら時間潰し。
16:00に宿へ。ご主人が買い物から帰って来たところだった。
夕食付きで5150円という嬉しい料金だった。ブログを打っていたら、地震が来た。結構長い揺れだったが、震度3だった。ブログをほぼうち終えて風呂に入り、夕食までのんびり過ごす。
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うれしい家庭料理っぽい夕食。
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8時過ぎには雨は止んだが、その後もときどき雨が降る天気だった。
22盛岡宿~23日詰郡山宿
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6:00、いよいよスタート。1911年(明治44年)建築のこの旧盛岡銀行の建物は、東京駅と似ているが、設計者は同じ人らしい。
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やがて、明治橋を渡る。往時は20艘ほどの小舟を繋いだ船橋が架かっていたこと、明治になって木造の明治橋が架かっていたと解説されている。
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明治橋から雪景色の東側を眺める。やがて、国道4号に合流し、まもなく、矢巾町に入る。
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一番先に目にした早咲きのウメ。
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左手に今宮神社が現れる。そこの案内板にはこの付近は「塚根」といわれ一里塚があったが消失したと記されている。
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右手に広い史跡公園があり、徳丹城跡の看板が現れる。その先に案内板があり、813年ごろに、水害に度々あった志波城にかわるものとして大和朝廷の征夷大将軍・文屋綿麻呂によって造られたとある。城の外郭は350m四方あり、国道の左右に広がっていた。今は広々とした史跡公園となっている。
城跡の左手には、歴史民族資料館と南部曲屋・佐々木家がある。
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南部曲家佐々木家
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間野々一里塚跡。江戸から136番目の一里塚。
しばらくして国道から別れて旧街道へと入っていく。やがて、紫波町へ入る。
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左手に「月の輪」という看板を掲げた横沢酒造が現れる。陣ヶ岡の月の輪形から名付けたらしい。
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城山の麓の集落の端にくると左手に高水寺と走湯神社の鳥居が現れる。走湯神社の鎮守は伊豆の走湯権現を勧請したものであり、その側にある大道祖は藤原清衡が勧請したものと案内板にある。また、源頼朝はここに来たおりに鏑矢二つを槻に射立て走湯権現に奉納したともある。歴史のある神社と寺なわけだが、神社には珍しくなぜか男根が祭られているらしい。
この先に城山公園の入口があるが、斯波氏の居城だった高水寺城跡である。足利尊氏によって奥州管領に任ぜられた斯波家長がここを本拠地として奥州を支配していた。戦国時代となると斯波氏は南部氏との抗争に破れ、城は南部氏が占領した。城は郡山城と改称されて城代がおかれた、が1667年には廃止され、城も破却された。
城はなく、広い公園だけなので寄らないで先へ進むと国道に出る。すく先で、日詰郡山宿への旧街道へ入る。
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「銭形平次のふるさと紫波」の看板と「日詰発祥の地 習町」の説明板がある。「銭形平次捕物控」の作者野村胡堂は、ここ紫波町の出身である。また、説明板によると、この辺りが日詰郡山宿の中心地だったらしい。
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宿場内を進むと右手に煉瓦塀に囲まれた大きな屋敷が現れる。豪商平六商店の平井六右衛門宅で、大正10年、政治家でもあった12代目六右衛門が建てたもので、時の首相原敬もお祝いにきたとのことである。
やがて、国道に出る。跨線橋を潜る手前のレストランで昼食を摂る。
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跨線橋を潜ってしばらくすると、五郎沼が現れる。対岸の道へ回り込む。
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絵図をみると沼は今の倍以上あり広大な屋敷となっていて、神社裏の小学校付近に樋爪館があったようである。また、隣にある蓮沼の蓮は800年も前の藤原泰衡の首桶に入っていた蓮の実を開花させたものから株分けしたものである、と解説されている。これらの解説から、静かな五郎沼が実は陸奥の支配をめぐって戦った藤原氏と源頼朝とのダイナミックな争いの舞台の一つだったのだと思いが馳せる。
やがて、花巻市へと入っていくが、国道と別れて、街道は石鳥谷町内への直線道路を進む。ここから5kmもの直線の旧街道は珍しいという。
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街道を先に進んでいくと右手に「境塚」の案内板が現れる。ここには好地村とこの先の犬淵村とが境界を定めた境塚があったとのことだが、塚は標柱が立つだけだった。
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直線の街道を進み、商店街になると、石鳥谷宿の中心地である。
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その向かいに、酒蔵交流館があったが、管理人が外出中で、閉まっていて見ることができなかった。
13:50、ゆっくり歩いたが7時間50分で、今日のゴールの石鳥谷駅口へ到着。宿に入るのは16:00と伝えてあるのであまりにも早い。
宿の前を通り、突き当たりの石鳥谷駅の待合室で、ブログを打ちながら時間潰し。
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16:00に宿へ。ご主人が買い物から帰って来たところだった。
夕食付きで5150円という嬉しい料金だった。ブログを打っていたら、地震が来た。結構長い揺れだったが、震度3だった。ブログをほぼうち終えて風呂に入り、夕食までのんびり過ごす。
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うれしい家庭料理っぽい夕食。
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