9時頃まで雨が降ったり止んだりを繰り返し、その後も涼しかったので歩きやすかった。小雨なので傘だけで済ませた。
今日は、宮城県と福島県の7宿も抜けたが、国道歩きが少なく、快適な街道歩きを楽しむことができた。
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朝の4:40なのにわざわざウコギと豆の入ったおにぎりを部屋に届けてくれた。暖かいうちの方がおいしいと思い、食べてから、5:10にスタートした。
白石宿~斉川宿
今朝になって、宿の前が街道だということに気づいた。
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少し進むと左手に変わった山門の当信寺が現れた。この山門は白石城の東門だったものである。
しばらく進み、郊外に出る辺りに、片倉家の菩提寺である傑山寺がある。そこには初代片倉小十郎の銅像と片倉家と松前藩の松前安廣とその子孫の墓所があるというので、街道から離れて行ってみた。
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初代小十郎景綱の銅像が寺の前に鎮座している。
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墓所の左上の方に、片倉家の墓所の隣に確かに松前家墓所があった。松前安廣がなぜこの白石藩にいたのか、その経緯は説明されていない。
斎川宿~越河宿
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高速道路の下を潜ると、斉川宿に入っていく。
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宿場の中央部に歴史を感じる長い塀が現れる。その入口に消防車が停まっていた。訊いたら、その中のお宅でボヤがあったという。
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入口を見たら、「検段屋敷」の標識が立っていた。屋敷内には明治天皇の小休所の石碑が立っている。だいぶ痛んでおり廃墟と化しているようだが、ボヤ騒ぎで何人か住人が見えた。ここが斎川宿の中心地だったようだ。
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宿場の外れには、斎川宿の看板がたっていた。
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まもなく、田村神社が現れる。その昔、村人を苦しめていた悪路王や青頭、赤頭の鬼を、坂上田村麻呂が斎が川で身を清め鈴鹿明神の助力を得て退治したという伝説から、その徳を慕って村人達が建てたのが始まりだといわれている。
また、境内には甲冑堂という六角堂がある。義経の家来として活躍し討ち死にした佐藤継信、忠信兄弟の妻たちは、夫の形見の甲冑を身に着け、兄弟の母親の元へ帰り、「ただいま帰参しました」 と述べて母親を慰めたといわれており、江戸時代この話に感服した当地の住人が妻たちの像を安置したお堂を建立したという。
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大きな馬牛沼が現れる。ここにも、坂上田村麻呂や源義経の伝説がある。
越河(こすごう)宿~貝田宿
郊外の農村地帯を進んで行くと、越河宿へと入っていく。
宿場内は、年代を感じる家もあるが、現代風の家並みが続き、街道筋の面影は残っていない。越河宿は仙台藩の南端であるため境目足軽が配置され、藩境を越える人や物を検閲していた。また藩主の参勤交代の時には重臣がここまで送り迎えしたといわれている。
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東北本線を挟んだ先に越河番所跡の大きな碑が見える。この先に、福島県との境があるので、仙台藩の南端の番所だったのだろう。
貝田宿~藤田宿
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8:30、福島県へ入る。そばに、県境の標石もあった。
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貝田駅の先に、貝田宿の幟が立っている。観光にやる気を感じる。それにしても、桃の花が見事だ。福島県は桃の名産地である。このあとも、ずっと目についた。
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昔の街道がそのまま舗装された感じの道を行く。
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貝田番所跡の標識。県境の福島藩の北端の番所だったのだろう。
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昔の鉄道のレンガ橋が保存されていた。
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宿場の面影がないまま、反対側の入口に来てしまったので、振り返って家並みを写した。
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そのあとも農村地帯の快適な街道歩きが続く。一面の桃の花の向こうにこれから下りていく福島盆地の広がりが見える。
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阿津賀志山防塁横断地点の看板。その隣に立つ説明板には、この地が源頼朝の鎌倉軍と藤原泰衡の奥州軍とが激突した古戦場であるとともに、芭蕉の「奥の細道」に「路縦横に踏んで伊達の大木戸を越す」と記された箇所がこの辺りの坂道であると解説されている。
藤田宿~桑折宿
藤田宿は国見宿とも云われていた。今の町名は国見町であり、藤田宿がその繁華街である。白石から以南一番賑やかな商店街が続いていた。しかし、往時は、家数145軒、人口708人、旅籠14軒とある。番所がなく、取り締まりが緩やかで、遊廓が旅籠より多かったらしいが、その面影は全くない。
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繁華街を抜けると、少し街道の面影を残す旧家も点在する。
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羽州街道との追分が現れる。追分は表示杭や案内板が立つ広場になっている。
桑折(こおり)宿~瀬上宿
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桑折宿は、旧家が非常に多く残っていて、裕福な宿場だったような気がした。
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白壁の旧家が多い中、このような木造の立派な家も印象的だ。
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街道の正面に洒落た旧郡役所がある。そこで、街道は迂回するように右に曲がる。
その隣のコンビニのイートインで、昼食を摂り、福島宿での今夜の宿を探す。駅近くのビジネスホテルは7~8000円もする。歩いている途中で安そうな宿があったら、飛び込みでも良いと思い歩き続けた。
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桑折一里塚の標柱だけで、なんの説明もない。瀬上宿までは、田園地帯の平坦な道が続く。やがて、福島市に入る。
瀬上宿~福島宿
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瀬上宿に入った途端に、レンガ造りの長い塀を回した立派な旧家が現れる。
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このような変わった屋根の旧家もある。
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瀬上宿を抜ける手前に今度はばかでかい屋敷がある。国登録有形文化財嶋貫本家の表示板があった。
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3色の桃の花の木を見つける。てっきり3本の木だろうと覗いてみたら、なんと1本の幹だった。接ぎ木でもしているのだろうか?
瀬上宿を抜けると国道4号と平行して続く街道は、旧電車通りとなる。昔、市電でも走っていたのだろうか。
福島宿までのマップを見たら、街道が直角に曲がる角に和風ホテル福島屋があることが分かる。ネットで調べてみたら、それほど高くはない。電話を入れたら、素泊まりで5400円だという。すぐに予約して前進。
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15:15、ちょうど10時間で、和風ホテル福島屋に到着。早速、大風呂で思いっきり足を伸ばして疲れを抜く。
洗濯機もあるので、洗濯もした。しかし、乾燥機が塞がっていて使えない。女将さんに聞いたら、時間とお金ばかり掛かるので、部屋で干しても朝まで乾くと言う。納得して、部屋中掛けれるところすべて掛けて、ブログを打ち始めた。
ところが、着ていたものすべて洗濯したので、外に食事に出られない。厨房へ行って何か食べるものがないか聞いたら、予約の分しかないという。「おにぎりでよかったら、できるけど」と言ってくれる。
300円と言われたが、こまかいのが250円しかなかったら、それでも良いと言う。
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わざわざ部屋まで届けてくれた鮭おにぎり2個と味噌汁。ことのほか美味しかった。胸いっぱい、腹いっぱい。
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今日は、宮城県と福島県の7宿も抜けたが、国道歩きが少なく、快適な街道歩きを楽しむことができた。
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朝の4:40なのにわざわざウコギと豆の入ったおにぎりを部屋に届けてくれた。暖かいうちの方がおいしいと思い、食べてから、5:10にスタートした。
白石宿~斉川宿
今朝になって、宿の前が街道だということに気づいた。
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少し進むと左手に変わった山門の当信寺が現れた。この山門は白石城の東門だったものである。
しばらく進み、郊外に出る辺りに、片倉家の菩提寺である傑山寺がある。そこには初代片倉小十郎の銅像と片倉家と松前藩の松前安廣とその子孫の墓所があるというので、街道から離れて行ってみた。
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初代小十郎景綱の銅像が寺の前に鎮座している。
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墓所の左上の方に、片倉家の墓所の隣に確かに松前家墓所があった。松前安廣がなぜこの白石藩にいたのか、その経緯は説明されていない。
斎川宿~越河宿
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高速道路の下を潜ると、斉川宿に入っていく。
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宿場の中央部に歴史を感じる長い塀が現れる。その入口に消防車が停まっていた。訊いたら、その中のお宅でボヤがあったという。
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入口を見たら、「検段屋敷」の標識が立っていた。屋敷内には明治天皇の小休所の石碑が立っている。だいぶ痛んでおり廃墟と化しているようだが、ボヤ騒ぎで何人か住人が見えた。ここが斎川宿の中心地だったようだ。
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宿場の外れには、斎川宿の看板がたっていた。
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まもなく、田村神社が現れる。その昔、村人を苦しめていた悪路王や青頭、赤頭の鬼を、坂上田村麻呂が斎が川で身を清め鈴鹿明神の助力を得て退治したという伝説から、その徳を慕って村人達が建てたのが始まりだといわれている。
また、境内には甲冑堂という六角堂がある。義経の家来として活躍し討ち死にした佐藤継信、忠信兄弟の妻たちは、夫の形見の甲冑を身に着け、兄弟の母親の元へ帰り、「ただいま帰参しました」 と述べて母親を慰めたといわれており、江戸時代この話に感服した当地の住人が妻たちの像を安置したお堂を建立したという。
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大きな馬牛沼が現れる。ここにも、坂上田村麻呂や源義経の伝説がある。
越河(こすごう)宿~貝田宿
郊外の農村地帯を進んで行くと、越河宿へと入っていく。
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宿場内は、年代を感じる家もあるが、現代風の家並みが続き、街道筋の面影は残っていない。越河宿は仙台藩の南端であるため境目足軽が配置され、藩境を越える人や物を検閲していた。また藩主の参勤交代の時には重臣がここまで送り迎えしたといわれている。
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東北本線を挟んだ先に越河番所跡の大きな碑が見える。この先に、福島県との境があるので、仙台藩の南端の番所だったのだろう。
貝田宿~藤田宿
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8:30、福島県へ入る。そばに、県境の標石もあった。
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貝田駅の先に、貝田宿の幟が立っている。観光にやる気を感じる。それにしても、桃の花が見事だ。福島県は桃の名産地である。このあとも、ずっと目についた。
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昔の街道がそのまま舗装された感じの道を行く。
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貝田番所跡の標識。県境の福島藩の北端の番所だったのだろう。
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昔の鉄道のレンガ橋が保存されていた。
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宿場の面影がないまま、反対側の入口に来てしまったので、振り返って家並みを写した。
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そのあとも農村地帯の快適な街道歩きが続く。一面の桃の花の向こうにこれから下りていく福島盆地の広がりが見える。
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阿津賀志山防塁横断地点の看板。その隣に立つ説明板には、この地が源頼朝の鎌倉軍と藤原泰衡の奥州軍とが激突した古戦場であるとともに、芭蕉の「奥の細道」に「路縦横に踏んで伊達の大木戸を越す」と記された箇所がこの辺りの坂道であると解説されている。
藤田宿~桑折宿
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藤田宿は国見宿とも云われていた。今の町名は国見町であり、藤田宿がその繁華街である。白石から以南一番賑やかな商店街が続いていた。しかし、往時は、家数145軒、人口708人、旅籠14軒とある。番所がなく、取り締まりが緩やかで、遊廓が旅籠より多かったらしいが、その面影は全くない。
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繁華街を抜けると、少し街道の面影を残す旧家も点在する。
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羽州街道との追分が現れる。追分は表示杭や案内板が立つ広場になっている。
桑折(こおり)宿~瀬上宿
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桑折宿は、旧家が非常に多く残っていて、裕福な宿場だったような気がした。
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白壁の旧家が多い中、このような木造の立派な家も印象的だ。
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街道の正面に洒落た旧郡役所がある。そこで、街道は迂回するように右に曲がる。
その隣のコンビニのイートインで、昼食を摂り、福島宿での今夜の宿を探す。駅近くのビジネスホテルは7~8000円もする。歩いている途中で安そうな宿があったら、飛び込みでも良いと思い歩き続けた。
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桑折一里塚の標柱だけで、なんの説明もない。瀬上宿までは、田園地帯の平坦な道が続く。やがて、福島市に入る。
瀬上宿~福島宿
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瀬上宿に入った途端に、レンガ造りの長い塀を回した立派な旧家が現れる。
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このような変わった屋根の旧家もある。
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瀬上宿を抜ける手前に今度はばかでかい屋敷がある。国登録有形文化財嶋貫本家の表示板があった。
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3色の桃の花の木を見つける。てっきり3本の木だろうと覗いてみたら、なんと1本の幹だった。接ぎ木でもしているのだろうか?
瀬上宿を抜けると国道4号と平行して続く街道は、旧電車通りとなる。昔、市電でも走っていたのだろうか。
福島宿までのマップを見たら、街道が直角に曲がる角に和風ホテル福島屋があることが分かる。ネットで調べてみたら、それほど高くはない。電話を入れたら、素泊まりで5400円だという。すぐに予約して前進。
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15:15、ちょうど10時間で、和風ホテル福島屋に到着。早速、大風呂で思いっきり足を伸ばして疲れを抜く。
洗濯機もあるので、洗濯もした。しかし、乾燥機が塞がっていて使えない。女将さんに聞いたら、時間とお金ばかり掛かるので、部屋で干しても朝まで乾くと言う。納得して、部屋中掛けれるところすべて掛けて、ブログを打ち始めた。
ところが、着ていたものすべて洗濯したので、外に食事に出られない。厨房へ行って何か食べるものがないか聞いたら、予約の分しかないという。「おにぎりでよかったら、できるけど」と言ってくれる。
300円と言われたが、こまかいのが250円しかなかったら、それでも良いと言う。
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わざわざ部屋まで届けてくれた鮭おにぎり2個と味噌汁。ことのほか美味しかった。胸いっぱい、腹いっぱい。
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