癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

「没後30年 橋本三郎展/生誕100年 鵜川五郎展」ほか

2020年02月14日 | イベント鑑賞・参加

道立函館美術館で「没後30年 橋本三郎展/生誕100年 鵜川五郎展」が開催されているので観てきた。

◎鵜川先生のこと 

 鵜川五郎氏(1919-2008)は、大野中学校時代3年間図工の時間でお世話になった恩師であり、小学生のころには1~2年ほど隣に住んでいたこともある。

 今から16年前のまだご存命な頃にも、やはりこの美術館で先生の特別展が開催されたことがある。当時自分がたまたま函館市小学校長会会長の職にあり、毎回の特別展や企画展初日のセレモニーに招待を受けていた。

 そのときが先生とは45年ぶりの再会であった。名乗って挨拶したら、「お~、カズちゃんかい、大きくなったなぁ~」と言われ、周りにいた関係者が大笑いしたことがあった。周りは、60歳になる人間をつかまえて「大きくなったなぁ」ということが面白かったらしい。しかし、先生にしてみれば、中学校卒業時で148cmしかなかった自分が、普通の大きさの大人になっていたことが驚きであったのかもしれない。

 その4年後に亡くなられているが、結核を2回も患ったにも関わらず、89歳までご長命だったのも驚きだ。30歳で岩手から大野町(現北斗市)へやってきたのも、最初の結核との闘病の末、「どうせ死ぬのなら、誰も知らないところで死にたい」と死地を求める思いだったと聞いている。そのような人生が作品(暗いイメージが多い)にも反映されているようだ。

 1972 年に退職してからは画業に専念し、今回の展示作品にもその作品が多かった。格調高く描く作品群には、自分の中学生時代のころから、戦争への憎悪や自然環境への警鐘を描いているものが多いという印象が強かったが、改めて今日の作品を見ても思いは同じだった。

 なお、橋本三郎氏(1913-1989)は、函館に生まれ育ち、戦前から、中央画壇で活躍。戦後は道南画壇の指導者的役割を果たした方である。 

◎今回は、この道立函館美術館所蔵作品の中から、橋本氏の作品が27点、鵜川氏の作品が28点が展示されている。

 その中から公式ホームページに掲載されているものを借用・転載させていただく。

<橋本三郎氏の作品>

<白い牡牛>1957年

 

<湿地>1941年

 

<残照のノートルダム>(1978年)

 

<鵜川五郎氏の作品>

<うすれ日>(1985年)~多くの作品にキツネとカラスが登場する。これらは自然の中で孤立している分身とのこと。

 

<青春の墓標>1979年~戦時中だった青春時代の思いなのか、兵器の残骸等が描かれている。

 

<山裾の道>1990年~良く好んで散歩したという大野町市渡の木地挽山の山裾の冬の風景。

 

◎3日続けて10℃前後の異常な暖かさ

 ここ3日連続で4月上旬並みの暖かさが続き、再び積雪ゼロになった。最低気温もマイナスにはならず、最高気温は10℃前後まで上がった。本当に今冬は異常である。

特に雪の多かった一昨年の2月6日(1週間前)の同じアングルの写真。

 

そんな春のような今日のうれしいいただきもの2点

山の先輩からのグアテマラ土産

 

妻からのバレンタインデープレゼント。


ノムさんの逝去を悼むほか

2020年02月13日 | 日常生活・つぶやき

 昨日は新聞でもTVでも、2/11の野村克也氏のご逝去に関することが大きく取り上げられていた。

 昨日、先日の「おおたき国際スキーマラソン」の成績一覧が掲載されているので、コンビニで道新スポーツを購入したが、それも「追悼特別紙面」となっていて26ページもの分厚い構成になっていた。そのうち、14ページが野村氏関係の記事だった。

 10月の金田正一氏ご逝去の時も書いたが、プロ野球に興味を持ち始めた子供のころから印象に残っている選手を5名上げるとしたら、長嶋、王、金田、野村、稲尾である・・・その野村氏が2/11に85歳で亡くなった。

 特にノムさんこと野村氏は、現役時代は凄い成績を残している割には、長嶋選手や王選手に比べて地味な存在だった。それは、当時のプロ野球は巨人を中心としたセリーグがマスコミで多く取り上げられていたことによるのかもしれない。そんなこともあり、「長嶋、王はヒマワリで、自分は月見草」との名セリフとなってい残っているのだろう。

 自分にとっては、野村氏は監督や評論家になってからの印象が非常に強い。今でも長嶋氏や王氏は選手としてのイメージが強く、野村氏は監督というイメージが強い。

 しかし、改めて野村氏の現役時代の成績を見ると、「生涯一捕手」にこだわった「打ってよし守ってよし」の球史に残る名キャッチャーであり、印象に残っているよりもずっと凄い数字が並んでいる。

 「戦後初の三冠王」「歴代1位となるベストナイン19回」「8年連続でホームラン王」「通算2901安打、ホームラン657本、1988打点、通算3017試合出場はいずれも歴代2位」などなど・・・。精神的にも肉体的にもきついキャッチャーという立場で残した数字である。

  しかも、昭和29年に京都の峰山高校からテスト生でソフトバンクの前身・南海に入団している。しかし、1年目で17打席ノーヒットで戦力外通告を受けている。このたび初めて知ったことだが、そのときに「南海電車に飛び込んで死んでやる」と言ったことで、残ることができたという。ノムさんらしいエピソードである。

 選手時代も「月見草」のほかに「ささやき戦術」などのエピソードもあるが、監督になってからは「ID野球」「ぼやき」「野村再生工場」などのエピソードも多く残している。また、著書も多く、自分も何冊か購入して読んでいる。

 監督になってからは、南海での選手兼監督も経験しているが、なんと言っても強烈なのは、「ヤクルト監督としての日本一3度」である。当時に教えを被った、同じ捕手だった古田氏を初めとする当時の選手たちは今でも多くの監督やコーチとして活躍している。

 その後、駒大苫小牧高時代から大ファンだった田中将大投手が楽天に入団したお陰で、楽天ファンになったが、そのときの監督がこの野村氏だった。いつもTVで見ていただけに、「マー君、神の子、不思議な子」の名セリフと共に、楽天監督時代の印象が一番強い。試合後の記者会見も面白かった。

 監督を辞してからは、評論家として、長嶋氏や王氏よりマスコミに登場する機会がはるかに多く、味のある解説や楽しいセリフに魅了されたものだ。

 いろいろな関係者が語っている内容を読むと、昔から他人に対して非常に細やかな気遣いの回る方だったようだ。監督を辞めてからも多くの関係者との手紙などでの個人的なやりとりが行われていたようだ。人情派と言われる由縁であろう。

 「野村−野球=ゼロ」という名セリフや、個性の強い紗知代夫人とのおしどり夫婦ぶりなども含めて、本当に愛すべき方であった・・・ご冥福を心から祈りたい。

 

◎「おおたき国際スキーマラソン」の記事 

 同じ道新スポーツに「第30回おおたき国際スキーマラソン」の画像と成績一覧が掲載されていた。

 

 紙面左下のゲキ坂の写真に自分が写っていた(右の2人目)。

 公式のタイムと順位だが、タイムは2時間11分23秒で、順位は18位と昨年より1つ下がっただけだったが、後ろに残っている人が少なくなり寂しい限りだ。70歳以上には怪物が多く、60~70歳未満の方に自分より遅い人が多い。


「コメダ珈琲・函館ベイエリア店」初訪問 &『peeps hakodate 』2月号に拙ブログの画像が転載

2020年02月12日 | 食べ物

 妻が大好きで良く旅先で入っていた名古屋発祥の「珈琲処 コメダ珈琲」だが、昨年12月20日の「イオン上磯店」に引き続き、今年1月24日に「函館ベイエリア店」がオープンした。場所はベイエリア七財橋の手前角(魚市場隣)。隣にタイムズ駐車場ができ、コメダ珈琲に入ると2時間まで無料である。

 「イオン上磯店は」オープンして間もない12月24日に初訪問しているが、今日は「函館ベイエリア店」へ初訪問。7:00から営業しているので、空いているうちにと、妻の発案で朝食を食べに行った。

 

玄関を入ってすぐのカウンターや厨房。

 

どの店も木をふんだんに使っているが、この店はベイエリアに多いレンガ造りの建物をイメージしてレンガも使われている。

一見狭い感じはするが、2階もあり、合わせるとイオン上磯店とほぼ同じ席数だとのこと。

非常に落ち着くカウンター席は少なかったが、2階にもあるようだ。

 

7:00から営業していて、11:00までのモーニングセットには3種類中から選べるトーストが付く。

 

 自分は名古屋独特の文化であるあんこを、妻は卵を注文。

 名古屋といえば、「しるこサンド」「小倉トースト」などあんこのスイーツが有名である。名古屋は昔から菓子作りと茶の湯文化が盛んで、小豆を使った食文化が発達したらしい。

 いつもはこの店の看板メニューである「シロノワール」を食べるが、今日は「グラクロ」を注文

2つに切って食べられるようにして注文。熱い4種類のチーズが美味しかった。

 

ベイエリアの眺めの中に新しく収まったコメダ珈琲。

この店は観光客が狙いで、イオン上磯店は地元客が狙いのようだ。そのせいかイオン上磯店はいつ行っても混んでいるらしい。

 

◎『peeps hakodate』2月号に拙ブログの画像が転載

函館蔦屋書店のTAKEFREE誌「peeps hakodate2月号vol75」の表紙

 半月ほど前に、この編集長から「貴ブログの赤沼探訪と大沼の霊泉洞のページの画像をそれぞれ1枚ずつ使用させていただきたい」とのメールが入っていた。自分も一度取り上げていただいていることもあり、快諾しておいた。ただし、どの写真をどのような内容で使用するのかは書かれていなかったので、楽しみにしていた。

 毎月10日が発刊日なので、今日蔦屋書店にもらいに行ってきた。

 今月号の特集は「あなたも私もあまり知らない世界」で、拙ブログの画像は、「函館・道南パワースポットMAP」に転載されていた。

 きちんと「写真提供 癌春(がんばる)日記 by 花sakag」と記載されていた。このほかはすべて自社で撮影した画像らしい。

この画像は、2018年8月18日の「徘徊老人保護もした赤沼探訪ウォーク(27km)」からの転載である。

 

 この画像は、2014年11月05日「MTBロングライド第2弾」からの転載だった。

 過去にも、このブログや親サイトであるホームページ「一人歩きの北海道山紀行」でも同じような依頼を受けたことは何度かあるが、このような形で、他人様のお役に立てていると思えばうれしいものである。

 ちなみに、自分が取り上げられた時の内容と記事は下記→ 2015年12月10日の「『peeps hakodate』12月号に掲載される


好天に恵まれた「大沼湖上ウォーキング」

2020年02月11日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

 毎年この時期に開催されている北斗市自然に親しむ会主催の「第16回大沼湖上ウォーキング」に、妻同伴で初めて参加させていただいた。結氷した大沼湖上歩きは、ライフスポーツでも行っているが、こちらは大沼の島巡りがメインである。

 キャッチフレーズは「新日本三景の大沼国定公園で駒ケ岳の雄姿を眺め、「千の風」を感じ、普段は歩くことができない結氷した湖面(約4.5km)を約2時間で歩いて縦断し白銀の景色を楽しみます」である。

 スタートは集合場所を兼ねた大沼国際セミナーハウスで、ゴールは東大沼キャンプ場である。片道約4.5kmとのことだったが、今日の実測では5kmだった。ゴール後はセミナーハウスのバスでスタート地点まで戻った。

 すでに、1週間前と昨日の2回の入念な下見を終えていて、氷の厚さ(30cm)も測定済みである。

 セミナーハウス内での9:00からの受付(一人500円)のあと、駐車場で開会式が行われた。今日の参加者は、最近では最多の83名とのこと。当日受付なので、好天予報が幸いしたようだ。風もなく「千の風」は感じられなかった。

 スノーシュー、かんじき、歩くスキーの人もいたが、一番多かったのはツボ足だった。自分たちは、積雪が15~20cmほどなので、多くの参加者が踏んでくれた後ろからスパイク長靴のツボ足でついて行った。

トラックログ

 

 開会式で挨拶をする主催者代表の北海道アウトドアガイド資格を持つ丸岡氏。後ろはゴール後迎えに来てくれるセミナーハウスのバス。

 

丸岡氏の挨拶や諸注意を聞く。

 

10:00に大沼国際セミナーハウスの駐車場をスタートし、全員湖上へ下りてゴールを目指す。

雪はサラサラで固まらなくて、後ろから付いて行っても、ツボ足では意外と歩きづらかった。

キタキツネの足跡か?正面の山は吉野山。

 

駒ケ岳を眺めて最初の休憩

 

子供の参加は一人だけだったが、お父さんがそりに乗せて汗だくになって引っ張っていた。ご苦労様!

 

中間地点の鞍掛岩と横津岳山頂部を望む

 

中間地点での休憩

 

丸岡氏は氷に穴をあけて氷の厚さを見てもらうつもりだったが、今日の氷は硬くて水面まで開ける前に力尽きた。

今年は積雪がない期間が長かったので、氷が良く冷えて硬くなったようだ。

 

雪を除けると直接氷面が現れる。

 

東大沼キャンプ場近くのワカサギ釣りのテント

 

12:00、東大沼キャンプ場の駐車場でゴール。ちょうど5kmで2時間だった。

このあと、3回のバスのピストン輸送でスタート地点へ戻る、3回目に乗ったので、1時間待ちだった。 


銭湯をリノベーションした「レストランSENTO」(八雲町)

2020年02月10日 | レトロ建築・古民家カフェ

 八雲町に築100年の銭湯をリノベーションしたレストランがあるというので、過去2回寄ったが、いずれも臨時休業日だった。今回は先日の土曜日に八雲町を通ったので、昼食にダメもとで寄ってみたら、営業していた。「2度あることは3度ある」ならぬ「3度目の正直」だった。

 ちなみに中はあえて銭湯感を残した造りになっていて、とてもユニークな店内になっている。

 この「地場産レストランSENTO」は、元銭湯を改築したレストランで、運営元のNPO法人がゲストハウス(左奥)と地場産物直売所(右側)と一緒に経営している。場所は、末広町の八雲町役場へ向かう道の踏切を越えたすぐ左側。

 レストランの入口の様子

玄関入口のマット

玄関を入るとカウンターがあり、その手前に昔の一銭店屋のような駄菓子を売っている。テーブル席が4組と右奥が厨房。

左側には下載の2つの浴槽がある(昔の男湯と女湯)。

男女用だった思われる2つの浴槽を残しており、大きな湯舟にはテーブルが設置され、4人が座れるようになっている。こちらが自分たちが座った浴槽。

こちらには次にやってきた4人家族が座った。

 

 2つの浴槽の間の壁も残され、湯桶が並べられ、「入浴者の心得」と「雪印牛乳」の看板も残されている。

靴を脱ぐ場所には、手すりと座るための風呂用椅子も置かれていた。

上を見上げると、中央に銭湯時代の換気口があったと思われるところを塞いで、扇風機が取り付けられていた。

自分が座った横に残っていた蛇口

ガパオライス(850円税込)

軟白ねぎ丼(500円)

ここの料理はすべて地場産物にこだわっていて、「生産者BOOK」が置かれていた。

どちらの料理も、リーズナブルで。とても美味しかった。これらの他にも地場産食材にこだわったいろいろなメニューがある。


厳寒ゆえの辛走「おおたき国際スキーマラソン」

2020年02月09日 | スキー・クロカン

 2月の4週連続のエントリーした大会で唯一実施された「第30回おおたき国際スキーマラソン大会」だが、今年一番の寒さに見舞われたために滑りが悪くて辛いレースになってしまった。登りの辛さばかり印象に残り、下りも滑らず残念ながら滑走を楽しむとまでは行かなかった。

 ホテルを出て会場に到着した時には、気温-14℃、雪温-14℃という厳しさだった。寒いので、上下1枚ずつ多く着込んで、頭からフードも被った。スタート時は気温-10℃、雪温-7℃になった。それでも最後まで汗を搔くことはなかった。

 受付を済ませて開催要項を見たら、20km70歳以上の部のエントリーが26名で、自分より年長者はわずか4人しかいなかった。だんだん寂しくなる。なお、20kmのほかに9km、5km、3kmの部がある。

 アップを兼ねてスキー2台のワックステストをした。昨年の失敗からフッ素入りでなくベースワックスのブルーを塗った板と、フッ素入りのブルーとグリーンを混ぜた板だったが、後者の方が滑りが良かったので、それを履くことにして、スタートレーンに板を置いた。

コース図・・・20kmの部は赤線の10kmコースを2周する。

 

1周10kmコースの高低差のプロフィール。昨年までより登りが多くなり、非常に辛かった。

 

スタート地点で顔を合わせた同じ函トラのトライアスリートのイケちゃんと共に。

彼はゴール後すぐに帰らなくてはならないとのことで、妻に無料入浴券をいただいた。

 

帯広から初参加のまやさんと共に。彼女もトライアスリートで、この後年代別2位に入賞した。

数年前までの帯広の「十勝大平原クロカン」ではこちらの応援団だったのに、今ではとても敵わない凄いアスリートになった。

 

スタート地点で前に並んでいる人たち

 

スタート地点に並んだ20kmの部の選手たち(妻撮影)。

 

スタート。20mほどはスケーティング禁止なので、推進滑走で進む(妻撮影)。

 

最も辛いゲキ坂・・・1周目は周りにたくさんいたが、2周目は寂しくなっていた。

 

1周目から2周目に入る。1周目で1時間04分だった。先週の練習では写真を撮りながら何度も立ち止まったのに1時間だった。

今日はレースモードなので1時間は切れると思っていたが・・・それだけ雪温が低くて滑らなかったということである。

 

2周目の最高地点・・後続の選手を写す。

 

2周目のゴール100m手前。このあと2時間11分台でゴール。正式タイムと部門別順位は2/12日(水)の「道新スポーツ」に掲載。

 

自分がゴールしてから40分後の20kmの部の最終ランナーのゴール場面。ゴール地点で立ち止まっている方は東京から参加の70代の方だった。徳舜瞥岳が見えたのでパチリ。

このあと、いつもは全部張り出される暫定順位とタイムは、今回はいくら待っても12時以降のゴールの選手の分が掲示されなかった。70歳以上の部は12時前にゴールした方が17位だった。去年が17位だったので、だいぶ落ちているようだ。

無料入浴券で北湯沢温泉のホロホロ山荘で疲れを癒して帰路に就いた。

 

ゴール後にいただいたもの・・・左30回記念品のポット、キノコとOS1は完走の景品、右は抽選の外れくじ。

来週の追加申し込みをした「びえい宮様」は気温が高くなりそうだし、概ね緩い下り勾配なので、滑りを楽しむことができそうだと思うのだが・・・?


大沼雪と氷の祭典 & 緑の風リゾートきたゆざわ

2020年02月08日 | イベント鑑賞・参加

 先日氷の切り出し作業を見てきたが、今日はそれを使った「第54回大沼公園雪と氷の祭典」を見に寄った。

 数年ぶりの訪問だが、その頃やっていた氷像コンクールはなくなっていた。

 メインの氷の滑り台。今年は雪が少なくタイヤチューブ滑りはやっていなかった。

 地元の大沼小、軍川小、東大沼小、大沼中の子供たちの雪像。これらの学校は今春すべて統合して小中一貫校のなので大沼岳陽学園になる。

 小さな氷の滑り台

 

 ゴジラの雪像と氷像の手

 

◎緑の風リゾートきたゆざわに宿泊

 このホテルは北湯沢温泉にある「旧第一名水亭」である。旧名水亭のころは安かったので、毎冬1回は妻孝行も兼ねて泊まっては大滝のクロカンコースで合宿もどきをしたものである。しかし、2015年から改装して、現在の「緑の風リゾートきたゆざわ」と改名され、それまでの倍近い価格になった。

 当然、寝れればどんなところでも良い、安ければ安ほど良い派の自分には縁のないホテルになってしまった。

 今回、このホテルに泊まることになったのは、明日の「おおたき国際スキーマラソン」(いつもは日帰り参加)に合わせて、妻が「私が払うから、前の名水亭の時とどのように変わったか見てみたい」ということになった次第。もったいないとは思うが、妻の申し出をありがたく受けることにした。

 広いロビー。造りは名水亭のときと同じだが、ソファやテーブルがゴージャスになっていて、黒マントを着たコンシェルジュが案内してくれる。

 ロビーでは早速ウェルカムドリンクのハスカップジュースとクッキーでおもてなし。

 部屋は名水亭のときと変わっていないが、座椅子が高さがあるものですわりやすかった。9~11階は料金の違う高い部屋に改装されたらしい。 

部屋のお菓子もゴージャスになっていた?

部屋着類は浴衣、作務衣、パジャマの3種類が用意されていた。

温泉の配置図。大浴場は名水亭のときと同じだが、エレベーターで降りるようになった右図の内風呂は新設され、そこから繋がる露天風呂が変わっていた。

温泉は撮影禁止なので公式ホームページから借用。

露天の大浴場。

一番の売り?の露天の「森の散歩湯」。露天の大浴場の周りに、ハーブ湯や抹茶湯やラベンダー湯などいろいろな種類の色のついた湯船が10個あり、散歩モードで次々と楽しんだ。

楽しみな夕食⬇

レストランにはこのようなコーナーが4ヶ所ある。

ブッフェスタイルのレストラン。

 料理は名水亭時代よりも、どれも上品な感じでとても美味しくなっていていたし、種類も多かった。ビジュアル的にも楽しめる料理だった。大満足である。

館内利用券1000円で買ったお菓子。


最近のアクセスの不思議 & 「びえい宮様スキーマラソン」追加申し込み

2020年02月07日 | PC・HP・ブログ

 このブログのアクセス数の状況だが、ここ数年は訪問者が1000uu前後で推移してきた。しかし、最近になって、1200uuを超えるようになり、昨日はこれまでの最高の1526uuを記録した。今日も1466uuで、順位も291万ほどもあるgooブログの中で200位以内に入っている。

 上記の画像のUU数とは「ユニークユーザー」のことで、決まった集計期間内にウェブサイトに訪問したユーザーの数を表す数値である(このブログの左枠のIP数も同じ) 。集計期間内なら同じウェブサイトに同じユーザーが何度も訪問した場合でも、1UUとしてカウントされるので、その日にこのブログにアクセスしてくれた方の実人数のはずである(検索ロボットも含まれるらしいが・・・)。

 アクセス数の増加はブログを開設しているものとしては、喜ばしい現象である。しかし、その原因が良く分からない。最近ハッシュタグを記入するようになったこともあるのかも知れないが、その影響は微々たるものであろう。

<昨日、1日でアクセスされた記事のベスト10>

 それより不思議なのは、12年も前の2008年2月7日の「ガ~ン!大腸癌見つかる」の記事である(これを書いていたら、なんと12年前の今日の記事だった・・・今日は大腸癌記念日!)。この記事は、毎日、1日ごとの「このブログの人気記事」のベスト10に入っていることは多かったが、最近はベスト3に入るようになっていた。ところが、昨日と今日はなんとベスト1に躍り出ている。累計数なら分かるが、これは毎日、1日ごとのベスト10である。しかも、なぜか全体のアクセス数の増加と相まっているのも不思議である。

 普通は、このベスト10上位は、前日か近日中の新しい記事が多いはずである。ところが、12年を経過したこの記事だけは、なぜか毎日多くの人にアクセスされているのである。記事ごとのアクセス数は不明だが、ここへ来て減るどころか益々増えているのである。このほかに、カテゴリーの「大腸癌日記」の古い記事が4つも入っている。

 どのようにして不特定多数の人たちがこの記事に辿り着いているのかが一番の不思議である。多分大腸癌患者や興味のある方がアクセスしてくれているのであろうが、自分で「大腸癌」で検索しても見つけることはできない。この記事からこのブログにたどり着いた方がいたら教えてほしいくらいである。

〈翌日追記〉

 「大腸癌ブログ」で検索したら、「癌春日記」ではなく、「ガ~ン!大腸癌見つかる」のページが直接載っていた。12年経っても、このページへのアクセスが突出している謎が解明された感じ。

 

◎「びえい宮様スキーマラソン」へ追加申し込み

 雪不足で軒並みクロカンスキーの大会が中止になっている。自分がエントリーした5大会の内3大会が中止となった。

 昨日、たまたま中止になった2/10の「恵庭クロカン」と同じ日に開催される「第43回おかのまちびえい宮様スキーマラソン」がまだ追加申し込みを受け付けていると知って、事務局へ電話してみた。

 「今週末までなら大丈夫です。メールで申し込み用紙の必要項目を記入して送ってください。それを見た上で漏れがなければ、参加料の振り込み先をメールでお知らせします。」とのことだった。

 早速メールを送ったら、すぐに返信が来たのにも驚いた。今日その振り込みをした。ここも今年は雪不足で、最長部門の「宮様」にちなんだ38.3kmは、24kmに短縮されるとのこと。どうやら急なアップダウンのある部分が外れたようだ。

 この大会には過去に2回参加している。最長部門の38.3kmは山の方から美瑛の市街地に向かって滑る、概ね緩い下りの多い好きなコースだった。しかし、翌週の「湧別原野オホーツク」と2週続けて長距離運転となるので、少しでも近い「恵庭」に戻った経緯がある。

 今回は10年ぶりの参加となるが、翌週の「湧別原野オホーツク」も中止になったので、思い切って出ることにした


カップヌードル炒飯 & いただいた手打ちそば

2020年02月06日 | 食べ物

 一昨日の昼食に食べたカップヌードル炒飯(左半分がカレーヌードル、右半分がカップヌードル)

 先日TVを見ていたら、日清食品のカップヌードルを使った炒飯の作り方が紹介されていた。これは、新潟のラーメン屋さんが投稿した動画が評判となり、Youtubeをはじめとした、SNSで盛り上がっているいるらしい。
 その名の通り、カップヌードルをアレンジして作る炒飯だが、これが簡単でめちゃくちゃ美味しいと話題になっている。2020年1月23日、日清食品のカップヌードルの公式ツィッターのyoutubeでも紹介され、さらに注目が集まったとのこと。

       

 

 それを見た妻が挑戦した。その様子をカメラに収めたので、ここに紹介したい。

カップヌードルとカレーヌードルを用意。

 電子レンジで解凍した冷凍ご飯を用意

 

ひとつずつジッパーバックに入れて、麺を手で砕いて粉々にし、具材と混ぜる。

 

こんな感じ・・・これはカップヌードルの方。カレーヌードルも同じようにする。

 

それぞれをカップに戻して、麺の高さと同じくらいの水を注いで浸す。

 

さらに卵と刻みネギを用意。

味が混ざらないように、フライパンを2つ用意して、2つのガスレンジの上で、サラダ油を少し入れて、妻に言わせると「2丁拳銃」で炒めた。

確かに、簡単で、評判通りの美味しさだった。遊び心をくすぐる楽しいレシピである。

日清食品によると、5種類のカップヌードルで全部作ってみたが、塩味が1番美味しいとのこと。

SNS上では、味に変化をつけるアレンジレシピや、カップヌードル以外の麺を使った作り方も投稿されている。

 

◎いただいた手打ちそば

本日の昼食は、昨日ライフスポーツの仲間からいただいた手打ちそばをご馳走になった。

やはり、いただいた手打ちそばは、打ち手の気持ちもこもっていて格別に美味しいものだ・・・ご馳走さまでした。。

     

出汁と一緒に添えられていた「ゆで方」のレシピ。そば粉は「茨城の常盤秋そば」とのこと。


ようやく雪に恵まれた「ライフスポーツ第6回スキー講習会」

2020年02月05日 | スキー・クロカン

 函館ライフスポーツ第6回スキー講習会は、ここ2日間の降雪に恵まれ、これまでで最高のゲレンデコンデションだった。

 七飯スノーパークのゴンドラの山頂駅付近は積雪80cm。霧氷の上に雪をかぶったダケカンバの樹雪が美しかった。

 開会式

 

班別の発表~上の緑が講師名、その下が今回の受講者名

 

 今日の我が班・・・男性3名と女性2名の混合班。中に89歳の男性もいる。ほかは全員70代前半。右は自分。

 午後からは女性が1名早退、89歳の方は14時で早退したが、講習内容はこれまでとほぼ同じ内容のいろいろなトレーニングを中心に行った。

 89歳の方の滑り ↑

最後の1本は3名になってしまった。ようやく姿を現した駒ケ岳に向かってトレーンで滑る。

以下は、昼休みに1本ゴンドラで上がって撮影したダケカンバの樹雪 ↓


雪かきの方言 & 「恵庭クロカン」も中止

2020年02月04日 | 日常生活・つぶやき

 昨日からの正月3日以来ひと月ぶりの積雪に、張り切って雪かきをと思ってカーテンを開けたら、わずか5cmほどの雪で拍子抜け。

 しかも、昨日は湿り雪だったので重い雪かと思ったら、夜のシバレで軽くなっていて、家の前はものの10分ほどで終了。

 今冬も引き受けた亀田本町会館駐車場の雪かきに向かったら、すでに会合が入っていて8時前から多くの車が停まっていた。今夜も降りそうなので、明日の朝、まとめてやるつもりだ。

 北海道はこの除雪作業のことを「雪かき」というのが一般的である。しかし、「雪はね」という言葉もしばしば耳にする。そのほかに、ちょっとニュアンスが違うが「雪投げ」という言葉も耳にする。これは、「捨てる」という意味の方言「投げる」から、雪を捨てることを指しているようだ。

 ちょっと調べてみたら、下記のような2010年の気象庁発表の「雪かき方言マップ」というものが見つかった。

 「雪かき」は広辞苑にも載っているし、気象庁でも「雪かき」という言葉を使用しているところを見ると、全国的には圧倒的に「雪かき」なのだろう。

 しかし、地方によっては、一部だろうがいろいろな方言があるようだ。北海道でも「雪はね」「雪投げ」という地方が確かに存在するようだ。

 このマップをもとに、それぞれの「地方」を少し詳しく調べてみたら、下記のようになっていた。

 「雪よせ」(秋田)、「雪はき」(会津や秋田)、「雪のけ」(新潟の下越)、「雪ほげ」(新潟の中越)、「雪ほり」(新潟の上越)、「雪すかし」「雪どかし」(石川・富山)、「雪またじ」(岐阜の一部)などだった。

 大きくまとめると上記のようだが、地域が広かったり狭かったり、年代で使用が異なる言葉もあるとは思う。しかし、方言は、作業のニュアンスの違いで使い分けられていたり、雪の湿度による重さの違いや降る量を物語る表現となっているようだ。

 それにしても、今冬はこの「雪かき」を健康づくりにしている人には運動不足、除雪作業に従事している人にとっては収入不足で泣いているだろう。

 そういう自分も、雪かき作業の他にクロカンスキー大会も軒並み中止になっているし、道南では雪山登山も楽しめなくて、運動不足になっていることは確かだ。このあともそれほど期待できないまま、このまま春を迎えることになりそうだ・・・?

 

◎「第32回恵庭クロスカントリースキー大会」も中止

 恵庭市体育協会のHPを覗いたら、1/31の実行委員会で検討した結果報告が掲載されていた。
 報告では「現状では全く開催できる状況になく、今後相当量の降雪がなければ、一部コース上に雪が少ないことによる危険な箇所もあるなど、参加される皆様が安全に走行できるコース整備が困難と判断し、誠に残念でありますが開催を中止させていただくこととなりました。」とのこと。参加費は他の大会同様、参加記念品と一緒に郵便為替で全額払い戻してくれるとのこと。

 これで、今冬のレースは、スキーが傷だらけになった1/19の「HBCラジオハウス(15km)」と2/9の「おおたき(20km)」だけになってしまった。全くの消化不良に終わりそうだ。

 3/7の「旭川バーサーロペット・ジャパン」には最長部門51kmがあり、今年から河川敷を使った平坦なコースに変わったという。参加申し込みをしようと思って、日程を見たら、前夜に「道南地区登山愛好者懇親会」が入っている。これは自分が代表ということになっていて、こちらの都合に合わせてくれただけに、今さら欠席ということには行かない・・・残念!


加湿器を新調 & 久しぶりの降雪

2020年02月03日 | 日常生活・つぶやき

    

 妻が新しい加湿器を購入してきた。これまでのものは、容量も少なく何度も給水しなければならなかったのと、カルキが付きやすく掃除が大変だったとのこと。

 今度の「siroca5L加湿器SD-C111」は、「5リットルタイプで、給水の手間を大幅軽減(12時間加湿)」「350ml/hで加湿した場合 超音波式加湿で、ミストが熱くならない」「加湿量 無段階調整OK」、その他に「給水タンク分離タイプで楽々給水」「持ち運びに便利な取っ手付き」「ミストの向きが360度変えられる」などの利点があるそうだ。

 しかし、この加湿器だけでは、最大出力で36%しか上がらなかった。ただし、洗濯物を干すと40%は超えるようだ。

 我が家のリビングとダイニングは通して23畳ほどの広さだが、石油ストーブ1台の暖房である。 

 理想の室内の湿度は、ウイルス対策や肌対策の点から40~60%と言われているが、加湿器だけではなかなか難しいようだ。理想を追求すると、加湿器をもう1台増やさなくてはならないのか・・・?

◎久しぶりの降雪

 昼頃から久しぶりの降雪となった。このような雪景色を見るのは何日ぶりだろう?

 明朝はひと月ぶりの雪かきとなるだろう。湿り雪なので重くて大変そうだ。


XCスキーin3回目の大滝

2020年02月02日 | スキー・クロカン

 大会の新コースの最高地点の広々とした牧草地?から徳舜瞥岳とホロホロ山を眺める。

 本来であれば、今日は「札幌国際スキーマラソン」で25kmを滑走しているはずだったが、中止になったので、大滝へ3回目の練習に出掛けた。

 5:00に家を出て、8:30に到着。準備をして9:00から滑り始めて、2回短時間休憩所で休んだが、大会本番コースを2周したほかにグランドや5kmコースを滑って、12:00までにトータルで27kmを滑走することができた。

 来週日曜日の「おおたき国際スキーマラソン」が開催されることになったので、てっきり雪が増えているのかと思ったが、向こうも雨だったようで、むしろ積雪が減っていた。しかし、大会本番の10kmコース(大会では2周する)も、まだ完全ではないが整備されていて滑ることができたので良い練習になった。10kmコースの内、4kmほどは新コースだった。

 GPSトラックログ。

 

 総合グランドには、すでに来週の大会のスタート・ゴール地点の関門が設置されていた。

 

 新コースの5km・15km地点・・・緩やかな農道コースを登る

 

 緩やかな下りの農道コースの正面に徳舜瞥岳(右)とホロホロ山の北西尾根を眺める。

 

新コースの最高地点の牧草地?へ入っていく。この平坦地は大きくS字形にジグを切った快適なコースになっている。

 

 最高地点の平坦地の先(7km・17km地点)には、カーブした急な下りが待っている。直線ならまっすぐ滑って行けるが、カーブしているので非常に怖い。当日は、転倒者も出そうなので一人ずつ下らないと危険である。多分この前で渋滞が起きるだろう。

 ここからゴールまでの3kmはほぼ下りばかりである。この先で1周目の疲れも回復し、元気に2周目に入れそう。

 

 昼食時の休憩所・キートスマヤ・・・日曜日なので混んでいた。写っていない手前にも7~8人が座っている。

 12:00から昼食を摂り、12:50にここから無料温泉の大滝共同浴場「ふるさとの湯」へ向かう。疲れを癒して帰路に就き。17:00には帰宅できた。


雪のない2月の入り & 市民美術展「第20回はこだて・冬・アート展」

2020年02月01日 | イベント鑑賞・参加

 冬真っ只中の2月に入ったというのに、雪のゆの字も見当たらない。こんな冬は生まれて初めての経験だ。

 昨日「湧別原野オホーツククロカンスキー大会」の中止のことを書いたが、地元の方の情報では、海に近い方はそこそこ降ったが、奥の白滝や丸瀬布の方がまだまだ少ないことが理由とのこと。湧別も今回のドカ雪までは積雪ゼロだったそうだ。

 さらに、マスコミは新型コロナウイルス騒動で大騒ぎだ。毎日のようにニュースやワイドショーを観ているが、これは推移を見守るしかなさそうだ。こちらの行動範囲にまで影響しないことを願うのみ・・・。

 連日の雨やプラス気温で、グランドには水たまりができて凍ってもいない。

 本来は雪の下で待つはずのフクジュソウの蕾たちも可哀そう。

 毎月1日は、丸亀製麺の釜揚げうどんが半額。これで395円也(内うどん140円)。

 

◎市民美術展「第20回はこだて・冬・アート展」

     

 そんな中、整骨院での肩の治療の後、芸術ホールで開催中の市民美術祭「第20回はこだて・冬・アート展」を観てきた。撮影はOKだった。

 本展は、地域で制作活動を行う幅広い層の作家からオリジナル作品を募集し、プロ・アマ、ジャンルにかかわらず作品展示をする横断的な展覧会として、毎年冬の季節に開催しているらしい。

 冬期間の生活に潤いと華やぎをもたらすよう、函館の文化芸術を発信する市民美術展として実施するもので、制作年数または経験は問わず、函館市内・近郊在住の高校生以上の方で未発表の作品(個展、グループ展、卒業記念展に出品した作品は可)であればどなたでも出展できるとのこと。

 表彰も行われているようで、「はこだて・冬・アート賞」3点、「NHK函館放送局長賞」1点、「函館市文化団体協議会会長賞」1点、「優秀賞」8点、「奨励賞」12点も表示されていた。

 いろいろなジャンルの出品数が130点(一般作家部門108点、招待作家部門19点、賛助作家部門3点)もあったが、誰一人として知人の名前がなかったのが残念だった。それにしても、素晴らしい作品ばかりだった。いつも思うのだが、自分の思いやイメージをこのような形で表現できる技術を持つ人は本当に羨ましいと思う。 

     

 涎が出そうなこれも造形作品のひとつである。