道立函館美術館で「没後30年 橋本三郎展/生誕100年 鵜川五郎展」が開催されているので観てきた。
◎鵜川先生のこと
鵜川五郎氏(1919-2008)は、大野中学校時代3年間図工の時間でお世話になった恩師であり、小学生のころには1~2年ほど隣に住んでいたこともある。
今から16年前のまだご存命な頃にも、やはりこの美術館で先生の特別展が開催されたことがある。当時自分がたまたま函館市小学校長会会長の職にあり、毎回の特別展や企画展初日のセレモニーに招待を受けていた。
そのときが先生とは45年ぶりの再会であった。名乗って挨拶したら、「お~、カズちゃんかい、大きくなったなぁ~」と言われ、周りにいた関係者が大笑いしたことがあった。周りは、60歳になる人間をつかまえて「大きくなったなぁ」ということが面白かったらしい。しかし、先生にしてみれば、中学校卒業時で148cmしかなかった自分が、普通の大きさの大人になっていたことが驚きであったのかもしれない。
その4年後に亡くなられているが、結核を2回も患ったにも関わらず、89歳までご長命だったのも驚きだ。30歳で岩手から大野町(現北斗市)へやってきたのも、最初の結核との闘病の末、「どうせ死ぬのなら、誰も知らないところで死にたい」と死地を求める思いだったと聞いている。そのような人生が作品(暗いイメージが多い)にも反映されているようだ。
1972 年に退職してからは画業に専念し、今回の展示作品にもその作品が多かった。格調高く描く作品群には、自分の中学生時代のころから、戦争への憎悪や自然環境への警鐘を描いているものが多いという印象が強かったが、改めて今日の作品を見ても思いは同じだった。
なお、橋本三郎氏(1913-1989)は、函館に生まれ育ち、戦前から、中央画壇で活躍。戦後は道南画壇の指導者的役割を果たした方である。
◎今回は、この道立函館美術館所蔵作品の中から、橋本氏の作品が27点、鵜川氏の作品が28点が展示されている。
その中から公式ホームページに掲載されているものを借用・転載させていただく。
<橋本三郎氏の作品>
<白い牡牛>1957年
<湿地>1941年
<残照のノートルダム>(1978年)
<鵜川五郎氏の作品>
<うすれ日>(1985年)~多くの作品にキツネとカラスが登場する。これらは自然の中で孤立している分身とのこと。
<青春の墓標>1979年~戦時中だった青春時代の思いなのか、兵器の残骸等が描かれている。
<山裾の道>1990年~良く好んで散歩したという大野町市渡の木地挽山の山裾の冬の風景。
◎3日続けて10℃前後の異常な暖かさ
ここ3日連続で4月上旬並みの暖かさが続き、再び積雪ゼロになった。最低気温もマイナスにはならず、最高気温は10℃前後まで上がった。本当に今冬は異常である。
特に雪の多かった一昨年の2月6日(1週間前)の同じアングルの写真。
そんな春のような今日のうれしいいただきもの2点
山の先輩からのグアテマラ土産
妻からのバレンタインデープレゼント。