(ふるさと但馬の田んぼの苗は、大地と太陽の恵みを受けて、今日もすくすく育ちます)
佐藤一斎を知っておられますね、江戸後期の朱子学の大先生で、江戸昌平黌(しょうへいこう)の儒官にして当時の学問の最高権威として、多くの有名な門下生を輩出されました。
何回も私のブログで佐藤一斎の言葉を引用させていただきました。
少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。
この原文は、佐藤一斎の言志四録の第3冊目であります言志晩録第六十条に載っています。漢詩調の「少而学,則壮而有為。壮而学,則老而不衰。老而学,則死而不朽。」です。
三行の文章は、この原文をわかりやすく書き留めたもので、佐藤一斎の「三学戒」と言うもっとも有名な文句です。
意味は、少年のときに学んでおけば、壮年になってから役に立ち、何事かを為すことができる。
壮年のときに学んでおけば、老年になっても気力が衰えることはない。
老年になっても学べば、ますます見識も高くなり、社会に役立つこととなり、死んでからもその名は残るであろう。
池田草庵を知っておられますね、わがふるさと但馬の聖人と言われた江戸末期の儒学者、ふるさと但馬に青谿書院を開き、明治初期の学会・経済界の要人を多く輩出されたお方です。
佐藤一斎は安永元年(1772年)生まれ、池田草庵は文化10年(1813年)生まれなので、池田草庵は41歳若い、ただし、亡くなったのは佐藤一斎は、明治が誕生する9年前の安政6年(1859年)で88才、池田草庵は明治10年(1878年)で65才の歳でした。
41才も若い池田草庵先生ですが、もちろん大先輩で大先生であります佐藤一斎の講義を受けたり、門下生とも言われたり、
もちろん佐久間象山、勝海舟、吉田松陰に繋がる佐藤の門下生とも、あるいは山田方谷(やまだほうこく)から河井継之助に繋がる方たちとも、大いに交友を深めたようですね。
まあ、江戸後期から末期にかけての、佐藤一斎を頂点とした明治に繋がる、学問の世界の偉人の人々だったのですね。
最初に書きました「少にして学べば・・・、壮にして学べば・・・、老いて学べば・・・。」は、人は皆、幼少期から死ぬ直前までの学びの大切さを教える、宝のような言葉なのです。
《偉いです 佐藤に池田 教えられ》