「こども」、「子ども」、「子供」っていろんな書き方

2013年11月13日 | その他
(ちょっとの晴れ間に写真をパチリ、こくふこども園のイチョウの黄色が鮮やかですね)


府中小学校へ用事で立ち寄ります。
隣は、こくふこども園です。遊び場の片隅に、すっくと立っていますイチョウの木、雨がザーザー降る一日でしたが、それでもちょっとの晴れ間に写真をパチリ、こくふこども園のイチョウの黄色が鮮やかですね。

こくふこども園は平仮名で書きます柔らかい、いかにも優しく楽しい感じです。

ふっと感じます。
もともと漢字で表記していました「子供」って言葉、いつのころから「子ども」とか、「こども」ってな使い分けをしているのでしょうか。

およよ、私のブログだって、「子供」と書いたり、「子ども」と書いたり、「こども」って記していることありますね。

ブログの検索機能って便利です。
検索する言葉を打ち込んで、「このブログ内」に指定して検索しますとたちまちですね、「子供」を使って書いたブログがずらっと出てまいります。
もちろん「子どこ」で検索しても、「こども」でしても一発ですね。使ったブログの数が分かります。

「子供」で検索しました。
なんと、232記事に使っています多いですね。

「子ども」で検索しますと、ドンと少なくなって12記事しかないよ、「こども」では
13記事となりますね。

「子ども」の場合を見てみますと、松下幸之助の発言集は大概《子どもの時分・・・・》などという風に、「子ども」を使っておられます。
「子ども手当」なんて言葉が一番です。ニュースを取り上げたブログでその通り、「子ども手当」と書いてます。
あとは「近くの子どもがね・・・・」、「まあ、まあ、子どもさんが生まれたの・・・・」なんて、会話風の文章に使っています。

「こども」です。
三字とも平仮名表記もありますね。
一番多かったのは「こどもの日」、祝日のブログを書いた時には「こどもの日」、これは正真正銘祝日法の表記も「こども」です。
「こくふこども園」、「こども教育課」、「認定こども園」とか、こいのぼりの歌の歌詞の「こども」は平仮名ですね。どうも、どちらかといえば柔らかで優しく楽しい感じで表現したいときに使います。

「コドモ」って音(おん)は、ずっとずっと大昔から日本にあった言葉です。
「オトナ」は「大人」、「コドモ」は「子供」と漢字を当てがって熟語にしただけの話です。
万葉の昔から「コドモ」は「こども」、江戸のころからでしょうか、当て字を考えたお方が「子供」と付けただけのものでした。

まあ、「コドモ」の「コ」は「子」でよろしかろうが、「ドモ」は「共」でも「友」でも、はたまた「朋」でもよかったのでしょうが、語感、見た目から「供」を使って「子供」としたのでしょうね。
私の持ってる国語辞典でも、「こども」は「子供」しか載ってませんよ。
「大人」を「お人」とか、「大とな」とも出ていません同じこと、「子ども」なんて言葉は載ってませんね。
「子供」は、字そのものが意味をあらわす、表意文字でも表語文字でもありません。どこまいっても当て字の表音文字ですホントです。

時が過ぎて今から30年くらい前からかな、「子ども」なんて表記が流行ります。
ちょっと頭の神経が素直でないお方、「供」は「お供」とか「供奉」に通じて、大人の従属物や隷属物を連想するからアカンとおっしゃったそうな、アホらしい理屈がこの30年ほど続きます。
小学校では「子供」と漢字を教えてるくせに、いい大人が「子ども手当」、「子ども、子ども」と交ぜこの文字を、平気で使って恥ずかしいですね。

つい最近のニュースです。
文部科学省は省内の公用文書を「子供」に統一すると決めたと報じます。
こくふこども園などの、平仮名ばかりの「こども」はある意味結構と思ってました。
国もやっと、「子ども」のへんちくりんに気がついて、先ずは文科省からでしょうが「子供」を使うと決めた、こりゃまた結構な話です。



《交ぜ書きは 幼稚にしか 見えません》