生活

とりとめもなく

富士山頂

2024年12月18日 23時59分00秒 | 映画
BS松竹東急で特集放映されてる映画をよく観るようになった。
今やってるのは石原裕次郎特集で、観たいと思ってた「富士山頂」がやるので楽しみにしていた。

どういうお話かというと、説明がめんどくさいのでいつもお世話になっておりますMOVIEWALKERから引用↓


新田次郎の同名小説(文芸春秋社刊)を「風林火山」の国弘威雄が脚色し、「闇を裂く一発」の村野鐵太郎がメガホンをとった人生もの。撮影は「栄光への5000キロ」の金宇満司が担当。
三七七四メートルの富士山頂。ここにレーダーを設置できれば、南方八百キロメートルに近づいた台風をキャッチできる。気象庁側器課長の葛木は台風の被害を少しでも減らすべく、富士山レーダーとりつけに情熱を燃していた。大蔵省へ歩を運ぶこと三年、葛木の夢は実を結ぶこととなった。三菱電機技術部員、梅原もまた技術者の立場から富士山レーダーに情熱をかけ、大成建設の伊石とともに山頂の気圧や地盤について調査していた。建設予算二億四千万円、三菱電機、大成建設による工事が始った。霧の晴れ間を縫って朝吉の率いる荷馬車隊が登って行く。七合八勺までくると荷物は馬から強力にかわって運ばれる。そんな中で辰吉はブルドーザーを運転した。これは馬にのみ頼ってきた朝吉親分を驚かせた。零下三十度、風速は常に二十メートル。酷寒、低気圧の中で梅原らの難作業は続いた。直径九メートル、重量五百キロのドームを基礎台にはめこむ作業は技術陣を緊張させた。人々が固唾をのんで見守る中を加田が操縦するヘリコプターがゆっくり下降、ドームは土台と完全に結合した。壮挙は終った。大自然と闘って据えつけられた気象用レーダーは今、台風の砦となって活動している。

というお話でした。
困難に立ち向かう日本の技術者の記録映画っていいですよね〜!!
裕次郎はね、黒部ダムを造るためのトンネルを掘る映画にも出ていたよ。
現代であっても困難であろう富士山頂にレーダードームを設置するなんてことを1960年代にやるってもう、すごいよ。最初のうちなんて途中までは馬、最終的には剛力が荷物を背負って登頂しているからね。今みたいに登山道か整備されていないし本当に野生の富士山よ。
いろいろ昔の無茶な日本を観られていいよ。そして勝新太郎は、おじさんなのになんでちょっとかわいいんだろうか。

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