いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

ふるさとの渚で・・・戸部健一写真展のお話・・・いわきフォーラム'90

2011-10-27 08:45:53 | いわきフォーラム'90

昨夜、講演中の 戸部先生です。
貞観十一年の大地震について話されていました。


大地震があった869年のころの
貞観時代の仏像はこんなふくよかで、
目がぎょろりの時代でした。


貞観時代の文化あふれる仏像とは?


戸部先生が
いわき市・地元の夕刊紙「いわき民報」に書かれた貴重な写真です。
放射能のため、
中央の新聞やマスコミ・県の新聞などが
いわきから一時退避していた時の写真だからです。

 
戸部先生とは?


今までの作品歴です。
安保・ベトナム戦争はじめ多彩に活躍された様子がうかがえます。

昨夜
いわきフーラム'90 ミニミニリレー講演会355回に参加。
いわき市中央台公民館にて、
15名の参加。

続 ファインダーがくもるとき
   ・・・・ふるさとの渚にて・・・

講師は映像作家の戸部健一先生でした。

戸部先生の講演は
これまで5回ほど聞いています。

今回は
先日8月23日~8月31日までいわき市のアートスペース・エリコーナや
その後東京で新宿での写真展の反響を踏まえての
「東日本大震災による
ふるさとの破壊・原発事故によるふるさと破戒」に対する先生の
静かな怒りに満ちた講演になりました。

1)3・11は、
  先生の父の命日の前日で母を連れ
  墓前にお参りの家についてから地震が・・・
  先生は高久在住。
  電子レンジが飛び、食器戸棚が悲鳴をと・・・・・
  翌日、
  車では通れないので歩いて薄磯・豊間へ入り、惨状を見た。
  当時はTVも宮城などの報道だけで、「いわき」は放送されないので、
  噂ばかりが独り歩きをと・・・・・
  水素爆発の時、
  いわき支局が郡山に入ってしまった為
  豊間などのいわきの現場に
  マスコミのカメラマンもいないので、
  戸部先生が、35mmのカメラで撮影に入りましたと。
  現在ではいわきに報道関係者がいなかった理由が、判明し始めた。
  すなわち、
  報道各社が一時退避をしたので
 いわきから離れていたことが判明しています。
 それでいわきの惨状は当時、報道されなかった!!

 そこで見た光景!!

 ショックの一言!!

今までに経験したことのない事でしたと。
友人たちを知っている。
風景も知っていたので、写真が撮れなかった。

しかし
記録に留めておかなくてはと思い直し、
やみくもに撮ったとのお話。

写真展は考えていなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「冬の花蕨(ふゆのはなわらび)」を見ました!!・・・・・いわき

2011-10-26 17:01:15 | 庭の花

いわきで
「冬の花蕨(ふゆのはなわらび)」を見つけました。
群生は少ないといわれていますが・・・・・

「ふゆのはなわらび」
はなわらび科多年生のシダ科の植物で、
初冬に開花します。

別名を「ふゆわらび」とも呼ばれます。

茹でて、灰汁でアク抜きをしたものは食用になるそうです。
また、
腹痛や下痢の漢方薬としても利用されるようです。

群生で見るのは初めてでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ぽうぽう焼き」・・・いわきの伝統料理

2011-10-26 06:11:29 | なるほど歴史塾

サンマ漁の船上で生まれた料理といわれ
いわきの伝統料理の一つです。


伝統料理
・・・福島県いわき市 伝統料理郷土食調査委員会編
(平成12年9月発行)
P62にも写真入りで載せられています。

11月13日(日)に
第2回目の「みんなで祝おう恵比寿講」
かねまん蒲鉾さんを会場
Am10:00=Pm1:00まで行われますが、
その催し物に
「サンマのぽうぽう(ポウポウ)焼」の実演販売があり、
「なるほど歴史塾」の担当でやるようになりました。
それで、
昨日その試食を作っててみたのが上記の写真です。

おいしくいただきました!!

ぽうぽう(ポウポウ)焼」
いわきの伝統料理で、
秋刀魚は秋の刀と書くように
秋刀魚は秋になると脂がのりおいしくなりますが、
そのサンマを取るサンマ船上で生まれたといわれます。

油をひいてフライパンで焼く料理なので
比較的新しい料理のようです。

和風ハンバーグなので、食べやすく
体にもいいので、
子どもさん・高齢者に特に食べていただきたいものの一つです。

材料:
サンマ、長ネギ、生姜(唐辛子でもOK)、味噌、片栗粉、油

作り方:

①サンマの腹と頭を取り、皮をはぎ骨を取ります。

② ①を出刃包丁でたたき切りキザミネギ、ショウガ、味噌などを混ぜ合わせて、
  小判形に形を整えます。

③フライパンを熱して油をひき
  初め強火で、後に中火で焼きます。

 

簡単で、お安く・食べやすい・健康にもよい、
男の料理としてもいいのでは!!

 

「昨年
私達「なるほど歴史塾」で、現代語にしました
今から二百十一年前の江戸時代の磐城の農民、長谷川安道さんが書きました
「寛政十一年(1799年)農家年中行事」P11)には、

正月二十日のこととして
「さて、今晩は、戎講と言って商いの神を祝い、分限に応じて、
百姓の料理を作る。
鳥は、平目、かながしら・鮒・どじょう・雉・鳩・鶉・雲雀・
野菜は牛蒡・人参・里芋・大根・豆腐・蒟蒻・干瓢・切昆布など、
これで十分である」・・・原文は漢文体です。

また十月二十日については(P34)で、
「えびす講とて、正月二十日のえびす講に優れ商神を祝う」と
書かれていますようにずいぶんと古くから続けられてきたものなのです。
このように

「えびす講」の料理は
五穀豊穣や商売繁盛・大漁満足の神々に
供えるのに最高にふさわしいものだったのです。
正月二十日のえびす講は、この一年間の繁栄を願う、
十月二十日のえびす講はそれらが達成された感謝の心を
捧げるものだったと考えられます。

今回の恵比寿講膳・・・恵比寿講のお供え膳。

膳内は、
上段には、お吸いもの、白いまんま。
中段には、なます、おひたし。
下段には、お煮がし、魚の切り身と野菜の煮つけ、
膳の下には、左から、がま口を入れた枡、生きたどじょうやふな、生のかながしらを
お供えしました。

 

 









と昨年11月27日のブログに書きました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古代の高速道路を探しに・・・いわきヒューマンカレッジ

2011-10-25 07:19:20 | いわきの歴史

愛宕神社境内の長者山遺跡で
「藻島駅家(めしまうまやじあと)」

と呼ばれるところです。




















愛宕山神社から北へいわきの方へ一直線の道が現在も残っています。
説明は馬目先生。


凄いロマンあふれる情景です。
1300年前の光景が浮かびます。
古代の高速道路の姿が・・・・
いわきの10の駅家はどこか
早く知りたいです。


「藻島駅家(めしまうまやじあと)」は「常陸国風土記」かかれています。
馬目先生レジメより。」


長者山遺跡の建物跡での配置図で、
「藻島駅家(めしまうまやじあと)」と考えられています。
馬目先生レジメより。


発掘調査でわかりました官道跡・区画溝跡・建物跡などの写真が。
馬目先生レジメより。


十王町の古代道の地図です。
馬目先生レジメより。

 南の「助川駅家」から
藻島駅家・棚島駅家からいわきへ向かう古代の高速道路の地図です。

 

昨日この記録をまとめた物が、
途中で消えていました。
泣き!!


今日は写真と一部の文章だけを載せました。

藻島の駅を中心とした古代の常陸路を往く
・・・いわきヒューマンカレッジ

      ・・・歴史の闇に消えた古代官道・・・


講師は馬目順一先生でした。

 

1)野口雨情記念館・・・神岡上古墳出土品見学

2)藻島の駅跡・古代道見学

3)ひたちなか市埋蔵文化財調査センター・・・虎塚古墳と十五郎穴横穴群見学
を4台のバスで廻りました。

 

いわきには
古代官道に
10駅家あったのは分かっているのですが、
どこにあったか
まだ確認されていない。

どこかロマンあふれる歴史の謎ですが、
茨城にはほぼ確定できているところがありますので、
今回の史跡めぐりでは
この遺跡・・・「藻島駅家(めしまうまやじあと)」
=長者山遺跡・・・古代官道沿いに広がる建物群。
を見学することになり
楽しみにしていました史跡めぐりです。


消えてしまったものを新しく追加しました。

 


 

藻島駅路跡(めしまうまやじあと)

「常陸国風土記」に書かれているが、
どこなのか探されていましたが、

近年、
愛宕山神社所有地の林の中で、

☆官道跡
☆区画溝跡
☆第6号建物跡
☆第8号建物跡
☆第9号建物跡
が見つかり8世紀代にさかのぼることが確認され、
この愛宕山境内の遺跡=長者山遺跡が
古代の公的な施設である「駅家の跡」である可能性が濃厚となりました。

上記写真の「建物跡の配置図」で確認できます。

また上記写真のように
この愛宕山神社のそばから、
いわきへ向けて一直線の
道路が現在も残っているのを見学できました。
 

上記写真の「十王町の古代道」で確認できます。

助川駅家→藻島駅家→棚嶋駅家→いわきと続く
古代の高速道路が・・・・・

ロマンあふれる光景が目に浮かびました。

1300年前の情景が・・・・


駅家(うまや)とは:
駅路と呼ばれる官道沿いに約16km(30里)の間隔で置かれた中央と地方の情報伝達の為の施設で、
馬(駅馬:はゆま。えきば)が置かれました。

宿泊、厩舎、厨房などの施設も併せ持っていた。

 

今回の見学で、
常陸の国の官道の跡地や官道が残っているのを見学でき
参加された皆さんは感動に酔ったようです。


早く「いわき」に10駅家あったところを

見つけたいという思いに駆られたと思います。

ぜひ見つけたいですね。


馬目先生、

詳しく、易しい解説ありがとうございました。

 


 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハヤトウリの収穫!!・・・いわき

2011-10-24 22:17:38 | 家庭菜園

 

今年はならないと思われた
「ハヤトウリ」を今日収穫しました。

数人の知人より今年はならないといわれていましたので、
少しでも実をつけてよかった!!

4月10日前後に植えて今ですから、
6が月
収穫までかかったことになるスローペースな作物です。

シェープupトレーニングの2回目に
配偶者と参加してからの
夕食の「ハヤトウリの塩もみ」はおいしかった!!

あまり大きくしないで柔らかく食べるのが
いいようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする