読書の冬ではあるけれど、映画の冬でもある。 レンタルDVDを借りてきたり、TVで放映された映画の録画などをせっせと見る。
監督スパイク・ジョーンズの映画"マルコヴィッチの穴”(1999年製作)は不思議な映画である。
意外な発想の展開だけでどんどん押してゆく話が面白い。 思いつきを振り回しているだけじゃないと言う意見も多いけど、あまり硬い事は言わないで楽しく見るたら良い映画だ。 私は結構楽しんだ。
失業中のさえない男(人形遣い)がある会社に就職する。事務所はビルの7階半に存在して、天井が低いので皆体を折り曲げているのが可笑しい。半階分の空間ではまっすぐに立って歩けないのだ。(想像しただけでも狭い穴倉で背筋を伸ばしては働けないと言うのは拷問と同じだ。)
ある日の事。彼は不思議な"穴”を棚の後ろに発見した。その穴に入ると“ジョン・マルコヴィッチ“の体の中にぶち込まれるのを知って、彼と彼の片思い相手の女同僚は、200ドルで15分間のマルコヴィッチ体験という裏商売を思いつく。(まあ、このくらいしか穴の利用法は無いわけだけど。)
そこから私生活が急変、転落してゆくのを彼には支える力が無いのが悲劇の始まり。
15分間他人になれる事が魅力なのか、15分間有名人になれるのが魅力なのか、それとも"マルコヴィッチ”を体験する事が魅力なのか? (問:私なら200ドル持って15分マルコヴィッチ穴に入りたいかどうか? "穴"自体の存在が不思議すぎるから、一度体験してみるかもしれない。)
穴に入る=マルコヴィッチ化する事は、200ドルを握り締めていそいそと集まる人々にとって、単に未知の世界(セレブの世界、異なる階級)を覗き見するだけのことである。 そのほかには何も起こらないのだ。
まあ、結局のところ他人の皮を着るのは苦しい事かもしれないから適合しない、異物は15分もすると汚物の如くポイと排泄される。
主人公の妻はこの"穴"体験に魅了され、やがてマルコビッチとしてで出会った女性(ちなみに主人公の片思いの相手)に惚れ、マルコヴィッチの体を利用して15分の逢引を重ねた結果子供まで作ってしまう。 彼女の場合、他人になる事で新たな自己発見をするという展開があったわけだけど、他の人間は15分間遊園地で遊ぶ気分で満足して帰るのだろう。
やがて主人公はマルコヴィッチを操る術を習得し体を横取りしてしまう。
結局彼はマルコヴィッチを乗っ取るポテンシャルを秘めた人物であり、チャンスを掴む才能があれば活躍する名人形遣いとなる可能性を秘めていたのに、欠けている物がある。その"外側”の大きな変化に対して"内側”の変化は大して起こらなかったのに違いない、当然破綻はやってくる。。。
この破天荒なストーリーは一体何を言いたいのかと突っ込むより、面白い夢でも見ているつもりになって展開を楽しみ、それぞれが適当に気になるポイントを引き揚げながら勝手に解釈して楽しんだらそれでいいんじゃないかと思う。
しかし、穴がジョン・マルコヴィッチのものであるところは、実にうまい選択だと思う。 私は割合この人の存在感が好きだ。
ちなみにマルコヴィッチ本人が自分の穴に入ると、かなり困った世界になる。
脚本家チャーリー・カウフマンは"マルコヴィッチ”と言う名前の響きが面白くて選んだといっているらしいけれどね。
この脚本家の書く話はいつも滅茶苦茶でかなり可笑しい。
だけど自分の穴があっても決して自分で入りたくないものだ。 大体そんな穴があったら何をおいてもつぶしに行くよね。 他人に非常に個人的な部分を覗かれるなんてとんでも無い事だ。
それともどこかに"穴"は存在して時には誰かが乗っ取っていたりしてね。
そういえば自分が自分でないような気分の時がたまにあるとか、気がつくと15分ほどのブラックアウトがたびたびある方はお気をつけください。
映画とホウズキの関係?
。。。。。。。。全く無い。