散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

中世の調べ

2006-09-30 18:46:44 | 思考錯誤
Jordi Savall 

9月29日

夏の名残をかき集めてきたような、ちょっと生ぬるい夜で、その所為なのか人出が多い。
夜8時半。
電車を降りるといきなり賑やかだ。
美味しい地元のビールを飲ませる老舗は相変わらず"ビール飲み”が鈴なりになっている。
道筋にずらりと並んだテーブルは満席だし、その間を溢れるような人の流れは滞らない。
旧市街の真ん中にある小さな新教の教会、Neander教会へサヴァルの奏でるヴィオラ ダ ガンバを聞くために向かう。
イギリスのルネッサンス音楽のヴィオラ ダ ガンバのソロ演奏で、私はこの頃の音楽が好きだ。

教会の前まで来ると、もうすでに長蛇の列が出来ていた。何しろ教会のコンサートは指定席ではないので、良い場所は早い者勝ちだ。
30分前ではもう遅かった。
獲得した席からは残念ながら奏者がまったく見えない。
音楽を聴きに来たとはいえ、奏者の様子も見たいってもんだよね。

教会の中はすっかり満席で、人いきれで空気がやがて重たく汚れてきて息苦しい。
私が朝から引きずっていた軽い頭痛がひどくなり始め、内心最後まで聴けるかどうか自身が無かった。
酸欠状態も加わって頭が3倍に膨れ上がって爆発、なんて事を想像していると、音楽が始まった。
サヴァルの奏でる音色が少しずつ癒してくれるだろう。

音楽は薬なのだから。

まずはTobias Humeの曲。
Humeという人はエキセントリックな軍人で音楽を愛し、やがて剣を捨てて音楽家となったらしいが、当時ダウランドなど宮廷音楽家から、アマチュア呼ばわりされて相手にされなかったのだそうだ。
ダウランドは嫉妬深くてすぐに腹をたてるタイプだったらしく、ヴィオラ ダ ガンバ擁護者のヒュームの発言をリュート擁護者のダウランドは個人的な中傷と受け取って二人の間に火花が散ったりしたようでもある。
ヒュームは食べてゆくために楽器の弓を剣とたびたび持ち替え無ければならず、最後はロンドンの養老院で無くなる。波乱万丈ってやつだ。
なかなか面白い人物だったのだろうな。

サヴァルは音楽学学者でありヴィオラ ダ ガンバ奏者でもある。
昨晩は、合間合間にヴィオラ ダ ガンバについての説明などをいかにも学者らしく織り交ぜてゆく演奏だった。

すわり心地は悪いし、空気の悪さには参ったけれど、それでもサヴァルの魔法がそこにあった。

塵の中から発掘中

2006-09-27 12:47:51 | 思考錯誤
夢の中で降っていたあられ粒はこんな物かだったのかもしれない。




今、部屋中をひっくり返している。まだまだ片付けは終わらない。
棚を整理していたら埃にまみれたこんなものがでてきた。
これは魔女の歴史について書かれた本の一ページだったとおもう。
一章全部巻きつけようと思っていたのに、
どういうわけだか一ページで終ってしまった。
あるお城で開かれた展覧会用に作ったもので、
大きな木箱の中にこまごまとオブジェを配置した作品
の中身なんだけれど、展示後解体してしまった。
テーマは”Hexe"・魔女・だった。
8年ほど前のこと。いやもっと前かな?
時間がたつのが早すぎる。

部屋の各所の塵山から発掘される物。
中途半端な作品の塵の山。
多くはゴミ箱行きの運命をたどる。

 蜂の巣も出てきた。これは宝物箱へ。

 宝はひとまずこの棚に。

これいらないから仕事場に持って行こう、などと
最近アトリエ=物置と考えられてしまう節がある。
気をつけないと、いつかまた引っ越すときには恐ろしいことになる。

本は捨てられないから、本棚は新規購入予定だ。
いつかこの作業が終わったときには、
さぞかし気持ちの良い部屋が出来るだろう。。。。か?
。。。。とまだ見ぬ憧れの居間を夢見つつ、
夢に一足でも近づくべく、
カタツムリの動きで作業続行中。

埃の中から出てくる物がフェニックスのように飛び立つのだといいけれどね。
まあ、掘り出して埃に咽込んでゴミ箱行きがほとんどです。

露玉

2006-09-24 16:35:16 | 自然観察
ナスタチウムの葉の上に転がる露。
プリニウスは露が凝縮して蝶の卵になるとかんがえたらしいけれど、
生命がこの中にあると考えること、
ひとつの宇宙が潜んでいると考える事が、
これをじっと眺めていると出来そうに思えてくる。



宇宙飛行士がこんな風な水の珠をつくってペロリと平らげている映像があるけれど、あれ、あれを是非一度やって見たい。

冷たく冷えた水の玉がスルリと喉を通り過ぎてゆく感じ。。。

喉につかえてしまうこともありそうだなあ。

しずく

金剛石

薔薇の宴

2006-09-21 17:14:23 | 植物、平行植物
Sweet Haze


比較的病気になりにくい種類だというのに、苗の半分が具合悪く切り落とした。

砂糖菓子のような色の花が咲く。

薔薇色の人生などと人はいうけれど、薔薇色といわれてどんな色を思い浮かべるか?
私の場合"薔薇色”という一言からは紅い花びら色を思うが、"薔薇色の人生”と思うとどういうわけだか、このピンク色だ。




古代ローマ時代には既に薔薇を温室栽培したというが、主にそれは薔薇の花弁収獲のためで、室内に温水を流し、花の収穫量を増やしたそうだ。流石は古代ローマ人。
当時は古代ギリシャと同様、勝利と栄光の象徴としての薔薇の冠のために、薔薇の花でワインや食べ物に香付けすることもあったし、皇帝の足元に花びらの絨毯を分厚く広く敷き詰めるために薔薇の花は必要だった。
薔薇の花は富の象徴でもあった。
やがて耕作地の必要が増えたことによって薔薇園は減って行く。
暴君ネロは狂宴の為にエジプトからバラを輸入しなければならなかった。
デカダンスの代名詞にも引っ張り出されるローマ皇帝ヘラガバルスは彼の宴で客が窒息してしまうほど(実際数人窒息死したという)薔薇の花弁で部屋を埋めたと言うから、その量たるや想像を絶する。
招かれた客が宴の部屋に通されると、テーブルの上には豊富に美味珍味が並び、いかにも美味しそうなワインも用意されている。
ワインの入ったグラスには香高い花弁が数枚浮かんでいるのが洒落ている。
宴が始まると、間もなく上から美しい花弁が楽器の調べにあわせるように優雅に舞い降りてくる。
その風雅な遊び心を客等がほめるのをヘラガバルスはうっすらと笑みを浮かべながら見回している。
間もなく、客等がふと気がつくと降りそそぐ花弁で話し相手の顔さえもが見えにくくなってくるのだ。
薔薇の花弁が腰辺りまで埋まった頃、彼等は優雅な花弁が実は罠である事に気付く。
出口は何処だ?何処にも見当らない!
パニックになった彼等が一息するたび、柔らかな香の良い花弁が口の中に滑り込む。。。滑り込む。。。

。。。って、なかなか恐いね。

Tambrello

2006-09-18 09:08:21 | 思考錯誤
La Notte die Tamburello

南イタリアの打楽器家さんたちタンブレロ奏者って言ったほうがいいのかな。
Alfio Antiquo と Andrea Picconiと言うタンブレロの名手たちのジャムセッションを聴いてきた。

今デュッセルドルフのアルトシュタット(旧市街)ではアルトシュタットヘルブストという祭りを開催中なのである。
様々なコンサートやダンスの公演が盛りだくさんだ。その中から私は2つのコンサートのを選んだ。そのうちの一つが昨夜のこのタンブレロの音楽だった。

Alfio Antiquoは18歳になるまでシチリア島で羊飼いをしていたそうである。祖母からタンブレロや民謡の手ほどきを受け小麦粉の篩に自分でなめした皮を張って自作のタンブレロを作ったりしていたのを当時の有名なタランテラ・ミュージシャンに発掘されたらしい。

昨夜のコンサートはこの人が本命で、ベース(Alessandoro Moretti、なんだかニコニコ顔がポチャッと可愛い人の良さそなべーシスト)とアコーディオン(Amedeo Ronga、この人が又めちゃめちゃうまいし、かっこいい!!!)を従えて、シチリアの伝統的な民謡を根っこに据えながらジャズという香辛料を聞かせている。
舞台の上に大小様々のタンブレロが用意されていて、それぞれに音色が違うのだけれど、タンブレロってこんなに複雑な音が出せる打楽器だったのだね。
知らなかった。シャカシャカ、パンパンという感じで伴奏するタンブレロの兄弟タンブリンしか知らなかった私はとても驚いた。

前座のトリオ(Andrea Piccioni,Paolo Cimmino,Fabio Triconi) はインドのタブラ音楽や、中近東の音楽を取り入れた曲をイタリアの古い楽器で演奏する面白い試みで、なかなか良かったのだけれど、時々リズムが崩れてしまって興ざめな場面もあったのが残念。

Alfio Anticoは流石にリズムなんか崩れないし、歌いながら語りながら、時には踊りながら、どんどん叩いてしまう。

このコンサートが行なわれた仮説コンサートホールはライン河沿いの広場にあるので、時折ライン河を通り過ぎる舟の音が聞こえたりしてしまうが、それもなんだか愛嬌である。

会場でCDを販売していたのでAnticoを一枚手に入れようとしたが、あまり良くわかっていないお姉さんに色々質問しても要領を得ない答えが返ってくるし、ちゃんと確認をせずに一枚買ってきたら、AnticoではなくFabio TriconiのCDだった。
ちょっとがっかりしたものの、早速聴いてみるとこれも中々面白い。
シチリア地方の中世音楽で、この手の音楽は好きなので満足。

私も思わず粉篩でタンブレロを作りたくなってしまった。
あんなに素晴らしい音が出せる筈はもちろん無いけれど、なんだか試してみたいとおもってしまった。
多分コンサートを聞いていた客の中にはそう思った人は何人かいるんじゃないかな?

叩いたらがっかりしてしまう事は大体想像はつく。。。
それに私ならすぐに腱鞘炎になりそうだね。

でも。。つくって見ようかなあ。

しずく

2006-09-17 17:03:50 | 自然観察
さかさま
"それ”
沢山
平行宇宙
"それ”
一粒
一粒
連続
世界
閉じ込める
さかさま
"それ”








今年は蜘蛛が大活躍っていうか大発生。
あっちこっちに蜘蛛の巣が張り巡らされているので、ぼけっとしていると糸がからんで、あっと言う間に身動きが取れなくなってしまうのだ。。。。。。。。。。。
蜂や蝿なんかがね。

案外大きな蜘蛛が獲物を仕留めてチョパチョパとご馳走を食べている所など、良く見かける。

触手

2006-09-16 09:43:45 | 植物、平行植物












。。。。。 そして
丈 高き 草 を
かき 分ける と
彼が
目 の  前 に
立ち はだかって
いた。

前に
一足
踏み込もうとした
そ の  瞬  間
彼の
触   手   が
一瞬

ザ   ワ   リ


震 え た の を
見た。



廃墟を歩く

2006-09-14 00:24:37 | 自然観察
私の住む街の外れにHaus Meerと言う電車の停留所があって、その名は今は既に廃墟化してしまった屋敷地所の名を指す。
個人所有地であるため普段は立ち入る事が出来ないのだが、先日曜日は一日オープンドアーだと新聞の記事で読んだので、出かけてみた。
要所要所で訪問者達に、”Haus Meerを守る会”の人々から興味深い話を聴く事が出来た。
この土地からは紀元前1500年頃ブロンズ時代の発掘物が出土、ローマ時代の遺跡も発掘されたらしい。
1166年には尼僧修道院が建てられた。
1804年宗教改革によって修道院は解体し、売られて1960年まで個人所有地で屋敷が立てられていたが戦争後すっかり傷んでしまった。
1963年に史跡保護地区に指定されたが、実状は手入れも無く荒れて行くばかりであった様だ。
以降所有者は入れ替わり立ち代りして、現在に至っている。
途中老人ホームや個人駐車場などを建てる計画が立ち上がったが、様々な問題によってプランは延期され、史跡保護局が遺跡発掘を再開し青銅時代の陶器などが出土された。建築プランと史跡保護団体の反対がおしくらまんじゅうを続け現在に至っているわけだ。
いぞれにせよ修道院の廃墟も一部壁を残すばかりになり、維持をするのは難儀だ。

今年の最後の夏日とでも言うような陽の眩しい日曜日の午後、草丈高き荒れた庭園は明るいながらも、どこか過去の湿った空気を引きずっているような、秘密めいた雰囲気が漂っている。



 

広大な庭園には古い200年を越えているプラタナスがジャングルのように丈高い草の生い茂る中にそびえていた。大人4人でやっと囲むほどのプラタナスである。(説明をしてくれた婦人は男が6人繋がってやっと囲えるほどに大きい樹と前宣伝をしていたけれど、私の見た感じでは4人だ。)
一年に一度も公開されない場所であるから、普段は調査団がこの"公園の主”の周りをたまに通り過ぎるか、兎や鹿が静寂を破るくらいなのに違いない。最も航空路を真上に控えて静寂はこの付近に無いというのが現実なのだけれど。

200年の大木といってもまだ若い方なのかもしれない。
世の中には我々人間が気の遠くなるような時代を生き続けている木々が存在している。
我が家の本棚に"ドイツの古い樹木”と言う本が並んでいて、それを見ながら比較的近辺に在る古樹に会いに行った事が何度かある。簡単な地図を元に捜すのは少々難儀である場合もあるが、その近所までたどり着けば道行く人に尋ねれば良い。たいがい皆”樹”の事を知っていて道を教えてくれるからだ。樹齢500年だの600年だのという樹に辿り着いてみると出会えた喜びと畏怖に近いものが混ざる。気の遠くなるほどの時間を想っての畏怖?
"樹”の話。
ある人は古樹の持つ何かが我々に安らぎを与えるというような事を話した。
ある人は樹が語りかけてくるのを聴いたと言った。
ある人は大樹を見たら必ず近づいて抱きついてみるといった。
ある人は樹の下で瞑想をすると言った。
ある人は樹皮の下を流れる樹液の音を聴くのだと言った。
又ある人は
「この樹の前を通り過ぎるときに父はいつも帽子を取って挨拶をしたのよ」と言った。
するとある人は
「アフリカではある種の大木には近づかないほうが良いのですって。無闇矢鱈に古樹を触ると樹の精が怒るのだそうよ。」と話した。
何故その樹は怒るのだろうか?とても興味がある。

今枕元に詰まれている本の山の中に「樹の神話」と言う本があって、「ふう~ん」とか「へえ~」とか「ほお~」などと言いながら、ちょっとづつ、つまみ読みしている。中々面白いのだけれど、その話は又この次に取って置くことにしようとおもう。

近所の廃墟の話から思わず樹の神話に流れて迷路にはまって抜け出る事が出来なくなりそうになってきたので、ひとまず今日はこの辺でおしまい。

今夜は夢で樹と話が出来るだろうか?


万能植物

Bruges-la-Morte

2006-09-12 00:20:25 | 移動記録
朝起きると空には少し厚めの雲が空を覆っているが、端っこの方からめくれ上がるようになってきて明るみがましてくる。
良い天気に間違いなし。

。。。そしてブルージュにむかう。


 空には時々ドラマチックな雲が現われる。

ブルージュは毛織物産業で栄えたのが13世紀から15世紀であり、その後入り江が崩れ貿易船が入れぬようになった事から、商業都市としての機能を失い、そして衰退した。
1892年にローテンバックが『死の都ブルージュ』と言う幻想的小説を書き大人気を得、そしてこの本はブルージュを退廃的魅力に満ちた街として観光客を導いたのだった。

 この角度で取られた写真が世の中にうんざりするほどあるはずだ。この角度から撮るまいと思っていながら、つい一枚撮ってしまった。

15世紀から時間が停滞してしまったかのような街は、どこか非現実的な雰囲気を持っている。このような観光業で食べている街はたいがい似た空気の香があるものだ。
どういうものかこういう街は写真を撮るのが面白いようで面白くない。何処をとっても観光写真の一枚になってしまうのだから。どの角度から眺めても絵葉書様になってしまう。

St.Salvatorskathedraal 救世主大聖堂 


                               


聖血礼拝堂  

第2回十字軍遠征の折、当時の公主フランドル伯爵が、エルサレムからキリストの聖血を持ち帰り礼拝堂を建立した。
キリストの血を。。。ね。。あるはずがない事といえども、なんだかそういう話ってワクワクするものだね。

 

時空間を飛び越えて中世を歩いているような気分になる。観光客で溢れかえっているわりにはそんな気分に浸る事も出来るのは面白い。我々は皆タイムトラベラーで中世に今日到着したのだ。そんな気分だろうか。

 
 ブルージュの土産はチョコレートとヌガー。

グルーニング美術館ではヤン・ファン・エイク、ブリューゲルなどに出会える。
落ち着いたこじんまりとした良い美術館だ。
ここではフランドルの巨匠シリーズのなかの1部ヤン・ファン・エイクについてDVDを購入してみた。まだ冒頭しか見ていないのだがこれは中々面白いので、後日たっぷり時間のある時のお楽しみである。他ルーベンス、ブリューゲルを取り上げた2作が出ているようだ。

Invention of the Art of Drawing
1791
Oil on canvas, 267 x 131,5 cm
Groeninge Museum, Bruges

私が今回気にいったのはシュヴェの”素描の起源"だ。
実にロマンティックでドラマティックな主題の絵である。恋人をドローイングの中に閉じ込めてしまおうとでもいう様なまなざし。
コリントス、シュキオンの陶芸家ブタデスの娘ディブタデスは壁に映る恋人の影を描き写している。恋人は外国に向けて旅立とうとしているのである。


この街にも83m366段の階段を持つ鐘楼があるが、私はもちろん昇りはしなかった。

華やかな中世ブルージュを散歩するのもよいし、デカダンスな死の都を見るのもいいだろう。それには秋、冬に出かけるのがよいかもしれない。出来ればローデンバックの”Bruges-la-Morte”を片手に。

今度は暗い冬に出かけて見ようかと思う。


Fernand Khnopff
1887
Crayon 、pastel
47 x 101 cm

ベルギー最古の街

2006-09-10 22:54:43 | 移動記録


相棒が一週間ほど休暇をとったというので、ちょっとベルギーまで脚を伸ばしてみることにした。
本当は仕事場引越しのカオスをもう見たくないという気持ちもあったかもしれない。
兎に角、朝日はいかにも気持ちよく、たっぷりの朝食を済ませ、いざ中世へ。

ところが30分ほど走ると前方に怪しい雲が見え隠れしているのだ。
どんどん霧が厚くなる。
濃い霧の中に風景が色味を失ってゆく。
霧の粒は少し重たくなって窓ガラスが水滴で埋まって行く。
あ~あ。
旅行気分も湿気にやられてしんなり茹ですぎのホウレン草のようになってしまうじゃないか。

とは言え、美術館巡りだけでも充分だし、ベルギーには美味しいチョコレートもあるしね。
気を取り直して鼻歌を歌っていると、間もなく空の色が少しずつ明るくなってきて、なんとお天道様のお出ましだ。

 そしてこの青空。 

                                    
                              
ところで行き先はフランス国境に程近い、ワロン地方エノー州のTournaiという人口67,000人ほどの市である。
何故トゥルネーに向ったかといえば、そこがベルギー最古の街であり、芸術の街と栄えた歴史を持っている街だという話を読んだからだった。
この街は幾度もの略奪占領の歴史を経て1830年にベルギー王国成立でベルギー領と落ち着いた。
タベストリー生産で15~6世紀に華やかに賑わったであろう事はいまだに街並みからうかがえる。

 
                                     
1110年から1325年に建立された、ノートルダム寺院は世界遺産に登録されている。美しい5本の搭が目印である。世界遺産とはいえ、修復にはお金もかかるし、黒いプラスティックの椅子が並んでいるのは経費節減か? 
この街には世界遺産はもう一つあって、それは鐘楼である。72mの高みから街を見下ろして見るのも一興だが、去年ゲントで鐘楼にいい気になって昇り、降りる段になって体力不足に冷や汗をかくという経験を思い出して、外から眺めるだけに留まった。

カテドラルから少し南に下がると、贅沢な気持ちの良い、光の溢れる空間をもつ美術館がある。アールヌーヴォーの巨匠ヴィクトル・オルタの手になる美術館だ。パリのオルセー美術館の印象と似ている。
歩き回って疲れた脚を心持引きずりながらも展示を一つ一つ見てまわる。筋肉痛はもう避けられない。カメラと財布しか入っていない鞄でさえ、私にはもう重さが倍になっている。

ロベール・カンパン、ファン・デル・ウェイデン、ゴッサール、ブリューゲル、スネイデル、ルーベンス、ヨルダーンス、ワットーといった17~18世紀の大画家、マネ、モネ、スーラ、ゴッホなどの印象派その他が展示されていて、こんなに歩き疲れていなければ、優雅な気分にしばらく浸れそうなものだが、何しろこの数日アチコチ歩き回っているのだ。
疲れが溜まっている。神経が足裏や脚のつま先にどうしても集中してしまうのがなんとも悔しい、しかしそこを何とかぐっと耐えて目の前にあるブリューゲルに集中の努力を試みる。やっぱり素晴らしいね。

外に出て空を仰げば、時折雲がぐんぐんと湧いてきて空模様には退屈する事が無い。
青空、太陽歓迎ではあるけれど、暗い雲の塊が教会の搭にひっかかったり、覆いかぶさったりするのはむしろ抜ける青空よりもこの街並みには良く似合う。

日が暮れて冷たい風が吹き始めると、そろそろ夕飯の時間が近い。
目をつけていた感じの良い小さなレストランが残念にも休業で、仕方なく隣の店に流れて晩飯にありついた。
気のよさそうな老夫婦が営んでいる店で、ムール貝とポテトの看板も出している。他に取り立てて目当てもないのでプロヴァンス風トマト味と白ワイン蒸しとを注文してみる。
ムール貝のシーズンは9月から3月なので、これからが楽しみだな。
    腹ごなしに夜の街角を眺めながらあてなく散歩するのもなかなか良い。薄闇の中では中世の夢に踏み込むのも容易だ。

ベルギーの古い街はいつも街中が石畳の道である。車の騒音はかなりなものだ。
ホテルの窓は直接車道に面しているわけでもないのに、なかなか賑やかで、夜中もかなりの通行量なのだ。
ガガガガゴゴゴゴゴと車が通り過ぎる音を数えているうちに眠りについた。

                                    
ちなみに、街の人が薦めるケーキ屋は流石に客も多く、ショウケース沿いの行列に並びながら、脇に並ぶ美しいケーキを眺めて検討しているうちに順番が来る仕掛けだ。
どれも美味しいケーキだったので満足だ。

中世への散歩はまだ続く。。。

中世散歩Ⅰ
中世散歩II
中世散歩III

頭上注意!!

2006-09-04 08:35:38 | 美術関係
ルール工業地帯のヘルネ市に"フロットマンハレン”という1900年代初頭に建てられたユーゲントシュティールの工場が現在多目的文化施設となっており、展覧会ホール、シアターなどが市によって運営されている。
今年文化会館として20周年記念であり、今までそこで展覧会を行なった作家達に1mx1mx1mの小品の出展を呼びかけ、160人が提出と言う快挙だった。それほど集まるとは思っていなかったのでは無いかと想像する。
展示方法は立体も平面も全て天井から吊るすのだという。
誰の考案かは知らないが、何点集まるかわからないしどんな作品が集まるかわからない、壁を立てて展示するのもありきたりでつまらない、と言うことでそのように決定したものらしかった。
肩こりを承知で上を見上げて歩くもよし、30cmx30cmの鏡が用意されており、それを持って作品の下にあてて見てもよし。床面から2,5mほどもある高みに下がっているので、見たい部分に視線が届かないという歯がゆさが残った。
そして作品が多すぎてお互いが喧嘩してしまう。

しかし、お祭り騒ぎとしては楽しい。七夕祭りみたいな賑やかさがある。
実際祭りなのだ。
市長や文化局の役人の演説はスピーカーがあったにもかかわらず、このホールの最悪の音響のおかげで殆ど言葉は聞き取れず、私語が徐々にヴォリュームアップして行くのを止める事が出来ず、さえない祭りの始まりとなった。
過去の展覧会のカタログをランダムに数冊選択され、紐で括られ”一括5ユーロ”なんていうカタログ販売があったけれど、開けてびっくりお楽しみ袋みたいな感じに出来ていたのはおもしろい。
まあ、そこで何人もの知り合い友人達と久しぶりに会って話して展覧会そこのけで楽しく時間を過ごした。

一体、何しに行ったのだっけ?