散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

ハロウィンの晩は。No.3

2005-10-31 15:37:56 | 思考錯誤
今日はハロウィン。
明日は万聖節。
そして明後日は万霊節。
十月は今朝も最後の黄金のしずくを滴らせている。
昨日から夏時間も終わって冬時間に切り替わった。
これから半年間は日本との時差が7時間というわけだ。

さて、予報では、明日から雨続きらしい。
今日は風が強いけれども、金色や茜色の枯葉を踏みに行かなければ。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

万霊節に。。。


野原の一本道を自転車で走ってゆく。前方の黄色く色づいた樹の頂にオレンジ色の太陽が乗っている。
夕日は樹をミシミシと押しつぶし乍ら高度を下げ、その動きに合わせるように空の色もオーロラの如く変化してゆくのが圧巻だった。なんという美しさなのだろう。
赤とオレンジが帯になったメノウの中に入る事が出来たならこんな具合にみえるだろうか?
私は自転車の荷台に、沈んでゆく太陽と同じ色の大きなカボチャを、荷紐でがんじがらめに括ってとめてあるのを確認しながら重みにふらふらと道を走っていた。
荷台のカボチャは思いのほか重く、しかも刻々と重みが増してゆくかのように感じられる。
するとどういうわけだか重みが増えるのと同じだけ疲れてくるようだった。

とうとう自転車のペダルを押し下げるのも重すぎると感じた途端、目の前の風景が徐々にかしぎはじめ、仕舞いにグルンと180度回転して止まった。
バランスを崩して自転車ごと倒れてしまったのだ。
ひんやりとした地面を感じた瞬間風景がブンと飛び跳ねたように見えたのは気のせいだったのかもしれない。
痛みはすぐには襲ってこなかった。どうやら怪我は無かったようだ。
しばらくの間赤とオレンジの層の隙間に紫とグレーが混じり始めた空をぼんやりと眺めているのが気持ちよかった。
地面の冷たさに肩が震えて、そろりと起き上がり、自転車を見やると括りつけていたカボチャがぱっかりと割れている。
割れたカボチャは、断末魔をむかえている生き物が震えているかのようにみえた。

途方に暮れたようになって近くに転がっていた切り株の上に座り、カボチャを届ける事が出来ない言い訳をいくつも考え始めた。

このカボチャは婆さんが作った近所で有名なカボチャで、苗一本に一個の実だけを育てる。婆さんは毎日畑でブツブツと呪文のように実に話しかけながら精魂込めて世話をする。このカボチャだけは触らせてもくれない。
一度婆さんがかぼちゃに何を話しているのか知りたくてそっと近づいたことがあった。カボチャ畑の傍にはまわりと不釣合いに大きな鶏小屋があって、そこには貧相なニワトリが数匹餌をついばんでいる。
その小屋の影に隠れて耳をそばだてたのだが、よく聞こえるのに意味がちっともわからない。婆さんは私の知らない言葉でカボチャと話しているようだった。
その言葉の中に何度か『アムルト』という言葉がはっきりと聞き取れたのは、婆さんがその言葉を何度も唱える様に繰り返したからだ。『アムルト』と響くたびに、カボチャの蔓がブルンと揺れる様にみえる。風の仕業だろうけど。
婆さんは一通りのセレモニーを終えた後、いかにも満足そうに台所に戻っていった。
婆さんの立っていたあたりに行って見ると、いかにも元気なカボチャが10個ほど濃い緑の中で金色に輝いている。私はこっそり『アムルト』とつぶやいてみた。別段不思議な事はない。家に戻ろうと畑に背を向けて歩き出そうとした時、右足首に引っかかる物があって見ると、婆さんのカボチャの蔓が私の足首にグルグルと2重に巻いていた。何てこった。
腹が立って蔓を鷲づかみにしてグイッと引きちぎろうとしたが、婆さんの機嫌を損ねるだろうから、しゃがみこんでそろそろと蔓を外して逃げた。

日が暮れる前にカボチャを届けなければいけなかったのに、もう夕日の名残がほんのり残っているきりで、夜空に星が滲み出すように見え始める。
自転車を立て直し、荷台に割れたカボチャを乗せながらふと「アムルト」とつぶやいてしまった。すると割れたカボチャの中にぎっしり詰まっていた種がにわかにもぞもぞ蠢いて、芽を吹き始め、絡まった緑の玉となりそれは家ほどにも膨らんで私を巻きあげ取り込み野原の一本道をゴロゴロと転がり始めた。
いったいどうしてこんなことになっちまったのか? わけが解らない。
。。とはいえ、転がり続けていると少しだけ解ってきたような気もする。かすかな理解への兆し。
ふと、いきなり全ての歯車がカチリと音を立ててあるべきところに納まった。
今では婆さんのつぶやきも理解できる。
これでもう私は解放された。



今年の秋は暖かい日が続いているのでありがたい。寒くならない内に畑や庭の冬支度を済ますことが出来るだろう。
あの人はカボチャを良く食べたね。
本当は嫌いなカボチャなのだが、私の作ったカボチャが好きなのだといった。
だから今でも、こうして話しかけながら丹精込めて作っているのだ。
ああ、暖かな秋の日差しが気持ちよい。今年はおかげでまだ腰も重くならずにありがたい。
精一杯働いたのだから少しだけ昼寝を楽しんでもいいだろうよ。その後であの人が美味しそうに食べてくれたカボチャのピクルスを仕込むことにしよう。
そして食卓に並べてみようか、もう座る人のいない窓際の席 の前にも。今日は万霊節だから。喜ぶに違いないよ。



白髪が縺れた彼女の頭は今、秋の金色の日差しに染まっている。





註)万霊説:死者の霊を迎える日。万聖節の翌日11月2日。

まあるい。。。

2005-10-29 16:08:43 | 自然観察

このぼんやりとした球状の。。。
これは何でしょう?
夜闇の中にぼんやりと
薄明るく滲むような光
夜 光 花?
月の 光しか
反射しないと言う、
例の 植物ですね。
それとも、
いち早く万霊節の前に
尋ねてきた誰か。。。?
ぼんやりとそれは
まあるい。。。

いや、それはただ
撮り損ねた月の姿。
10月17日、満月の一日前。
あんまり彼女が美しかったので、
いきなり カメラ を向けた から
月の魂が透けて見えたのかもしれない。
もう一度写せばそれはいつもの
顔に戻っていた。

月には兎が住んでいて餅つきをするのだと言うと
月には人の顔が見えるのだと友人は言った。
ドイツ人には兎は見えないらしい。
西アフリカでは鰐、
南アフリカでは薪を背負った女性(南半球)
が見えることになっている。
他にも別の絵を見る人たちが居るだろう。
私の知っている中では
月の餅付き兎のイメージが中では一番楽しい。

これは今朝の月。
10月28日朝6時半。
今朝は 星空が 美しく
火星がひときわ赤く明るく輝いていた。

今年、火星が地球に最接近するのは10月30日。
-2.3等星 の明るさになるので、ひときわ目立つ。
2003年8月27日には6万年ぶりの大接近だった。
その日の夜空はしゃっきりとせず ぼんやりと、
しかし 大きくて赤い星が見えた記憶がある。
687日 かけて 太陽を まわる 火星は
2年2ヶ月毎に地球に接近する事になる。
地球と火星間の距離は69,42Mio.Km。
30日の晩は赤い星を見ながら
乾杯といきませんか?

Mars2005
Astrolexikon
SEDS:Mars
Interactive Mars Habitat

ハロウィンの晩は。。。 その2

2005-10-28 00:24:48 | 思考錯誤

カリフォルニアの趣味園芸家が557キロのカボチャでコンクールに優勝したという記事を読んだ。
557キロのカボチャを刳り貫いて車輪をつければシンデレラのカボチャの馬車が出来そうだ。一体どうしたらそんなに大きなカボチャが出来るのだろうか?

さて、カボチャの馬車にはシンデレラを迎えに行ってもらうことにして、
今日も焚き火の周りで、近寄る闇に目をこらしながらハロウィン物語を聞きたいものだ。
今日は誰が話を持ってきてくれた?怖い話、奇妙な話。。。
誰もいない?
仕方ないなあ。

では今夜はスコットランドの話。(ドイツ語から翻訳)

万聖節の夕暮れの事。
酒好きの鍛冶屋がぽっつりたった一人で居酒屋に座っていた。
ジャックって言う奴だ。
そこへ悪魔が彼を連れにやってきた。ジャックは悪魔に俺の命と引き換えに、最後の一杯を飲ませてくれとせがんだよ。
悪魔は承知して、ジャックの財布は空だったんで、酒一杯を買うための6ペンスに変身したんだ。
そこでジャックはその6ペンスで酒を買わずに財布に入れちまった。その財布にゃ、十字架の鍵が付いてたもんで、悪魔の奴は出られなくなっちまったよ。
鍛冶屋は悪魔に十年間猶予をくれりゃ、解放してやろうと話を持ちかけたんだ。
悪魔としちゃあ、首を立てに振るしかなかった。

さて十年後の万聖節の晩に悪魔はジャックを連れに来たよ。
そこでジャックは、また一つ頼みごとをしたんだ。
リンゴを一つもいできて欲しいってな。
やらなきゃいいのに悪魔の奴は木の天辺に登った。
その時、ジャックはナイフで木の幹に十字を彫ったもんだから、またもや悪魔は木の天辺に釘付けで身動きとれずさ。
鍛冶屋はもう二度と魂を取りには来ないと悪魔に約束させちまった。

ジャックがとうとう死んじまった時、生前の行ないが悪かったもんで天国の門が開くわけないさ。結局地獄に送られちまったよ。
だけどそこでも門前払いさ。だって悪魔はジャックの魂を取らないって約束しちまったんだものな。
彼は元来たところに返される事になった。
道中寒いし暗いしするんでジャックは地獄の業火の炭火を一つ貰って行った。
鍛冶屋は炭火を、風よけに刳り貫いた蕪の中に入れてぶらぶらぶら下げて行ったよ。
それ以来彼の呪われちまった魂とランタンが万聖説の前の晩の暗闇を彷徨ってるんだね。最後の審判の、その日までな。


これがJack-o-lanternの始まりさね。

おっと、そこの人。
そうそこに座っているお方、悪いことは言わないから悪魔と取引するのはやめたほうがいいよ。
それにしても悪魔ってのはお人良しの正直者で案外不器用なもんだね。


確かに、幾つかの話の中では悪魔はちょいとドジな奴だったりしているのが面白い。
写真は去年のもので、知人のパーティーに持って行った。
ドイツ人は水っぽい美味しくないカボチャで作った甘酢漬けしか知らない人が多かったので、未だにカボチャというと眉間をしかめる人がいる。そんな人にこれもカボチャだ。といって出すと目が醒めたような表情をして美味しいと食べている。
最もここ数年のカボチャブームで開眼した人も多く、カボチャスープなど作る人も多くなった。ドイツの食生活も刻々変化している。

ネコババ

2005-10-27 02:29:40 | 思考錯誤
三文記事のなかには面白いものがあるので、収集している。
その記事を読みながら想像をめぐらすのも面白い暇つぶしである。
そのスクラップブックを開くと一枚の切抜きが足元に落ちた。
こんな事もあったっけ。

ある地域でこそ泥が数件連続発生した。
盗まれたのは財布などの小さな革製品で、机の上から、棚の上から、サイドボードの上から消えてゆく。
何しろ小物だし、最初は皆盗まれたとは思わずに”どこかに置き忘れた””どこかで落とした”かも知れないと、捜したり呆然としたり、口座ストップの為に銀行に電話かけたり奔走していた。
そのうちに、近所の事であら貴方も?私も!となり、これはなんだか自分たちの過失ではないと気づいたのだった。

ある日、財布を失った家々の玄関ベルがなった。
家人が応対に出ると、そこには顔を赤面恐縮し方を縮めた女性が、見覚えのある財布を差し出しながら立っていたのだ。

さて、
彼女はどこで財布を見つけたのか?
彼女が犯人だったのか?
出来心で彼女はこそ泥をしてしまったのか?
何故家人在宅中の家に入っても気づかれずにいたのか?
後悔して自供し全て返却することにしたのか?

犯人は誰だったでしょう?

ある時、彼女は見知らぬ財布を咥えて意気揚々帰宅した猫を目撃した。
犯人は彼女の愛猫だったのだ。
驚いて色々な猫のお宝を集めて出来た山の中を捜すと、財布が他に2、3が転がっている。
何が彼女をそうさせたか?
何故“猫”がそういう“もの”を愛するようになったのかは知る術がないので謎だが、実に面白い奴だ。
もしかして猫界では名高い”スリの○×△”とか異名が付いている名猫なのかもしれない?
それともオリヴァー・ツイストのフェイギン見たいな奴の飼い猫で、盗猫として仕込まれ、こき使われていたのにうんざりして逃げ出し、ボロきれのように他猫の餌をくすねながらも彷徨っていたところ、心ある女性に拾われ改心し堅気になったけど、つい昔の癖が出てしまったということもある。。。ないか。
新聞の写真で見る限り頬に傷もなく、耳も齧られている様子の無い普通の猫だったけどね。
飼い主の女性は財布を発見して中身を確認しカードなどから調べて、持ち主に返す事が出来たわけだけど、冷や汗ものだったろうなあと想像する。
一件落着で解ってみれば盗まれた方もあんまり珍しい話なのでローカル新聞社に電話をし、めでたくトピックスとなったという話だった。

これは私の住む町の話です。

夢遊 Ⅴ

2005-10-25 15:18:31 | 夢遊
暗い森の中だ。
あたり一面、深い黒に近い緑で、まるでルソーの絵の中の森のようだ。
ピカピカと光ってなめし皮のような葉を持った植物は“ツワブキ”だという。
それは花を咲かせている最中なので、まるで艶のある暗闇に黄色い星がちりばめられているかのようである。
“ツワブキ”が見渡す限り生えているその森は“ハンミョウの森”と呼ばれている。
“ハンミョウ”といえば昆虫である筈なのにハンミョウの森の中ではサラマンダーの形をしていて、それはツワブキの葉色の体に、ツワブキの花色の斑点をつけて潜んでいる。

森の奥には差し渡し2メートルほどの池があり、水は原油のようで黒々とぬめった表面が息づくように動く。
その中には森の主という鯰が住んでいてハンミョウはその主を守っているのだ。
ごわごわした葉の中を歩き進んでいるうちにハンミョウが私の手の甲に噛み付きあまりの痛さに目が覚めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
別に意味は無いのに、昔から”ハンミョウ”という語感は何故か私に怖いものを連想させる。
子供の時分に親戚を訪ねて田舎に行った時の事だ。
庭に通ずる踏み固められた道に直径5mmほどの穴が幾つも開いているのを見つけた。
傘の先端で地面にぶすりぶすりと差してあけたかの様な穴だ。
誰がこんなに穴を開けたのだろうと不思議に思いしゃがんで眺めているとフッと、目の前に影が差し「ほら、穴に韮の葉を入れてごらん」とその影は教えてくれた。
それが誰だったのかもう覚えてもいない。
丁度そこに生えていた韮を千切って穴に差し込み何が起こるのだろうか?と興味深深に待っていると、やがて風も無いのに韮の葉はかすかにゆらゆらとゆれながら持ち上がって来る。
そこで葉先を持ってすーっと持ち上げると、不恰好で奇妙な虫が韮にかじりついて持ち上がってくるのだ。
その時「ニラムシだよ」と教わったのだが、これが美しいハンミョウの幼虫である事はまだ知らなかった。
私はその虫は韮が好物なのだろう、だから韮で釣れるのだと信じていたが、後にそうではない事が解った。
別段韮でなくとも他の草の茎でもかまわない。
彼等は穴の中で獲物の気配をキャッチしよう忍耐強く潜んでいるのに邪魔物が入って来たので放り出そうと一生懸命だったわけだ。
そんな苦労を知らずに人間が面白半分にひょいと穴から釣りだして遊ぶのだから、たまったものでは無いと虫は思っていたに違いない。

兎に角、ニラムシ釣りを教わったその日、私は長い事飽きもせず見つけた穴という穴、全てに韮の葉を一本ずつ差して監視を続けた。
乾ききった庭先で韮の葉が何本も地面から突き出しているのを、目を皿のようにして監視を続けた。
しかしその後どういうわけか、ゆれたと思えどそれは風の仕業か、一匹も釣る事が出来ず、初夏の日差し中で韮の葉がしおれて行くのを残念な思いで見ていた事がある。
埃っぽい空気が黄色っぽく焼けた匂いのする夏の思い出だ。

ハンミョウ頭部の拡大写真これにかまれたら痛いだろう。


*ハンミョウの森の夢はもう大分前の見た夢だが、今朝はどういうものかモーガン・フリーマンが美味しいと有名な屋台のフライドポテトを買ってくれるという夢をみた。

猫の中華料理店

2005-10-23 03:33:55 | 思考錯誤

土曜の午後。
電話が鳴った。
多分彼女かな?と思いながら電話をとった。
「○×○です」と私。
「こんにちわ~。××ですけれど、猫の件で電話してるんです。」
「???猫?」
「そう。だってそちら中華レストランでしょ?」 
(だからって、猫と何のかかわりがある?)
「いいえ、違いますよ。この電話は○×○に掛かっています。」
「ええ、そうよ。それで猫はまだいます?」 
(違うっていってるのに!)
「いいえ、違います。この電話はプライベート番号で、××市にかかっているんですよ。
お間違えになってますよ。」
「だから、そこは中華レストランでしょ?猫欲しいんです」 
「猫はここにいませんよ。」
「ええ?じゃ、犬なの?」 
(違うっていってるのがわからないのかなあ、ひょっとして、これはいたずら電話か?)
「いいえ、犬もいません!」
「じゃあ、いったいなのがいるって言うんです?」 
(呆れるなあ)
「ここに何がいればいいって言うんです?!」 
「そんなこと知らないわよ、私だって!」 
(あのね、いい加減にして欲しい)
「だから、私のところには猫も犬もいなくて、ここは中華レストランでもなくて、貴方は電話番号を間違えていて、勘違いしてるんですよ、わかります?」
「。。。。ああ、そお。。。じゃあ番号違ってたっていうわけ。。」 
(やっと解ってくれたのかも)
「そのとおり!!!」
「ふ~ん」
「だから、解りましたよね?そういうわけで、さようなら」
「OK.ありがと。良い週末を!それじゃ!」
といって彼女は元気に電話を切った。いったいどこでどういう混線が発生したのか?
私の想像では、
①彼女は猫が欲しかった。彼女の友達がどこそこの中華レストランで猫が生まれて困っているらしく、欲しい人に分けていると話したが、電話番号は知らない。中華レストランは私の住む町にあると言う事だけが解った。彼女はこの街の電話帳であてずっぽうにアジア人らしき名前を探した。そして我が家の電話番号を見つけた。
②全くいたずら。
③ひょっとして何か秘密結社の暗号、知らせ。

どういうわけか、我が家の電話に間違え電話をかけてくる人が多い。ある時は有名コーピー機の会社であり、ある時は医者、又ある時は家具屋、そして今日は中華レストランだ。
その後電話が何本か掛かったが手仕事中でもあったので、もう電話は取らないことにしたら、一年ぶりに聞く知り合いの声が留守電テープから聞こえてきた。

話は変わって、
今日は映画『皇帝ペンギン』を観に行った。自然のドキュメンタリーはいつも感動的である。
しかし、今回気に入らなかったのはペンギン親子の試練が人間風ドラマ仕立てになっていた事と、音楽。
同監督の『ディープ ブルー』が良かったのは、ここまで感情移入強制がなかったからなのかどうか?
これを好む人もいるかもしれないので、これはあくまでも私見。
映像は美しかったが、これに似た映像は昔も見た事があるように思えるのは私の思い違いか?
音楽も語りも必要ないと私には感じられた。


針葉樹の下の茸亡者

2005-10-21 01:23:25 | 自然観察

キノコの細い網の目のように張り巡らされた根は寄生する植物の根を傷めずに栄養分を吸い上げ、植物は供給の代償としてミネラルの吸収を手伝ってもらう。
このパートーナー関係の中にはお互いが特定の相手だけを選んでいるものも多い。この共生関係のシステムを見ていると、何て自然は複雑で美しく、素晴らしい事かと感心するばかりである。
秋になって、一雨降った後の森や野原に行くと色々なキノコが現れているのを見る事が出来る。先週は芝生にぼこリと大きく真っ白なマッシュルームが生えているのを見た。
残念ながら近所ではもう味の良い珍重されるキノコには出会えないが、それでも針葉樹の森の中をビニール袋を片手に提げ、まるでさまよう亡霊の如く、うつむいてうろつく人達を見かける。
(私は彼等を”茸亡者”とひそかに名付けている。間違ったキノコを食べて本当に亡者になりませんように!)
その亡霊たちはふかふかの針葉樹のカーペットの上をゆっくりと一定の速度でグルグルと歩き回り、突然バネ仕掛けの人形のように、ヒョコッとしゃがみ込み、しばらくすると何事も無かったかのように再び彷徨い始める。
亡霊たちが立ち去った後にそこに行くと、キノコを切り取った株が立っているきりだ。
礼儀正しい彼らは茸を引き抜くなどという野蛮なことはせずに”掟”どおり根を残す。
彼等が収獲したのはArmillariella melleaという茸だった。この茸は生食は禁物だが、
煮込んだりすればとても美味しい。
先日イギリス在住のAsis2005さんの記事にCoprinus comatusという茸の写真が載っていた。
この茸はシャギー キャップと言って若い内ならば美味しくいただけるが、傘が開いてしまうと美味しくない。(まあ、大抵の茸はそういうものだけど)
比較的この茸は特徴がはっきりしているので他の種類と間違える事は少ないが、これらを見慣れない人にはもう一つのCoprinus atramentarius 俗名インク キャップと間違える人もいるかもしれない。
このキノコも食べられる。食べられるのだが一つ難点があるのだ。
インク キャップを食べる前後にまたは同時にアルコールを摂取すると吐き気やむかつきをもよおす事があるらしい。これなど毒性といっても害の無い方でアルコールさえ摂らなければ問題ないわけだが、キノコのバター炒めの良い香りが鼻先をかすめたら、ワインの一本も開けようかと思うのが人情ではないか?
アルコール抜きで食べてみたが味の濃い美味しいキノコであった。
私はだからこのキノコを名付けて”禁酒キノコ”と呼んでいる。
ちなみに、ミステリー作家のルース・レンデルの作品のなかに”茸のシチュー事件”という短編があって、この2種類のキノコがキーポイント になっている。
今日は道すがらある庭先でおなじみの赤地に白い斑点が美しいAmanita muscariaベニテング茸が沢山顔を出しているのを見かけた。地面からまだ立ち上がりも少なく赤いボールが転がっているかのようだ。
このベニテング茸はどの本を読んでも毒性が強いとあるのだが、白戸三平氏の”野外手帳”(小学館ライブラリー)のなかに、このキノコを食べる話が出てくる。

【・・・・・・・・この東信地方では古くからベニテング茸と言う毒菌を大量に塩蔵して三ヶ月以上おいてから食用にしてきた。キノコのカサを少しあぶってさらに乗せておくと、どこからともなくハエが集まってきて、カサの上に止まるとやがてコロコロと死んでいくので別名”ハエトリ”とも呼ばれている。・・・・・・・・・】

このキノコの成分の中にイボテン酸というアミノ酸の一種が含有されており、それが美味しいらしい。もう一つの毒性はムスカリンでこれが悪さをする。
この塩漬けのうまみでうどんや雑煮のだしをとるのに欠かせないのだという。
そんなに美味しい物なのか?食べてみたくなってきた。
想像の味がかってにふくらみ飛躍し始める。危ないなあ。。。
さらに

【・・・・・・・・摂ってきてすぐに食べる時には一人一本が限度だろう・・・・・・・・・
すきっ腹、疲労、アルコールの三拍子が揃うとどうもやられるらしい。
・・・・・・実に味の濃いキノコなので先にこのキノコを食べると他のキノコは食べられなくなってしまうほどである・・・・・・・・】

とまでも書いている。
毒キノコのベニテング茸を食べる話は初めて読んだ。
しかし”ハエトリの塩漬け”という物が、こうなってくるとなんともおいしそうに思えて、思わず近所の庭先を見つめる私の視線の色はいやおうもなく変わって来る。
近いうちに私も茸亡者に変身するかも知れない。
(私を個人的に良く知っている人たちは多分この記事を読んだら、危ないなあとつぶやくに違いないが、まだこの実験をする勇気が固まっていないのでご安心ください。)

このキノコは文中に出てくるキノコではない。
先日森でキノコ観察をしていたら、
Phallus impudicusが沢山顔を出していた。
触ると妙にひんやりとブヨブヨしている。
白い皮のしたはゼリー状でその中に白い芯
が入っている。成長しきるとこれは腐臭
を放ち、ハエや昆虫を引き寄せる。
美味しくはないらしいが、物好きはこの卵を
輪切りにして焼いて食すということだ。
蓼食う虫も好き好きと言うわけだ。
                  
                   Stropharia aeruginosa 
この青いキノコはいかにも食べられそうにないように思えたが。実は食べられるし、なかなか良い食用キノコらしい。
この写真のキノコはカサの表面にヌメリがなかったので、もう若いキノコではない。
針葉樹の森などに出てくるのだが、これが沢山生えているとおとぎの国の風景を見るようで心楽しい。ちなみに私はまだ食べた事はない。
森で沢山のキノコを撮影したが、公開するほど珍しいものはないと思うので、今回はこれまで。
ちなみに、蘚苔類、地衣類方面大好分野なのでそちらの写真も撮りたかったが、今回はあまり面白いものが見つからなかった。

キノコの生態、キノコの形態、キノコの味。。。
キノコの話は尽きない。


ハロウィンの晩は。。。。

2005-10-19 20:55:16 | 思考錯誤
引き続きハロウィン関係。
ケルトの祭祀はこの日に左写真の根菜を刳り貫いて人身御供を出さなければいけない家々の前に置いたと言う話がある。多分この刳り貫きの根菜が後にカボチャと変化したのかもしれないが、どうだろう?
生贄の多くは子供であった。
昔々はドイツでもこの時期になると家畜や小さな子供達が失踪件数が増えたのだと言う話だが、この話の真偽はわからない。そんな事もあったかも知れない。  

ところで、ハロウィンの夜は暖かなソファの上でくつろぎながら、カボチャパイを一切れとシナモンのきいたカカオを飲んでお話を聞くのがいいかもしれない。
誰が話してくれるかって? 
一つも話を知らないって?
一つくらい話を暖めておいた方が身の為かも知れないね。
なぜならこんな話があるからね。
用意はいい?

今日はアイルランドのハロウィンの話。(註:翻訳後、多少の変更あり)
 
パディ エールンは度々リメリック領を旅する事があった。
道すがらあちらこちらで一晩の宿を借りていると、最初は親切そうな村人が次第に彼を歓迎しないようなそぶりを見せ始めた。
と言うのも、村人達は旅人をもてなす代りに面白い物語や歌を披露してもらい退屈な夜長を凌ぐつもりでいたので、彼にそんな術が無いと知ると相手にしなくなってしまったのだ。

ある晩、パディはうら寂しい野原の中の一軒屋のドアを叩いた。
ドアを開けたのは陰気で射抜くような目をした奇妙な男で
「おお、パディ エールン、よく来たな、入りなさい、そして暖炉の前にお掛け」と言った。
パディはあまりに驚き呆然として、一体何故男が自分の名前を知っているのか聞く事さえも忘れてしまった。
全てがなんだかとても奇妙だったのだ。
食事を終え、パディが与えられた寝場所でうつらうつらしていると間もなく、乱暴にもドアを突き破って、3人の男達が後ろ手に棺を引きずりながらずかずかと押し入ってきた。
パディは宿主を目で探したが例の男はどういうわけだかどこにも見あたらない。

「誰が棺担ぎを手伝うのかい?」といきなりその中の一人が言うと、他の2人が
「間抜けなことを聞くなぁ、決まってるじゃないか」
「そりゃあパディに決まってらぁ」
恐怖に震えながらパディはようやく立ち上がり男達を手伝って棺をかつぎ歩き始めた。パディが穴や茂みに足を取られるたび立ち止まると、ののしられ蹴っ飛ばされて、ようやくの事辿りついたのは、いかにも禍々しい雰囲気に包まれた墓地だった。

「誰が棺を塀の向こうに運ぶんだい?」とその中の一人が聞くと他の二人が
「間抜けな事を聞くな、決まってるじゃないか」
「そりゃぁ、パディに決まってらぁ」と応える。
パディは腕や足がバラバラになりそうになりながらも、何とか棺を塀の向こうに運び上げた。

「誰が墓を掘るんだい?」とその中の一人が聞くと他の二人が
「間抜けな事を聞くな、決まってるじゃないか」
「そりゃぁ、パディに決まってらぁ」
彼等はパディにスコップとシャベルを押し付けた。
墓穴がすっかり掘りあがると、又男達の中の一人が
「誰が棺を開けるんだい?」と聞く。
「間抜けな事を聞くな、決まってるじゃないか」
「そりゃぁ、パディに決まってらぁ」と他の二人が当然とばかりに返事をするのだ。
パディは気を失いそうになりながらも、地面に膝まづき螺旋を外して棺の蓋を開けた。
すると驚いたことに、あんなに重たかった棺の中は空であった。

「誰が棺の中に入るんだい?」
とその中の一人が質問すると他の二人は
「間抜けな事を聞くな、決まってるじゃないか」
「そりゃぁ、パディに決まってらぁ」と答えた。

彼等がパディを捕まえようと襲い掛かってきた瞬間、彼は既に走り始めていた。
塀を一っ飛びに越え野原を突っ切り、三人の男が追いつきそうになる度に、パディはありったけの力を振り絞って走り、なんとか逃げおおせたようだった。
しばらくして明るい光の漏れる窓を見つけた彼は大声で助けを求めながらその家の玄関にたどり着き、最後の力を振り絞ってドアがあくまで叩き続けた。
ドアがすっと開くと、そこにはなんと昨日の晩の陰気で奇妙な男が立っているのだ。

あまりの事にパディは気を失って倒れてしまった。
彼がようやく気がついて起きると外は既に明るく奇妙な男は台所で作業をしている。
パディは一刻も早くここを出ようと、どういうわけか昨晩の試練の跡形も見えない洋服を身につけた。

「まあ、お聞きなさい」と男は始めた。
「あんたが気の毒になってなあ。 一つの物語も歌も知らんお若いの。。だが今あんたは暖炉の前で披露する話が一つ出来たわけじゃ」
パディはそれに返事をせずに荷物を引っつかみ、走り出した。
できるだけ早くその家から離れたかったのだ。
かなり歩いてからバディが思い切って振り向くと、そこは何も無い野原が広がるばかりで、何頭かの牛が草を食んでいるのが見えるばかりだった。




バディは夢を見ていただけだって?
ちっとも怖くなかったって?
それじゃあもっと怖い取っておきの話の包みを開いてみようか。。。

骸骨を。。。食べる。

2005-10-19 00:52:33 | 飲食後記

                                     
                                   私の新しい前歯。。。。。。







 

。。。。ではありません。

これは。。。


  
ハロウィンテーマのグミ。骸骨、悪魔、ゴースト、カボチャ、蜘蛛、蟲、ドラキュラの歯、骨、その他判読不能物。 (髑髏は葡萄味で、案外美味しい。)

一昨日久しぶりに友人と街に出た折、グミ菓子専門店を覗いたらこんなものがあったので、思わず大きな一袋を買った。
実物大、目玉グミもあって実はそれを買ってやろうかと思ったのだが、つくづく見ているとかなりグロテスクでそれを口の中に入れて噛む事を想像したら買う気が萎えてしまった。
ここ数日胃の具合がよろしくないので、こういう人工的フレーバーの匂いがきつい。
一つ二つ食べてみたがどうも気持ちが良くない。
骸骨や悪魔をお腹に放り込んだら具合が悪くなるのも当然か?

ドイツでは11月1日の万聖節(聖人の日)は祝日だが、ハロウィンはアメリカ経由の新しい祭りだ。
日本のアメリカ経由クリスマスと同様 ”Let`s have a fun!” 趣向で入って来たので伝統的なものでは無い。最もその昔はケルト信仰の影響はあった事だろう。
いずれにせよ賑やかな、にわか悪魔やにわか魔女が横行する事は無い。
ハロウィンは ”万聖節=All Saints” の前夜と言う事で ”All Saints Eve" である。
その同義語 ”All Hallowmas Eve" から ”Halloween” となった。
ケルトの収獲感謝祭であり、夏が去り冬が始まるこの時期に死者の霊が地に降りてくる信じていたのだ。11月2日は万霊節(死者の日)で死者の霊を祭る日。
私はハロウィンよりも万聖節のイメージのほうが好きだ。
諸聖人がふっと、人少ない公園の池の淵に立っていたり、教会の庭の菩提樹の枝に乗っていたりするのをかってに想像してしまう。
これはほんとに私の気ままなイメージだ。


しかし、この大きい袋どうしようか?
魑魅魍魎がぎっしり詰まっているんだけど。
そこで口を大きく開けている人は誰かな?


黄金の十月

2005-10-18 17:42:58 | 思考錯誤

黄金の十月。黄葉した樹の下に立って見上げると黄色の天蓋のところどころに空色の斑が見える。風が吹くたびにチラチラと葉がゆれて空が見え隠れしているのをジイッと眺めていると、なんだか見えない誰かが私に暗号を送っているかのように見えて来て、思わず解読しようとしてしまう。チラ、チラチラ、チラチラ、チラ、チラチラチラ。。『お・や・す・み。。。オ ヤ ス ミ 。。。』
じっと耳をすませていると、間断なくしゅるしゅる、するり、こつん、ころころころと言う音が聞こえてくる。木々の葉の間をどんぐりが落ちて行く音。日溜まりに座ってのんびりしているとぽかぽか暖かく、ぼんやり暗号解読しているうちに眠気がおそう。
しかし、こんなところで眠ってしまってはいけない。黄金の十月といっても、もう秋も終わり、風は冷たくなってきた。ここはエッセン・ヴェルデンという街にある教会横のベンチなのだから、居眠りしたら風邪をひく。
折角来たので、教会に入ってみよう。
このルディゲルス教会はもともと修道院教会であり土台は10世紀に建てられ火事災害での建て直しをへて現在に至っている。聖ルディゲルスは病を治す奇跡で有名だとある。初期から後期ロマネスク様式を土台に、中央祭壇はバロック様式のきらびやかな装飾が薄暗闇の中で鈍く輝いている。時の筆が絢爛な装飾に古つやを与えて、良い味を出している。
外に出ると、明るい秋の日差しが眩しい。教会の脇のちょっとした広場には市場が立っており、買い物客で賑やかだった。
                  
                 クリプタにある十字架とステンドグラス
エッセン・ヴェルデンに行ったのはその街にある小さな画廊に小品を届ける事になっていたからだ。この画廊には何度かお世話になっていたが、不況のあおりをまともに受けて今年14年目で閉業することになってしまった。それで今回はこの画廊にかかわっていた11人の展覧会。冷たい風がふいているなあ。

いや、気を取り直して、美しい黄金の十月を余さず堪能しよう。どんぐり達の奏でるリズムを聞きながらザクザクと落ち始めた葉の山の上を歩くのも楽しい。拾ったどんぐりがポケットの中でコロコロ踊る。


象の大蒜

2005-10-16 04:05:41 | 飲食後記

大蒜が欲しかったのでスーパーマーケットに買いに行き、ああ、これこれと思って手に取ったらなんだか様子がどうも違う。やけにくるりとまわるくて小振だ。
                            
その上いくつもが小さな網籠に入ったパッケージが可愛らしいので買って来た。 さて、使う為に皮をむくとなんと普通の大蒜のように房がなく、チューリップの球根のようなのだ。どおりでつるりと丸い筈。 
              
籠に下がっている札を良くみるとそこには”大蒜風の塊茎”とあるが名前がない。成る程、兎に角普通の大蒜ではないらしい。
今日市場の八百屋でキノコを買っている時、ふと横を見ると又この可愛いまあるい大蒜風球根が籠の中に転がっていて、名札を見ると”エレファンテン クノーブラオホ”(エレファント ガーリック)と書いてあった。
お店のおばさんとキノコノ食べ方について話をしていたら、この球根の出所を聞くのを忘れて帰ってきてしまった。                
                 
後でインターネットで調べてみたが、今ひとつはっきりしない。"エレファント ガーリック”と言う名がこの姿のどこから出てきたのか、不思議である。(どなたかくわしい事をご存知のかた居られませんか?)
いずれにせよ、味は普通の大蒜と変わらない。沢山大蒜を入れたい料理には大変都合がいい。

上の写真は市場の八百屋である。今でこそ様々な野菜であふれているが、私がドイツに来た当時は本当に品数が少なく、特に冬は絶望的だった。
山のようなジャガイモ、石のように硬いキャベツ、人参、以外は季節のものが入れ替わり登場するとはいえ、寂しい店先で日本に帰ると、スーパーマーケットなどまるでワンダーランドの様に感じたものだ。実際目が回ってしまい気分が悪くなったこともあった。
今ではドイツの八百屋も豊富な品揃えで食生活も随分楽しくなったものだ。
                                              八百屋のおばさんがオマケにくれた小さな果肉の赤いオレンジ。ルビーレッドと名前がかいてあった。愛嬌のある包み紙。おばさんはキノコもおまけしてくれた。


黒い花

2005-10-14 00:08:43 | 植物、平行植物
                                    
            
本当に黒い花はこの世には実在しない。植物は黒い色素を持たない。アントシアン類の色素が多いと黒みが勝ってくるだけだ。それでも黒い花作りに精を出す人々がいるし、好んで集める人もいる。
在りそうに無い不自然な色であるからこそ見たい、欲しいと思ってしまう。黒い薔薇、黒いユリ、黒いダリア、黒い朝顔、黒いチューリップ。。。。。。
今、私の手元で黒いヴィオラが咲いている。もちろん黒ではなく黒に近い紫だ。光の加減でどうかすると漆黒に見える。
しかし、花が本当に黒かったら、それは異質で怖いように見えるに違いない。限りなく黒に近い紫、限りなく黒に近い臙脂ぐらいが良いのだ。花びらの表面の凹凸差が大きいと光は乱反射してビロウドのような光沢を見せ、山の陰が暗く見えるので、より黒々と見えるという。
このビロウドの様に絹の光沢を持つヴィオラの黒々とした花びらを見ていると、思わず指の腹ですっーと触れて味わって見たい気持ちになる。つるりとしていながら指先にまとわりつくような、冷んやりとしていながらあたたかいような感触だ。この黒い花をコサージュにして金髪の髪をした女性のくびもとに止めたら、さぞ美しい事だろうと想像する。

夢遊 Ⅳ

2005-10-13 20:13:57 | 夢遊
その森は冬でもないのに殆どの木は裸だ。
私は複雑な歩き方で木々の間を蛇行しながら向こうに見える明りに向って歩いている。虫が灯りに誘われるように何が何でも急いで光源に辿りつかねばいけない気持ちになっている。
あたりは裸の木はかりなのだから頭上は明るい筈なのにどうしてか薄暗い。
だから前方の光は目が眩むほどだ。グルグルグルグルと渦巻きながら歩くので光源は近づいたり遠ざかったりしながら、なんとなく前進してはいるらしい。遠いなあと思ったその途端に明るみに放り出された。
そこは知らない寂れた村で、突き当たったのは商店街らしい。。。らしいというのは私の視線方向以外は眩しくてハレーションを起こした写真のようでよく見えないからだ。
私はある店の前に立っている。それは古臭い鄙びた店で白地の看板に黒ペンキで“たたたたたたた”と書いてある。“た”が7回続いていた。
店を眺めるとそれは本屋で、昔行ったことのある古本屋によく似ている。
中に入って本を見たいと思ったが、背表紙の字がよく読めないので選ぶ事が出来ず、途方に暮れていたら目が覚めた。
あの本には何が書いてあったのだろう?
開けると“た”しか書かれていなかったのかもしれないのだけど。
                 

8階建ての建物から外を眺めている。ああ、向こうに見える緑は水神様だろうか。左手はるか向こうに高層ビルが見えている。
(ドイツに来る前、私は西早稲田の都電面影橋前のマンション8階に住んでいた。)
ふと上を見上げると空に大きな、実に大きな“地球”があって、それは私の視界の4分の一程を占めているくらいに大きく手を伸ばせば触れられるかのようだ。
地球儀のように日本は黄土色で焦げ茶の陰をつけて真っ青な海の中に存在しているのが見える。「ああ、あそこに彼等がいるのだなあ」と思いながら、すぐに届くから大丈夫だなあ、と心に思う。
視線を水平に戻した時、右のほうに気配がしてそちらを見るとまた別の惑星がゆっくりこちらに向って動いてくる。月だ。
目の前を通り過ぎて間もなく今度は火星が通る。その後水星、木星、金星も土星もそれぞれゆっくり通り過ぎる。どうやらマンションの周りを回っているらしく何度も回ってくる。中にはビーチボールで出来た星もあったりするが、一定の速度で回って行くのだ。それはいつまで見ていても飽きない光景で、目覚めた時には「ああ美しいものを見た。」と幸福感が残った。

Tの字

2005-10-09 01:48:37 | 自然観察

「ヘイ、○○!全く自然のやることちゃ、なんだか面白くって不思議なもんだあ。。。最近街の中でもいろいろ昔見たこともないようなもんが出てきたりしてなあ。。。。
いったいこいつは妙な奴だよなあ。。。」と、さっきから画廊のショウウィンドウについた小指の先ほどの汚れを躍起になって取ろうと雑巾を振り回していたPiがボゾボゾと何か言っている。どうやら私に向って話しているらしい。
「なに?」と言いながら彼が指差す先をみると、小さな縦横2cmほどの薄茶色の”Tの字がガラス窓にくっついている。
「へええ。。。面白い!何だろう?何ていう虫だか知っている?脚が4本しか見えないけど変だね、なんだろうか?」と振り返ると、
首を横に振りながら
「こりゃ、Tの字だよ、Tの字。パーフェクト!パーフェクト!!」と言って感心している。
「最近、こんな街の中なのにお祈りしながら道を歩いている蟷螂も見たし、こんな変な奴もいるし、なんだか妙だなあ」と目を丸くして言う。
私は早速カメラを取り出してピントが合っているのかどうだか確認できないままに取りあえず写真を撮った。
そのうち、背中のすぐ後ろで、わあわあ言う我々を疎ましく思ったのであろう、いきなりこの細い横棒から羽が現れてパタパタと飛んでいってしまった。
「へえ、あいつ飛べるんだ!あいつ羽があったんだ!何て奴だ!”の字が飛んでゆくぞ!」と喜んでいる人間の大人3人(それもかなり年を食っている3人)を彼は呆れていたに違いない。
           
           
家に帰ってから早速調べるとこの虫は”Emmelina monodactyla” 〔トリバガの種類〕と言う名前を持っている。横にピンと張った”棒”のしたには4枚の繊細な毛の生えた羽が丁度扇のように畳まれており、後2本の脚は腹にきっちりと添わせてある。なんとも奇妙な虫だ。

”T”は我々を見放して行ってしまったので、我々もそろそろ家に帰る支度を始めた。

10月8日オランダ、ロアモンドの画廊のガラス窓の前にて。