散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

食物誌

2005-05-31 04:58:40 | 読書感想
”食”をテーマにした本が集まってきた。
食べ物のレシピ集はもとより面白いものが集まったが、"食”にまつわる、こだわるエッセイ。"食文化の歴史”などは特に興味がある。

”Alles was Gott erlaubt hat(神が許した食べ物)”・・・新約旧約聖書の中に出てくる食べ物、食事のシーンなどが、分類されているのが面白い。アブラハムの台所で客人に何が出されたのか、洗礼者ヨハネの食べたのはイナゴか豚の背油か、黙示録のメニューなどが、聖書を引き合いにしながら延々と続く。
"Kultuegeschichte des Essen und Trinken(飲食の歴史)”・・・人間がはじめて作った料理はなんだったろうか?という話や、古代から現代までの世界各国様々な国の食文化の比較をしているところが面白い。
”What Einstein Told His Cook(アインシュタインが彼コックに言った事)" ・・・これはよく一般に言われる料理の規則、例えばスパゲッティをゆがく際、湯に塩を入れる事が本当に必要かどうか?という疑問を科学的に実験室で答える。
”Kulinaritaeten"ある女性ジャーナリストと小説家手紙のやり取り。テーマは食べ物について、個人的に料理で苦労した事や、食べた事など、それにまつわるエピソードに限られている。
"華やかな食物誌”-澁澤龍彦。こういう本は楽しい。
”Das Kochbuch des Mittelalters-中世の料理”・・・中世のレシピ集。
”典座教訓、赴粥飯法”
”16品の殺人メニュー”これはいろいろな食がらみの短編推理小説。
まだまだ面白い文献が沢山ある。

空腹で無くとも、食べ物の事を考える、味わってみる。
毒の危険があろうと食べてみたい、食べる。
こうしたらどうだろう?と実験してみる。
これらは人間の特許みたいなものだ。

いろいろ見ていると、人間は何でも食べてしまうのだなあ。
だんだん思いは別方向に流れてゆきそうだが、今回は単に面白がるところで打ち切ろう。

料理のシーンや食事のシーンが面白い映画というのもとても気になる。
まあ、食いしん坊なのだといってしまえばそれまでかもしれない。

”食”にまつわる面白い話をもっと集めてみたい。面白い本をご存知の方居られますか?



さて、今夜は何を食べようか。

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全く”食”と関係ないがコクーンがその後どうなっているか知りたい人が居られたら、こちらにリンクしてご覧ください。

好奇心

2005-05-30 21:20:56 | 美術関係
今朝Eメールの受信箱を覗くとポツンと1通入っていた。
見知らぬ人物からだが私宛である。
開けてみると一枚大きなサイズの写真が入っていた。
上の写真がそれである。

これは人間の瞳ではない。
これはビー球の写真ではない。
これは深い穴を覗いた写真でもない。
これはかえるの卵でもない。

先週末オランダで展示をした時に、私のオブジェを一生懸命眺めては写真を撮ったりしている御仁に私は気がついていた。
なんだか楽しそうなので、少しはなれたところから眺めていたのだが、言葉を交わすことも無く
行ってしまった。
私の名刺は机に置いてあったので、それで先方はあて先がわかったわけだ。
写真はその人からなのかどうか、もちろんはっきりはわからないが、多分そうなのではないかと思っている。
それは小ぶりの作品で、比較的高い位置に展示した為、たいていの人がきちんと中を覗くことが出来ない。半球に丸い穴が穿たれレンズが設置されているので、中に入っているテキストや写真が拡大されて部分だけが見える。意地悪な話だが、そうしてみんなの反応を楽しみに眺めてみたのだった。
見えない!と訴えられても、こちらはニコニコと無視するだけだ。
見えてしまったら納得してそこでおしまいという事もありえる。見えなかったからこそ、好奇心は募るばかりで後を引き、夢にまでも見るかもしれない。そういう気持ちで帰ってもらいたかったのだ。

映画リスト

2005-05-29 23:06:57 | 映画の話
映画。
私は多分かなり映画を観ている方なのだと思う。それも何でも見てしまう雑食的映画鑑賞型。
B級フイルムもそれなりの見方をすると楽しいのだ。
最近では映画館で観るばかりではなく、ぼんやりしているともうDVDが出てしまうので、その手段で見ることも多くなった。
どういうわけだか、ドイツのTVは映画がとても多い。一つにはドイツのTV放送局が自社番組を作る気がないらしくて、すぐ映画やアメリカのシリーズ物を買い込んでしまう。それだからドイツのドラマや映画は育たない。それに最近つまらないリアリティーTV物や、クイズ番組などで、一つあたるとどちらの局も殆ど見分けのつかない番組しか作らない。何でもアメリカの真似をするのだけど、それがどうにもいただけない。
まあ、兎に角、だからTVでもよく映画を観る事になる。
このところ、いくつかのブログで”好きな映画リストを見かけて私も書き出して見ようと思いたったのだが、しかしあんまり多すぎて、大変で、くじけた。10作選ぶとか、そんな事はとても出来ない。例の、もしも無人島に。。。。という状況設定で選択するには、もともとDVDやヴィデオなんて、電気のないところで無理な話なんで、そんなことは考える必要はない。
とはいえ、何しろもう長い事、殆どの映画をドイツ語で見ているので、という事は題名もドイツ向けに変わっていたりする。日本でも原題からかけ離れた題名に変更されている事が多いが、それはドイツでも同様なのだ。う~んこれは大変な作業だな。
これは殆ど、30秒以内に一つ思いつく映画、今もう一度見たい映画を書き出して見なさい、というゲームになった。

Big Game : アメリカ。50年代イタリアからレストランを開業する夢を持ってやってきた2人の兄弟が、”アメリカ人の味覚の違い”という障害にぶつかる。兄弟それぞれの思惑絡んで話がよじれてゆくがハッピーエンド。主役2人はアメリカの名門レストラン2件で料理の修業をしたのだそうだ。

The Cider House Rules : アメリカ。マイケル ケインがいい味を出している。

バベットの晩餐会 : 料理するシーンが良い。食は人をつなぐ。映画の中に出てくる料理はかの有名なオーギュスト エスコフィエのメニューだという事を聞いた。食べてみたい。

デリカテッセン : フランス人だなあこの感じ。この空気が好きだ。世紀末SF的異次元空間。

アメリ : フランス映画で最近大ヒットだったこの映画。映像のセンスが良い。捨てられた写真を集める青年役の彼は監督業もしていて“クリムゾン リバー”なんていう映画を撮っている。"クリムゾン リバー”にはJ.レノが出ているけれど、この人は”Leon” が一番好きだ。

アントニアの世界: オランダ映画。4代にわたるの強い女たちへのオマージュ。体験的人生哲学。
気持ちが良い。映像も良い。オランダの映画の中にも幾つか面白いと思うものがあるので注目している。

Pi : ローバジェットで、よくまとめたなあ。コンピューターの形態が面白い。

2001年オデッセイ 宇宙の旅 : 道標のような映画!何度も拝むように見たものだ。

スターウォーズ : 特に最初の3巻がよい。ヨダ仙人に弟子入りしたかった。エピソードⅢはもう始まったが、まだ見ていない。初日は仮装したファンが大勢詰め掛けたようだ。

ブレードランナー : P.K.ディック ファンとしては、彼の原作映画化は全て観ているが、これが一番。トータルリコールもマイノリティ リポートも私には今ひとつ。暗闇のスキャナーがそのうちに来るらしいが、残念ながら期待はしていない。観に行くだろうけれど。

リズム イズ イット! : 実に良く出来たドキュメンタリー映画。テーマに興味があったので興味深かったし、感動もしたので過去の記事にも登場した。まじめにじっくり撮っている。

ロッキーホラーピクチャーショウ : やっぱりこれは楽しいでしょう。

Cube : 意表をつく展開が面白かった。”サイバーキューブ”の方は”残念でした。”

ブエナヴィスタ ソーシャルクラブ : 何てことない内容なのだけど感激する。音楽イコール生きる事、呼吸。

薔薇の名前 : 難しいながらも何とか気合で読んだ原作、この映画もよく出来ている。私が観た時、豚のシーンでどういうわけか映画技師が音のボリュームをいきなり上げてしまって、観客が皆一斉に飛び上がり ”もっと音を小さく!”と一斉に叫んだ。ベルリンの映画館だった。技師は居眠りでもしていたのか?

指輪物語 : 昔のトールキンファンとしてはこれも数に入れなければいけない。

マトリックス : 新映像方法を編み出したのはすごい。 でも後の2作はちょっと余分。

ストーカー : 原作は好きだから言う事はないとして、タルコフスキーの世界もいい。

惑星ソラリス : タルコフスキーの旧バージョン。アメリカ焼直し版も見たけれど、全く面白くなかった。

サクリファイス : やはりタルコフスキー。もうそれだけ。

ノスタルジア : 美しい。詩的なラストシーン。もう一度見なければ。

The General : イギリス、アイルランド合作。実在の名泥棒Martin Cahillの話。

Living in Oblivion : スティーブ ブセミが面白い。神経の参ってしまった映画監督に振り回されるクルー。。。

トリフィドの日 : 原作はジョン ウィンダム。宇宙から飛来した未知の生物が植物と融合(?)モンスター映画。ちょっとねえ。。。という話の展開も許せる60年代SFの代表。

パン と チューリップ : かわいい大人達。日本題はなんと”ベニスで恋して”この題名をみたら私は映画館に入らなかっただろう。

スモーク : 毎日同じ街角風景を、自分が盗んだかカメラで写真を撮る、その写真のアルバムをみながら2人の男がしみじみしているシーンはいい。(あのアルバム欲しいなあ)ラストも泣かせる。

ダウン バイ ロー : 3人の会話がなんともいえない。森の中でロベルトが何故牢屋に入れられたかの過程を語るところがなぜか印象的で記憶に残っている。

カリガリ博士 : 舞台美術が気に入ったのだけど、ラングの映画では”怪人Dr.マブセ”が面白い。2重映しに撮った映像が実に怖かった。もちろんメトロポリスも好きだ。

The Dish: 羊の群れに囲まれた、天文台が、月面着陸の中継を引き受けたが、嵐が起こって大騒ぎ。どういうわけか、好きな映画の中に沢山オーストラリア映画がある。

Priscilla : これもオーストラリア。焼き直しをしたアメリカ版も見たのだが、やはりこちらが私としてはこちらに賞杯を。ドラッグクイーンたちの珍道中。人情物。

Die Bruecke 橋:ドイツ映画。戦争映画は腐るほどある中で、これはなかなか戦争の悲惨さがよく描かれていた。戦争の意味が完全に把握できていない少年兵達が、現実に当面にする。戦争映画ではあるがシーンとしたイメージだった記憶がある。遠くから戦車の音が地被いて来る音が印象的で鳥肌たった。

WaterWorld : 主人公が乗っている”ボートの仕組み”をみるのが好きだ。あれを見るたびに拍手したくなる。乗ってみたい。

An Angel At My Table : ニュージーランド。J.Campion なんでなのか何度も見てしまう。個人的には話題になった”ピアノ レッスン”より気に入っている。

Dark Star : 胸を張ってB級映画!哲学的になってしまう爆弾がいい。

Yamakasi : フランス。高層ビルをよじ登って制覇する若者たちが主人公。ロビンフッド的趣向。
リズム感が合って、楽しい。よじ登りシーンもなかなか良い。しかし、題名の意味がいまだによく解らない。

困ったなあ、まだまだある。忘れているものも沢山ある筈だ。でもこの辺で打ち切らないといつまでも連ねてしまうのでお終い。


ここ2,3日夏日が続いた。スペイン方面から暑い空気が押し寄せた。
金曜日、土曜日とオランダの小さな町での展覧会があって会場につめていたのだが、ホールの中で陽に焼けてしまった(!)くらいだ。
暑くて客の出足は悪かった。
今日も良い天気だが下り初めている。来週は平常に戻って曇天雨天の予報。
そうしたら、”エピソードIII”を見に行こうか。

蘇る廃墟

2005-05-27 02:38:17 | 美術関係
この写真はホールとして完成する以前の状態。


ルール工業地帯には沢山の廃墟が点在する。
古い工場、倉庫、鉄鋼、炭鉱関係の様々な施設の成れの果てだ。
美術館、画廊、コンサートホール、イベントホールなどとして、それらは、徐々に手が入り、新しい目的を与えられ、その開発は世界的にも注目を浴びている。それぞれ独特の雰囲気を持っていて面白い。
私はもともと廃墟、廃屋瓦礫の中を散策するのは好きなので楽しいのだが、だんだんに探検の余地ありの”本当の廃墟”は減ってきているようだ。
その中の一つの建物の改修が1993年に終了し、多目的ホールとして再出発した。


Bochumという街のはずれにある”Jahrhunderthalle"(世紀ホールとでも言ったらいいのか)は旧鋳鉄鋼工場のゲレンデ(8,900平米)の中にあり、長い事廃墟同然となっていた。
ホールは工場だったとはいえ、機械を取り払われ広い空間はどちらかというと聖堂のような趣がある。

2年前に”ルール トリエンナーレ ”という新しい企画が発足し、その中のコンサートの一つをそこで聴くことがあった。
出し物はメシアンのオペラ、”アシジの聖フランチェスコ”で、5時間半の演目だ。オペラ座の雰囲気と違いフェスティバルであるから、人様々ないでたちで、ドレスアップの婦人がいるかと思えば、スーパーマーケットの買い物袋を提げてサンダル履きの輩も見える。
特別蒸し暑い日で、場内の空気はよどんでいる。
会場がすっかり観客で埋まり、演奏が始まる直前の緊張感が張りつめるのが目に見え、オーケストラが演奏を始めたその瞬間、私の席から20列ほど前の若者がいきなり立ち上がった。
そして”いやだ、違う、そうじゃないんだ!お父さん、お父さん”と声を限りに叫びだしたのだ。我々は何が起こっているのか見当がつかない、見回せばどの客も似たリよったりの反応だ。ひょっとしてこれは何か"芝居”の宣伝か?パフォーマンスと言う事もありえるか?。。と
繰り返し”お父さん”、"いやだ"と叫び続け、隣の女性の腕を捕らえて席から引きずりおろそうとしている。ようやくこれは尋常ではないと思いはじめた頃に、係員達が四方から飛んできて若者を押さえようとしたが、彼は目くら滅法に走り出してしまった。係員は”協力してください。お医者さんいらっしゃいませんか!”と叫びながら若者を追いはじめた。幾人かの観客が手伝うべく立ち上がって様子を見ている内に、若者は廊下に走り出た。

演奏は始まったが若者がいまだ叫びながら廊下を右に左に走り回る音がはっきり聞こえてしくる。
ざわめきは徐々に低くなり、やっと静かになってからも、しばらくはオペラに集中できず、客は皆心ここにあらずの様子だった。

そんな事があったにもかかわらずオペラはとてもすばらしく、メシアンを5時間半も通せるかという懸念もいつの間にか消えていた。

舞台美術はイリア カヴァコフというロシアの美術家が担当し、能舞台のように様式化された簡素な舞台の中央に、聖堂の丸天井を模った大きな光のオブジェクトだけが据えられ、場面によって色を変えると言う仕組みである。粛然とした伽藍の内部を思わせ、あるときは情熱を、あるときは至福を色彩で表現してゆく。私には気にいった舞台美術だったのだが、なぜか賛否両論だったと後で聞いた。
今回の"ルール トリエンナーレ”の総監督はザルツブルク音楽祭で手腕を振るったモーティエで、さすがにすばらしい企画だった。

真夏日の夜である事もあって、ホールの外に沢山並べられたろうそくの火は、古い倉庫の壁をどこかイタリアの町のようにも見せ、蒸し暑い夜は、どこか日常から外れたような雰囲気を持っていた。

廃坑や工場の再利用として、今回の企画は完璧だったが、まだなかなか思うように運ばれていない様に見えるのが残念だ。

明るい時間帯に周辺を探索すると、それも不思議な魅力があって、まるでタルコフスキーの世界に入り込んだかの様子な風景も見られる。
廃墟や廃屋の魅力についてはそのうちに又書く事にする。



ところで、叫ばなければいけなかった若者は今頃どうしているのだろう。

花の絨毯

2005-05-25 19:20:37 | 思考錯誤
明日5月26日はローマカトリックの祝祭日 ”Fronleichnam - フロンライヒナム" (聖体の日)。
聖霊降臨祭から10日目に祝う。
Fronleichnamの”Fron”は”Herr(主)”、”Leichnam”は”Leib(体)”で、聖体を祭る。
家の軒先、前庭には紙で作られた花が飾られ、祭祀は聖体が納められた”Monstrant"(聖体顕示台)を頭上にかかげながら練り歩く。
友人が子供の頃、彼女はカトリックの強い田舎に住んでいたそうで、この日は子供たちがめいめい籠に野の花を摘み、道に敷き詰めて、それは美しく、子供心に楽しい祝い日だったそうだ。
カトリックの強い場所によっては今でも花の絨毯を作るようだが、私の暮らすこのあたりでは見かけない。
船の行列などというのもあるらしい。

明日の天気予報は31度。 予報どうりなら、いきなりの夏日は辛いものがある。

コクーン 

2005-05-24 16:49:25 | 製作記録
崩壊までどれだけの時間がかかるのだろう?  発芽までどれだけの時間がかかるのだろう?
土の寝床の上で、繭玉の中には土と種が仕掛けられている。 観察中。 毎日記録をとる事。

5月22日。


5月23日


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関連記事Particlezoo

2005-05-24 00:00:41 | 自然観察
河岸を散歩をしていると、かすかにキリキリ、ギリギリ、ミシミシという音が聞こえて来たので、
その音の根拠地を捜すと、大きな木陰を提供してくれるポプラだった。
根元は水のせいで土がえぐられる為にウサギが棲める位の穴が出来ている。
両手でやっと抱えられる位の幹に手を押し当ててみると、そのごつごつの樹皮は乾いていて、太陽の日差しを受けて心地よい暖かさを貯蔵している。
河岸は風が強い。
水位が上がって水びたしになることも多い地盤はあまり具合が良いとは思えないが、樹はそれぞれの状況に適応しながら生きている。
その樹を調べてみると丁度目の高さ程のところで幹が分かれていて、それはそろそろ重力に耐る力を失って来ているらしく、少しずつ裂けてきている。音はどうやらそれが原因だった。
風が強くなるにつれて音も大きくなる。まるで呼吸をしている様だ。
風が吹く。。ミシミシ、キシキシ。。。風が吹く。。ギシギシ,グググググ。。。
。。。という事は、こうして樹に抱きついたり、眺めたりしているうちにバリバリ、メリメリと裂けて私は樹の下敷き!という事態を想像して内心ドキリとして後じさりしたが、まだしばらく大丈夫な様子だ。
この状況が少し進展して危険性も出てくるとなると役所が樹にとてつもなく大きなボルトを打ち込むのだろう。かなりハードな対処方だか、樹勢がよければそのボルトを取り囲むように育って行く。

"ドイツの古い樹木”という写真集を持っていて、そこに出ている樹を幾つか見に行ったことがある。(下の写真)
誰も見ていなければ動くのではないかと思うほどの存在感だった。
大きな古い樹の幹に触ると声が聞こえて来そうだ。



左側の木はドイツ菩提樹樹齢400年から700年とある。


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先ほどニセアカシアの木の下をとおったら、ジャスミンに似た香が充満していた。

続けて散歩ゲームNo.2

2005-05-23 00:10:43 | 散歩ゲーム
今日も先週の日曜日に引き続き天気が良いので散歩に出る。
先週ここに展示した(5月17日の記事)”散歩ゲーム”をもう一度繰り返すのはどうかとも思ったけれど、このゲームを日本で楽しんでくれたAmehareさんの散歩との関連もあるので、引き続き散歩ゲームを掲載。 
Amehareさんのブログも合わせてごらんください。
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Amehareさんは通いなれた図書館に向かう道を選んでいる。この選択はうれしい。
私の散歩道は特に美しいからという事で選んだわけではなく、いつもの歩きなれた散歩道であって、写真を撮る時も、カメラを持たずに考えるために歩く時も、運動不足だから早足で歩く時も、客人と腹ごなしに歩く時もこの道なのである。
-でも、実を言うと街の中の散歩ゲームもしたいという気もしている。-
100歩毎に写真を撮ろうとすると、うまく撮りたいものが取れなかったりするので、大股で歩く、小股で歩く、なんて事もやってしまうのだが、自分で作ったルールに案外縛られて”ほぼ忠実”だ。ほぼ。。。その辺の自分とのやり取りはなかなか緊張感があって面白いのだけれど。。。。
”暇だねえ”と呆れられるのかもしれない。

私の作品の中の一つにこのブログタイトルでもある”散歩絵”というシリーズがある。
100歩毎ではないが、散歩中のスナップショットを小さな本に仕上げてあって、現地で拾った”小さなもの”が付属しているというものだ。
作品を作るために散歩をするわけではなく、散歩をしたので作品が出来た。
だからそれらはとんでもなく田舎だったり、人知れぬ地がおおい。
本のオブジェを専門に扱うある画廊主が、アメリカに作品を持って行くので”散歩絵”を持ってきて欲しいという。何が良いかなとリストを見せると ”う~ん、いいんだけど、もう少し有名な都市がないの? 向こうでも、誰でもがわかるような?”といわれた。 
フム、大都市ね。
最近はいくつかの大都市も揃ってきたけれど、私はあまりそういうところに散歩に行かないのだなあ。

この写真はそのうちにもう少し大きくホームページにも掲載するつもりでいる。

それでは、5月22日の散歩ゲームの結果です。
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スタート!


はじめの一歩。すぐに左へ。

標識に青いビニール袋がかぶっている。

街灯。丸い街灯。

遮断機。線路を横切る。

西洋ニワトコの木に挨拶しながら、まっすぐあるく。

焼け焦げのブラシ。なぜ?

ジョギングの若者。赤いシャツ。土手のわき道。河沿いに向かう。

水。ライン河岸。

水の中の四角い舗石。

誰かが捨てた土まみれの空き瓶。

ミシミシミシと音がする。。まもなく木が半分に裂けそうだ。

何の記号だろう?

橋桁に描かれていた。誰?

整備された遊歩道。ここでU ターン。自分の靴のつま先。

柱。幾つか立っている。接近。

道路。草。生命力!

子供の頃”ポポンタ”と命名したタンポポの綿毛。

木苺の花の影。可愛らしい影。

影。家路を急ぐ影?

ゲームオーバー
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前回とほぼ同じ工程を歩いたが、写真を撮った区間が違っている。ほぼ9キロ歩いた。
同じ区間の同じ場所で写したゲームの日もある。
殆ど変わらないものもあれば、雪に覆われて別世界になっていたりする。
暗い空の日、明るい空の日。
風景も変化するけれど、
自分自身も変化している。

万能植物

2005-05-20 16:02:02 | 植物、平行植物
西洋ニワトコの花を乾燥させて保存。風邪気味のときに入れて飲むと良い。


蜂蜜とマスカットを混ぜたようなふんわりした香に引かれてゆくと、”西洋ニワトコ”の花を見つける。
今年も咲き始めたのを見かけた。
時期がら植物の話が続いてしまう。

ラテン名:Sambucus nigra。ドイツ名:Holunder。

どこにでも生える丈夫な木で白い雪にたとえられる花は地味だが、昔からこの木の持っている多くの効用は知られていて”ありがたい木”なのだ。
民話にも2,3出てくるし、いろいろな迷信にも登場するので面白い。中でも有名な童話に”Frau Holle" (ニワトコおばさん)がある。

*6月24日は”Holdertag”  とも言われて、この日に新鮮な西洋ニワトコの花のパンケーキを作って食べるとその年はは病気にならない。もっとも最近は昔より暖かいからか、6月24日には花は終わっている事も多い。
*この木を切る時には、その前にひざまづき木の精に許しを請わねば不幸がおこる。
*アイルランドでは、この木で家を建てたら(もっとも大木ではないし、建材向きでは無いが)不思議な事が起こるのでいけないといわれる。
*イギリス、スペインでもこの木は魔女との結びつきがあって、魔女の乗るのはこの枝だという。
*スイスでは、この木を燃やすと、納屋や家族に不幸が訪れるとか、儀式-祈り なしに切ると3日後に死ぬというのまである。
*北ドイツでは昔、棺おけを測るのに、切りたてのこの枝を使い、棺おけを運ぶ馬車はこの枝を鞭に使った。
*チロル地方では亡くなった人の墓にこの枝を差し、根付いたらときに魂が昇天すると迷信もある。

そんな風に、生と死にまつわる木なのだ。
私は、そんな風な物語を沢山持った植物に興味を持つ。

そういえば我が家のテラスにも、鳥が蒔いてくれた種から育って1mくらいになった西洋ニワトコが生えているのだが妙な所に生えていて、それを取ってしまうかどうか悩んでしまった。
木の精に祈ってから引き抜くべきか?

ところで、この木は花、実、葉、枝 全てに効用がある。その効用を上げたらなんだか万能薬のようだ。ビタミンCを多く含むので、風邪気味の時にはよくこの実のジュースを飲んだり、花を乾燥させたものをお茶に入れて飲むと喉にも良い。
そうかといって毒性が全く無いわけではなく、未熟な実や、茎、種などはSambnigrinを含むので内服には多少気をつけたほうが良いし、食べ過ぎるとお腹をこわす事もある。
そういう私も花がたくさん入ったデザートを食べてお腹をこわした事があるが、分量をわきまえていれば問題はない。まあ、よくあることなのだが、私の場合その辺の見当が外れていたというだけだ。

この花のリキュールやシロップはなんともいえない風味で美味しい。
花のシロップを冷たい水で割って飲むと体の中にその香がひろがるようだ。
だから私はどんなに忙しい時にも花の収穫をする事にしている。本当に美味しいのだから。。。
再来週あたりが時期かと睨んでいる。

”私の亡くなった父は必ず西洋ニワトコの木の前を通る時には、帽子を軽くあげて挨拶をしていたわ”と友人が懐かしそうに話してくれた。


 西洋ニワトコ、ラベンダーの花、などなどを刻んだ石鹸とあわせて練リ、丸める。手洗い洗濯に殺菌清浄効果大なり。とはいえ、私はこういうものを作ってもあまり使わないので、この石鹸玉は棚のオブジェの隣で2年ほど鎮座している。 
 

嫌われる植物

2005-05-19 16:00:24 | 植物、平行植物
いつの間にか西洋オダマキがテラスのあちこちで咲いている。
一時凝って、いろいろなオダマキの種を入手しては育てて咲かせていたが、それもしなくなって
残っているのは、薄紫と黒味がかった濃い紫、そしてピンクだけになってしまった。しかしこれらは自力で元気に増えるので、しまいに芽が出ると、集めて鉢に詰め、人様に差し上げてしまう。

どこかで、オダマキは縁起が悪いという日本の地域もあるというのを読んだ覚えがあるが、それならば理由は何なのだろうか?

植物の中には忌み嫌われるものがある。

そこに住む人の精気を吸うから庭木に枇杷はいけない。
百日紅の花にはなくなった人たちの御霊が宿るので庭木にしない。お寺の庭にはよく咲いているのを見かけたものだ。
彼岸花も忌み嫌われる、あれはやはり猛毒だからだろうか? しかしあの姿は美しいけれどなかなか怪しげに見える。
猛毒なのにもかかわらず、幸せを運ぶなどと言われる”すずらん”もあるのだからわからない。

反対に縁起のよいとされる木や草もある。
南天など魔よけの木だ。”難が転じる”の語呂合わせもあるが、この木には青酸配糖体が含まれているので殺菌作用があることから、良い木だといわれるのかもしれない。
よく見られる、お赤飯の上に載った南天の葉など、美しい。
玄関や手洗い、鬼門に植えられる魔よけの木。
ところで、やはり手洗には魔よけが必要なくらい何かいるのだろうか? 
殺菌効果を狙った先人の知恵か?
そこに必ずといって良いくらい南天が植えられていたのをおもいだす。

嫌われる植物。なぜ嫌われる事になったものか? 他にどんな植物があるだろう? 

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追記

オダマキはMagnoflorinややはり青酸配糖体も含んでいる。
新鮮な葉20gを食べたら呼吸困難、心臓障害などが起こるが、じきに治まる。
汁で肌がかぶれる、水疱が出来るという事もあるらしい。そんな事で日本のある地域では嫌われたのかもしれない。
ラテン名Aquilegiaはラテン語の”Aquila-鷲”から"鷲のかぎ爪”、または花のガクが水の器に似ている事から"Aquilegium-水”から名がとられたとも言われているが確かでないようだ。
(今調べたら、日本では”苧環”って糸巻きから来ているのだなあ、機織りの時の糸巻き、確かにそんな形にも見えて来た。)

西洋オダマキ(ドイツ名Akelei)は
Hildegard von Bingen(1098-1179)の著”Physica”で取り上げられている。中世では好まれて庭に植えられ、絵のモティーフにもなった。
”Tabernaemontanus”(Jacob Theodor:1522-1590医学、植物学)は肝臓、腎臓、などに効くと紹介している。また、男性にとって精力増進効果がある魔法の薬でもあり、この根と種を飲む事を進めたりもしたそうだが、成分を見たらちょっとこわい。
どなたも試されない事をお勧めします。
 

シンボルとして、その花の形が鳩のようにも見えることから聖霊を、三つに分かれた葉の形が三位一体を連想させ、又聖母マリアの痛みと悲しみを表すようになり、たびたび聖母の肖像にあしらわれる。

ベゴニアを贈る

2005-05-19 04:00:36 | 植物、平行植物
以前、知人の誕生日に出かけた時、黒々とした美味しそうな土の詰まった赤土色の植木鉢を贈ったことがある。
それほど親しい相手ではなかったし、その日彼女が誕生日だとは知らされていなかった。
彼女は私の差し出すものを見てちょっと戸惑ったようだったので、”これには土だけではなくて、ベゴニアの宿根が埋まっていますから。。後は時々水を上げてください。”と美しいオレンジシャーベット色のベゴニアの写真を渡した。
その後花が咲いたかどうかの心配はなぜか全くしなかった。
一年ほど後にある展覧会場で彼女と再会して、しばらく雑談後、ふとベゴニアの事を思い出し”あのベゴニアきれいに咲きましたか?"と聞いてみた。
彼女は記憶の底をかき回すようになって、やがてパッと思い出した表情になり、”ああ、あの鉢から何も生えてこなかったわよ。”と笑いながら言った。
私が”エエ~ッ、本当ですか!”と大きな声で叫んだので、彼女はさらに笑ったが、
そんな事があるとは考えもしなかったので、私は本当に驚いてしまったのだ。
それ以来植木鉢に球根や宿根を植えてプレゼントするというアイディアを捨てた。
あれはオレンジシャーベット色の美しいベゴニアだったんだけどなあ。。。
もしかして、あれは何かの間違えで透明色になって育ったんじゃないのか、と今では思っているんだけど、ひょっとして彼女のアトリエの窓辺で咲いるんじゃないかと思うんだけど。。。。


種が仕込んである植木鉢


静寂

2005-05-18 05:03:49 | 思考錯誤
この間 ”今週の日曜日のパーティーは12時からだからね”と念を押す電話が掛かってきた。
一ヶ月前に聞いていた誕生日パーティーの件だ。

昨日はパーティーに出かけた。

知人は閑静な住宅街に住んでいる。休日の昼時は人影もなく静かで、やけに足音が響く。
しかし、太陽の光が雲を押し分け地面に届いたとたんに、花蜂の羽音や、奥の庭くぐもった話し声や笑い声が聞こえはじめる。

ドアを開けると、もう既に大勢の顔が揃っていた。
隣町に住む知人はその人柄からか、知人友人が実に多く40人以上招いているらしかった。

テーブルについてしばらくワインを飲みながら、ぼんやり本棚を眺めていたところに、いきなり会話が始まった。
きっかけは”食べ物”だった。
”。。。食べ物の話は面白いね、食べ物は人と人をつなぐ効果があるよ。”という。
確かにその一言から、その場に居合わせた5,6人の会話の糸口が見つかって、会話の輪がつながったわけだ。
会話は”食”から”音”に移り、”音”から"本”に、”本”から”写真”にと言う具合に流れていった。
中の一人は作曲家で、物静かにはなす穏やかな人物。もう一人は教師をしながら小説家であり画家でもある人物で、彼もまた穏やかにものを話す。小説家の奥方はどこの国の生まれか知らないが東欧風アクセントのある知的な美人だ。
もう一人私の横に座ったのは何をしている人物か知らないが、かなりの読書家らしく、小説家と最近読んだ本の話に講じていた。
話のきっかけを作ったのは彼だった。ちょっと挑発的な物言いをするので、こちらはちょっと構えてしまう。
彼は多分、話が”動いていない空間”をすばやく感じ取ると、会話の糸口を四方に結ぶのが好きらしい。
いや、たぶん好きというよりそうせねばいられないかのようだ。
こういう人がいると私もずいぶん楽になる。初対面や顔見知りの中で相手の会話に耳を傾けながら、そこに適当にスルリと入って行く技というのは私にとって得意な作業ではない。
場合によっては波に乗り遅れるサーファーの様に波にぶつかって飲まれて沈没する事だってあるのだ。
スモールトークと言うのはすばやくきっかけをつかんで、波から波に乗り移らなければいけない。フットワークのよさが必要で、躓いて転んでいたら置いてきぼり。

兎に角、私は最近、新聞の記事で人間は絶対音感を必ず持って生まれると言う話しを読んだ。
それが必要なければまもなく消えてしまうらしい事。調べによれば中国人に絶対音感が多いという事。なぜだろう? やはり言語のせいなのだろうか? そんな話を投げかけて、やがて"音"の話に移った
”そういえば、この間買ったCDは色んな物の音を使って構成された音楽で、とても面白かったよ。例えば米粒を落とす音とかね。”と小説家。
”音楽と言えば、テクノ音楽っていうのは、本当にイライラさせるものがあるね。あんなもの一晩も聞いていられるのか解らないなあ。でも僕は人声がしないと不安になるね。森に行って一人きりの静寂なんて耐えられなくて、すぐ帰りたくなるよ。”と読書家が言う。
森の中の様々な音は彼に安らぎを与えないらしい。
森の中で、人に会わない、人声がしない。。。と言うのは今では特別豪華な事だ。
そんな所に行きたい人はたくさんいるのに。。。まあ、絶対にこの先、”世の中で一人きり”と言うような静けさにはあいたくないけどね。
作曲家が物静かに”でも、自然は無音じゃないよ。完全な静寂はないよ。”と答えた。

私も東京からドイツに来た当時、夜の外の静けさに少しおびえたことがある。
電燈も少なく、あってもぼんやりとオレンジがかった灯りは、いっそう闇を強調してしまう。
最初に住んだアパートは住宅街の3世帯しかいないこじんまりとした家だったし、そして夜、外はいつも、シーンとしていた。
テレビはその頃国営3局しか入らなくて、時事問題や古いタイプのクイズ番組が殆どだったので、言葉が不自由だとどうにもならない。
ラジオも似たようなもので、単調なメロディが番組と番組の間のをつなぐのだが、それは無音が電波法に触れないようにする事に対応しているだけだ。そのメロディをしばらく聞いているとなんだかミステリーゾーンの入り口みたいの思えてきて、消してしまいたいのに、消せば静けさが身に迫った。
思わず何度も窓を開けて、人気を探したのものだ。
もちろん無音ではないのに、本当に何にも聞こえないきがして、ドキドキしてしまうほどだった。
しばらくして、もう一度窓を開けた時、遠くで犬が吼えるのが聞こえ、次第に風の音や、揺れる木の葉の立てる音などが徐々に聞こえてきたので、胸をなでおろしたことがある。
東京の喧騒の中で暮らすうちに耳に余分な保護膜が一枚掛かっていたのに違いない。
今思えばその時、少しホームシックにかかっていたのかもしれないな。

今では逆に喧騒がわずらわしい。
人気無い森の音を聞くのは楽しい。
静寂は好きだけど、ふと誰もいない世界を錯覚する時には急に怖くなる事ってありませんか?。

散歩ゲーム、その2

2005-05-17 02:17:36 | 散歩ゲーム
カメラを持って散歩をする。

100歩毎に写真を撮る事。

スタート。

標識の"影”。これはいつも気になる影。標識自体よりも私を立ち止まらせる。

白壁に移る若葉の”影”。

布地の柄のように道の表面に這う"影”。”影”がつい続いてしまった。

車道際の畑。広い空。

車道と歩道の分離帯に生える雑草。

雑草の中で横たわるウサギの死骸。

曲がり角。左へ入る。

耕した畑に15cmくらいのトウモロコシが生え揃っている。黄緑と薄茶。手前に野の草。

乗馬通行可能の標識と空、青い空。

わだちに溜まった昨日の雨水。

土にまみれた草。

わざと横ブレさせた農道。

耕されおこされた畑。茶色の土。

道。

空、青空と白い雲。飛行機雲が一本通る。

道の上に止まった美しい蛇の目蝶。

遠くの防風林の手前に広がる牧草地。

空、青空と雲。

野生のセージの濃い紫色の花。乾いた土の色に花色がしみる。

昨日の雨水の丸い水溜り。

工事現場、ローブの巻きつけ芯。これはなぜか好きな物。

工事現場、砂の山2色。

しけった土にわだちと、捨てられてひしゃげたアイスクリームカップ。

道路。直進か右か?右に曲がる。曲がり角は好きだ。

右に選択後、まだまだ続く道。

残念ながらもう撮れない。

ゲームオーバー。

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ヴィデオで散歩道を撮っても見えないものがこの写真と写真の間にある。
それは、写真で道をたどる時、毎回違った物や出来事に変化し”散歩道”はどんどん枝葉を増やし続ける。

結晶世界

2005-05-15 23:18:35 | 読書感想
何を隠そう -別に隠してたわけじゃないんだけど-
私はサイエンスフィクションも好きだ。
もっとも、本の選択傾向には偏りはあるかも知れない。。。

P.K.ディックは昔、本屋で見つけたらそれはもういそいそと買いこんだものだし、
F.ハーバート、A & B.ストルガツキ-やB.W.オールディーズの”地球の長い午後”の世界もいい。
最近SF界のトールキン(?)とも言われたT.ウィリアムズの”アザーランド”を購入。

しかし、今日はJ.G.バラード。。。  "結晶世界”を再読終了。

バラードと言えば”ハイ ライズ"と言う作品も面白かった。モダンな高層マンションのなかで、環境に狂わされて急激に変化してゆく住民たちの狂気。
層階と下層階のこづきあいから、エスカレートして暴徒化してゆく過程が迫力あって圧巻なのだ。
私がそこに住んでいたら。。。どんな反応をするのだろうか? 多分色んな意味で意気地の無い私は早々尻尾をまいて逃げ出すそうとするのに、それも出来ず周りが崩壊してゆくのを見ないように目も耳もふさいで閉じこもるくらいか? たぶんそんなところだろう。
"ハイ ライズ”の登場人物の場合は逃げ出せそうなのにもかかわらず、苦しみながらもなぜか逃げ出したく無いようだ。読みながら、なんで異常に気がつかないんだろう、逃げられるだろうに。。。と、心の半分で思いながらもそんな物なのかもしれないと妙に納得してしまう。

”結晶世界”に戻る。
水晶化し、水晶化し続ける植物、森、終局を身近に迎えた世界。

主人公サンダースが書いた手紙の中に
”。。。。通常の世界では、我々は常に動きと言うものを生命及び時間の経過と言う事と関連させて考えてきたわけですが、モント ロイアルの近くの森でも私の経験では、全て動きは必然的に死に通じ、時間は死の下僕に過ぎない、と言うことがわかりました。。。。”
次第に悪夢のような事態から走り抜けようとする努力を放棄して破滅への流れに実をゆだねるようになる。
そこにしか心のアンバランスから逃げることが出来ないと信じる主人公。
”結晶化してゆく森”は平行して走るドラマと共に描きあげられて息づいてくる。好きな世界だ。

バラードの世界崩壊シリーズの中で絵としてもっとも美しいものだと思う。
私もその中をさまよってみたいものだが、反面、恐怖を感じる。

聖霊降臨祭

2005-05-14 04:23:51 | 思考錯誤
窓を開けると、相変わらずの薄曇りの空が広がっていて、くぐもる喧騒が伝わってくる。
隣の普段は駐車場に使われている広場に移動遊園地がやって来て、準備を始めたのだ。
まだ動かないメリーゴーラウンドには灰色のカバーがかかっていて、売店小屋やくじ引き小屋の窓は固く閉ざされている。その前で関係者らしき男たちが昼休みなのかビールを飲みながらパンをかじっている。始まる前の気ぜわしさと、それに相反する物憂げな空気は、丁度今日の曇り空と同じ色合いだ。

5月15日日曜日、16日月曜日はPfingsten-聖霊降臨祭-である。
Pfingsten(フィンクステン)は”Pentekoste’”と言うギリシャ語の”50番目”と言う言葉が元で、ゴート語の”Paintekuste" と”中高ドイツ語の”Pfingesten"が合わさったものらしい。
Pfingsten月曜日はイースター日曜日から丁度50日目であり、キリスト昇天から10日後になのだ。
その日使徒と聖母マリアが祈っていると天から炎が現れ、そして彼らは聖霊によって様々な言葉を語り始めた。福音の始まりである。そしてこの日のシンボルは”炎”なのだ。
聖霊とは”神-父、イエスキリスト-息子。。”三位一体のなかの一つだが、神学者によっては聖霊に女性的要素を見ている人もいるという。
それと言うのもヘブライ語で”聖霊”は”Ruach Jahwe"と言う女性名詞である事、又ヨルダンで聖霊がイエスに洗礼を授けた時の姿が”鳩”だったと言われる事による。
その”鳩”はオリエントの愛と戦いと豊穣の女神Ischtarののシンボルだったからだ。
もっとも、福音書において聖霊が”鳩”だったとは誰も言っていない。
"鳩のように下って”きたという説明があるだけであり、ルカ福音書だけは”鳩のような形”と描いている。後に絵描きが聖霊の象徴として、そのまま鳩を描いてしまったのだろう。
しかし、だからといって聖霊になぜ女性的要素を見なければならないのはかわからない。
マリア信仰からなのかどうか?
新しい自分の解釈を立ち上げたかったからなのかどうか?
私は詳しい事を知らない。
聖霊降臨祭はイースターと共にユダヤの収穫感謝祭、生贄の祭りが元になっていると言われていて、紀元4世紀に始めてキリスト教祝祭日として記述されているということだ。

ドイツではこの日、牡牛に美しい花輪を付けて練り歩くところもあり、Kirmes-キルメス-といって冒頭に書いた移動遊園地が来る。
KirmesとはもともとKirchmesse-教会のお祭り-という意味だ。
隣の大きな街では鳴り物入りの派手な移動遊園地が来る。
大規模なジェットコースターなどの乗り物や、占い小屋、食べ物屋台が何もなかった草原に突然出現するのだ。
ジェットコースターを組み立てているところを眺めていると不安になってくる。あの螺旋が、ビスが一つでも外れたら、または忘れられた。。。なんて考えてしまったら、もういけない。もちろんドイツの技術監査協会の専門家が来て総点検し、OKが出なければ動かせないことにはなっている。
夜、遠くから眺めると無数の、色とりどりの照明が花火のようで美しい。
夜中まで市電も満員。あたりはぎゅうぎゅう詰めの人だかりになる。

私がそこにノスタルジーを感るのはなぜだろう。 
突然現れて、まもなく消えて行く遊園地の儚さから。
子供の時に見た夜祭の空気をそこに感じるから。 
ジージーとうなる不安定な電球に照らされた店先の様子が、その頃のときめく鼓動となって思い出されるから。 
多分それは私の主観的ノスタルジーフィルターを通ってくる映像なので、現実とは微妙にずれているのだ。ふと気がつくとワイワイガヤガヤとただの喧騒に戻っている。

砂糖衣がけのアーモンドやりんご飴、綿菓子やココナツの切れ端などの駄菓子を買ってちびちびと食べながら、グルグル回る乗り物に乗っている人々、まだ寒いのに水しぶきを上げながら走るローラーコースター、大観覧車のゴンドラが風に揺れているのを眺めているのも一興だ。
私はグルグルする乗り物にはもう何年来乗っていない。。。。
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ちなみにイースターや聖霊降臨祭は必ず決まった日ではなく移動型祝日だ。
1600年から2399年までの イースターと聖霊降臨祭を調べる事ができるサイトを見つけた。