散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

2007-11-27 13:14:30 | 写真





塔の中の閉じ込められし者蝋の滴り印残し何処に消えたか?













メモ:
再び状況に変化あり。
展覧会は9月ではなく3月の間違いだった。間違いって言ったって随分な違いだと思うけれど。。。
もう一件個展が2月最終日に入っているので、一昨日9月という声を聞いてホッとしたばかりだったのに。すっかりくつろいでしまった気持ちをまた引っ張りあげるのが厄介。
結局相談の結果二人展にすることに決定。
まあ、本当のことを言えば来年の前半と去年から言われていたのを、放りっぱなしにしていた私が悪かった。実のところあんまりふたを早く開けたくないような気分でもあったので避けていたのだ。
とはいえ書面で報告しますといっていたのは誰だったっけ?
かなり粘って見たけれども、昨日来年の日程はきっちり決定したので不動だそうだ。
さて、しまいかけていた道具をもう一度広げなけりゃ。。。。

メモのようなもの

2007-11-26 17:39:17 | 製作記録



来年展示をする場所の下見に出かけてきた。来年早々に展示という話だったのが有難いことに9月になってとまりそうになっていた息を吹き返した。
とは言えかなり広いので、この空間をどういう風に使うかこれから計画しなければなあ、と少々途方に暮れている。
一番魅力的なのは教会の塔内だ。あまり手入れもされていない廃墟じみた雰囲気が中々良い。薔薇窓を中から見る(↑写真では薔薇窓のある部屋の床になにやら色紙がインスタレーションされていた。)というのも悪くないし、その脇には教会の時計のためであろうか機械仕掛けがあったりパイプオルガンの送風ポンプがあったりするような場所だ。塔は3階あって天辺は教会の屋根裏に繋がる。これがまた中々雰囲気があって面白い。暗がりの中、宙に架けられた足場が十字形に渡っていて、下を見るといくつも山形の起伏が見える。これは下から見ると教会の天井のアーチだ。
祭壇周辺や入り口脇のホールにはあまり興味が無いがこの搭に何か仕掛けるのは中々楽しそうだ。(今のところは笑っているけれども、後数ヶ月もすると冷や汗をかいているのだろう。)






このFriedenskirche-平和教会は1874年に建ち上がった。1870-1871年の独仏間の戦争後、平和を祈念し戦争遺産の大砲を溶かして鐘を造ったという話で、この教会の名前もそこに由来する。しかし第二次世界大戦中1943年6月21日未明に爆撃を受けて全壊し、1955年ー1957年に再建されたという歴史を持っている。





どういう経緯なのか知らないが、階段室の暗闇の中に大きな牛のぬいぐるみが佇んでいた。クリスマスの降誕劇にでも使うのだろうか? 

陽炎のようなもの

2007-11-22 17:14:02 | 写真












電車の中で重そうな手提げの中から彼女は、おもむろに雑誌を取り出してパラパラと頁をめくり始めた。
目当ての頁が見つかると既に右手にはボールペンが待機中で、スルスルと頁に文字を書き込み始める。
クロスワードパズルである。
スルスルスルスルと文字が箱の中に埋まってゆくのがこちらから見えている。
電車の中での暇つぶしにはクロスワードパズルは悪くない。
私も自分でパズルを作ったりしながら電車の中を過ごしていることもある。
パタッ。雑誌が閉じられる。
表紙を見ると面白くもなさそうな極薄い女性雑誌だ。
もう完成したらしい。
ガサゴソ。手提げの中に用済みの雑誌を戻し、何か物色している。
するとまた別の雑誌が現れてパラパラと目当ての頁を開きスルスルと書き込みが始まる。
たまに、ほんのたまに窓の外に視線を投げるが、彼女の頭の中ではある言葉を捜すのにいそがしいという様子が明らかに見て取れた。
スルスルスル。
パタ。
ガサゴソ。
彼女の手提げの中には一体何冊の雑誌が詰め込んであるのだろう。
再び現れる雑誌。
まるでサッサッとやらねばならない仕事を片付けるが如く、きっぱりとした感じに次々に雑誌を取り出してはスルスルと書き込んでゆくのだ。
その早い事といったらなかった。

電車の中の暇つぶしには色々あるものだ。

例えば私の場合、このクロスワード女性が一体何故こんなに沢山の雑誌を手提げの中に一杯に詰めているのか?と言う話を頭の中ででっち上げるのに暇な時間を費やしていた。
話が出来上がる前に下車しなければならなくなって、それは尻切れトンボですぐさま粉々に消えてしまったけれども。。。

ところで何で尻切れトンボというのだろう。
尻の切れたトンボがどうしたというのだ?
誰かご存知の方いらっしゃいませんか?



上の写真とは全く関係ない話だった。

冬の靴

2007-11-21 08:07:06 | 思考錯誤



通りがかりに暖かそうな靴を見かけてはいてみた。靴の中がモコモコとした防寒性のある靴。
中々具合はよさそうなので入手。
もともと高くない靴だったけれどその又ほぼ半額だったのも良かったし、色褪せたピンクが気に入った。
暗い鉛色の空の下を元気に散歩できるようにちょっと暖かい色味のある物が欲しくなっている。

今年の第一から第三アドヴェント(日曜日)にベルリンでは13時から20時までの営業許可がおりた。教会が抗議しようとなにしようと、この傾向は今後他の地方にも広がってゆくのだろう。私がドイツに来た当時は土曜日は14時で閉店したし、平日も18時半で真っ暗になった。今は平日も土曜日も8時まで開く店も増えたし、木曜金曜日は22時までという店もある。随分変わったものだ。
最も旅行客には喜ばれそうだけれど。



散歩

2007-11-19 17:44:53 | 思考錯誤




昨日
時々太陽が顔を出すので散歩に行った。
木の葉が雨の様に降っている中を歩いた。
夜になって
私の来ているフード付きの上着を脱ごうとした時
かさかさかさかさと音がするのでなんだろうと探ると
フードの中にブナの枯れ葉があった。

時々私のフードの中には色々なものが見つかる。
この間はキャンディが一つ入っていて首を傾げた。
後で友人の仕業とわかったので、安心して食べた。
どんぐりが入っていたこともあった。
あれは誰の仕業だったのかなあ。

そこの人、白状しなさい。



綺麗なもの

2007-11-17 18:21:36 | 夢遊


なんだか綺麗なものが出てくる夢を見た。

私は両手のひらで椀の形を作って立っていた。両手の平の上には巨峰ほどの大きな葡萄が山をなしている。
そしてそれは黄色味がかった乳白色の半透明で宝石のように見えた。
私がもう一度手の平を見るとそれらは既に食べ滓で皮と種だけになっていたのでがっかりしてしまった。
部屋の窓から外を見ると見渡す限りの空中が星であった。というのは満天の星空と言う意味ではなく、空一杯に月面クレーターが広がっていたのだ。それは良く見る月面着陸の映像とそっくりだったから、月だったのかもしれない。
ふと視線をおろすとそこは講堂内部で大きなテーブルがいくつも並んでおり、その上に白い紙細工が並んでいる。紙ハニカムのデコレーションのようなものでどういう事になっているのか海の生物のように動く。オマケに灯りを内蔵しているのがとても綺麗なのだった。そういえばパパイアとマンゴーを掛け合わせたようなピンク色の美しく水水しい果物があって皮を剥かれて半割りにされたそれは黒光するあらあらしい感じに作られた陶器の上に二つ並んでいた。私はそれを食べた。いつも友人に妙な顔をされるのだけれど、夢の中でも美味しいものにありつく事がある。たいていは味がしないか紙を食べているような不味い味がするのだが、時々美味しかったなあ。。。と目が覚める幸せものなのだ。
これは一昨日の夢の噺だ。

今朝の夢では何百段もある階段を降りる元気が無くて溜息をついた。多分その階段を降り始めたら途中で足が攣ってしまうに違いない。『私は降りる』と元気幼飛び跳ねるように降りてゆく人を眺めながらもう一度溜息をついた。最も飛び跳ねて降りた人が途中で転んでコロコロと転がるのも目撃した。兎に角仕方ないから上に昇るしかないので、崖道を登り始めた。
途中農家があって、その庭には網を張った大きな小屋があり、中には小さな小さなハムスターが沢山いた。そばにいた人が『ハムスターというのは子供の頃には羽が生えているのを知ってた?』というのだ。
そんなの嘘に決まっていると網を少しめくって中を覗くと、確かにソラマメほどの小さな赤ん坊ハムスターにはミツバチの羽のようなものが肩から一対生えていたのでひどく驚いた。
ファンタスティックな夢の場面はそれまでで、そのあとはなにやら物騒な捕り物帳に変化していったけどね。


泥こね:茶椀

2007-11-16 00:47:21 | 製作記録
  




今日、粘土遊びをした。
泥団子はまだ作り始めていない。色々な形の茶碗を作ってみたりしている。
何しろもう寒くなってきていて、今朝は外に出て見て、吸い込む息があまり冷たくて鼻がつんとしたくらいだ。そろそろシャベルが土に突き刺さらなくなってしまうだろうから、少し空気がぬるんだ時期が良いだろう。今朝は空気が氷のように冷たくて鼻がつんと来たくらいだった。おかげで体が縮こまって凝ってしまい、ギリギリと枯れかけた木が風に吹かれて立てるような音さえする。
今すぐ泥団子を作らなければ困るという理由があるわけでもないのだ。(やってみたくてうずうずしてはいるけれどね。)

面白い話を聞いた。
数字や文字に色を感じたりにおいを感じる共感覚の話である。
統計を取ると使用頻度の多い文字や数字には色や匂いの反応が多いらしい。例えば『Q,X』に対してよりも『E,S』に色を感じる人が断然多いそうだ。
ところが使用頻度は比較的大いにかかわらずアルファベットの『 O 』『 I 』 また数字の『 0 』『 1 』には色が無いと答えた人が多かったのだと言う話し。
”縦棒一本”と”円”という自然界にも多く存在する形を識別するのに他の感覚を必要としないのでは無いかと言う。
まあ、兎に角共感覚というものは常々面白いと思っているので中々興味深い話だ。
ちなみに中国の共感覚者は漢字の0=零には色を感じるが『0』『1』には色を感じない人が多いらしい。

私はよく自分の暗号で作品の中に色を加える事がある。一応自分なりに決めた色がある。(最も時々暗号を変えるので、すっかり意味がわからなくなるのだけれどね)
 

ちなみに、私の場合確かに0は無色かもしれないが、1は黒である。


皆さんはどうですか?




粘土遊び

2007-11-15 01:09:53 | 製作記録


粘土いじりをしていると落ち着く。
無心に子供のように泥遊びをしている。

子供の頃泥団子と言うものを良く作った。
その辺の地面を掘ってよさそうな土を見つけるとコロコロと直系5cm位の小さな団子を作って固く硬く結び、砂をかけたり、磨いたりして堅牢な泥玉を作り上げるのが”目的”だ。
日が暮れると、その『宝玉』を秘密の場所に掘った穴の中に葉っぱなどで大事に包んで閉じ込めてから家に帰るのだけれど、慌てていると翌日、何処だっけ?と言うことにもなる事もあった。
旨く仕上がると艶も出て中々な風格が出てくる。自慢の団子を友達同士で見せ合って品評会をしたり、時には交換などもした覚えがある。
思い切りの良い奴等は泥団子どうしをぶつけて強いもの勝ちの試合をしていたが、私はせっせと、息吹きかけ磨き葉っぱに包んで埋めてばかりいたものだ。冬眠前の栗鼠みたいだった。
ある日会心の作が出来上がり、丁寧に埋め、埋め跡に草などもぎゅっと押し付けて家に帰ったが、隠蔽が完璧すぎたか以降二度と見つからずじまいだった。その時の事を良く覚えているが、そういう悔しさって何時までもちゃんと覚えているものなのだ。




 


↑写真。 1965年の写真やのクーポン券集めシート。
20ペニヒに一枚の割りあいでもらえるクーポンを250枚集めて1,50マルクもらえる。1965年の1,50マルクだとどんな感じだったのだろうか。
これは〝こういうもの”が好きな友人がどこかで見つけたものを分けてくれた。
私も〝こういうもの”を貰って大した宝物を貰ったかの様に喜んでいる。


メモ

2007-11-13 10:20:35 | 思考錯誤


『壁の中に魔物がいる。』


ノートに走り書きを見つけた。

『壁の中に魔物がいる。』

『壁の中に魔物がいる。』

『壁の中に魔物がいる。』

いったい、どんな魔物だろうか?
魔物によっては共存するのも悪くない。





Nachtschatten

2007-11-12 09:06:17 | 写真








。。。。。







相変わらず壊れかけているCyber-shot DSC-W1を使っている。
もう駄目だと思うと、しばらく調子が良かったりする。
このところ肩こりがひどくてコンパクトカメラしか携帯する気が無い。
夜でも結構少しの光があると写る。
上の写真は昨日の帰り道とまだ暗い部屋の中。







金曜日の夜のオープニング会場の扉。





日曜日、そのほぼ隣町でもう一仕事。
その展示会場から外を眺める。

 






そして今朝。。。








 私の視線も頭の中もかなり箍が外れているらしい。


独り言: 時間切れ

2007-11-09 19:10:20 | 思考錯誤


後、30分で出かけなければいけない。
思いついた事が沢山あるが、手足が麻痺したかの様で固まって何事も成らず。。。
結局しなければいけないことだけを何とか片付けて、また今朝コンピューターの画面の前で再び硬直状態。
おなかだけはひどく空くので朝から林檎やバナナなどを齧る。口元だけはしきりに動いているんだけれどね。
イザ出陣のまえにしっかりとお昼御飯を食べておかないと夜まで持たんぞ!
と言う声がお腹方面から響いてきたので目玉焼き丼を作った。チーズの薄切りと海苔を飯の間に挟んで目玉焼きをドンと乗せるもので、昔、日本の知り合いに『わりかし美味しい物』という事で教えてもらった料理(?)だ。私はこれに生ザウワークラウトも乗せる。(ここドイツだしね?)

妹に椿の種を拾ったら送って欲しい、と頼んでおいたら甥っ子が公園で拾ってきたと報告があった。
かわりに金色のどんぐり独楽が欲しいのだそうだ。
了解。
しばらく待っている事。

もう時間だ。
行ってきます。



オープンドアー

2007-11-06 18:50:09 | 美術関係
今週末になんだかんだと一仕事あって後、12月第一、第二アドヴェントの日曜日にはアトリエのオープンドアーの企画に参加することになっている。
昨日はそのためのポスターや案内状、加えて真っ青な色の旗まで貰ってきた。
旗はどこか良く見えるところに吊るさねばならない、訪問者への目印である。
なんだかものすごく大きな青い布で真ん中に白く、このプロジェクトのロゴが入っていて、私のアトリエに取り付ける場所が思い当たらない。
仕方ないからその日だけは生垣にでも引っ掛けておくか。。。
この企画に参加して何か良い事があるかどうかは、とても疑問であるけれど、参加しておいて悪いことも無かろう。
(これを読んでくださる方々で丁度近所に出かけますから。。と言う方は皆無だろうから、詳細は載せずにおくが万が一興味のある方は追って案内差し上げますので、お手数ですが下のメイルアドレスまでご連絡ください。  近所に住んで日本語を解し、この記事を読んでいる人は片手の指の半分ほどだ。)
こんな事をしているうちにあっという間に年末は走りはじめていきなりどこかに行ってしまうんだろうね。一体私は今年何が出来たんだろうか?と既に振り返りモードになりながら走っている。

寒くなって来たので冬眠したい気分だ。

どんぐりも沢山作ったことだし。。。。

南瓜も沢山ある。

ほら、眠くなってきた。







秋色

2007-11-05 19:00:23 | 製作記録


南瓜好きの友人から戦利品を分けてもらった。
カボチャ マツリでの戦利品だ。
一体何個担いで帰ってきたのかと問うと、
『わからないわ』と答えた。



 
上から 
薔薇」ミョウバンと更に薔薇+鉄(ベージュがかった鼠色)
薔薇+ミョウバンと更にルリマツリモドキ+ミョウバン(淡い鶯色)
薔薇+ミョウバン(赤みの薄茶)
八重桜紅葉+ミョウバン(写真では良くわからないが淡い若草色)

薔薇の剪定をして、枝を使って染めてみた。
全開は綺麗な明るい黄色が出たが今回は淡い茶色にしか染まらない。 
それはそれで植物の持っている力を頂いた事を思うといとおしい。
一枚の布に色々な植物の色を重ねていったら私にしか見えない記憶の花束となる。
春の爆発寸前ならばどんな色が現れるのだろうか? 春が楽しみだ。


霧景色

2007-11-04 21:45:56 | 製作記録




記録》

・11月2日今年最後の展覧会展示終了(展覧会は11月9日から1月7日まで)

・Engelskirchen / Alte Engelsvilla

・霧、霧、霧

・私の溜息も白く。。。

・霧の中に融けてゆく景色


今年ははっきりしない天気が続いているが、どういうわけだか秋景色が美しい。