散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

グローバル プレーヤーズ

2006-01-31 00:04:03 | 美術関係
アーヘンにあるルードウィッヒフォーラムにて開催された「グローバル プレーヤーズ」と銘打った展覧会のオープニングに出かけた。
友人が誘ってくれたのと、偶然オープニング当日に日本の友人がわざわざDMを送ってくれたのが重なってこれは一つ重い腰を上げて見ようという事になった。
日本での展示は横浜だったが、ウェブサイトで見る限り中々綺麗な空間で立派な展示に仕上がっているように見える。
しかし残念ながらそれに対するドイツ側の返答とも言うべき展示はいささかお粗末であったように思う。
アーティストの皆さんがどのように感じられたか興味のあるところである。
会場はだだっ広い展示空間としては実に使いにくいものであり、他同時進行の展示と常設展示が入り乱れてなんだかしゃっきりしない。
Artgameという展覧会も同時に進行中で、どこからどこまでが一つの展示かはっきりもしない。)

両国の現代美術における共通項と違いを検索検証すると歌われている。ドイツと日本の活躍する若手作家のぶつかり合い見たいな物もなければ、対話も感じられない。
兎に角、私見だがこの展示空間では作品の良さが生かされなかった。
実に残念である。
見る気を起させない展示だった。
個個の作品云々より、会場の雰囲気に揺らされてしまったのは見る側の私に原因もあるかもしれないのだけれど。。。
もう一度ゆっくり見る事が出来れば感想が書けるのかも知れない。



Aachen,Ludwig Forum fuer Internationale Kunstにて2006年3月19日まで。



追記:
たった今知ったのだが、ナム ジュン パイク氏1月29日逝去されたとのこと。
ルードウィッヒ フォーラムにも彼の大きな作品が常設されており、つい一昨日、彼の作品はやはり凄いなあ、とパイク氏のカリスマ性について友人と話していたところだった。
冥福を祈ります。

散歩の友

2006-01-30 02:49:58 | 飲食後記
Tシャツに薄でのフリースのハイネックシャツ、冬スポーツ用ズボンの中にレッグウォーマーをはき、ダウンのジャケットの首もとにはグルグルとマフラーを巻いて準備完了。
新しいレンズを試したくてマイナス5度の空気に飛び出した。
カメラを体温で暖めながら被写体を探しまわる。ところが今日の空気はカメラに寒すぎたらしい。ストライキを起す。
そりゃぁ、この寒い中で働くのは誰だって嫌だよね。
ポケットの中にチョコレートを一包みいれてあったのを思い出して一欠けら口の中に入れるとなんだか変なのだ。
噛んでみても味がしてこない。溶けにくい。
まるでボール紙で作ったチョコレートもどき、チョコレートの影法師をもぐもぐ齧っているようなそんな感じなのだ。
一緒に歩いていた相棒も同じように感じているらしいから、私の味覚に障害が起こったわけではないらしい。
古すぎる、味の抜けたチョコレートだったら、こんな風なのかなあ、悪い品を掴まされてしまったのだろうか、とぼやきながら続きを食べるのを諦めた。

寒いとはいえ晴天の気持ちの良い日なので、走る人、歩く人、犬を連れた人、自転車乗り、人を連れた犬、手をつなぐ二人連れ、家族2世代、元気なおば様たち一行、孤独な散歩者、笑顔の人、うなだれる人、しかめっ面の人、かもめ、カラス、夢想家、カメラマン、スピード狂、馬駆ける人などなどが散歩道を行き交う。

こげ茶色の畑の土くれの間に白い雪がまだらに残って、白い雪に落ちる影が紫色に見えるのが美しい。

震えながらもなかなか気持ちの良い散歩から帰って、コーヒーを飲みながら何気なく残りのチョコレートを口に放り込むといつものようにすっと口の中でカカオの香とこってりとした味がじわじわと広がる。
つまりチョコレートに異常は無くて、単にチョコレートを味わうには温度が足りなかったという事らしい。そういう事とは知らなかった。
午後はコーヒーと美味しいチョコレートをお供に読みかけの本のなかに散歩に出かけた。

氷点下の真冬の散歩の友にチョコレートは不向きだという話。
皆様もお気をつけください。

待機中

2006-01-27 13:38:42 | 収集物品
去年の暮に私の小さいデジタルカメラに装着可能なテレコンヴァージョンレンズを注文してあった。
インターネットショップで捜しまわり在庫もありそうなことも特記してあるのでその辺りで手を打ち発注したので、楽しみにしていたのだけど待てど暮らせど届かない。
店はライプチヒにあるからそう簡単に押しかけて奪ってくる事の出来る距離ではない。
メイル確認するとこれから発注だというのだ。
在庫有りとあったのに、ウェブサイトに乗っているデータはあまり当てにならないのがわかった。
それがようやく昨日届いてわくわくしながら荷物をあけると、当たり前だがレンズが入っている。
早速装着して。。。と良く見るとなんとアダプターが必要なのがわかった。
ジェットコースター急降下。
まあこれに関しては知らない私がいけないのかも知れないけれど酷いなあ、一言アダプターが必要と書いておいて欲しかった。
またこれも注文しなければいけない。
この際お金が又余分にかかるという事より、レンズを試す日が数日お預けになったという事の方にがっかりした。
今度は別会社に発注したらその日のうちにもう発送しますとのことなので、もうそろそろ届く筈なのだ。
それで私は外出をせずに郵便配達を待っている。
早く来て欲しい。
早く来ないと蟻地獄の巣が段々に大きく広がって配達車ごと喰ってしまうかもしれないぞ。

追記:
この記事を書いてアップしようとしたら昨日の配達の若者がやってきたので、配達者及び配達車は破壊の憂き目を逃れた。レンズも装着完了。めでたしめでたし。
これをもって今から近所を徘徊する予定。一眼レフは欲しいけれど取りあえず今はこれで満足。



森を作る

2006-01-27 07:27:56 | 夢遊

今日は外に出ない。出たくない。出なければいけない、と言う気持ちもちょっとある。なぜならそうする事で今朝から自分の体に注入した水分や脂肪や炭水化物が体の中で重く停滞しているのを解除してくれるかもしれないから。
今日はでも外に出たくない。出ない。でも出なければいけない、と言う気持ちも少しある。なぜならそうする事で裏の公園に立っている“Lebensbaum-命の樹”のかさついた幹に手を当て音を立てて走る樹液のエネルギーを感じる事が出来るから。

それなら今日は部屋の中に森を育てよう。土くれの様な壺の中に種が貯まっていてその中に手を入れて一掴みすると全く色々な種がある。それぞれが予想不可能に多様なポテンシャルを持っているので、どんな森になるのかわからない。部屋の中央に立ち四方に種を蒔く。
すると透明な葉をつけた植物がガラス窓に生えてくる。光を透過してしまう体を持っているのに沢山の光が必要なのだろうか?窓ガラスの珪素を吸収して成長するのかもしれない。窓ガラスの珪素含有量は大体70%だ。
窓をほんの少しすかしておくとそこから忍び込む空気の流れが葉にぶつかりその表面で乱気流を起しながら移動してゆく。つやつやとした葉と葉が大きく揺れて交差し、ぶつかりそうでいてぶつかる事をせず、ぶつかればカラリカラリと透明で美しい音を立てるだろうに触れ合わない葉は無音の調べをふりまく。窓越しに注ぐ冬の日差しが葉を通り抜け、部屋の壁に極彩色の影を落とし、聞こえない音色にあわせて飛び跳ねている。
左奥の机が置かれた辺りにはそれを飲み込むほどの大きなラフレシアに似た花が育ち始めている。不透明で真紅の表面は新鮮な肝臓のように艶やかでその巨体を恥じているような呼吸をして、めしべを囲む杯のような白いくぼみにはやはり赤い赤い液体がたたえられ、ラフレシアのように腐臭を放ちそうだ。それは腐臭に惹かれて浮かれながら引き寄せられる虫たちに赤い液体をご馳走しては彼等をペロリと平らげてしまうのかもしれない。
ぶちまけた茹でスパゲッティのように這い回るコンピューター用ケーブルには、小さいけれど眩しいほどに光った蘚苔類が蔓延り始める。肉眼で確認できるほどの速さで増殖し、ケーブルに根を食い込ませ次第にその周りに厚く積み重なり、スパゲッティはやがて癒着して光る溶岩のようになる。彼等はケーブル内を走るエネルギーを吸い上げているのに違いなく放つまぶしい光は時々紫色に染まっている。良く見ると光る溶岩から小さな噴火口現れてそこから無数の真珠粒のようなものが吹き上がり、床に触れるととスルスルと解けてそれは 言葉 の短冊だ。 短冊は寄木細工のように複雑に組み合い、解けては堆積する。
黄色い毬栗のように丸くトゲトゲしたものが床の上をコロコロと走り回り始めたのでいきおい良く足元にぶつかるとそれはとても痛い。彼等はぶつかった相手にその針をすばやく食い込ませて寄生生活に入る。私の足の親指や踵にも取り付こうとするのをピンセットでつまんで引き抜くと見る見るうちに黄色味が抜けてギュッと収縮して枯れた。

沢山の植物が部屋の中に徐々に蔓延り既に私の意思に反して増え続け私の居場所が無くなりやがて私はそこから押し出されるよりも共存する事を選び徐々に透明になりはじめ窓辺に生え枝を伸ばしはじめ透明になった左右の手の平を平気で通り抜けた陽光が白い壁に金色の影を落とす。

ある日の夢のイメージから


機内にて

2006-01-25 05:46:33 | 移動記録
とても疲れていたので、本当に自分が正しい手順で動いているのか良くわからない。
とても疲れていたので、本当に正しい道を歩いているのか不確かでもあった。
ジェットラグと寝不足のおかげでいつも雲の上を歩いていた。
空港に向う道から遠くに雪を頂いた富士山が見えた。昇る朝日が三角に見えた。車の中から見えた巨大な観覧車、シンデレラの城のシルエット、東京タワーの先端などがグルグルと眼孔の奥引っかかってぶるさがっているような感じだ。
そんなものをぶる下げたまま空港の土産物屋の極彩色の小物や食堂のショウケースに並んだ素敵な偽者たちがどんどん繋がってぶる下がりはじめ、色んなものであふれそうになった眼孔の奥は重くぼんやり痛い。
とても疲れていたので、何度も時計を見るのに時間の見当がつかない。
気がつくともう出発ロビーに入る時間のように思えて、慌てて見送りに来てくれた家族に手を振りながら下りエスカレーターに乗ってずんずんと沈んでゆく。
ニコニコ顔で手を振る人たちはどんどん上昇しやがて視界から消える。
心やましいわけでは無いのに緊張しながらパスポートを提示し、「どうぞ」と言う言葉に押されながらロビーに向う。 
香水や化粧品、時計やお菓子の並ぶ店で楽しげに物色する人たちがいる。 
私もほしい香水があったっけ。なんという香水だったのだろう?めったに買わないものだからすぐ忘れてしまう。
とても疲れていたので、香水の名前を思い出すだけの力が出ない。
ほんの一瞬立ち止まったけれどすぐに又歩き続けた。 
待合ロビーでは到着が遅れた飛行機のために待たされている私たちにペットボトルの冷えた水を配っていた。 それがなんという水だったか忘れてしまったけれど、さほど特徴の無い透明な味の水だった。
これから観光旅行に出かける人々の高揚感と仕事を終えて帰国する人々の倦怠感と搭乗前の緊張感が縦横に張り巡らされている。
溜息が徐々に大きくなり始めイライラのトゲが一気に成長し始めた頃やっと搭乗が始まりやがて席に着いた。
私は常に通路側席を取るから内側に座る乗客が納まるまでしばらくの間落ち着かない。
隣は青森県に住む初老の夫婦だった。 
私が荷物上げを手伝いましょうかと聞いてもなんだかしゃっきり返事が返ってこないばかりか、表情もあまり動かない。まあ、そういうタイプなのだろう、それでもひとしきり手伝って席に着く。 
私は決して飛行恐怖症ではないが、離陸する時にはいつも尾骶骨がムズムズしてくるし上昇し始める時には眉根に皺がよってしまう。 やがて水平飛行に入り安定したところでおもむろにノートを広げて思いついたことをメモし、スケッチしてから買ってきた本を取り出し読み始める。しかしいつもの事だが飛行機の中ではどうもうまく本が読めない。 どうやら脚を縮めた窮屈な体勢が私の読解能力を妨げているのではないかと思う。 
間もなく飲み物が配られる。
目の前の液晶モニターで見切れぬほどの映画が用意されている事が判ったので、私は本とノートをしまい込み映画に没頭する事に決めた。
気がつくと、先ほどまでこちらから何を言ってもあいまいな返事しか帰ってこなかった隣人が私に話しかけているのに突然気がつく。私はヘッドフォンを外し映画を中断されてもしかしにこやかに対応してみる。
「どこに行かれるの?」と彼女は聞いている。
「ドイツです。」と私が答えると、彼女はうなずいて体を戻す。
質問は終わったようだったから映画に戻った。丁度スリルのある場面だ。
「○○○○?」意味はわからないが質問がこちらに向っているのが判った。
「ハイ?なんでしょう?」と又私はヘッドフォンを外す。-Pause-
「ドイツに住んでいるの?」
「ええ、そうです。」
「一人でいくの?」
「ええ」
彼女の声は飛行機の騒音に掻き消されるほどに小さくくぐもった声なので、ぐっと耳を寄せなければならない。 そこで彼女は又会話をいったん閉じた。 もうこれ以上聞くことは無いという風だった。
やれやれ映画はなんだったっけ?
画面の主人公は汗水たらして追手から伸びてくる手をかろうじて逃げ続ける。おっと危ない、ああ、あんなとこから落ちては死んでしまい、話が終わってしまうじゃないか。
視線が私の左頬にジリジリ穴を開けるので、見ると彼女の口が開いたりしまったりしているのだ。
「なんですか?」ヘッドフォンを外す。ーPause-
「ポルトガルに行くんです。」
「ああ、そうですか。いいですね、ポルトガルは私も好きですよ。私が行ったのはもう何年も前ですけれどね。」
「そう。」
「ポルトガルはどちらに行かれますか?北ですか南ですか?私は北方面から中央にかけてまわりましたけど素敵でしたよ。であった人たちの感じも良かったし。」
「。。。えぇ。。。」要領を得ない返事が返って来たので、私はまた渦中の主人公を応援に戻った。
そのうちにスチュワーデスが飲み物を聞いてくるので、隣に伝える。
ランチの状況を報告する(鳥のカレーとジャパニーズパスタの選択肢は我々の手前で終わってしまい、ジャパニーズパスタと言う酷く不味い温いツイストマカロニサラダしか残っていなかった。何故〝ジャパニーズ”なのか不明だ。)
あまりに不味いので大方を残し、また映画に戻る。
「これどうやるの?」
「ドイツはどこに住んでいるの?」
「ドイツは長いの?」
「ドイツの物価は安い?」
「ドイツで仕事しているの?」
「お茶って言ったのにお水が来ちゃったわ」
「ヨーロッパはお水をウォーターって発音するのね、チュニジアではワラーというのよ。」
「アムステルダムで3時間乗換えを待つの」
「これ不味いわね。」
「ドイツは寒いの?」
「向こうの外人さんお箸を使うのが上手ね」
私は細切れに見ている映画を諦めてヘッドフォンを外し、モニターを消し彼女の話に耳を傾けようと体勢を整えた。
「飛行機の中って眠れないわね。」
すると間もなく彼女は眠ってしまった。
可笑しい位にあんまりあっけなく眠ってしまったので、肩透かしを食らった私はいつもは好きでないので食べないカップヌードルを貰って食べる。
“ジャパニーズヌードル”を食べなかったせいか空腹に“カップヌードル”はとても美味しく感じた。

音-色: 

2006-01-24 12:31:52 | 写真
 
 
その   ”音”   は   どんな 色  を していた だろう ?


遠 く か ら 薄膜を破って近づこうとするものがある。

掘り起こした地層の中に挟まったものが起き上がってくる。 
 
 


今 音楽 を聴きたいのではなくて ”音” を聴きたい と思った。
 
 
 
 
 
ー父の色褪せた写真アルバムの中からー

帰宅報告

2006-01-23 20:21:20 | 移動記録
寒い。
寒いけれど陽が射している。
外に出ようか、出まいか考えながらこれを書いている。
そんな事を思っていたら日本もかなり寒そうだ。
北半球が凍っている。

私は二十日の夜、電車で帰宅した。
かなりスリリングなタイミングでスキポール空港脇の駅から飛び乗る事が出来たのだ。
電車はさほど込んでもいなかったのでパンパンに膨れてこれ以上ものが入らないリュックサックと20キロある大きなスーツケースと私は二席を占領し、真っ暗な景色のなかに飛んでゆく浮かぶ電燈や窓明かりをぼんやり眺めながら、寝不足で漆喰固めになった重たい頭を車内で買ったリンゴジュースの瓶で受け止めながら2時間半を揺られて過ごした。
頭の中はメビウスの輪のように行ったり来たり動きながらも停滞し続けている。
飛行機で帰るつもりなのに、アムステルダムまでの便が大幅遅延で、後に続く便は満席で乗れなかったのだ。
翌日の便に振り替えるのでホテルを用意するといわれた。そうする事が楽なのだろうけれど、しかし動き続けている事がなんだかピッタリしているように思えて、電車の切符を出してくれるように交渉した。
電車の国際路線切符売り場は番号を引いて待つことになっていた。無理に並んでいなくてもカウンターに表示される番号を見ていればいいわけだ。
大慌てでパニック寸前の若い東洋人女性が割り込みをかけて「皆待っているのだから、貴方も並ばねば駄目だ!」と係員からきつく戒められ、泣き顔であちらこちらに助けを求めていたが、係員は順番が来るまで首を立てには振らない。
私だってかなり内心は焦っていたのだ。後10分で私の乗るべき電車は出てしまうのだから。
おまけに20キロの鞄と背中に食べ過ぎのリュックサックと言うハンディキャップもかかえているのだから。
やがて順番がまわって来て聞けばもう最終便だという。
それを逃したら又飛行場に戻って交渉しなければならない羽目になる。 
しかるべき電車に乗って席に納まった時の安心感はやがて眠気に変わっていった。

アムステルダムに到着する前、私は成田空港にいた。
日本には個人的な急用で出向いたのでそのほぼ十日間は自分の為の時間ではなかった。

行きの飛行機では隣に気さくで話し好きなイギリス人夫婦が乗っていて、道中私の苦手とする英語を頭の中から発掘し、ドイツ語だか英語だかわからない不思議な言葉でぽつぽつ話し続けた。
日本好きの夫婦の夫の方はウェブデザイナーで、仕事仲間が日本にいるという事だった。 おかげで頭の体操を強いられた私は思ったよりも退屈せずに日本に到着した。
成田空港で荷物を宅急便で送り、スカイライナーでのんびりと移動する事にした。
外の景色を見ていると竹林が風に揺れているのが見えた。これはドイツの景色の中には存在しないものである。 
畑の色濃いきめ細かい土がいかにも美味しそうだ。
「ドイツの畑の土はなんだか荒いなあ」と日本から来た人が言うのを聞いた事がある。
それが今ひとつピンと来ないでいたのだけれど、電車の中から見た畑はまるでコーヒーの粉を敷き詰めたかの様な色合いと様子をしていて手で掬ったらさらさらとやわらかく指の間をすり抜け落ちそうだったので、ああこれの事かと思った。

久しぶりに見る街の様子は変わっているようでいて変わらない。
時間が落とす影が或る所にはふんわりとそして或る所にはじっとりとまとわりついて時間は腐食液のように働いて醜いあばた面を作りもするし、程よい古色を与えていたりもする。

めまぐるしい日々があっという間に消えて今、いつもの様にドイツの我が家でいつものように書き物をしたり、本を読んだりしているのに改めて気がつくと実に不思議な気分がする。あの数日間はひょっとして夢だったのではないかと思うのだ。

今まだ私は日本にもドイツにも居ない。
そんな気がする。
どこか宙吊りになっている気分だ。

やはりこれから冷たい外の空気を吸いに出かけることにしよう。
冷たい凍るような空気に頬を殴られたら目が醒めるかもしれない。 

ちょっとお休み

2006-01-11 01:43:57 | 思考錯誤
いまから
春が待ち遠しくてうずうずするので、
春色の暖かな色の大福もちを作ってみた。
人参色の大福は
霞の向こうにぼんやり浮かぶ
朝日みたいな感じだ。

1月20日まで
お休みします。
留守の間、
人参大福で
お茶でもすすって
待っていて下さいましょうか?

山羊頭の煮込み

2006-01-05 16:42:46 | 飲食後記
「ダイエットしなくちゃ。」
と年明け一番に彼女は言った。 



ほうれん草のクリームスープ
(翡翠色のスープに生クリームの渦巻き。)
ゴルゴンゾーラ入りクロケット
(芋ピンポン玉の中身にとろけるブルーチーズ。)
牛肉たたきとキャロットのフラン
(とろけるようにやわらかい赤身肉、淡いオレンジ色のこってりしたフラン。)
ラム腿肉の香草焼き(多種ハーブ、ナッツたっぷり擦り込んで焼いた腿。)
チコリとマンゴーのサラダ(マスタードソース付き。)
ルッコラ、ビーツ、若芽入りサラダ(和風ドレッシング添え。)
マッシュルームのマリネ(ライムと大蒜にコリアンダーザクザク入れて。。。)
ライムトルテ(ライムクリームの酸味が少しきつかったので、生クリーム添え。)
ライムとチリ入りアイス(こってりの食事後にはピッタリのさわやか系アイス。微かにピリッとする。)
エスプレッソとコーヒークリーム入りマカロン
(うまくまあるく出来上がったマカロンはコーヒークリームをはさんだ。)



大晦日の晩に我々は枯れ木を端から突き崩すシロアリのように食べ続けた。 
もう当分の間は肉を食べる必要はないね、といいながら駅裏のモロッコ人の食堂は安くて美味しいなんていうような話を、延々続けて元旦に突入したのだ。
昔は大晦日の晩の食事は少し残しておいて新年に持ち越したのだそうだ。 
新年も充分に食べられる年である事を願いが込められている。
エルツ山脈地方では今でもパンと塩をテーブルに置いて年を越す習慣があると聞いた。
我々の場合ちょっとそれとは違うわけなのだけど、結果として新年に持ち越した食べ物は今年も充分に美味しい食べ物にありつける願いをかなえてくれるのだろうか。

ところで昨日は駅裏のモロッコ人の簡素な食堂に大晦日の顔ぶれで出向いた。
水曜日の特別料理は”山羊の頭”だという事を聞いてから、どうしても試してみたいという友人に付き合うことになったのだ。
これはどういうわけだかドイツ語のメニューには載っていないくて、アラビア語でしかわからない仕組みになっている。 だから通じていなければありつけない代物らしい。
それが気に入るかどうかわからなかったし、取りあえず一つだけ頼んで4人で頭を突きまわすと、あっという間に綺麗な骨の山が皿の上に残った。 
なんだかハゲタカかハイエナの気分になって実に野性的な気分が出て来る。
「私達って全く野蛮だねえ」などといいながら、辛いソースをつけながら食べる。
ひとまず甘くて美味しいペパーミントティーを飲みながら
「それじゃあ、どうする同じもの続けて頼む?それとも他のもの頼もうか? 私は山羊頭もっと食べたい。食べる!」
と常にワイルドでパワフルな彼女は宣言するので、他の3人はそれに引きずられるように“山羊頭”3皿“クスクスと兎肉”と”羊肉と野菜のタジン”一皿づつをいきおいで注文してしまった。 
(何しろ彼女は昔、自転車でモロッコを走り回った経験の持ち主であって、肝っ玉とパワーが服を来てあるいているような人なので、私たちは頭が上がらない。)
店内を見回すと、お客は殆どがモロッコ人らしく、“水曜日の山羊頭”を突きまわしている男性(女性は我々の席意外にはいなかった)が多い。
隙間風の入る店はアノラックを着たままで充分と言う感じにうす寒く、これがほんとにモロッコならこんなに震えなくてもいいだろうになぁ。。とつぶやきながら目の前に並んだ物を片付け始めた。
私達は自分の腹具合を過信しすぎたらしく、皿の上のものは魔法でもかけられたかのようになかなか減ってくれない。
無理する事もないねという事になって、残りを持ち帰ることにした。
「もう当分肉はいらないわ。ダイエットしなきゃ。」と彼女は言った。
「どうかな? まあ、見て見ようか。」と他3人顔をニヤニヤ見合わせながら肩をすくめて店の外に出た。 
その隣はモロッコ人のカフェでピンク色の壁に向ってシーシャの煙をくゆらせながら眉の濃い、熱い顔の男共がたむろしている。 
その異国情緒を放つ空間に男女混合白黄色組みは乱入しシーシャやミントティーをいただきながらモロッコ人向け放送の流れるテレビを見たり、それをはやしたりしながらしばらく過ごし、お腹の中もミントのおかげか大分すっきりして来たのでそろそろモロッコからドイツへとゆ~らり帰ってきたのだった。

夕飯は残り物のクスクスが昼間の幻みたいに机の上に残されているのを暖めてホロホロと匙で掬って食べ、残り物の野菜やサラダをまるで“山羊”の様にシャリシャリ食べた。




山羊頭

「新年おめでとうございます」

2006-01-03 21:39:47 | 思考錯誤
「Frohes neues Jahr!!!」
元旦に散歩をしていると道ですれ違う見知らぬ人たちもにこやかに挨拶を交わしている。 
普段はこちらが挨拶したとしても気がつかないのかどうか、むっつりとした表情ですれ違う事も多いが、新年の挨拶には気づくらしい。
年中そうしたらよさそうなものだけど、まあ、そういう具合には行かない時代なんだろうね。 
今日は元旦の仮面を取り替えていつもの仏頂面の早歩きに戻っている。
今年は一日が月曜日で2日から世間は平常運転開始しているわけで、挨拶している暇はもう既にないのかもしれない。 
笑顔一つがもたらすパワーは案外大きいのだけどなあ。 
ドイツ人はサーヴィスと言うものが何たるかを知らないとよく言われている。 
実際そのとおりだと思う事がたびたびある。 
例えば店に入ると客がきちゃったわよとばかりにジロりと横目で見て爪を磨きながら売り子仲間と昨日のTVシリーズのだれそれが家出したとかいう話なんかしてたり、不覚にも何か質問してしまうと、なんてめんどくさい事を聞くのだとばかりに大きな溜息を聞こえよがしについて、こちらが指差した商品を放り投げてよこすとか、そんな風だったりすることがあるわけだ。
もちろんそんな人ばかりではなく、気持ちの良いプロ意識を持った人たちもいる。
そういう場合客側としては笑顔を向けてくれた方に脚が向くのは当然です。
笑顔の引力は強い。
つまり笑顔は儲けを呼ぶという事。 
笑顔と言うものは光に似ている。

それは兎も角今年が何をもたらすか、行く先を見てもまだ足元がぼんやり見える程度だ。 
少しでも転ばぬように先を照らす光が欲しいと思う。 
だからいつでも笑顔でいる事が出来るように。。。
そんなことを思った2006年のスタートだった。