私がサンタクロースに会ったのは多分小学2年生の冬だった。
その年のクリスマスイブ,町にあったカトリック教会を訪ねたのだ。
ミサが終ると、舞台の上にニコニコ顔の大きな袋を担いだサンタクロースが子供達を待ち受け、舞台に上がる脇の階段では悪魔が子供達を脅かそうと手ぐすねひいている。
黒と赤に色塗られた悪魔が目玉だけ光らせて子供達の周りを飛び回っている脇を子供達がすり抜け、サンタクロースの前に到着すると小さなスケッチブックと天使の蝋燭立てという贈り物を貰う事が出来るのだ。
私はクリスチャンではないので席に付いたままじっとその様子を眺めていた。
すると神父さんがやってきて「さあ、貴方も前に行きなさい。」と私の手を引いて立ち上がらせ、背中をやわらかく押した。 抵抗を感じながら、戸惑いながらも私はそれでも言われたとおり列の最後に繋がり、悪魔を横目に階段を昇り、舞台中央のサンタクロースに緊張しながら近づいていった。
気がつくと、何もわからぬままに舞台の上に一人残された私に、サンタクロースは「貴方は今年良い子でしたか?」と聞いている声が聞こえた。
私は良い子であったかって? どう返事をしたら良いのだろうか? 「はい」と即答できないだけの原因の記憶があったから、一体どうやって答えたらいいのか?
今の私なら悩みもしないでさっさと返事をしてしまうけど、そんな時代もあったのだ。
私が返事を出来ずにじっと立ちすくんだまま、困った顔をして悩むのを見て、サンタクロースは「良い子だったね。これをあげよう」といってスケッチブックと天使の蝋燭立てを私の手に乗せた。
タイムオーバーって言う事だったのかもしれない。
混乱したままに私は舞台を降り席に戻ると、何故はっきり返事をしなかったのか?聞かれたらハキハキと返事をしなければいけないと酷くしかられ、元気よく「良い子でした」と嘘をついたら良かったわけなのかと、ますます混乱のクリスマスイブは深けていった。
その蝋燭立てに一度だけ赤い蝋燭を灯した記憶があるが、それ以降埃を被って消えてしまったらしい。
12月6日は聖ニコラウス(サンタ クロース)の日である。
聖ニコラウスは悪い子にはお仕置きの小枝を、良い子には美味しいお菓子を持って現れる。 子供が良い子だったか悪い子だったかは”金の本”に書かれていて、聖ニコラウスが読み上げるのだ。
聖ニコラウスは現在のトルコ(Patara、アンタルヤ近辺)で280年又は286年に生まれ、裕福だった両親がペストで亡くなり遺産を受け継いだ彼は貧しい人々にそれを分け与えた。
その頃Myraの僧正が亡くなった折、時期のビショップを決めることでひと悶着があった。
『ミサの時間に教会のドアに触れた一人目で、ニコラウスと言う名を持つものをビショップにせよ』と言う"声"を聞いた者があり、そしてその予言は成就されたのである。
聖ニコラウスについてはMyraの僧正になったニコラウスなのかPinaraの僧正(シオンのニコラウス)か、不明な部分があるが、それぞれの履歴が混ざって築かれた伝説なのかもしれない。 加えて土着の自然信仰から生まれた神ともない交ぜになっているのだとも言われる。
聖ニコラウスは情熱的な男であり、外交的手腕を持っていたようだ。
海岸沿線の人々は異教のダイアナ、アルテミスを信奉していたが、彼は異教が求める生贄を廃止しそれらの寺院を破壊した。異教を認めない情熱の是非をここで語るつもりは無い。
また、よく知られる伝説にこんなものもある。
隣家に住む或貧しい家族に3人の娘があった。 その頃娘を嫁に出すには充分な持参金を用意しなければならない風習であったので三人の娘達が嫁ぐ為には持参金の為に娼婦として働くしかない。それに心痛めているのを知って、ニコラウスはひそかに窓や暖炉の煙突から布に包んだ金を投げ入れ彼女等を救った。
貧しきものを助け、弱きものを助ける聖人。
1555年以降ニコラウスは子供達に贈り物をもたらすという話が導入され、今に至っている。 聖ニコラウス前夜、彼はルプレヒトという僕(国により名前が変わる。手懐けられた悪魔らしい。)を連れ各家の子供部屋のドアに取り付けられた長靴や靴下にお菓子を詰めてゆく事になっている。
日本でもクリスマス頃によくお菓子屋にお菓子の詰まった長靴や靴下が並んだものだけど、あの原型だ。
面白いのは、白髭で赤い服のサンタクロースイメージは1900年頃に『コカコーラ』社がニコラウスの絵をクリスマスキャンペーン広告に使い、その際コカコーラ商標の配色”赤白”を服にあしらったというのが始まりと言うことだ。
コカコーラ社の力は偉大だね。
聖ニコラウスを象徴するのは3つの金の珠、3人の天使、3つのリンゴ、3つの星、3個の石、塩漬け樽と3人の若者、船、舵、錨である。
子供、娘、老人や旅人、巡礼者、消防署、薬局などなど様々な職種の守護聖人であるが、ここでは数え上げていたら切りが無いので割愛する。
しかし驚いたのは泥棒の守護聖人でもある事。 兎に角誰でもが頼れる心広い聖人というわけなのだ。
(最も異教には厳しかった様だけれども)
幸せな結婚、紛失物の発見にもご利益ありで、また水難、盗難防止にも活躍するのだが、盗難防止と、泥棒の守護はどうやって折り合いが付くのだろう?
Nicolausと言う名前はNicos=勝利、Laos=国民から来ている。


ちょっと感じの良いおねえさんが、ちょっとセクシーなコスチュームを身に付けて「味見してみませんか?」と欠片の入った器や、試食の入った籠をいきおいよく目の前に突き出すものだから、つい手が出てしまった。
食べてみると案外それが美味しい。
その気になって見回していると今年は、色々なニコラウスのチョコレートが出ているので思わず見ていたら楽しくなって、気がついたらいくつも手に抱えていたわけです。 今年のニコラウスコレクション第一弾公開。
さて「今年は良い子でいましたか?」