ゼリーは夏で、冬はプリンが食べたくなる。
日本では洒落たお菓子屋に美味しいプリンが並んでいて、私に誘惑のまなざしを投げる事しきりであるから、なるべくそういう店の前は目をつぶるか、前もって調べてあれば通らずに済ますのが賢い。 いちいち誘惑に負けていたら、私の体はそのうちにプリンの定番フォームの如く肩から腰までくびれ、凹みの無い形態と化してしまう危険を感じるからだ。 恐ろしい事だ。
しかし日本にはコンビニエンスストアだのスーパーマーケットだのにも、プリンは売られているからこれを避けようと思えば、もう空を飛ぶしかない。
昔、ドイツのスーパーマーケットでプリンによく似たデザートを売っていて、私は嬉しくなってそれを買った。 どう見てもそれは日本で見かけるプリンにそっくりで、それは美味しい筈だった。 ぺロッと蓋を剥がしていそいそと匙を入れると、手ごたえ、いや匙応えが違うのだ。 それはとろとろべとべととした出来損ないのカスタードクリイムのようで、それも薯澱粉でとろみをつけた物体であり、化学的フレーバーが鼻先を襲撃する、甘い甘い”黄色いのり”とも言うべき代物でなのだ。 これは出来損ないに違いないと思いたかったが、どれを試しても同じ事で、ドイツ人はそれを嬉しそうに旨そうにぺろぺろと掬って食べている。 これは一つのカルチャーショックだ。 その後スペイン、フランス、ポルトガルではそれぞれに美味しい焼きプリンに出会い食後にはそれが度々注文されたのは言うまでも無い事。

最近、隣街で月一回”フィッシュ・マルクト”という市が立つ。(この名前に反して魚はあまり出ていなかったのが不思議だ。)そこに出ていたスペイン人のタパス屋台でスペイン製インスタントプリンがどういうわけか一箱だけ置いてあるのを見つけた。 ディスプレィ用の小道具なのかと店員に聞けば売り物だというし、急にインスタントプリンが懐かしくなって、思わず買った。 もちろん自分で作ったプリンの方が美味しいに決まっているのだが、ジャンクフードの魅力に負けるのもたまにいいじゃないか。
さて、今まで眠っていたそのインスタントプリンの事を思い出して、早速箱を取り上げるてよく見ると、そうだった、私はスペイン語はわからないのだった。
親切にフランス語でも書いてあるが、そうだった、私は昔フランス語を挫折したのだった。 一瞬箱を放り投げそうになったが気を取り直してもう一度眺める。
解らないとは言えこんなものたかが知れている。 短い説明文の中にほぼ分析可能な単語が見えるし、この手の説明には定型のスタイルがある。 ミルクだ、よくかき混ぜろ、火にかけろ、掻き回せだというそのくらいの事は解る。 そこに私の豊かな想像力という"つなぎ”を使ってそれらの単語をかき混ぜ火にかけ、かくして"Flan"は出来上がった。
大胆な私であるから、4人分を分けることなく、蚤の市で手に入れたガラスのゼリー型に流し込んだ。 表面はもう既に固まって、ちょっと突くとゆるゆると揺れる。


でも、これは多分食べる前の儀式であるイメージシュミレーションと私の妄想的な味への期待が膨らんでいる時が最高に美味しいのであって、一段口に入れたらすっかり目が醒めるというものなのだろうね。