戸棚片付けをしていたら、あちこちに無造作に突っ込んである写真の束がバサッと落ちた。ポルトガルを旅行したときの写真だ。それほど沢山は無い。フィルム一本分ほどだから、多分別の戸棚にもまだ写真の束がもぐりこんでいると思う。
今ではコンピューターの中に写真はデーターとして”山積み”になっていて、クラッシュしたら、データーが壊れたらどうする?と内心ひやひやしているが、戸棚の中の写真束のようにそのうちにバサッと落ちてくるんだろうか?
そうそう、ポルトガル。
ポルトガルに出かけたのはもう何年も前の話だ。中央から北の方に向けて旅をした。少しだけ日本の田舎の景色に似た感じがあってなんとは無しに懐かしい気持ちになったのを覚えている。
ある日石山を上った。
空が菫色に染まり始めた時間だった。
そこここに転がる巨大な石の表面に黄色っぽい蘚苔類が覆っていて、その黄色い表面がすみれ色の空を反映すると緑がかった色合いになって夢の中の風景に似ていた。 ふと脇を見ると岩に大きなマリア様の像が穿たれているのに気がついて、ひょっとして幻を見ているのではないかと思って一瞬驚いた。 こういうとき話の中なら天啓って奴が降りてきたりするんだろうけど、私にはそんな劇的なことは起こるはずも無い。 しかし奇跡も何も起こらなかったとしても感動して余りある光景だった。 ほんとに素敵な風景だった。 もしかしてポルトガルで一番印象的な一瞬だったかもしれない。
リサボンの坂道の途中にある小さな飯屋で鰯の塩焼きが実に美味しくて連日食べた。 とっても活きが良かったのだ。(私はその辺敏感だ。)
泊まったホテルの中庭に美しい木があって小さな赤い実が房に下がっており、よく見るとそれは”
Schinus terebinthifolius=山椒もどき、またはピンク・ペッパー”だった。一粒採って噛んで見ると独特の胡椒風味が口腔に広がった。(これをクリームジャガイモスープにパラパラと落とすとなんとなく色、味共に良いのだよね。)
街の街路樹に始めて見る紫色のジャガランダの花が咲いており美しかった事。
ナザレの海岸付近の村をあるいていると四方八方から魚を焼く匂いがして、七輪で焼く秋刀魚を思い出し懐かしいような気分、お腹が空いて切ない気分になった事。 (家々の前には七輪を一回り大きくしたほどの炭火用グリルがおいてあったりすることが多い。)
街の角、細い裏道、坂道、壊れたタイルの壁、外に釣り下がった鳥かご、市場の喧騒、今は煤けた金襴豪華な教会、洗濯物がお祭りの旗のようにたなびくアパートの窓、地図を示して道を聞いても地図の読めない親切なポルトガル人、自然科学博物館にあったオオイカの標本、珊瑚のような飾りぶちの窓、光。。。。。の事。
など、こうして描いていると記憶の切れ端が引き出しの隙間からぽつりポツリと落ちてくる。
落ちるままにしていると、ポルトガル旅行の中にスペインやランザローテやイタリアなんかの切れ端までついでに出てきて垂れ流しになって、生き埋めになってしまうからこの辺で蓋をする。
リサボンといえばアントニオタブッキの「レクイエム」を思い出す。
この本を読んでいると心臓の辺りが共鳴してドキドキしてくる。そして「ポルトガル」に行きたくなる。
もっともタブッキがつれて行ってくれるのは観光案内書に載っている〝場所”では無いのだけれどね。。。

何処の町だったか忘れたが市場で、こんな風に腸の皮を売っていた。
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展示用の台を作るので木材屋に木を切ってもらったら、頼んだサイズが間違っていてもう終わるかと思った作業がまだ終わらない。
今日も雨。