色々な食事作法があるけれど、皿に肉や魚の添え物として乗っているジャガイモの扱いには厳しいおきてがあるのだ。
茹でジャガイモを食べる時にナイフを使ってはいけないことになっていた。
ジャガイモはフォークの背で押しつぶさねばならない。それを皿の上の主菜の肉汁が溜まる辺りへ押して行き、濃厚なソースとやわらかくほぐれた芋をいい具合に混ぜ絡めてから初めて口の中へ運ぶのだ。
茹でジャガイモは単なる添え物ではなく、ソースを食べるために存在するという断固とした使命を持っている。
でも、最近ではあまりそういうことにこだわらないようになってナイフで切って食べても、じろりと見られることはない。
私にはフォークの背中でグイグイ押しつぶし汁の方に押しやり泥んこ遊びのようにぐちゃぐちゃと混ぜ合わせてから食べると言うのはあまり上品に見えなかった。やり方にもよるのだろうか?確かにこの作法を子供の時からしつけられている人の踊るような手馴れた手つきというものはある。馴れない者がそれをするといかにも汚くなることがあるので気をつけたい。
ナイフでジャガイモを切らないもう一つの理由らしきものは銀のフォークの場合、銀器の色が変わってしまうからなのだそうだが、それを言ったらフォークだって同じ事だろう。
私は切ってからフォークで刺して口に運ぶほうが好きだったのだが、今では場合により使い分ける。
確かに美味しいソースが絡まったつぶしジャガイモは実に美味しい。主役がかすむほど美味しいことさえあると私は思うことがある。しかしそれは徹底的に混ぜ合わせてはいけない。適当にさっさっと混ぜ合わせるくらいが良い。
ねっとりタイプの芋は上手につぶせないこともあり、またあまり汁を吸わないのでソース対応ジャガイモは粉っぽいタイプである必要がある。
ああ、ジャガイモが食べたくなってきた。 表面はかりっと香ばしく中はホクホクと仕上がったブラート・カルトッフェルン(日本ではジャーマンポテトと言うらしい)の上に半熟目玉焼きを乗せる。
少しだけベーコンが入っていたり、パセリなどの青みを散らしたりもする。かりっとしたジャガイモの上の半熟目玉をフォークで切ると、スローモーション映像のようにとろ~りとゆっくりと黄色い黄身が流れ出す。
それをジャガイモで上手く絡めながら黄身を滴らせないように気をつけつつパクッと口の中へ押し込む。
香ばしいかおりが鼻腔に昇る。ほんとに美味しい。
体中に美味しくて幸せだと言う感覚が一挙に広がる。
ドイツ人にブラート・カルトッフェルンの作り方を聞くとそれぞれ得意に思うレシピを持っていたりするので、一皿食べたからと言ってブラート・カルトッフェルンの全てを知ったと思ってはいけない。
ところで、皿の上のブラート・カルトッフェルンはフォークの背でつぶす必要は無い。ナイフの手助けを受けながらフォークで掬って口へ運ぶだけだ。
一体私は何の話をしていたのだっけ?