昨日の夜7時を回った頃無事我が家に到着した。
早い再会の約束を残し、見送りの家族に手を振って階段を下りるのは年を重ねる毎に辛くなる。複雑にさまざまな思いが絡み合い蔓延りだすので急いで蓋をする。
日本からの飛行機は満席で、大半はこれからヨーロッパに向けての旅の出発をきったところだから活気に満ちている。旅行先の案内をしきりに眺めている人、仲間とにぎやかに浮き立つ気持ちを分かち合う人々。未知の景色への"期待”というスパイスで退屈せずに12時間の長旅もやり過ごせるかもしれない。
日本では当初の予定と違って3週間の間2回ほどメイルチェックをしただけで、ほとんどオフラインの生活を送ったので、日誌を更新する間も無く、すっかり涼しくてほの暗いドイツ自宅でこれを書いている。日本での3週間は半袖Tシャツの毎日だったが今その上に長袖のシャツを着ても足らずに厚手のベストも着込んでいる有様だ。もっとも日本に発つ前よりは暖かい。
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静岡では乾久子女史と福島(私)の間で行なったプロジェクト"対話写真"の展覧会を行なった。ドイツでの展示の半分量。写真家ではない我々が写真を使う事に抵抗があったとは言え、鑑賞してくださった方々の反応を見るに聞くに、目論見はそれなりに果たされた手ごたえはあり、反省することは沢山残っているとはいえ進化し続けるプロジェクトの過程としてはよかったのかも知れない。
(現在進行中、静岡にお立ち寄りの方は覗いてみてください。情報ご希望の方はコメント欄に一報くださいますよう。。。)
又色々な出会いもあり、楽しい交流もあってとても素敵な日々を静岡にて過ごす事ができた。 皆様に感謝。
その上今回もオープニングの晩に大勢で蛍を見に行くことができた。放流したものではない自然に生き続けている蛍たちの光の舞はいつまでも見て飽きない。裏にはこのような自然を残すために尽力している人々が存在している。
今回の日本滞在はなぜか酷く忙しく(いつものことだけれど)連絡を取り損ねたり、会えず仕舞いに終わった知人友人を多々残してしまった。
年金関係だの銀行関係のさまざまな手続きを済ませねばならずそれに費やす時間も多かったのだ。
その上、実に情けないことに日本の蒸し暑さにすっかり負け気味だった。体中が蒸しあがった空気を取り込んでしまい込み浮腫んだ体を動かすのが時にはとても辛く、頭がボーっとしたまま半分夢のなかでもがいているような状態で私の思考は湿気に包まれてその重みでずぶずぶと深く沈んでしまう。そんなわけで半分酔っ払いの様な状態で出会った人々に私はちゃんと対応していたものかどうか。。。
次回は秋口の涼しい風の吹く頃に日本に出かけようと決めた。
とは言え、風呂上りにぬるい風の通り道に座って甘い西瓜などシャリシャリと齧りながらぼんやり夕空など眺めているのは気持ちよく、夜も開け放した窓から聞こえる風鈴の音など聞きながら床に就くのは実に久しぶりで、夏休みの気分が味わえたのだが、そんな余裕が出てきたのも最後の2日ほどだった。
近くに住む小学校4年生の甥Rが今大変執心している"
ベイブレード"なるいわゆる独楽の玩具を持ってくるので一緒に度々遊んだ。
まだ一緒に遊ぼうと楽しみにしてくれるが、次に日本を訪ねる頃にも彼は私と遊んでくれるだろうか?
写真は用事で下車したある街の通りにあった家だ。
どうやら小火を出したらしく外壁は炭化していた。よく見ると手書き看板には『個性と創造』『夢』という字が読めた。
写真には映っていないが実はこの家は実に平べったい。後ろに迫っている家の前庭をつぶして目一杯に建ててしまったというような様子をしていた。
一体何の店だったのだろうか?この黒いドアを開くと何だか別次元が待っているような、そんな気配がする家だった。