散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

風の隙間

2009-06-30 16:31:57 | 思考錯誤



写真:アスパラガスの葉


仕事場に向かう道。
日が燦々照っていて、道に落ちる街路樹の影が色濃い。

風が通る。
そよそよそよ
そよそよ
そよ
そよとそよの間には少しだけ隙間がある。
そよは波形をしている。
その隙間に色々なものが入り込んでくるので、
風の通り道をあるいていると
波型パイ生地のようなそよそよが見える。



ポツリポツリと道の写真を撮っている。
又ちょっと新しいことを考えている。
そよそよの狭間にまぎれて吹き飛んでしまうのかもしれない。

使えそうな写真はなかなか現れず。。。



七人の眠る信者達とオオヤマネ

2009-06-27 15:59:29 | 思考錯誤
 



本日はSiebenschläfertag=七人の眠る人たちの日、またはオオヤマネの日。 (Siebenschläferとはげっ歯類の木上生の小動物だ。和名:オオヤマネ)
Siebenschläfertagの天気がこの先7週間続くという迷信がある。農家に伝わってきた気象伝承、お天気占いだ。
迷信とは言え統計的に見ると当たっていたことも多いのだといわれる。
統計的なんていわれると、へえ、そうなのかと思わず感心したくなるものだけれど、実際のところは根拠が無い。
それでも天気の良し悪しに一喜一憂してしまう私達はちょっぴり今日の天気の具合を気にして見たりする。
農業ではこの時期にどんな天気が続くかで収穫は大きく変わるだろうから真剣に気になる問題だ。

又、Siebenschläfer(七人の眠る人たち)という伝説ともつながりがある。
251年当時のローマ皇帝デシウスは厳しいキリスト教弾圧を行なった。
キリスト教徒Constantinus, Dionysius, Johannes, Malchus, Martinianus, Maximianus、Serapionの七人は山の洞穴に逃げ込んだ。追手は彼らを見つけて洞穴の入り口をふさいでしまうが、彼らは195年間眠り続けた。 446年6月27日に偶然発見されて目覚めた彼らは神の栄光を示して後亡くなる。。。。と、そんな伝説なのだが、今日Siebenschläfertagは天気に関する言い伝えを絡めて話題に昇ることの方が多い。

今日は予報では雷雨だ。
今朝はまだ陽が差しているが蒸し暑さが雷雨を予告している。

七週間雷雨じゃたまらない。

食後の散策思考

2009-06-25 11:40:16 | 製作記録






















夕食後(20時半)腹ごなしの散歩。黄金色の時刻に差し掛かる。
さまざまな穀類の畑が美しい。この美しさを写真に写せないのは無念。
『ああ、今、ここに居てよかった』と思う瞬間。


頭の中も散歩中に多少こなれてくれるかもしれない期待。
この頃、何か動き始めてはつまずいて停止。繰り返し。
あちこち中途半端な思考結果か転がっている。
つまずく前に足元の掃除をしなければならないということか。。。。
物を作る(考える)ことがいともたやすい時もあれば、発酵に失敗したパンのようになってごろごろと転がって私の足を掬う。。。

まず箒を作らないと。(謎)



色:緑

2009-06-22 21:25:52 | 写真
私達は緑のゲオルグを連れて行く。
私達は緑のゲオルグの為に歌う。
私たちの家畜を養ってくれますように
さもなければ一緒の水の中へ。

(金枝篇 上 第一章第四節)











今日は9月の展覧会カタログのポートレート用にカメラマンがアトリエに来ることになっていた。
実を言うと私は写真を撮られることが嫌いだ。嫌いなくせについ作り笑顔をしてしまう自分にも疲れる。
一時間半ほどの撮影が終わるとすっかり草臥れた。。もちろん私は自分が撮られた写真を見るのも億劫だ。(見たくないといったほうが正しい)
まあ、何をこだわっているのやら、どうでもいいことなのだが。。。

やっと今日から体調が戻ってきたようだ。




夢遊

2009-06-21 23:31:16 | 夢遊



夢景色一片


漆黒の闇。楕円あるいは長方形の四隅をぐっと丸めたような枠の中にタールのようにつややかにも見え、または真空の闇の如く冷たく吸い込まれるような漆黒があった。
『Ich muss einen Diamant finden.』 という声が耳元で聞こえたとき、闇の真ん中に八面体のダイアモンドが刺さっていた。宙に浮くというよりも刺さっているようにみえた。

そんな景色だけが残る夢を見た。何だったのだろう?
何だか妙に気になる絵だったな。


今日は建具屋作業を少々。
アトリエの掃除も少々。

しばらくの間アトリエに出かけていなかったからうっすら塵が積もっていた。
よく見ると、部屋の隅にワラジムシやダンゴムシの屍が数え切れぬほどたまっている。
何処から入ってくるものだかしばらく掃除をしないでいると、部屋の隅に虫の屍が積もる。餌も無いこんなところをなぜ墓場に選ぶのか?もっとも墓場に選んだわけではなく忍び込んだものの餌も無いので死んでしまうという事なのだろう。
そういえば去年の5月頃我が家の居間に小さな蟻がどんどん入ってきたことがある。蟻はどうもオリエンテーションを失っているようでそして翌日には死んでいる。
不思議に思ってしばらく観察していたが、どうやらどこかで蟻退治の薬を撒いたのではないかとおもう。その現場から逃げてきた蟻が我が家の居間に入ってきては死んでしまうのだ。今年も同時期に同じ事が起こったが、去年より薬が効いていたのか朝私が見るときにはもう息絶えている。
2,3日続いたのでやがて部屋の片隅は蟻の屍だらけになって、さすがの私も気持ちが良くない思いで始末した。
何だかアトリエも、我が家の居間も虫の墓場になってしまっていささか当惑してしまうのだ。
我が家に辿りついて"ホッ”として。。。ということならいいけれどね。


Bingerdenの植物市

2009-06-21 00:23:41 | 思考錯誤
6月19日Bingerden
空模様は晴れのち曇り時々雨が降ったりだったが、週末天気予報では金曜日が多少ましな予報だったので、隙を見てBingerdenの植物市に出かけた。












戦利品を車に運ぶ人々を眺めるのもなかなか興味深い。
何を買ったのか?見ながら見知らぬ庭を想像する。

Anemonopsis macrophylla
Peltoboykinia watanabei
Hydrangea paniculata Early Sensation
Pelagonium carnosanを入手。







食べること。。。など

2009-06-19 10:53:14 | 植物、平行植物




去年よく花を咲かせたオオマツヨイ草の種がこぼれて鉢の中にぎっしり茂っていた。
それはなかなか美しいものだったが、大きくなってくると窮屈でもある。
そういうわけで、若い葉を鋏でバシバシと切り取ってしまった。いかにも美味しそうな葉だ。調べればモロヘイヤのようなヌメリもあって案外いけるということを読んだので、さっと湯がいたがアクが強くて口の中にイガイガ感が残る。重曹の中につけてみたがどうもあくが抜けない。花の蕾や花の三杯酢などなら問題ないのかもしれないけれど、この葉っぱは残念ながら失敗の巻き。美味しく食べられたという人もいるわけなので、個体差もあるかもしれないし取り扱いの差もあるのかもしれない。
ベトナム芹は漬物に入れたり、炊き込みご飯に入れて楽しんだ。



青梅塩漬けに気を良くした私は杏も塩漬けを試みている。
天気の良い日がありそうならこれを干して梅干もどきを作ろうという企みだ。このまま食べたっていいかもしれない。
いつものことながら日本で過食して体重が増えた。
しばらく美味しい話は禁止したい気もするが、粗食で美味しい話をおかずにするのもいいかもしれない。


咲いているのは

2009-06-18 10:01:54 | 植物、平行植物
一番花の薔薇はすっかり終わってしまった。
今回の留守中いきなり気温が上がった日があったらしく、痛手が大きかったようだ。
気温の大きな変化には私ばかりでなく、皆影響を受けているのだな。

(今、咲いているのはアナベルと名無しのアジサイ、ぎぼうし、ムラサキシキブ、金銀花、ブラックベリー(棘無)、Salvia microphylla ‘Hot Lips’などなど。。。。)


















まだ頭はぼんやり、体はふわふわしていて、遠くのほうで「しっかりしろ!」という声が聞こえる。
何から始めようか。。。。
それを選択するのは結構大きなポイントだね。選択いかんで走り出すか急停車するか決まる。
やはり、この辺は慎重に。。。

梅干になりたかった?

2009-06-17 00:56:25 | 飲食後記







『宅急便で~す』という声と共に箱が届いた。
何が入っているかと見ると、友人の庭に実った梅の実だった。
庭師が入って梅の木の枝払いをするのであわてて梅の実をもいだのだそうだ。
それを私に見せたいといううれしい心遣いであった。(日本の宅急便の便利なことと言ったら無い!)

しかし、見て、触って、香りを嗅ぐだけではもちろんもったいない。梅干を作るには時間が足りないのでそれではと塩漬けと梅酒を仕込んだ。
その日の昼には遠方に出かける予定だったので早速近所のスーパーマーケットに走り、あま塩と焼酎と氷砂糖を買い込み電光石火の早業で仕込んだ。数日すると水が上がってなかなか良い感じだ。出発前夜には青いままではあるがすっかり梅干のような様子をしていた。
その漬け汁を切って実だけをトランクにひっそりと忍ばせてきたのだ。
梅酒は当然持ってくることができないから、次回日本帰国の際のお楽しみということになっている。梅酒は美味しいね。
ドイツでは連日のまぶしい太陽はあまり期待できないので(これを書いている今も雨雨雨。。。)上手く梅干ができるかどうかわからない。このまま食べてしまうことになるだろうが案外美味しい。
この果肉でサラダドレッシングを作っても良さそうだし色々使い道はありそうにおもう。
実家では梅干ならぬ杏干というものを作ったというので食べてみたらこれもなかなか美味しかった。当然ながら梅の香りが無い。それは残念だが売っている添加物の入った梅干などよりもずっと美味しいのだ。この地には梅の木は無いのだが杏はある。杏の実も時期になれば売りに出るからそれで一つ塩漬けを試してみようかなと企んでいるところ。

思えば生の梅の実を眺めたのは実に久しぶりのことだった。
なんともうっすら産毛に包まれた青梅の愛らしいことだった。


赤くて甘い

2009-06-16 13:54:57 | 思考錯誤
。。。苺を食べた。
大粒の赤い塊を大口を開けて放り込むと苺の香りが鼻の奥をやわらかく刺激する。
水水しい果実に歯を立てると、飛び切り甘く、さわやかに酸い汁が滴り小さな川となり喉の奥へと流れて行く。さらに噛締めるとぷつぷつと言うかすかな音が耳に届く。これが又楽しい。

日本ではもう苺を見かけなかったので残念だったが、こちらではまだ山積みだ。
路地もの苺はこれからまだ出てくるのでうれしい。




夜10時過ぎる頃になると眠いなあ、と自覚するより先に眠りそのものが襲来して前後不覚に枕を抱いて床に横になってしまう。それでも隙を見て床から身を引き剥がし風呂に入り、布団にもぐり込み襲い掛かる睡魔に身をゆだねるが、その後まず3時半頃に一度目が覚める。
無理やり布団をかぶっていると眠りの尻尾がちょろちょろ遊びに来るくらいで5時にはそれも何処かに行ってしまう。
日本での時差ぼけによる睡魔は昼頃やってくるから、それに比べたらとても楽だ。
逆にこのペースを保ちたいくらいなものだなあ。




個性と創造

2009-06-15 21:24:47 | 思考錯誤


昨日の夜7時を回った頃無事我が家に到着した。

早い再会の約束を残し、見送りの家族に手を振って階段を下りるのは年を重ねる毎に辛くなる。複雑にさまざまな思いが絡み合い蔓延りだすので急いで蓋をする。
日本からの飛行機は満席で、大半はこれからヨーロッパに向けての旅の出発をきったところだから活気に満ちている。旅行先の案内をしきりに眺めている人、仲間とにぎやかに浮き立つ気持ちを分かち合う人々。未知の景色への"期待”というスパイスで退屈せずに12時間の長旅もやり過ごせるかもしれない。


日本では当初の予定と違って3週間の間2回ほどメイルチェックをしただけで、ほとんどオフラインの生活を送ったので、日誌を更新する間も無く、すっかり涼しくてほの暗いドイツ自宅でこれを書いている。日本での3週間は半袖Tシャツの毎日だったが今その上に長袖のシャツを着ても足らずに厚手のベストも着込んでいる有様だ。もっとも日本に発つ前よりは暖かい。

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静岡では乾久子女史と福島(私)の間で行なったプロジェクト"対話写真"の展覧会を行なった。ドイツでの展示の半分量。写真家ではない我々が写真を使う事に抵抗があったとは言え、鑑賞してくださった方々の反応を見るに聞くに、目論見はそれなりに果たされた手ごたえはあり、反省することは沢山残っているとはいえ進化し続けるプロジェクトの過程としてはよかったのかも知れない。
(現在進行中、静岡にお立ち寄りの方は覗いてみてください。情報ご希望の方はコメント欄に一報くださいますよう。。。)
又色々な出会いもあり、楽しい交流もあってとても素敵な日々を静岡にて過ごす事ができた。 皆様に感謝。
その上今回もオープニングの晩に大勢で蛍を見に行くことができた。放流したものではない自然に生き続けている蛍たちの光の舞はいつまでも見て飽きない。裏にはこのような自然を残すために尽力している人々が存在している。

今回の日本滞在はなぜか酷く忙しく(いつものことだけれど)連絡を取り損ねたり、会えず仕舞いに終わった知人友人を多々残してしまった。
年金関係だの銀行関係のさまざまな手続きを済ませねばならずそれに費やす時間も多かったのだ。
その上、実に情けないことに日本の蒸し暑さにすっかり負け気味だった。体中が蒸しあがった空気を取り込んでしまい込み浮腫んだ体を動かすのが時にはとても辛く、頭がボーっとしたまま半分夢のなかでもがいているような状態で私の思考は湿気に包まれてその重みでずぶずぶと深く沈んでしまう。そんなわけで半分酔っ払いの様な状態で出会った人々に私はちゃんと対応していたものかどうか。。。
次回は秋口の涼しい風の吹く頃に日本に出かけようと決めた。

とは言え、風呂上りにぬるい風の通り道に座って甘い西瓜などシャリシャリと齧りながらぼんやり夕空など眺めているのは気持ちよく、夜も開け放した窓から聞こえる風鈴の音など聞きながら床に就くのは実に久しぶりで、夏休みの気分が味わえたのだが、そんな余裕が出てきたのも最後の2日ほどだった。
近くに住む小学校4年生の甥Rが今大変執心している"ベイブレード"なるいわゆる独楽の玩具を持ってくるので一緒に度々遊んだ。
まだ一緒に遊ぼうと楽しみにしてくれるが、次に日本を訪ねる頃にも彼は私と遊んでくれるだろうか?

写真は用事で下車したある街の通りにあった家だ。
どうやら小火を出したらしく外壁は炭化していた。よく見ると手書き看板には『個性と創造』『夢』という字が読めた。
写真には映っていないが実はこの家は実に平べったい。後ろに迫っている家の前庭をつぶして目一杯に建ててしまったというような様子をしていた。
一体何の店だったのだろうか?この黒いドアを開くと何だか別次元が待っているような、そんな気配がする家だった。