散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

独り言の泡つぶ

2007-02-28 02:53:16 | 思考錯誤


朝起きると喉の内側に紙やすりを貼り付けたみたいな感じがする。
先日から、関節が痛かったり、胃腸が変だったり、やけに眠かったり、頭がぼんやりしている。(頭の件については、いつもと変わりはしないのか。。。)
今日はいつもお世話になっている画廊の主人が作品を覗きに来るというので足を引きずりつつ仕事場に向う。
今年は展覧会の予定が幾つか入っているので、来春に個展をする事を約束した。
画廊主人が帰ってから、今、楽しんで描いているドローイングを続けていたら、一日中ずっと立ちっ放しだったという事もあるが、すっかりくたびれてしまった。
ピカソやクレーのあの精力的な制作活動は真似られないだろうが、これじゃあ、あんまりだ。
風邪引きのせいもあるのか? 情けない。体力低下が急速に進んでいる。
帰りがけに薬とビタミンCを買ってきた。おまじないのように思って飲んでおく事にする。

さて今晩はたっぷり野菜の入ったトマト味スープ(殆ど野菜煮込み)に鮭の切り身を放り込んで、ホイップクリームを乗せる。
山盛りのルッコーラと林檎のサラダにカリカリ焼いたベーコンをかけて、胡桃の入ったパンを食べることにした。
さっきから今晩は何を食べようかかなり悩んで(?)いたのだ。

頭がうまく回転してくれない。
電話のお待たせ用メッセージのように立ち止まってグルグル動いているきり。。。

腹ペコガール

2007-02-24 08:04:40 | 美術関係



あんまりおなかがすいたので真っ赤に燃えた自分のこぶしを齧ります。
あんまりおなかがすいたので8月の晴れ空のように真っ青な顔になりました。
あんまりおなかがすいたので狼のように口が裂けました。
彼女の名前は、ハングリー・ガール。

パウル・クレーの絵の題名は楽しい。
"忘れっぽい天使"、"この頭は方程式が理解できない”、なんてふるっている。

ケルンのルードウィッヒ美術館でのパウル・クレーの作品展を観てきたところだ。今回展示されたのは1935年以降の晩年作品群である。
彼が強皮症を発病した頃だ。病気ばかりでなく、Degenerate Art 退廃芸術の刻印を押されてナチスドイツから逃れ、故郷ベルンに帰った彼の生活状況は苦しい筈だったが最後まで、様々な不足にもかかわらず制作を続け、大量の作品を残しているのだ。
鉛筆からするすると現れてきた天使たちや人物たちの語る言葉は複雑だ。


同館内で画家バルテュスの兄であるピエール・クロソウスキー展が同時開催されており、クロソウスキーの作品は未見だったので興味があった。
独特の世界を色鉛筆でかなり大きな画面に描き込んでいる。
バルテュスの世界に共通する部分は多いのだが、私は彼の世界に入る戸口を見つけることが出来なかった。下手くそな(下手とか上手いとか語る域を超えているのか?)線が画面を埋め尽くし、その線が私を生理的な不愉快さと不安に陥れる。そんな感じだ。
それは彼の企みの一部だろうか? 



ところで今年の秋には同美術館にてバルテュス展が開催される。

透明茸

2007-02-21 22:50:13 | 夢遊
吐く息がなんとなく拡散しないまま、顔の前にもやもやとかたまってしまうような日。
親指に人差し指を引っ掛けて空気をはじくと「キン」と硬質で高い音が響く様な日だ。
Tシャツにセーターにダウンのハーフコートをはおり、グルグルと長いマフラーで作った渦の中に顔半分を隠すと、自分の吐く息がこもってすっかり眼鏡が曇ってしまう。
細かい水蒸気に視界をさえぎられながら、落ち葉の積もる森の中を歩いていた。
しばらく行くと、いきなり新鮮な茸の匂いに気がついた。
茸の季節はもうすっかり終わっているのに、こんな寒い冬の真っ只中に生えている茸は多くは無い筈なのに?
その香は時にはとても強くなり、びっしりと生えている茸の上を私がザクザクと踏みにじりながら歩いている姿が目に浮かんだ。

「透明茸」
と言う言葉が耳元に聞こえた。
「透明茸が今年は沢山生えているようですね。この茸が沢山生える年はあまり良い事が起こらない。ここ数年透明茸は増え続けているようですね。」
「この茸は姿が見えませんから、匂いを頼りに捜すのですよ。ほらこの辺りにも沢山生えています。」と声は続いた。

「透明茸とは聞いた事も見た事も無いけれど、美味しいのですか?貴方は食べた事があるのですか?私は茸が大好きなのですけれども。」と訊くと、声はちょっと考え込むような間を空けてからこういった。
「美味しいといえばそうかも知れません。でも私が食べた時には美味しいのだかどうなのだかわからないままに飲み込んでしまいましたから。。。」
一体どういうわけでこの人は茸を飲み込むんでしまったのだろうか?
「透明茸にまつわる話を聞いた事がありませんか?」私が首を横に振った。
透明茸らしき匂いの濃い辺りにじっと目を凝らすと、確かに何か妙な感じがした。



 少し前のこと、茸の季節は終わったのに森の中で本当に強く茸が匂ってきた。辺りを見回しても茸の欠片さえ存在しないので、不思議に思った事がある。私は散歩を続けながら、透明茸物語を考え始めた。話にはまだまだ続いていたが、しばらく話を放っておいたものだから、半分以上消えてしまった。生ものはキチンと調理をしておかないとすぐに駄目になるものだ。ひょっとして透明になってその辺に転がっているのかも知れない。


薔薇の月曜日

2007-02-20 06:20:28 | 思考錯誤



外に出て、右横に曲がると黒いマントに赤い耳の悪魔が立っていた。

悪魔はやがて通り過ぎて行った。

すると前方からカリフォルニアオレンジ色のお下げ髪を左右に二つに分けて、チェック柄の大きなエプロンをかけて腕に籐籠を通したおばさんが、済ました顔で通り過ぎていった。

インディアンがやってくる。

二挺拳銃のカウボーイが、何者かを狙っている。

マイケルジャクソンもやってくる。

小さな子豚も走ってくる。

尖った鼻の魔女が箒を担いで歩いている。

ピエロが大きなおなかを揺すりながら通り過ぎる。

二本足の猫がスキップしながら走り去る。




薔薇の月曜日。

遠くからカーニヴァルの喧騒がかすかに風に乗って届く。

お茶の時間

2007-02-17 09:20:59 | 思考錯誤





アトリエの近所にマクドナルドがあるのだけれど今まで立ち寄った事が無かった。
私はマクドナルドのハンバーガーが特に好きではない。よほどおなかがすいている時、仕方なく食べる事が年に一度あるかないかという程度だ。ちょっとコーヒー休憩をしたいというときには利用する事がある。安いし便利だ。

衛生面では中々優良らしい。最近ファーストフードチェーン店の衛生管理状況調査の結果マクドナルドはその点、成績が良かったと言う記事を読んだはかりだ。
(ちなみにNordsee,Ikeaの食堂は問題あり。)

ところで話題になる程の事ではないのだけれど、その近所のマクドナルドにコーヒーを飲みに行った。
何時からなのかマック・カフェという部門があって、ケーキや、マフィンな並んでいる。コーヒーも色々あって、いつもの紙コップではなく、ちゃんと瀬戸物のコーヒーカップや、ケーキ皿や、フォークが出てくる。
ちょっと割高になるけれど、たまにマフィンを食べにきても良いかもしれない。
マックも相変わらずではやっていけないのだろう。色々変化している様子。
ドイツもスターバックスやその手のチェーン・カフェ店が雨後の筍、雨後のきのこみたいに現われる今日この頃、お子様ターゲットで何とか食いつないでいるだけでは不味いという事か?

でも、チーズケーキは何故かまだ半分凍っていたけどね。

2007-02-16 10:21:34 | 美術関係
フランクフルトで楽しんだのは、オディロン・ルドン展ばかりではなかった。
シュテーデル美術館で「庭」と言う展覧会も今回の目的の一つであった。
沢山の画家達がそれぞれに思いを込めて庭を描いている。庭だけが主役でもあれば、舞台でもあり、植物が主題でもあれば、脇役でもある。

それは中々楽しい企画だった。
ゴッホの、コローの、ルノアールの、シーレの、リーバーマンの、モネの、マネの、ボナールの庭。庭での出来事。
エルンストの不思議な葉っぱの並ぶ風景や奇妙な植物のコンポジション、クレーの軽いタッチで描かれた庭の花々、や鳥たちの歌う庭、ムンクの星空の下、庭の木陰で気持ちよさそうにくつろぎながら黒歌鶫と歌比べをしているかのような牧神はベックリンの筆だ。
ボイスの洒脱な花のスケッチ、クールベが描くテラスで思いにふける若い婦人もいれば、フリードリッヒの煙る風景の中でほっそりとしたうなじを見せる婦人の後姿。ホードラーの庭には蒲公英の綿毛とうす紫色のライラックが美しく咲き誇る。

私なら、今どんな庭を描くだろう?

ついでにシュテーデル美術館の常設展示もさっと流して鑑賞。
これも中々良い。
フェルメールの”地理学者”、クラナッハの”ヴィーナス”なども一応抑えておかねばと欲張りになって足を引きずりながらも捜してしまう。
一日の2件の展覧会を見てまわるのは中々疲れるものだ。
最後は私の脚はただの2本の棒と化して、油断すると機能停止状態に陥る。それをなだめ透かしながら動くのは苦労だったが、それだけの価値はあった。

外に出たときにはくたくたで気がついたら昼飯食わずだった。
早めの夕飯を食べようと街中を少し歩いたが、結局ルドン展の開かれているSchirn Kunsthalle のカフェ・レストランに入った。他にこれという店が見つからなかったのと、表の黒板に書かれた今日のメニューがちょっと興味をそそったからだ。( 例えば、”トマトとオレンジのスープ”みたいなね。)
意外なことに( 期待を全然していなかったのだ。)中々美味しい物が出てきて、給仕も中々感じよくとても満足。
一日の締めに美味しい物にありつけるというのは幸せな気分になるものだ。

この辺りには「林檎ワイン」という名物がある。
オレンジジュースなどで割って飲んだりすると、さわやかで飲み口が良いので気がついたら飲みすぎているという危険な飲み物なのだそうだ。
コーラ割りも有名だけれど、あまり飲む気はしない。



オディロン・ルドン

2007-02-15 02:21:20 | 美術関係





ルドンの黒には色彩がちりばめられて、自分が何色を見ているのかさえわからなくなる。
目くるめく色彩の濃縮。蠢いている。
うす暗闇に浮かんだ目の気球は果てしない遠く宇宙に視線を向けて何を見つけるのか?
沼地からす~っと伸び上がって、ひっそりと輝く不思議な花が夢を見ている。
今にもしゃかしゃかと音を立てて踊りだしそうな10本足や11本足の蜘蛛たちがニンマリと笑って絵から飛び出し、隣で夢を紐解く作業を何百年も続けている男の背後に忍び寄って悪さを仕掛けようとするのかもしれない。
もの影から想像の手が生え始め、枝が伸び、芽が膨らんで開けば、淋しげな目が瞬く。

そして色彩の爆発。
黒いカプセルから解き放たれた色の粒子たちがぐんぐんと育つ。
大聖堂のステンドグラスから零れ落ちる光達の踊りは花となり、不思議な生き物となる。

ルドンはあまり幸せとはいえない幼年期を送ったのだそうだが、そんな環境がこれらの作品に反映しているのに違いない。
自分の家族を持ったときに、彼は孤独からの解放を実感し、今まで黒の中に閉じ込めていた色彩を解放した。

しかしルドンの絵の中に出てくる目はいつも淋しげであり、その視線は何処を見る事も無く宙を彷徨う。 目は開いているのに、何かを見ているようには見えない。
黒い瞳は漆黒の闇のようだ。
目は外に向けて開かれているのではなく、視線は内に向っている。
しかし、それは決して弱弱しい内向的な視線ではなく、内宇宙をくまなく散策しては発見をし続けているに違いない。

私は黒い時代のルドンも目くるめく色の咲くルドンもどちらも好きだ。

ああ、楽しかった。
と今、余韻を味わっている。
フランクフルトのSchirn Kunsthalleでのオディロン・ルドン展を見てきた。
実はドイツであまり知られずにいる画家の一人であり、そういう意味で今回の展覧会は大変目面しい催しだったのだ。ちょっと遠出をする価値はあった。
ルドンはダーヴィンの進化論に感銘を受けていたらしく、生物の進化のイメージから彼流に開花したキメラのイメージは好きなモティーフだった様子。
20歳の頃植物学者アルマン・クラヴォーと出会い、顕微鏡の世界に魅せられるようになったというのはよくわかる。
当時出来た水族館からも刺激を受けて彼の想像の翼は水の中に、空中にと飛び回ったようだ。
そんな所も、私の心に触れてくる点でもある。

よく見れば、部屋の隅の暗がりに、ほらひっそりと咲いている闇の花。。。。


(上はフランクフルトの河岸の並木の写真にいたずら。)

独り言

2007-02-13 00:30:17 | 思考錯誤


今日は一日中、目がこんな具合にぼやけた感じがしていた。
いくら使い古した、こき使った目だとは言えひどいものだ、なんだか嫌になってくる。
しかし目のせいばかりではなく、今日の天気は霞がかかったような暗い空で、たまに何百本もの針のような太陽光が雲間から地面に注いでいる所などは、実にドラマチックではあったけれども。。。
午前中に懐がちょっぴり暖かくなったので、“ゲンキン”な私はこの空の暗さにも負けず機嫌よくすごした。 
外に出て気付いたのは、ほんのり暖かいのは懐だけでなくて実際外も暖かで12度もあった。

もうすぐ「薔薇の月曜日」がやってくる。カーニヴァル人間達がいそいそとしている今日この頃。
今週の木曜日はAltweiberといって女達の日である。街に繰り出した女達は鋏を持って、男性のネクタイを切っても良い事になっている。
だからこの日はお気に入りのネクタイをして街を歩くのは危険だ。
もし切られても文句は言えない、無礼講だ。
この時期カーニヴァルに血潮が騒がぬ人々がカーニヴァル地帯から逃避する。私も別段カーニヴァルに心踊るわけではないし関係ない訳だけれど、逃げるほどの事は無い。
近所の子供達が「Narrenzoll=愚か者の税関」と書いた紙をかかげて道路に紐を張って通せん坊をし、お金をせびる。そんなのにつきあわされたりするわけだけれど、そのくらい仕方ないというもの。

さて、明日も予報は雨模様。




メモ:
昨日TVで映画「ペイ・チェック」を見た。
P・K・Dick通と自称する私なのでディック原作ベースの映画はとりあえず見なければならない気分になる。
出演俳優達があまり好きでない上、ディックらしさが感じられなくてがっかりだった。
最も期待はしてなかったけれどもね。

晩年のピカソ

2007-02-08 17:42:05 | 美術関係
2月7日水曜




今朝電話で知人がピカソ展に行こうよと誘ってくれたので夕方行く事になった。
ウィーンのアルベルティーナで行なわれた展示がデュッセルドルフに巡回してきたもので、晩年の作品群である。
私はピカソが大好きなわけではないし、ピカソの晩年の作品が特に好きなわけではない。。。と生意気にも思っていた。それが今回ひっくり返った。
ピカソの作品が変化するわけではないから、私自身に変化が起こっていたわけだ。
実際晩年作品群はピカソ存命中には評判が悪かったらしいけれど、しかし私は展覧会をとても楽しんだ。一枚一枚を見て行くのが楽しかった。色々な意見を聞くけれども晩年の12年の作品群も力強い。信じられない力だ。
一日で一枚を描ききったという事だから、想像しただけでも大変な数、量である事がわかる。製作せずには生きてゆけない人だったのだろう。死の直前まで筆を動かし続けた力を考えただけでも凡人ではない事がわかるよね。
生涯常に変化を遂げながらなんでも吸収し消化して言った彼の多域に渡る表現方法と作品群には驚かれるばかりだ。
老いた彼は作品の中でもはや主人公ではなく、その後ろに隠れる覗き屋である。
しかしその彼の”生”を掴もうとする欲望、最後まで激しく老いを否定する如くエロスを描き、その老いさえもがテーマとしてつかまれてゆくその感じには圧倒される。
面白いことに作品から放射されるパワーに触れていると、私も何か作りたい気持ちになって仕方なかった。
晩年ピカソの作品には“死への待合室に座る年寄り”しか見えないとかなんとか言ったのは誰?
全くそんなことは感じない。
家に帰って、手元にある三冊あるピカソのカタログ(大好きではないというわりには三冊も持っているのだ。)を眺めてみてわかったことは、今の私にはむしろこの時期の作品がしっくり来るのだと思う事だ。

今回同行した知人は中国人で独特の言い回しと発音で私の頭をかき回し混乱を投げ込むので、数時間一緒に話していると、とても疲れてしまう。(私自身の事は棚に上げてね。)
誘われなければ見に行かずにいたかも知れない展覧会だったので、その点大きく知人に感謝。

毎月第一水曜日は夕方18時から22時まで入場無料になる。ピカソ展のように混雑が予想される展覧会の場合はあらかじめ無料の入場券を受け取っておく必要がある。
また、この日は展覧会場に作品解説員たちが大勢待機しているので、知りたい事があれば答えてくれたり、面白い話が聞けたりするのが楽しい。

レシピノートの表紙

2007-02-07 17:22:15 | 思考錯誤


今、仕事場には箱やら本やら紙やらが積まれている。
場所と言うのはちゃんと広くなればなるで、隙間にどんどん物が入ってくる。そろそろ、収納場所は一杯になりつつあって、昨日も棚の片付けに時間を費やしたけれども、まるでテトリスゲームのように頭を使わなければならない。
最も作る事を止めない限り、物が減るという事はありえない。
友人は家や店がたたまれる時に色々なものを引き取っては他で売るような商売 "も”している。“も”というのは、彼の仕事はこれだけではないからで、何人かと組んで医療器具のパテントを取って会社を立ち上げたり、展覧会の企画をやったり、地元の歴史関係の本を出していたり、まだ他にもあったかな。
兎に角鮫のように動き回っていないと生きてゆけないのでは無いかと思う。たまにそういう人っているものだ。
「いくつ仕事持っているの?」と聞いたら「色々やりたい事があってね」という。
特に古本(特に専門書)とか古い広告とか、古いポストカードなどが彼のターゲットで、その売買で食べているらしい。今のところは。
兎に角、私の作品と物々交換をして帰った。冒頭にあげた”本、箱、紙”との交換で、私は少しサーヴィスしすぎたかもしれない。
ふと「僕の今年のモットーがなんだか言ったっけ?」と聞いてきた。
私が首を横に振ると
「僕は子供の時から収集する事が生きがいだったんだけれど、今年はね”素晴らしい一瞬”というものを集めることにしたんだよ。この作品欲しかったんだよね、この瞬間も今年のコレクションだね。」
と、なかなか繊細な事を言う。



さて、その本の中に古い手書きの料理のレシピノートがあった。
表紙はいわゆる西洋人のイメージする所の”ゲイシャ”なのだろうか。
ガウンのような着物の襟元が中々斬新だ。中にはチャイニーズカラーの下着が覗いていて、手には熱そうな紅茶を捧げている。古いレシピはケーキにどっさり卵や砂糖を使っていたり、バターなどもふんだんに使うのでち、ちょっと使えない。
しかし何でこの絵なのだろう?
なんだか表紙につられて引き取ってしまったのでした。

人気投票

2007-02-06 17:46:54 | 美術関係



フランクフルトにも良い美術館が幾つかあってたびたび出かけたいと思う展覧会がある。もちろんベルリンなどとは比較にならない。
しかしフランクフルトは我が家から日帰りで気楽に行ける距離だ。
そうはいっても調べてもで中々行くことはないのだけれども。

Staedel- Museumからニュースレターを送ってもらうのでこまめに情報だけは掴んでいる。今「Gaerten=庭」という展覧会が開催されていて、ちょっと気になっている。そんな絵が見たい気分なのだ。
庭を描いた絵は沢山ある。今すぐに頭に浮かぶのが、ボナールの庭、クリムトの庭。200点ほどの展覧会度というから見ごたえはあるだろうか。この展覧会はフランクフルトが終わるとミュンヘンのレンバッハ美術館に移動する。(レンバッハ美術館もとてもよい美術館だ。中庭が良いしね。)

それとは別なのだが、シュテーデル美術館の所蔵絵画の人気投票中とあり最終結果は3月に発表。
理想像、女性、子供、男性、動物、神の栄光、自然、演出の8項目ある。
私は
Sandro Botticelli-Weibliches Idealbildnis, um 1480、
Lucas Cranach d. Ä., Venus, 1532
Claude Monet, Das Frühstück, 1868
Jan Vermeer van Delft, Der Geograph, 1669
Gerard David, Verkündigung Mariens
Fra Angelico, Thronende Madonna mit Kind, von Engeln umgeben
Edouard Manet, Die Krocketpartie, 1873
Rembrandt Harmensz van Rijn, Die Blendung Simsons, 1636
を選んだ。

人気投票のページお時間のある方は覗いてみてください。

こんなことをして遊んでいるうちにますます、絵を見に行きたくなってきた。
フランクフルトの展覧会で実はまだ他にも見たいものがある。
フランクフルトまでICEに乗れば2時間弱だから日帰りでいつでもいける。。。と、そう思っていると中々行けなかったり、行きそびれる。今回こそは。。。。

今週は大した寒さではないとは言え、冷え込むらしい。

空を見ると出かけるのが嫌になるけれど、仕方ない。

市場にて

2007-02-04 13:32:51 | 夢遊
中華街の市場に入ると、万華鏡の中に入り込んだかの様に様々な色の欠片が散らばっていた。
大きなアーティーチョークの葉が一束あったので、早速脇に抱える。
少し青いみかんがゴロゴロと台の上に並んでいた。
大小さまざまなみかんで小さいものは金柑よりも小さくて丸い。
面白く思ってよく見れば小さい丸い粒たちは皆大きなみかんと癒着している。
大きなみかんには、およそ十個ほどの子分がくっついているのだ。どうやって食べると良いかと考えながら、これは買うべきだろうと手にとってまじまじ眺めていると、背後から声が「そのみかんは止めたほうが良いですよ、農薬散布がひどいところですからね。」といった。
成る程そうなのか。食欲は一気に低下して、奇妙なみかんを台の上に戻した。
棚を見るとこれまた色々な麺が並んでいる。これも汚染されているのか?
そのうちのおいしそうな2,3種類の麺を選んで抱えた。
果物、乾物、豆、麺、などなど見渡す限りの混沌に目がまわる。
大きな冬瓜が目についたので、しばらく迷ったあげく、背後に先ほどからついてきている人物に「これね、うまく彫刻できないんですよね。やわらかすぎて、崩れてしまうんだな。貴方が彫り上げてくれませんか? そうしたらこれを買って帰ろう。そうだ、貴方も一緒に展覧会をすればいい。」と話しかけた。
振り向くと、誰もいない。市場も消えている。草むらの中に建つ5,6階建てのアパートメントの壁に展示されている作品を指差しながら「そう、あんなのはどう?」と友人に話しかけた。

夢だ。


最近また毎日妙な夢を見る。
私は人形の2cm位の靴ばかりを沢山作っていて、ブレーメンの人形作りコンクール(そんなものは現実には無いんだけれど)に参加しようとしていたり、会社の方針で踊りながら仕事をしなければいけない人たちが出てきたり(それは滅茶苦茶可笑しい、ラップにあわせて移動するとか作業する。その真似は不可能。)
マア、そういうおかしな夢は楽しくて良いけれど、苦しくて冷や汗の出る夢は困る
。その辺コントロールできると良いんだけれどね。

昨日"Night at the Museum”という映画を観てきた。
出だしは退屈だったけれど後半テンポがよくなって、それなりに楽しめた。特にどうと言うストーリーも無く、それこそ夢の中の破天荒な話的な映画で、軽い娯楽が欲しい時には良いかもしれない。
それより"The Fountain”という映画を見に行きたいと思っている。
私はこのダレン・アロノフスキー監督の ” π ‐パイ ”という極ローバジェットの映画をみて気に入っていた。
"レクイエム・フォー・ドリーム”と言う映画もよかったらしいけれど、見ていない。
”The Fountain"は内容が複雑なため賛否両論のようだ。
ブラッド・ピットとケイト・ブランシェット主演で進んでいたものの、何があったか話が砕けて結局ヒュー・ジャックマンとレイチェル・ワイズのコンビネーションで出来上がったらしい。内容から押して見るに、後者の方が個人的には良いんじゃないかと想像している。

5分間

2007-02-02 00:47:05 | 思考錯誤
友人からこんなメイルが届いた。


>>Turn everything off
>> On February 1st between 7:45 p.m. until 8 p.m.
>> Five minutes, not to save energy, but to
>>
>>
>> Urgent: action against climate change
>>
>>
>> On February 1st you can participate in the worldwide greatest action
>> against climate change!!!
>>
>>
>> Various environmental organizations are asking the peoples of this
>> planet to hold 5 minutes of silence: Everyone should turn off all
>> lights, electricity etc. between 7:45 until 8 p.m. to bring attention
>> to other inhabitants, the media and politicians about the daily waste
>> of energy. An act which takes only 5 minutes, which cost nothing, but
>> shows the governments that climate change should be on the top agenda
>> of world politics. Why this date? On February 1st the United Nations
>> is publicizing the newest results and knowledge base on climate
>> change.

パリのエッフェル塔も今夜5分間明かりが消える。

空気

2007-02-01 15:55:12 | 自然観察



冬の空気はシャープだ。
先週は冬だった。シャキッとした空気。
今日の空気は生ぬるい。
ほんわりと暖か、と言う感じではなく脂肪分がぽってりついた感じで重たい。
なんだか融けて変形してゆく蝋燭のようにグチャグチャした空気が鬱陶しいので、髪を切った。
ジョキンときっちりそろえた前髪をみていたら、子供の頃を思い出した。
あの当時おかっぱ頭が沢山並んでいた。
幼稚園から帰ってある日私は、あまりに前髪が鬱陶しくて大きな裁ちばさみを探し出し、ジョキリジョキリと切った。しかしそうそううまく切れないものだ。前髪は次第に短くなってとうとう生え際辺りまでなくなってしまった。
それでも私はすっきりした額に全く満足していた記憶がある。
三つ子の魂は健在で今でも時々発作的に前髪をジョギリジョギリと切りたくなって切る。

この数日、日が駆け足で伸びてゆく。どういうものかいきなりそれに気付く日があるのだ。
明るくなった。

スノードロップとクリスマスローズが咲いている。
ローズマリーの花も満開だ。
去年の暖かさで今日まで葉の落ちないでいるアケビを良く見れば、なんと花の蕾が沢山顔を覗かせている。
葉が落ちないというのも変だがもう蕾が出ているというのも普通ではない。
蕾はまだ色づいているわけではないけれど、それにしても早すぎだ。
寒いのは嫌いな私でも、この中途半端な空気はしゃっきりとしなくて気持ちが悪い。複雑なものだ。