数年前の事だ。
北ドイツのブクステフーデという街の美術館で個展をするために下見調査に出かけたついでに,北海を旅しようと相棒と共に旅立った。
ブクステフーデはハンブルクから極近い南西にあるロマンティック街道にある街でなかなか可愛らしい様子の街である。早々に"下見”を終えて、そこからそう遠くない北海に面したクックスハーフェンに向かった。
クックスハーフェンには大きなヴァッテンメーア=干潟地帯が広がっている。
それをぜひ見てみたかったのだ。
そこには干潟、低湿地帯、高地乾燥帯、泥土地帯といづれも興味深い自然環境がある。
海際の小さな宿の部屋に荷物を置いてから早速散策に出かけると風が強く五月半ばというのにまだかなり寒く上着の襟元をぎゅっと詰めて抑えながら歩いた。
そして翌朝、ホテルの廊下の窓から海を眺めると私は、一瞬面食らってしまったのだった。
そこにあるはずの海はすっかり引いて、濡れた砂の波跡が朝日を反射して鈍く光っているだけだ。
前日の夕刻に眺めた景色はすっかり消えていた。
干潟地帯を見慣れぬ者の目にこの風景は不思議な感動を与えるはずだ。
潮の干潮時には、遠くに小さく見えているノイヴェルクという島まで馬車で渡ったり歩いたりすることができるが、干潟地帯は知識を持たずに一人でうろうろ歩いては危ない。
彼方まで水が引いてしまった後の砂地を眺めていると、深呼吸する地球を想像して、私の頭の中もついでにザアーッと潮が引いてゆき、脳みそも引っ張られて行く様な気分になろのだった。



クックスハーフェンを出てから船に乗ってヘルゴランド島にも足を伸ばした。
ドイツに住み始めた頃、テレビ局は国営しかない時代で(当時我が家では三局入った。場所によってはイギリス軍放送BFBS-British Forces Broadcasting Service-もはいったっけ。。。今では30局以上入る)、放送終了時に国歌と共に画面に映るのはヘルゴランドの岸壁だった。何でこの画面なのかなあと思いながら放送終了画像を眺めたものだ。
"Helgoland”という名は"heiliges Land=聖なる地"から来ているのだという人もあるけれども、北海沿岸の高潮時に海没してしまうような小さな群島を指してHalligといって、そこから名前が生まれたのだともいう。
まあ、Heiliges Land=聖地であると言った方がちょっと楽しい。
そんなわけで一度行ってみようかと思いついたのだった。
小さい島だがかつてはデンマークやイギリス領であったこともある。さまざまな歴史を持った島だ。
島に着くと沿岸に色とりどりに可愛らしい小屋が立ち並んでいる。これは昔ロブスター漁が盛んだった頃使われていた小屋で、現在は小物を売る店に変身したりして観光客の目を楽しませている。その上最近では結婚式をあげることもできるという。ロブスター小屋の結婚式っていうのはどんな感じだろうか?見てみたかった。
野鳥観察、特に渡り鳥の観察に適した島で、重量級の撮影機材を持ってうろうろしている人達も多い。
街には小さな野鳥観察情報事務局があって壁に貼られたリストを見ると「何月何日何時何分何処で何が観察された」というような情報が随時記入されてゆくようだった。機材を担いだ彼らもそれを見て足の向く先を決めるのだろう。
風が強い日(いつも風は強いようだったけれど。。)は風が立てる色々な音が少し神経に障る気もした。そんな私の気分とは反対に鳥達は強風の中を吹き流されたり舞い上がったり、楽しく遊んでいる。
本島の脇にあるデューンという小島にボートで渡るとアザラシの群れにも会えた。群れに近づくのは危険だということで、人間達は遠巻きに固まってアザラシの群れを眺めて歓声を上げたり写真を撮ったりしている。
少し離れた所からその二つの群れを眺めるとアザラシの群れも人間の群れもそう対して変わらないように見えたし、この浜においては好奇心に包まれながら、ちょっと怖がっている人間の群れの方が影が薄いようにも見えた。
海を眺めていると、時々波間に現れる塊があった。海の中には座礁した船の残骸が沢山残っていて、その一部を波が繰り返し繰り返し洗っているのだ。
遠浅の海であるからこのあたりは船も事故を起こしやすい。
海底の砂は移ろってゆくので起伏が変化するのだ。それを見極めて航海するのも難しかった事だろう。
中世時分は海賊が頻繁に行き交っていたあたりである。
すっかりさびて朽ち果てんとする鉄の塊はかつては海賊船だったのかもしれない。
そういう意味で想像力かきたてられる場所なのだった。
また強い冷たい潮風に吹かれて見たくなっている。



