引き続き天気も良く散歩がてらにケルンに向った。
ケルン大聖堂の地下駐車場から地表に顔を出すと広場がまぶしい。秋らしい濃い目の色合いに変化した陽光が広場を満たしているなか、いつもながらに賑わう観光客、インラインスケートでアクロバット走行の訓練に励む若者達、だみ声でわめくように歌うパンクの一群、バッハを弾くチェロ弾き、ジャズを聞かせるグループ等が通行人を引き付けている。
今回の散歩はロマネスク教会巡りと目的を絞った。
ケルン中心部には12のロマネスク教会が残っている。まず最初に向ったのは聖チェチリア教会だ。
入り口付近
聖チェチリアは音楽守護聖人である。教会としての役割は既に終了しているが、改修され、今では中世美術館に変身している。小振りで手ごろなサイズという事もあるが、かつては教会であった“場”の持つ静謐さが実に心地よい美術館である。中に私の好きな。観音像かと見まごうような雰囲気を持つマリアと洗礼者ヨハネ像があったり、ほほえましい聖人像が並んでおり、ここでは外の雑踏を忘れさせる静かな一時が得られる事請け合いである。
次に出向いたのは聖十二使徒教会だ。
ドアを潜ると薄くらい中に窓からすっと差し込んだ陽光が、そこに立ちどまり冊子を読みふけっている尼僧を包んでいたのが絵のようで印象的であった。
残念ながら聖障がしまっており、祭壇部まで近寄ることは出来なかったのは残念だ。香煙の香りが暗闇の中にしっとり沈んでいる。
聖十二使徒教会を出て、又しきり歩き始める。
ファン・エイクの古い画集が開かれた古本屋のショウウインドウやアンティック商をひやかしながら歩いてゆくと聖ゲレオン教会に辿り着いた。中に入るとすぐにミケランジェロのピエタを手本に作られた像が1897年に増築された金色のチャペルの中に見える。
教会堂入り口両脇には情けない顔のライオン達が悪を追い払っているらしい。ライオンたちの許しを得て中に入ると、いきなり万華鏡の中に頭を突っ込んだかのような色の饗宴、花火のように華やかなステンドグラスを通して落ちる光が床面や壁に踊っている。
1945年ローマ時代の建築物上に建てられたこの教会の基礎を発掘している最中、礎石から345年代の金貨が出てきたそうだ。なかなか立派な建造物があったらしいことがわかったが、如何なる類の建物かは不明ということだ。
堂内は薄暗くどこか劇場のような華やいだ雰囲気を感じてしまうが、祭壇部は数段高くなっておりそこからは明るくシンプルに作られているように見えた。 ”見えた”と言うのは、残念ながら見学申し込み無しには立ち入れないようになっていたからだ。先日見学したアルテンベルクの清楚なステンドグラスに比べて少々毒々しいくらいに派手な窓はそれほど古いものではないようだが、しかし修復以前の写真を見ればもともとの窓も大体似たり寄ったりの雰囲気を持っていたように見えた。
さて、ライオンに挨拶をして外に出る。
今だ賑やかな街中を大聖堂に向って歩く。相変わらず賑わっている人中を縫うように歩く。そういえば長い事大聖堂をのぞいていない。ケルンにはたびたび友人知人を訪ねてくる機会も多いのにいつも素通りしてしまうこの威圧的なゴシック大聖堂に、ロマネスク巡礼ラインから脱線するが、勢いついて飛び込んだ。
ゴシック様式の建築を代表するかの様な厳しい堂々とした外観は常に工事現場のように修復作業等が行なわれている。この大聖堂が完成する暁には世界は終局を迎えるだろうとも言われているくらいだから完成されないでいる事は世のためかもしれない。
そして入り口を潜るとなんといってもこの大きさには圧倒される。左右前後のステンドグラスも圧巻だ。美しい色の調べに魅せられて首がカクッっと後ろに反ったまま戻らなくなるのではないかと思うほど眺めて歩いた。
実際その所為で未だ肩首が凝っている。
さて次回は何件回れるものか?次のケルン行きはまだ未定であるが、楽しみは少しずつと言うところか。
緑濃き山間に住む友人宅を訪ねた。久しぶりに天気も良く大変気持ちの良い土曜日だ。
山間といっても高い山がこの辺には無いので、かなり起伏のある地形といった方が正しい。いづれにせよ、今でこそ道はどこにでも走り、街が作られ、車で移動できるので不便な事は無いが、昔はやはりそのあたりも辺境であったことだろう。
緑に覆われたそんな場所にあるアルテンベルク大聖堂を友人らとともに訪ねてみることになった。
以前からその聖堂のステンドグラスが気になっており、見にゆきたいと思いながらも見損ねていた。
聖堂の近くにはハイキングに最適な森も多く、天気の所為もあるのだろうなかなか賑わっている。
修道院は1803年に国有化になった後間もなく解体している。
1857年以降カトリックとプロテスタントは共存して施設は分割されているが、宗教革命後、カトリック教会とプロテスタントの共存が始まり多くの教会がそうして使われるようになった。
ここはチスタチエンザ(Zisterzienser)会の修道院で1133年にフランス(Morimond)の僧によって創立された。
1098年にBernhard de Clairvaux(1090‐1153)は教会の富と権力に背を向け、本来の僧としての勤めを促すために新しくチスタチエンザ派を改革した。彼の生きている間だけでもヨーロッパ内において300ものチスタチエンザ修道院が出来たというからすごいものだ。
Berbhard de Clairvauxはひときわ弁の立つ僧侶であり十字軍出征にあたっての説教は聴くもの心を掴み、奮いたたせるのだった。彼は修道院のあり方の理想を終生追い求めながら、世俗的、政治的問題のかかわりから逃れる事が出来ないジレンマに悩んだ様だ。
このチスタチエンザの戒律は人里離れ貧しい土地に修道院を建てる事、世俗から隔離された日常で理想として全てが自給自足であること、そして教会は質素で絵画や装飾は不要であり鐘楼を作らない事である。この修道院が建つあたりは湿地帯で肥えた土地ではなく、山間である事もあって選ばれたのだろう。
聖堂の中に入るとまずその明るさに驚く。天気の良い日であったこともあるが、ほんのりと色付けられたステンドグラスというフィルターに漉された太陽の光は静謐そのものである。 このアルテンブルクのチスタチエンザ・グリザイユ窓は13世紀に完成したもので、色と人物像を退け、自然の、その多くは植物をモティーフに選んでいる。
1400年ごろ18x8mの西窓が最後に作られたが、この頃はチスタチエンザの戒律も多少緩んだものか強い色が使われていて、黄色、オーカーのガラスを通して日が差し込むと、まるで金銀の液体が注いでくるかのような、質素な堂内の中にあってひときわ豪華である。この窓だけは人物像が描かれ、竪琴やバグパイプ、フィードルを演奏する天使達、グレゴール、ヒエロニムス、アウグスティヌス、アンブロジス。中央にはキリストの頭部が描かれていた。
この西窓を持って150年に渡るこのゴシック大聖堂は完成した。中央には金色に包まれた聖母子像が下がっており、これは拝観者側にも祭壇側にも見えるように2面になって双方に向かい穏やかな視線を与えている。
質素でありながら光あふれる聖堂内に流れる時間は、そのステンドグラスから注ぐ光のように余分を削がれ澄んで引き締まり、時計の針はほんの少しだけゆっくり動くかの様に見えた。
追記:
調べていたら下記の事がわかったので、記す。
チスタチエンザ会は日本ではシトー会と呼ばれている。
Barnard von Clairvaux はクレルヴォーのベルナルドス 。またはクレルボーのベルナール。
アートの世界の一つの表現形式に“本”と言う形式があって、一般的に“絵画”とか“彫刻”とは違いなじみの薄いタイプの表現方法だ。
その中にも様々な形があるので本のオブジェ、アートブックとはこのようなものである、と一言で分類しにくい。
中には“本と言う形式を利用した作品”もあれば“アートワークとしての本”と言うタイプなどがある。
限りなくオブジェに近づいている作品、一見“本”という概念に当てはまらないと見える作品もあるだろう。
“本”とは様々な情報が保管された、またはそこから取り出せる箱のようなものと考える。情報の保存、情報の伝達だ。
しかし、本の魅力は内容のそれだけではなく手触り、質感の美しさ、形態を含めての魅力が伴い、さらに本そのものが工芸品あるいは芸術として扱われる場合もある。
“本”の外見は通常ある範囲の大きさを持っており、保護する表裏表紙があり、多数のページを持ち、紙が便宜上使用されている場合が多いが、アートワークとしての本は絵画的彫刻的な表現方法や、他のメディアを利用する作品になので、通常の本のような形態や素材を持たず様々な試行錯誤が行なわれている。
ということで今日は某学校にて本作りのプロジェクトを行なってきた。
今回は汗ばみながら部屋の中を飛び回り、フットワークを必要としたプロジェクトだった。
過去記事にも書いた去年の某学校でのプロジェクトでは半年間と言う期間が与えられたので、とても充実した満足のゆく成果を得た。
今回は日本から来た生徒のスケジュールにあわせ、実に残念な事に時間が多く取れず、かなり無謀な製作になって反省している。
あわただしく短時間に仕上げた本作りで、彼らのなかに何らかの形での種が蒔かれたであろうか? 無意味でなかった事を祈る。
物を作ることの楽しさを再確認してくれたなら私としては嬉しい。
最後の一時間は嵐のようにばたばたと作業をし、片付け写真を撮る暇もなかったのも残念だった。このような授業では作業時間との兼ね合いを計るのはかなり難しい。自分自身の作業速度で判断してはいけないことを学んだと言う結論。
毎回学ぶ事が多い。
ところで速報
学校といえば例のモザイクのマリア像はめでたく発見され、通路に移転する方針に決定された。夏休みが終わり学校が始まってしまった今、すぐにモザイク画を剥がす作業が出来ないため、石膏ボードで当分覆われる。
マリア様が無事で、そして又これからも安泰と聞き、かなり気になっていた私はほっとした。
モザイクのマリア様の過去記事を読んで気をもんだ方も居られるだろうから、ここに報告をするとともに、マリア像の写真を掲載する。
これがその話題のマリア像だ
午後2時。今朝のほころんだばかりの輝きは失われたとは言え、まだ堂々と咲き続けている朝顔である。
朝から夕まで”時間”が停止してしまったかのように変化しないこのどんよりとした空の下、朝顔は閉じる隙を見失ってまだ咲き続けている。
以前ポルトガルに行った時にエンジ紫色の昼顔がそこここに咲いて美しく、育てたいと思い種を捜したがどこにも実っては居なかった。ドイツで咲く昼顔の中にも美しい白い花の種類があり(写真下)これも種を見かけない。
我が家に咲く、上の写真の紫の花は正確には丸葉朝顔である。
イポメア ヴィオラセア L. はアステカ名をTililtzinといい、南メキシコではぺヨーテなどに並んで、もっとも重要な幻覚剤として尊ばれている。預言者はこれを儀式に使い、または薬としても利用される。この種子の粉末に水を加えて抽出液を服用するか、種そのものを噛む。
催眠効果と同じ働きがあり、忘れた記憶や真実を引き戻す事も出来るという。
何種類かのアルカロイドの含有量はTrubina corymbosa(ヒルガオ属)よりも5倍強である。その中にはLSDと類似した構成のアルカロイドが含まれているので場合によってはLSDトリップに似た幻覚がおこり、数時間の異常をきたすそうだ。その他の副作用としては嘔吐感、倦怠感がひどくなる事だというし、いずれにせよ過剰反応する場合もあるから試さない方が身のためである。
知人Mは昔この話を聞きつけ、丸葉朝顔の種を集めた事があるそうだ。
全て準備万端でさて夢の世界へいざ向わんと、種の粉末を溶いた液を口元に運んで舌先が液を感じたその時、彼の脳裏に幾つかの場面が浮かんだ。
これを飲んで幻覚を見て恐ろしい目にあったらどうしよう-《目を見開いて凍りついた顔のアップ。》
これを飲んで幻覚が消えずにそのまま気が変になったらどうしよう-《包丁を振り回して踊りまくっている図。》
これを飲んで心臓が苦しくなって、お腹も痛くなったりしたらどうしよう-《突かれた丸虫のように縮んでいる図。》
これを飲んで一人孤独に死んでしまったらどうしよう-《部屋の片隅でミイラ化している自分の姿》
彼は残りを即流しに捨てた。賢明である。
それからの彼の行動と言うのが面白い。まず冷蔵庫に飛んで行きオレンジジュースのパックを2本取り出し、そのままがぶがぶと飲み続けたのだそうだ。
何故か? 丸葉朝顔のほんの少量の毒が彼にオレンジジュースを飲め!と命じたわけではない。シトロン系の果実汁は麻薬を中和すると彼が固く信じていたからだ。
まあ、兎に角何事も無く、ただオレンジジュースで膨れた腹をタプンタプンと持て余すだけに終わった。まったくご苦労様だがそれでよかったのだ。
昔、朝顔の葉のおひたしをいただいた事がある。朝顔の葉は毛が生えてざらっとした表面を持っているのでおいしそうにはとても見えないが、ゆがいてしまうともちろんのことしんなりするのと同時にヌメリがあって醤油とおかかで頂けば、案外乙なものであった記憶がある。
今手元にあるのは丸葉朝顔ばかりなので食べられない事は無いだろうが、その時の味を確認する事は出来ない。
私の思考は油断するとすぐに食べることに向ってしまいどうもいけないのでここで方向修正を試みる。
有名な千の利休の逸話のなかに”朝顔の茶会”と言う話があった。
利休の庭に朝顔が咲き乱れて美しいという噂を聞きつけた秀吉が訪ねて来るというが、その日利休は朝顔を全て摘み取ってしまう。秀吉は内心不満に思いつつ茶室を見やるとたった一厘の朝顔が生けてあり、その美しさに感心した。という事である。一厘の花の持つ美しさは全ての朝顔の美を凝縮して格別であった事だろう。
どんな色の朝顔が咲いていたのだろうか?私はどの朝顔も好きだが特に5月の空のような空色の花が好きだ。
一厘の朝顔もいいが、朝顔が咲き乱れる利休の庭を見たいものだ。
さて、丸葉朝顔の葉っぱをしこたま食べたら、見る見るうちに私の頭から紫の漏斗のようなラッパがにょきりと生え、両人差し指からどこまでも延びる蔓が伸びだし口から種をまき続ける。。。などという幻覚に悩まされる事になるかもしれないので実験をためらっている。
参考サイト:メキシコの幻覚性物質を持つ植物
参考文献:神々の植物
追記:この記事を書き終えてからやはり私の好奇心は丸葉朝顔の葉を食べようとうるさいので、数枚を茹でてみた。
齧って見ると朝顔のときよりはヌメリが無い。
個体差かもしれない。もう少し齧ると案外これが美味しい。それほど癖が無く多少野性味のある野菜と言う感じだ。醤油とおかかがあったらいいだろう。またはゴマよごしにも悪くない。結局ゆがいた葉を全部食べた。
今のところまだ、私の頭かららっぱは生えてくる様子は無い。。。と思う。
きれいな透明の粒つぶ
が大好きな甥にビーズを使って
虫のブローチを作って送ったら
蝉が飛んできた。
5歳の指が作ったせみ。
昆虫大好きの甥はカブトムシや
クワガタムシの絵も描いてくれた。
初めて貰った手紙。
ついでにこれは彼が
4歳の時に作った甲虫。
焼き物だ。
寒い。ダウンコートを着込む。
雪。雪。雪。
白い雪
冷たい雪
夏の雪
いや、ドイツの夏が今年悪かったとは言え、雪が積もってスキーが出来るという天変地異はまだおこっていない。
今日は隣のノイス市郊外にある屋内スキー場に行ってきたのである。
何故いきなりスキー場に行く事になったかというと、私がスキー中毒であり、夏の間,薬切れ中毒患者の如く悶え苦しんだ挙句駆け込んだわけではない。
私が実は氷の星から来たエイリアンで寒くないと病気になってしまうので雪を求めマイナス4,5度の空気を吸わなければならなかったというわけでもない。
そういうわけではなくて日本からの一行のお世話係を頼まれたからで、スケジュールの中にスキーが組まれていたからだ。
今週の木曜日に私はノイスの某学校で、日本から来た女学生18人とドイツ人7,8人を相手に一日プロジェクトをすることになっているので先週末下準備に学校に行った。用を済ませて校長と話していたら、実はもう一つ手伝って欲しい事があるという。
それがこの屋内スキー場行きだった。
私はダウンのコートを着て雪の中に1時間ほど立っているだけだったから、仕舞には足先が冷たくなってしまったが、思いのほかマイナス4,5度はそれほど寒くないものだと感じた。
人工雪はなんだか使い古されたような色をして”くたびれた雪”と言う感じがしないでもなかったが、しゅっしゅっとすべる音か心地よく響く。
私は雪の上を運動靴で歩いたり小走りに動いただけだったが、雪の上を歩くのはなんとなしに楽しかった。インストラクター付きで、スキーをしたことが無かった学生達もなんとなく滑れるようになり、一時間はあっという間に滑り去り、名残惜しそうにしていた。ちなみにドイツ国内に屋内スキー場は2件しかなく、ここはそのうちの1件だ。
外に出れば、かなり涼しくなったとはいえ、まだ雪の降る寒さではない。妙な気分だ。タイムスライディングした気分。
良かった、まだ外はそれでも暖かい。
ポッタリと湿気を含んだ空気が雨を予感させる。
皆と別れた後、歩きはじめたら雨が降り始めた。ボリュームのつまみをグイッと回し続けているように雨脚は強くなり続け、家に付く頃にはすっかりぬれ雑巾のようになり、朝ポットに入れたコーヒーを2,3口すすりソファーに倒れた。
これにて本日終了。
”怖い話”を書いてみようかというのがきっかけだったのでこの夢を選んだが、夢としては荒唐無稽さが無くて 面白く無い。
手元に昔の夢日記がある。映像的に美しく言葉では表わせない絵のような夢もある。
たいていはぶつ切りの話が何食わぬ顔でちゃっかりつながっていたりするのものだが、ある時最後までつじつまの合う夢を見た。これだけ長くて現実的(?)な夢を見るのは後にも先にも今のところこれだけだ。大抵は継ぎ接ぎコラージュである。色は必ず覚えている。後からつけたのだろう、といわれても実際の所はわからないが、覚えている。。と思っている。
夢日記はメモ書きだから、下記の話は読みやすいようにと多少の色付け、夢保持者の特権、勝手な付け足しを施したが、筋書はほぼこのとおりだ。夢を実際見ている時間はわずかだというから、このえらく長い話が一瞬の間にどんな風に折りたたまれて記憶に残るのかと不思議に思う。
ちなみにこの夢を見たときの私の視点は映画を見るように外にある。傍観者の立場だ。
注意!:以降他人の夢屑だって読んでやるぞ、という方のみ読み進めてくださることをお勧めします。
緑濃い八月の日曜日。
空を見上げれば一面に蒼空が広がっている。ただぽつんと吹き出物のように小さく固そうな雲が東の空に浮かんでいるのが見えるだけだ。今日も暑くなるのだろう。
庭先に出されたテーブルでは家族が朝食を始めたところだった。
両親に挟まれるように座った男の子がジャム付のトーストを制覇しようとしている。
父親はゆで卵の皮を割り、母親がコーヒーを新しくカップに注いでいる音が、風の運んでくる音に加わってもまだ静かな日曜日の朝。ぬるい空気が空間にヌメリを持って動くともなし停滞している。
突然、静けさは油の切れた木戸を開ける音にかき乱された。父親は『朝食が終わったら、木戸の留め金に後で油を差しておかなきゃいけないぞ』と考えながら卵に薄皮を熱心に丹念にむき続けている。
「あら、どこの坊やかしら?」
という母親のいつもよりも一つトーンの高い声をきっかけに一斉に庭木戸を振り向くと、ぼろきれを纏っただけの痩せこけて片目の潰れた少年が木戸に手を掛けたまま、ぼんやりと佇んでいた。
少し頭を右にかしげながら、少年の片目は彼等をみているのに、しかしその視線は彼等を通り越し、後ろの何かを探っているかのようだ。魅入られたように凍りついたその場を解凍したのは今までジャムパンと格闘中だった、今年5つになる子供だった。
「君は誰?」
それに続けて母親が、少年を朝食に招いた。
あたかも今、目が覚めたかの様子で少年は木戸にかけた手に力を込め、心を半分どこかに置き忘れたような様子で近づいてきた。片足を引きずって歩く少年は薄汚れたなりの奥にどこか親しみを覚える何かを持っている。父親も母親も機械的に食事に専念している振りをしているだけのようで、実は少年から何故か目が離せなくなっている。
たっぷりとした食事を終えて彼らが訊ねる間もなく、少年は自分の生い立ちを語り始めた。話が進んでゆくうちに父親の顔にあらゆる感情がかわるがわる万華鏡の様に変化している。母親の薄く開いた口元は呼吸する事を忘れているかの様で、コーヒーカップを持つ指先が白くなっている。
彼等の変化を見取りながら少年が話し終えた。
父親は10年前の今頃、何もかもが上手くゆかずに仕事も失いイライラしていた。
ある真夏の夕方、空気がすっかり膨れ上がって息ぐるしい中を、5つになったばかりの息子を連れて近くの野原に散歩に出かけた。いつもより夕飯が遅かったので、あたりはすでに薄暗くなっている。
左右に丈高い草原が広がっていて、道筋のほか一面緑が地面を埋めている。
風が草原のうえを通る音さえもしない。枝の先をナイフで尖らせながらぼんやり散歩を続けていた。
と、右手の草むらがいきなりガサガサとゆれ動いたのだ。それだけのことに彼の頭の中がパーンと飛んでしまった。そして草むらの中に向って手に携えていた先を尖らせた細く長い枝をがむしゃらに振り回し突き刺した。
手ごたえがあったと思った途端、ドサッと何かが倒れる音とヒーと細く高い泣き声が聞こえたのに我に返り、草むらを分け入ると、そこには目を刺されて血まみれになった我が子が倒れていたのだ。
動転した彼はいきなり走り始め、自宅の庭が見えたその時、我に帰って又引き返したが、倒れていた筈の息子の姿はなく、そこだけなぎ倒された草の穴が開いているだけだった。
「それでは君は私の息子だ」と父親は自分の過ちの許しを請いながら少年を抱きしめ、少年の長い旅も終わり、一つの悪夢は終わったように見えた。
翌日、母親が特別に腕を振るった夕食の後、父親は息子二人を誘って散歩に出かけた。何もかもすべて歯車は合うべき所に合わさり、ようやく順調な未来を描く事が出来る様に思った父親はいつになくはしゃいだ様子だ。
拾った枝で草をなぎ倒しながら、来週末には釣りに行こうと饒舌だった。
日は暮れて、夕闇が音を立てながら近づいてくるのに気がついて引き返すことになった。長男が従う足音が聞こえる。
数歩歩いたその時、右手の草むらがガサガサと揺れ動き、父親は草むらに思わず突き刺した枝の先に何があるのか、“見る事”が出来なかった。
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私の夢日記にはタイトルがつけてあるものも多い。題名だけここにいくつか書き上げて見ると、
1.ももあんこ
2.本屋たたたたた
3.ドーナツのなる木
4.蒼いマグノリア
5.8階建ての周りを惑星が回る。
6.2色バベルの塔
7.欲張るものは損をする
8.鯰またはツワブキの森にハンミョウ
9.巨大金魚に咬まれる
10.千切れる腕
食べる夢もかなり多い。時々友達が呆れるのは、夢で美味しく食べて、香りもすることだ。最近楽しい美しい夢が減ってきたので、残念だ。
今朝はやけに部屋の隅の古い蜘蛛の巣が気になって、一つ一つからめとるように掃除していった。そこでふと思い出した話があった。
知人のRioは世が世ならばお姫様という人だ。某侯爵家直系ではないが,同じ名を継いでいる。
ある日彼女が訪ねて来たときの事。やはり今朝と同じく私は蜘蛛の巣が気になって仕方がなかった。気にはなるが掃除する気もなくただ目がたびたびそこに行ってしまう。
彼女とお茶を飲みながら、何とはなしにまた蜘蛛の巣を見上げてしまうのを止める事が出来なかった。
他愛もない事を話している途中、いきなり
「蜘蛛の巣と言えばね。。。」と彼女は始めた。 別に蜘蛛の巣の話をしていたわけではなかったのだが、私の視線を追って彼女も蜘蛛の巣を見ていたらしい。
「伯父の屋敷で子供の頃に兄弟、従兄弟と屋敷探険をした事があるの。」
「幾つも部屋があるのでそれは楽しかったわよ。その一番奥に屋敷から塔につながる通路のドアがあって、そのドアはいつも鍵が掛かっていたの。でも、塔には皆行きたがらなかったわ。」と言い、カップの縁からお茶をすすっている彼女の大きな目だけがこちらをのぞいている。
ははあ、やっぱりね。塔というものはどうもそういうものらしい。たびたび塔というのは怪しげな存在として物語の中に君臨しているではないか。ほらほら、さあさあ、出てくるぞ、と私は頭の中に勝手に芽生えてくる物語を蜘蛛のようにはりめぐらせながら続きを待った。
なのに、もったいぶってテラスに咲いているライラックを急に熱心に眺めながら口をつぐんでいる。
「ねえ、あのライラックきれいな色じゃない? いい香りよね。」
「それで、その塔に昇ったことあるの?何があるの?」と私は頑固に塔の話を促した。
「ううん、塔には昇ったことはないわ、でもねある時私は鍵を手に入れたの。っていうか、物置でね古い鍵束をみつけたのよ。鍵束って魅力的ね。どれがどの部屋の鍵かわからなかったから、面白くてあちこちに調べて見たわ。それで塔へ続くドアも調べて見ようと思ったのね。ガチャガチャやっているとスッとドアが開いたのよ。すごく驚いたわ!」
と言いながら、レモンクッキーを美味しそうに齧っている。
「それで?中に入ったの?」
「そこは通路なんだけどね、まったくそっけないわけ。それに蜘蛛の巣がいっぱいでまるで蜘蛛の巣で出来た灰色の布が掛かっているかのようだったわよ。」
そうねえ、と私は部屋の隅に灰色に垂れ下がる古い蜘蛛の巣を眺めやった。
「私は、こわごわ手に持った鍵束で、蜘蛛の巣を少し掃ってみたのだけどね、その先は薄暗くて何も見えなくて、なんだか怖くなってドアを閉めちゃったのよ。」
「ふうん、それでその塔について何か面白い話は無いの? はら、幽霊とか出ないわけ?」と
私が先立って本題に押し入ったので、彼女は少し出鼻をくじかれたようになり、いきなり早口になって続けた。
「もちろん出るわよ!庭から塔を眺めるでしょ、するとね、ふと天辺の小窓から白い服の女性が立っているのが見えるのよ。いつもじゃないのだけどね。伯父に聞いたら、昔身分の違う相手と恋をして身篭った人がいてね、その塔に閉じ込められて亡くなったらしいわよ。」といって彼女は話しを信じたかどうかを確かめる如く私の目を覗き込んだ。 やっぱりね、と思いながら私は
「ふうん、なんだかよくある話ね。昔はそんな事がどこのお城屋敷にもあったって言う事ね。それで本当にあなたも見たの?」と今度はこちから彼女の目を覗き込みながら聞いてみた。
「え~。。うん、子供の時に見た。。と思うわ。。。ううん、見たわよ。」
私は、いい加減蜘蛛の巣の残骸を掃いて捨てなければなぁ、と考えながらお茶を飲み干した。
そこには素敵な地下道があったり、梁が複雑にめぐらさた屋根裏部屋もあるという。ある日彼は梁に頭をぶつけて額に深い切り傷をこしらえていた。聞けば現場の人間はそこで一人残らずそこで頭をぶつけるといういわく付意地悪な梁らしい。
上に下にと階段、梯子を上り下りするので、その現場に行けば必ず筋肉痛になるという、私の想像では素敵な空間のようだ。
ある日現場に行くと、古くからそこに勤める年配の主任教師がやって来て
「この壁のことなのだけどね。。ひょっとして、この壊す壁のあたりにはモザイクのマリア様が隠れているかもしれませんよ。」と言い出した。
-何で又マリア様が隠れているのですか?ー
その学校はカトリック系であったのだが、後にプロテスタントと共存する事になっった。もともとカトリックなので壁にモザイクのマリア像をあしらうというのは当然なアイディアであったが、しかしプロテスタント派からマリア像に対する抗議がでたのだ。プロテスタントの子供達にそんな偶像を毎日拝ませるわけにはゆかないというわけらしい。
結局論議の結果、モザイク画の手前にもう一枚壁を作ってしまった。部外者から見ればそんなことで何故大騒ぎするのか、そこまですることも無いと思うのだが、難しいものだ。
ところで、モザイクのマリア像が”隠れているあたりの壁”が取り壊された筈の日の夕方、私が
「マリア様現れた?」と聞くと、一瞬怪訝な顔をしてから「ああ、まだだった。来週の月曜あたりだと思う。」という返事だ。ちょっとがっかりしたが、私は月曜日を楽しみに待っていた。 別に学校のマリア様が由緒ある古いいわく付のモザイクというわけではない。
しかし翌月曜日もまだ壁は壊されていなかったし、今もまだ話が進んでいない。こういう話って、気になるものだ。それにもしも見つかったらどうするのだろうか。多分、簡単に壊してしまうのだろう。
結末が気になるこの話を知りきれトンボで終わるのは上げ底の菓子折りを差し出したようで気まずいのだが、この気になる気分を四方にお裾分けしてしまいたかった。
聖バーフ大聖堂で買ったファン エイクのマリア像が印刷されている蝋燭。ゲントの土産
一昨日からカトリック教会”世界若者の日”という大規模な催しが8月21日までケルン、ボン、デュッセルドルフの3市で開催されており、世界各国の若い者たちが集合している。
今日18日は、ヴァチカンからベネディクト新法王も挨拶にやってくるので、賑わいと緊張感は頂点に達する事だろう。一昨日のラジオによると、この祭りの間、多数の心理カウンセラーが待機しており、ドイツ自衛軍の医療担当官たちがサッカー場一つほどの仮設医療センターを立ち上げたりして予備している。
ケルンの美術館ではその祭りの一環で”キリストの視点”という展覧会を催しており、興味があるのだが今週末のケルンは若者で大騒ぎのごった返しであろうから、ほとぼり冷めるまで待つことにした。ベネディクト法王は前法王の様にいわゆるポップスター的に持て囃されることを快くは思っていないというが、カトリック教会も”世界のカトリック”としてアピールしなければいけないと気炎を上げているように見える。次回の”祭り”はシドニーで行われる。
八月半ば。日本では一番蒸し暑いお盆の時期にはちょっぴり背筋の寒くなる話が似合う。
しかし残念ながら、今年のドイツは夏らしい日々がチョロリといたずらに立ち寄って、いきなり私の
循環系統の機能を掻き乱しある日突然挨拶も無く立ち去った。そしてそのまま戻って来ないらしい。
一雨ごとに涼しくなる。毎日雨が降っているので、日毎涼しくなる。
さて、最近の毎朝の行事について。
まず、冷たい水を一杯飲んで四方八方に伸びをしてから、お湯を沸かす。紅茶を入れるためだ。
お湯を沸かす間、テラスにでて隅々点検する。葉の茂みのあいだ、鉢の脇や底は重要チェックポイントである。 タイマーがジリジリとお茶の出来上がりを知らせるので、まずポットにお茶を移し、カップにたっぷりのお茶を注ぐ。 一口飲んでほっとした気持ちになったところで、今度はビニール袋と盆栽用ピンセットを手にもう一度テラスに出る。 さあ、大きく息を吸っていざ出陣の勢いで、点検第一ラウンドであらかじめ確認されていたそれらを袋の中にポイポイとピンセットで挟み、投げ込んでゆくのだ。
”それら”というのは園芸家の敵の一つである”ナメクジ”の事である。 オレンジ色の大きい奴等だ。移動中で長く延びている奴、鉢の脇についてジッとしている奴、私の大切なブッシュバジリコの頂上に乗ってゆらゆら揺られている奴、私の大好きなギボウシの葉の穴を開けている食事中の奴、大きな鉢の隅で幅3cm体長5cm程にごろんと縮んでいる奴。 一体どうしてこんなにナメクジがいるのだ。
ナメクジを美味しそうに食べてくれるハリネズミの家族が1週間ほど休暇に来てくれるといいのだが、ハリネズミの旅行代理店があったら私は広告を出しにゆく。しかしそうも行かないので、私が毎日ビニール袋とピンセットを持って這い回ることになる。 袋の中は怖いもの見たさでちらりと覗くがあまり楽しい事は無い。目を皿にして赤茶色の敵を探していると、足元に落ちている枯葉や素焼きの鉢の欠けらもナメクジに見えてきて、思わず身を構えてしまうことになる。
昨日友人が電話で
「アアア。。。まったく。。今年はナメクジ多いのかしら!おととい遊びに来た人がデルフィニウムの鉢を持って来てくれたので庭に早速出しておいたのよ。そしたらね翌朝の事なんだけど、青い花がきれいに咲いていたはずの場所に無いのよ花が、何も無いの! 鉢の中に棒が植わっているだけなのよ。それで鉢を持ち上げたらね、想像してよ、太くて長くて大きい奴がね、こう組み合うようにして7匹も固まっていたの!気持ち悪いでしょ。”
私は想像なんかしたくなかったが”絵”が脳裏に描かれてしまった後はもう消せない、消せないどころか余分な装飾まで施してしまい、大変なことになって来る。かなり背筋がぞわぞわしてくる。脳裏に描かれた絵を消す特殊消しゴムを持っている人はいませんか?
兎に角彼女は、
「小さい奴なら踏んづけてしまうけれど、そんなに大きいとそれも出来なくて、近所の茂みに捨ててきたわ。」と憤慨していた。そうなのか、彼女は小さい奴なら踏みつぶしの刑にしてしまうのだな。鋏でちょん切る人と言う人もいた。ナメクジの立場になれば気の毒な話しだし怖い事だろうが、咲く花をめでる暇もなく食べられてしまう経験を何度か続ければ、ナメクジの立場なぞ気にかけなくなるというものだ。
今私の手元に、チェコの作家カレル チャペックの「園芸家の12ヶ月」という楽しい本がある。庭いじりが好きな人は読みながら思わずニヤニヤしながら、うなずき、まるで自分の事を書かれているのではないかと疑ったり、苦笑したり、園芸に興味が無くともユーモアたっぷりに描かれた”園芸家”の真摯な姿に笑ってしまう事だろう。「。。。ところで、アブラムシと言う奴は、退治している間に非常な勢いで繁殖して、薔薇の枝を、まるでぎっしり目の積んだ刺繍のように覆ってしまう。その時は ワァッ、気色悪いな、といいながら、一枝ごとに。。。。」とアブラムシ退治のくだりがあるが、ナメクジを特に取り上げていない。出てくるのは似たようなものだがカタツムリの方だ。
しかし考えてみるとこの本はもともとドイツ語で書かれていた筈だから、カタツムリはナメクジに置き換えられてもいいかもしれない。何しろこちらでは一般的にナメクジもカタツムリも「Schnecke=シュネッケ」 と一派一絡げにしてしまうのだから。
ナメクジ退治後のひと時、お茶を飲みながらこんな話を数ページ楽しむというのもいいものです。
ドイツの夏に怪談話は似合わない。
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今日の当てにならない天気予報では夏が戻るような事を言っている。
涼しくなって久しい今となっては嬉しいのかどうかわからない。
木材が部屋のアチコチにゴロゴロ転がっている。
ひょっと思いついて、手慰みに実物大のどんぐり独楽を作ってみた。
回るかな?と試してみたら、ちゃんと勢い良く元気に回る。
切りくずのゴミ箱の中の木切れが独楽となって蘇った。
下の写真の竹トンボは先回日本に帰った折、川越の路上で売られているのを
見つけて大喜びで買った。良く出来ている。
絶妙なバランスで物の端や棒の先に止まってしまうのだ。
筆洗いのバケツのふちにだって難なく止まってしまう。
尻尾の辺りを人差し指でぐいと押しても上手くバランスを取り続けている。
竹は優雅さと耐久力のシンボル性を持っている。
この竹とんぼは実に優雅にどこにでも止まって、少々の風にも耐えて揺れている。
かなり広いゲレンデで湖畔にあるかつての工場を改装している。
展覧会場として今年から始まったばかりなので、照明などの設備が整っていない。
部分的には多目的にデザイン事務所や倉庫として使われている。
薄汚れた漆喰の部屋が幾つもあるので、展示者一人一人が一部屋を使う事が出来る。各自が個展をするような具合だ。面白い場所だから楽しそうだが、多分パーティー付の展覧会イヴェントで終わってしまうかもしれない危うさがある。私は来春日本に行く都合で、返事が保留になっているのだけれど、気持ちが決まらないというところ。
今、書きたかったのはそのことよりも他にある。
今日はゲントの祭壇画がらみの話を書いた知り合いの小説家も一緒だった。彼は絵描きでもあるので、その展覧会に参加する事になっているのだ。
早速、先日のゲントへの旅の話になった。
「ああ、そういえばね、あの祭壇画の盗まれて行方不明の部分があったでしょ?あれはどうやら出てくるらしいよ。」
「えええっ!ホント? 出てくるらしいって、見つかったの?」と私。
「うん、何でもどこかの高齢のすごい金持ちで、持っているのをほのめかしたとかいう話だよ。」
「。。。っていう事はまだ公式には発表されてないわけ?」
「そう、まだらしい。。。。っていう事はまだわからないね。多分今値を釣り上げようと、噂を撒いているんじゃないかな。」
と言う。盗んだ男と言うのも息を引き取る前に”私はありかを知っている”とだけ言い残して逝ってしまった。今度はさて、いかなる進展を見せるか楽しみである。
高齢の収集家の隠し部屋にひっそり飾られている祭壇画一部。我々の目に触れる日も近いかもしれない。
火の無いところに煙は立たない。
我が家には”これ何?”と言う質問を引き出す物体が多々転がっている。
私の趣味は無用の長物を作る事と言ってもいい。だけど時々は実用性を備えている物を考えて見る。たまには“これは××です。”と答えられるのもいいものだ。
さて上の写真に映った未確認机上物体が何の役に立つというのか?
それぞれの突起には小さな穴が開いている。
使えようと思えば使える。。とはいえ使う機会も少なければ、便利なものでもない。
やはり無用の長物である事に変わり無し。
使用方法が解りますか?
ゲントの街中で。
聖ミカエル教会の中のステンドグラス。
聖ミカエル教会の入り口。
どんな所以か作り物のツバメの巣が3つ壁についていて、
その一つに飛び立つツバメのオブジェが付いているのを発見。
ゴシック。
聖ニコラウス教会の外観一部。
素敵な空模様。
何かがおこりそうな気配。
聖バーフ大聖堂内の壁模様。
子羊が胸から血を流している図。
壁に直接描かれている。
青い壁と自転車。
鼠様の家の入り口?
それとも靴のドロ落とし?
入り口ドア横にあるこれは何だろう?
神様を祭るには位置が低すぎ。
蒼い青い壁に金色の不思議な開口部。
どうしても靴のドロ落しらしき構造をしているので
ほぼ間違いないと思われるが、ここまで装飾的に作るものか?
でも便利かもしれない。昔は舗装道路も無かったことだ。
ありふれた商品もこうやって並ぶとそれなりに面白いね。
鐘楼の半地下に立つ騎士4人。ゲントの街を見張る。
原型は秘密の部屋に一体だけ残っている。
梁から生ハムがたくさん吊られていた。
ハムの下でビールが飲める。これを奪い取って逃げるだけの
ジャンプ力と俊足を私が持っていないのは残念だ。
鐘楼から下を眺める。
カフェの白い日傘が面白い。
春分の日の12時に塔の天辺の影が落ちたところを
掘ってみたら。。。。。そういう話って楽しい。
思わず作り話を作ってしまいたくなる。
アイディア募集。
ストップ!終了!バスタ!フィニート!
ゲント中世散歩の巻き、
とりあえず終了。
次に見ておかねばいけないのは、失われた祭壇画部分が隠されているかもしれないという噂もある鐘楼だ。 半地下を上から眺めれば4人の騎士達が四方を向いてたっている。今ある像は後世に作られたものだが、当時の騎士像は今では一体が残っているきりだ。その上にはかつて塔の天辺に据えられていた龍がいる。悪を脅すべく取り付けられた龍の像ではあるが、私の目にはちょっと可愛らしく、滑稽にも見える。 塔の最上階までエレベーターで昇れるのでとりあえず一旦昇りゲントの街並みを高みから眺めた。教会の尖塔、色落ち褪せた建物、複雑に絡みあう建築物。 中世頃にはあのごつごつした様な外壁を持つ家の2階の窓から桶をもった女将が首を出して下を通る者に警告しながらザバッと桶の中身を捨てたりしたんだろうなあ、などと想像しながらぐるりと一回りする。
思い切って塔を階段で下まで降りると日頃運動不足である私の脚の筋肉は急な運動を強いられて、すっかり馬鹿になってしまい、しばし出口付近で呆然と立ちすくんだ。
氾濫を起こした筋肉の怒りが解けるのを待って、お腹が空いて喉が渇いた同伴者を引きずりまわした償いに、わき道を入ったところにあった飯屋の路上の席に倒れこんだ。暑いくらいにまぶしい太陽の下、腹ごしらえと休憩をする。知らずに入ってメニューを眺めていたらエジプト系料理店で、思ったより美味しいものが出てきて満足度加算で上出来だ。
ケーキやチョコレートなどが実に美味しそうで幾つかを購入し、 美味しそうなチーズを買い込み、最後に広場の屋台でプディングケーキを大きな型に入れたものが幾つも並んでいて、切り売りしているのを見つけた。既にケーキを手に持っているのに、食いしん坊の浅ましさで駄目押しのもう一切れを包んでもらい家路につく。
ドイツに向って空は暗く、家につく頃には小雨が降り始めていた。。がふと気がつくと虹が出ている。
青灰色の雲の背景に太陽が差し掛かり、虹が掛かる景色はまるでファン エイクの絵の中に出てくるかの様だ。
そんな事を思いながらも、脳の大半は、このチーズはやはり赤ワインにあうなどと既に食い気が圧倒的勝利を収めていたことなどについては内緒にすべきなのかな?