散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

怒りの女

2007-03-27 23:17:06 | 思考錯誤
「くそったれ!なんてことなの!」
といきなり喚き声が聞こえた。
「あたしは今電車がきたから荷物を取って乗ろうとしてとこなのに電車はあたしを置いて走って行っちゃったのよ!信じられない!そうじゃないっ!ちがう?!」
声の聞こえるほうを見やると、年のころは60台後半位の女性が地団駄を踏んでいた。
逆側の電車の停留所で電車待ちの人々さえをもねめつけるように睨んで仁王立ちになっている。
「そうじゃないっ?こんなひどい事って無いわよっ!そうじゃないっ?」
と同意を求めて視線が彷徨っている。
確かに乗ろうとしていた電車が自分をとり残して出てしまったら頭に来るけれどね。
「全くこんなッひどい街ったらありゃしないわよ、呪ってやる。 悪魔にやられてしまえばいい。 テロが爆弾仕掛けたり、飛行機が落ちたり、嵐が来て叩き壊してしまえばいい!こんなどうしようもない町は消えてなくなればいいのよ! ちがうっ?」
だんだんに彼女の怒りは少し尋常さを欠いて来た。
彼女の視線に取り押さえられてしまった女性が困った顔をして、時々何か受け答えをしている。
怒りの炎に包まれた女はまるで舞台役者のように行ったり来たりしながら、できる限りの大声で喋り続けている。
ものすごいパワーだ。私ならもうとっくに息が切れていることだろう。
「呪われればいいんだ、消えてしまえばいいんだ。警察だってこの町は駄目だ。XXX市の警察はいいけど、ここのは全くだめよっ!爆弾落ちてしまえ!」
電車においていかれる以前に怒る事柄があったのかもしれない。彼女の怒りはしばらく消える事がなさそうだった。
間もなく彼女の呪いの飛沫がかからぬうちに私の乗る電車が到着し、私は取り残される事無く電車に乗った。

空が一瞬暗くなった。









。。。。それでも、今日は小春日和。
久しぶりにオーバーを脱いだ。

辺りの空気にはレンギョウとマグノリアの香でいっぱいだ。
花の香は私の心を癒してくれる。

この香を封じ込めた壜をみんなに届けたいものだ。



道に迷う

2007-03-24 11:49:34 | 思考錯誤
あの四つ角を右に曲がると郵便局のマークが見えます郵便局ですよわかりますね郵便局を右手に見ながら20歩ほど通り過ぎるとパン屋があってそのパン屋のライ麦パンがこの町で一番美味しいだから是非一度試して見るべきですその角を左に曲がると10mほど先に靴の修理屋があって親父の名前はハンスっていいますこの修理やの親父は昔かたぎの靴作りですから丈夫でしっかりとした靴を作るこれから沢山歩く予定ならば一足作ってもらうといいですよ私なんかハンスの靴でずっと歩いているんだから間違いないってモンです足まめ一つできやしない何処まで説明しましたっけ?ああ、ハンスの店を今度は右に曲がるとそこは細い横丁でエスター婆さんの家が右手にあるんだけれどニワトリの表札がついている家ですよ婆さんはニワトリに目が無くってねニワトリなら何でも集めてますよあんたは何かニワトリのついた珍しいものを持っていなさるんじゃないですか?ない?それは残念ですねいやエスター婆さんはいい人ですよもう何年も前に連れ合いをなくしてね影のような爺さんだったけれどもエスターとはほんとに馬が合っていたようだったんだお急ぎですか?何処まで話した?エスターと連れ合いの話?エスターとエスターのダンナといってたもんだから爺さんの名前がなんだったかもう忘れちまいましたんでお教えできませんねニワトリのコレクションを見せてもらったらどうです?中々なモンですがねいそいでますか?残念だねニワトリの表札を過ぎてまっすぐ歩いて突き当たったらそこに大工道具やなんかおいている店がありますからそこでもう一度訊いてみるといいですって全くわかりやすいもんです寒くなってきたじゃありませんかもう暦じゃ春だってのに昨日は霙が降ったりしましたから私の家の桃の花なんかもうボロボロになっちまいました今年はねえあなた猛暑になるのか冷夏になるのかちっとも予想がつかないねえ。。。それじゃ私はこれで。

ベスト 5

2007-03-22 09:26:09 | 美術関係
”僕の好きなバーン・ジョーズベスト5”という記事をlapisさん が書かれていた。
私が選ぶならどの絵だろうか?と何の気なしに考え始めたけれど、実は実際に見たバーン・ジョーンズはとても少ない。数えるほどしかない。
ロンドンでは何作が見た記憶はあるが、ドイツではコレクションが少ないということもある。
シュトットガルトに”不吉な顔”という作品があるくらいしか思い当たらない。
1998年、隣町の小さな美術館でWilliam MorrisとEdward Burne=Jones の未完プロジェクト”The Earthly Paradies”のなかの一部“Amor und Pusyche"の木版画作品展があった。





結局今回私が選んでみた絵はブリュッセルにあるプシュケの婚姻式意外は実物は見ていない。という事で見たい絵ベスト5という事にしておく。

この人もなかなか淋しい幼年期を送ったらしい。少年時代は絵を描く事が何よりも慰めであり、力となったようだ。聖職者になろうとしていた彼が芸術家として歩む道を選んだのはウィリアム・モリスに出会ったことから始まるようだ。


The Dream of Launcelot at the Chapel of the San Graal 絵のテーマがなんといっても好みだな。

Portrait of Katie Lewis  この絵の持っている空気がいい。彼女はどんな女の子なのだろうか?と思わずしばし想像を逞しくする。

The Wedding of Psyche この作品はブリュッセル王立美術館蔵。美しい色合い。好みである。

Love Among the Ruins 彼女の美しい青い衣装と廃墟。棘の痛そうな可憐な花をちりばめた薔薇の蔓が美しい。

Saint George and The Dragon - The Princess Tied to the Tree 幾つかのウェブサイトを眺めていたら、この絵に出会った。個人蔵の絵だから見る機会は殆どないだろうけれど、見てみたい。暗い背景に純白の衣装を見につけた姫君が白樺に(多分白樺だろう)身をあずけているこの瞬間、彼女は聖ゲオルグと龍の戦いを想っているのだろうか。



19世紀後半世紀末の絵画の中ではしかし、どちらかと言うとアーノルド・ベックリンが私は好きだ。
ベックリンの作品には中から外へ突き出るようなエネルギーがある。時には品が無いほどに生なましい人魚の尾ひれや肌色、歪んだ体などが見ていてドキリとする。当時彼の作品はとても斬新だったのだろうね。

そこでついでに、私の好きなベックリン ベスト5も選んで見ることにした。

The Isle of the Dead  やはりこれの作品は外せない。死の島は何枚か描かれているが、このベルリンにある死の島が一番好きだ。

The Sacred Wood この絵も死の島と同じ空気を持った作品だ。これも音楽が聞こえてきそうな絵の一つだと想う。
トーマス・マンがこの絵を見て賞賛の一文を書いている。

Villa am Meer Ⅱ この絵も2つのバージョンがある。見るからに寒そうな絵だな、と思ったが,それは風のせいか。。しなう樹木に思わずこの間の大嵐を思い出した。浜辺に佇む女性は何を待っているのか?何を想っているのか?

Odysseus und Kalypso オディッセイアの影のような後姿と水の女神カリプソの輝く白い肌と真紅の敷物の対比が印象的。オディッセイアが妻子のもとに帰る決心をした瞬間だろう。

In the summer house この絵は見た事が無い。図版でも見た事が無かった。 実物を見てみたい。老夫婦が転寝をしている庭の一場面だ。きっちり作られた庭にはなぜが律儀な感じにチューリップらしき植物が植わっていたり、ヒヤシンスが鉢に一本ずつうわって並んでいるところがなにやら楽しい。

先日フランクフルトで見た”クロウタツグミと話す牧神”もよかったなとか、気の強そうなしっかり者の口元をした奥方の肖像も魅力的だった。

おまけ
ベックリンに影響を受けたカールスルーエの画家フェルディナンド・ケラー(1842-1922)が“ベックリンの墓”という作品を描いている。私は図版で見たときずっとベックリン作だとばかり思っていた。
カールスルーエの美術館で見る事が出来る。


春の花

2007-03-20 09:02:42 | 植物、平行植物

椿の咲く季節になった。
『崑崙黒』という名の椿がある。
その名も示すとおり黒椿のなかの名品の一つらしい。
咲いてしまうと黒とはちょっと言いにくいのだが、蕾は確かに黒味を帯びた紅色は艶やかで美しい。この咲き出しの色合いがあまりに魅力的だったので連れて帰ってきてしまった。(ちなみに名札の一つにはにはKoronkokuと書いてあった。どうやっても日本語がイメージ出来ず首を傾げていたが、後で調べればKonronkokuであった。)
今年は黒味が勝った真紅の花が個人的に気になっている。
ハルサザンカのユールタイドも深い紅色の最後の小さな花を咲かせている。
崑崙黒は八重だが、私は八重咲きの椿よりも一重のひっそりと咲くような椿が本当は好きだ。
一般にヨーロッパでは大輪で八重咲き、派手な花付き椿が好まれている。最も様々な椿が一般的に入手出来るようになったのは最近の事で、以前はお決まりの八重椿しか見かける事が無かった。
椿姫と呼ばれたマルグリッド・ゴーティエが好んだ白い椿も八重咲きの豪華な花である筈だ。

椿といえば昔、小口木版に一度だけ椿の木を使った事がある。とても硬い美しい木だった記憶がある。苦労して仕上げたことだけを覚えているつもりだが、もう何を彫ったのか今ではよく思い出せないし、版木も版画も手元にはない。それ以来小口木版に挑戦していないから、多分苦労が多すぎて挫折したのかも知れない。

今年は例年と違ってきりっとした寒さが続かなかったせいなのか、樹木の花の咲き方がいつもと違う気がしてならない。
いつもは春になると一斉に様々な花が咲きだす。寒い冬をじっと耐えて耐えて、ある日突然爆発する様に咲き誇るのだけれど、今年は穏やかな移り変わりで、咲き方がのんびりしているように見える。


2005年3月
2006年3月


昨晩は友人を訪ねた帰り道、15分ほど暗い電停に一人佇んでいたら、まだ寒いとは言え空気に春らしい匂いがあった。少しばかり“賑やかな空気”のなかで暇に任せて夜空を点検しているとやけに大きく強く光る星があった。火星かな?
昨晩は新月だった。

今日の話題

2007-03-19 18:31:53 | 思考錯誤
南ドイツのHeroldsbachには聖山がある。
近頃、その麓の村でマドンナが涙を流しているというので、信者が押し寄せているそうだ。
しかし数年前にもこの村の聖母子像のキリストが泣いているという噂が流れ話題になるも、神父がその像を隔離すると涙が止まったこと、ゴミ箱からピペットが発見されたことなどから茶番として不思議は消えた。
そして今度はマリアの涙である。
この教区のDietrich von Stockhausen神父はこの”奇跡”を疑いつつも“涙”をティッシュで拭い、Erlangen大学付属法医学研究室で調べて貰いたいと申請しているらしい。
このハイテクの時代にあってもやはり、こんな話は次々にあらわれるものなのだという事が面白い。
こういう時代だからこそ、求める人が増えるという事もあるかもしれない。

ミツバチが消えた日

2007-03-16 09:24:13 | 自然観察
北アメリカでミツバチが大量に消えてしまったというニュースを聞いた。
Colony Collapse Disorder 省略CCDと仮に呼ばれているこの現象の原因は全く不明。

蓋を開けるとブンブンと賑やかな筈の巣箱が静まり返っている。
養蜂家はさぞ驚いたことだろう。

遺伝子をいじったおかげで異常が起きたのではないか?
一斉に体内コンパスが狂った?
害虫駆除の薬がいけないのではないか?
宇宙人が蜂をさらって行った?
と、色々憶測は飛んでも、ミツバチの遺骸が見つからないことには理由解明の手がかりが無い。
なんだか、ちょっと不気味でもある。
ミツバチがいなくなることで他にも問題が起こる。
植物の受粉が上手く行なわれないから、農業にも差し障りがある。果樹園の収穫率は確実に落ちるだろう。

ミツバチをおびき寄せる方法を編み出して盗み隠し、市場を狂わせてやろうとたくらんでいるマッドサイエンティストっていうのもなさそうだし、一体どうなってしまったのだろうね。

エジプトの古書では太陽神ラーの涙が地に落ちて蜂になるとあるようだ。
大急ぎでラーに涙を流して貰わないとミツバチがこの世から消えてしまうかもしれない。


庭報告

2007-03-14 00:55:05 | 自然観察




一昨年の冬に友人から貰った桃。
実は暗紅色の、少し渋みのある果肉で生食より、砂糖漬けやコンポート向きであるが、それがとても美味しい。
桃には霊力・呪力が宿っているのだという。
中国が原産だそうだが、確かに中国の話に若返りの、長寿の魔力を持っている実として桃はよく登場するようだ。
去年は殆ど花がつかなかった。今年は沢山蕾が現われたが、まだあの美味しい実は実らないのだろう。
食べる事ばかり考えながら、食いつくように眺めていられては桃も気を悪くするのかも知れないので、桃の足元の雑草を少し片付ける。

土をいじっていると色々なものが現われる。
土の中で眠っている、白くてコロコロした幼虫や、鮮やかな緑の幼虫、透明ガラスビーズのようなナメクジやカタツムリの卵。。。

楓の飛行種子がチョロリと根を出して転がっていた。
もう飛び立つ必要がなくなったプロペラは雨風にさらされて、トンボの羽のような脈だけが残った。

天道虫は日向ぼっこ。
美しい赤いピリオド。

陽射しのエネルギー

2007-03-13 11:12:44 | 夢遊
もう少しで私の心臓が止まりそうになっていると言う夢を見た。

自分にはもうあまり時間が残されていないと思いながら、何かを一生懸命説明しようとしている。

目が覚めてから色々な事が頭の中に渦を巻いた。
実際そういう場合私はどうするのだろう?







昨日も今日、小春日和である。
やわらかい陽が差し込むとふわっと言う感じに居間の壁が明るくなった。
すると私の頭の中のもやっとした憂鬱がじわじわと音を立てて溶けてゆく。
夢の残した焦燥感だけが、やけにはっきり残ってしまったおかげで憂鬱の塊がドテッと居座っていた辺り、その辺りに太陽の光は働きかけてくれる。

頭が軽くなると、途端にガラス窓の掃除をしなければいけないことに思い至った。
あれ?この窓ガラスは磨りガラスだったっけ?
。。。。というほどではないけれど、かなり汚れているのが春の日差しが差し込み始めると、いきなり目立ち始めるからだ。
しばらくの間はそれを無視してなるべく窓を見ないように生活する、なかなか難しい。
あるいは陽が差し込まぬうちに出かけてしまう。
しかしガラスを洗ったら気持ちよいのに決まっている。

そんなわけで、思い切って掃除をはじめ、ガラス窓は完璧とはいえないが綺麗になった。
爽快に目が覚めたような感じだ。
ついでに今年は暖冬ゆえ、とても元気に蔓延っている雑草をビニール袋3つ分だけむしって、様子を見ることにする。

茂みの間に
アネモネの蕾、プリムラの蕾、チューリップの蕾。。。蕾、蕾、蕾。
茂みの根元に
蟻の行列、蟻の行列。。。アブラムシ、アブラムシ、アブラムシ。

土佐水木の品の好い香を胸いっぱいに吸い込みながら、たっぷりと陽射しを浴びていたら、すっかり気分もよくなっているのに気がついた。

陽射しエネルギーをカプセルにしておけたらなあ、なんて事をぼんやり思いながら背中が痛くなるほど作業を続けた。

明日が思いやられる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
レオナルド・ダ・ヴィンチの受胎告知の貸し出し反対運動はまだ続いているようだ。100 ミリオン ユーロの保険をかけ、湿度、温度調整設備が完備されたクリスタルガラスのコンテナに乗って日本へ旅をすることになる。もし何かあったら。。。地震があったらどうするんだとか、移動中に台風が来たら、津波が来たら。。。と心配のあまり反対者達の想像は嵐の前の黒雲の如くむくむくと育っているのだろう。
反対者の気持ちがわからないでもないけれどね。
兎に角無事に旅を終えますように!

音楽の色と形

2007-03-09 09:36:39 | 思考錯誤
音を聴くと色彩が”見える”人もいるというけれど、そうならばなんと素敵な事なのだろうか?
私は音楽を聴く時、私の容量の少ない脳味噌の中の記憶箱から色や形や風景やら引き出しては繋ぎ合わせていたりする。
仕事場への行き帰りは私も文明の利器を活用して音楽をいつも連れている。
ちなみに今、利器の中に入っている音楽はピンクフロイド、バッハ、ヘンデル、メシアン、Le Nef、ベック、トム・ウェイツ、セルジオ・メンデス。
ここ数日のお供はいつも”La Nef"の「パルジファルー聖杯を求めて」で、気にいっている。
この音楽を聴きながら歩いているといつも、どこか中世の田舎道を歩く職人か何かに私は変身していて、道の向こうから馬に乗ったパルジファルがやってきたりする。
辺りの風景の表情が変わる。物語が変化する。
音を聴きながらそんな風に楽しんでいる。
しかし、それは私の頭の中に収納された色や形のイメージを使って私が意識的に作っているわけだから、場合によっては同じ曲を聴いても違う絵になってしまう。
まあ、もちろんだから楽しいのだけれども。。。
もしも音楽が見えたり触れたりしたら。。。?

昨晩は相棒とケルンのフィルハーモニーでのコンサートを聴きに行った。
Frank Peter Zimmermann(ヴァイオリン)とアムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団がStefan Asbury指揮で演奏するというので興味を持った。
安いチケットを買っていたもののかなり空席が目立っていたので、好きなところに席を見つける。客が集まらなかった理由は演目が問題だったのだろうとおもう。
半分方空席だったから採算は取れなかったのではないか?と他人事ながら心配もしながらこれ幸いと良い席に移動。

演目

Benjamin Britten
「Sinfonia da Requiem op. 20」
Lacrymosaは美しかった。Brittenは好きな作曲家の一人ではあるけれど、時々疲れてしまう。

Brett Dean
「The Lost Art of Letter Writing」
Zimmermannのヴァイオリンと作曲家Brett Dean本人の指揮で演奏。
4部に分かれた曲である。四つの手紙にちなんで作曲されている。
例えば1854年12月15日にブラームスがクララ・シューマンに当ててしたためた手紙。Vincent van Gogh がAnthon van Rappardにあてた手紙。
Hugo Wolf がJosef Strasser にあてた手紙などがテーマになっている。
このHugo Wolfの手紙が私はとても気に入った。
この感じ、なんだか最近見た記憶があるなあと思っていたらルドンの絵だった。
オディロン・ルドンの絵の中で画面全体に不思議な花が舞い上がっているような絵があって、それはステンドグラスからこぼれる色の光にインスピレーションを受けたのだという絵だが、そんなイメージだったのだ。
もちろんこれは私の勝手である。
私は音楽に詳しいわけではないから、難しい事は知らない。視覚的人間の音楽の受け取り方の一つと言う事にしておく。

Thomas Adès
「...but all shall be well op. 10 」(1993)
出だしがとても面白い。パッカーションの演奏者がとても忙しそうだ。
透明感のある色彩がうねったり、舞い上がったり、細い糸になって吹き上がって雨になって降り注いだり。

Charles Ives
「Three Places in New England」

Leonard Bernstein
「Ouvertüre zur musikalischen Komödie 'Candide' 」(1956)
バースタインの曲を聴いているといつも、スピルバーグの映画を見ているみたいな気分になってくる。
これも私の勝手な言い分。

しかし、アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団はうまい!!!
ほんとに良い音だ。

メモ

2007-03-07 08:55:00 | 製作記録
1)
相性と言うのはマテリアルに対してもあるものだ。
私はキャンヴァスに絵を描く事が好きではないらしい。
板に描いたり、紙に描くのは問題が無い。
そんなことはどうでもいいことだと思っているので突き詰めて考える必要も無い。
この頃紙に絵を描いたり、板に絵を描いているのが楽しい。
ぐしゃぐしゃと描いている。
白い絵の具と黒い絵の具の消費が毎日続いている。



2)
「白と黒の絵は、文字を書く精神や行為により近い。」と P.ヴァレリーが書いているのを思い出した。
フム。。。

3)
今日のラジオから仕入れた話。
嫌われている国、好かれている国のアンケート調査の結果一部。
嫌われ国:イラク、イスラエル、アメリカ、北朝鮮
好かれ国:カナダ、日本。。。。
ここに日本が出てくるんだ。
どんな理由だろうか?
嫌われていないという事は大変結構なことだ。
何カ国ずつ揚げたのかは知らないけれど、ドイツは順位に登場しなかったらしい。

4)
駅までの道すがら。
菫が山盛り咲いていた。
一時菫が増えてどうしようかと思ったくらいだったのが、何が気に入らなかったのかある年ぱったりと消えた。日本菫の種を頂いてあったが、変な時期に蒔いてしまった。芽が出るものかどうか? 一つでもよいから芽が出て育って欲しい。

5)
ライラックの若葉がほころんできた。
ライラックのまだ細い幹で隣の猫は爪とぎをする。
爪とぎ現場目撃時に幹はすでに無残な状態であった。
仕方ないのでテープを巻いてみると、隣の猫はどうやらテープの巻かれた幹の感触はお気に召さない様子だ。今は何処に行って爪を研いでいるのだろう?
実はこの猫だけはどうにも好きになれない。
私は猫が嫌いなわけではない。
どうも彼は私をやけに図体の大きな猫として認識しているのではないかと思えて仕方ない。
隣の猫とはたびたび牽制しあっている。

忙しい天気

2007-03-06 16:59:12 | 自然観察

 
モモ、スノードロップ、シラー、ムスカリ、ローズマリー、トサミズキ。。。


一日の間にめまぐるしく天気が変わる。

雨、
曇り、
晴れ、
青空、
曇り、
晴れ、
雨、
豪雨、
雹、
雨、
晴れ、
曇り、
風、
風、
雨、
霰、

忙しい天気

 
アケビ、ヘレボルス。。。。



正解は

2007-03-05 16:58:11 | 収集物品
謎の正解は。。。


 

手にとってつくづく見ればわかるかもしれませんが、写真からでは正解者が出なくて当然でした。

ある日、ある花屋のガラス物ひしめく棚の前で、しばらくぼんやりしていると隅に売れ残りの蝋燭たてが並んでいるのが見えました。
棒状の部分を土や砂に刺して立てるタイプの蝋燭たてが何種類かあったのですが、中でこの”物体”がなんとも魅力的だったのです。

本来の役目をもうすっかり忘れ去ったような表情で棚の上に他の収集物と共に並んでいます。

ガラス

2007-03-04 11:32:06 | 思考錯誤
物を増やしたくないという思いに挑戦するように、気になる物が見つかってしまう。



上の写真に写っている物体は店に売れ残りで値段も半分になって一つだけあった。
ただこの形が素敵だと思ったのだ。
何か深海に漂っている生物のガラス模型のようではないか?
またはガラス製実験道具のような魅力がある。

さて、
私は、ただこの物体が美しいと思ったから手に入れただけなのだけれど、この物体の使用目的がわかりますか?

独り言の泡つぶ その2

2007-03-01 17:27:16 | 思考錯誤
妹からメイル。
ブライト人形を知っているか?ドイツでも売っているか?と訊いている。
そんな人形があるという事を知らない私には答えられない。
目が四角になるとか、色が変わると書いている。
目が四角になるとは一体どういう意味なのか?不明である。
頭の後ろに紐が伸びていて、それを引くと四角になるとも書いている。
ますます謎の物体である。
謎はすぐ紐解かねば気がすまない。調べて見ると中々不思議な感じの人形が現われた。成る程これが流行っているのか?
可愛いのだか、気味の悪いような、一筋縄では行かぬ表情は、現在もてはやされているポップで明るい表書きの裏に歪みがたっぷり滴るタイプのアートに通ずるものがある。
生国アメリカでありながら日本で爆発しているという事実にもどこかうなずける。
マニアはカスタム人形を作ってオリジナリティを競っているようだ。(そういう作業には魅力を感じるけれどね。)
洋服作りはもとより、大きなグレープフルーツのような頭を切って髪を植え替えたり、目を入れ替えたり、まつげを植え込んだりの奮闘振りだ。
このような流行り方をするものが何を意味しているのか?興味深い。
興味深いので思わずあちらこちらのサイトをうろうろ覗き見しまった私である。
どうやらドイツにも多くは無いがファンは存在するらしい。
世にはバービー人形収集家も沢山いるようだけれど、どうやらこのブライト人形には違う路線が重なっているように見える。

  

写真はもう既に10年以上前の事、スペインを旅した時に見つけた。
小さな店に沢山の人形の欠片が籠の中に山盛りになっていた。
手足ももぎ取られ、頭も欠けた人形には妙な存在感がある。
人形といっても、どちらかといえばこの方が私の好みに合う。

風邪は、たいしたことは無いとはいえジリジリと症状が進んでいる。
喉が痒いと思えば乾いた咳が出る。鼻水が予告も無く流れる。外を歩いて冷たい風に当たると耳の奥が痛くなる。
今日はちょっと粘土をいじってから、食べ物を仕入れ、早々家に帰宅。
少し熱っぽいらしいが、我が家の体温計は旅に出てしまったようす。捜しても見当らない。

昨晩電話をかけてきた知人が、
「風邪引いたの?そういえば“あの葉っぱ”食べた?」と訊いてくる。
「葉っぱ?いや食べてない。」というと
「あれ、効くわよ。少なくとも私は風邪気味だなって思ったら“あの葉っぱ”を数枚千切って食べるのよ。絶対効いているわよ。」と言い切る。
滋養があるのだといわれて植物を分けてもらったのは確かだ。薬草なのかも知れない。
しかし、風邪を引いてからむしゃむしゃと数枚食べると魔法のように元気になるというのはどうかと思う。風邪薬だってそうはいかない。
プラシボ効果だ。
なかなか面白い事を言う。

あの葉っぱ”とはいまだ名前のわからぬなぞの植物だ。
生命力がかなり旺盛なこの植物の事だからひょっとして本当に元気がもらえるのかもしれない。

この際私も”あの葉っぱ”を千切って食べてみようかとおもう。
元気元気と唱えながらね。