散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

さよなら原発

2013-03-09 17:13:05 | 思考錯誤
雨。
雨が降り始めて恨めしく空を仰ぐ。
先日暖かな陽射しを大喜びしたのもつかの間の暗い空が帰ってきた。

今日はデュッセルドルフで「さよなら原発デモ」に参加して歩いた。
同じ志のドイツ人からなる別グループと日本人グループで行進した。
列の中で手ぶらで歩いていた私は、ドイツ人グループの垂れ幕を一緒に持つ事になったのだが、
雨ですっかり濡れた垂れ幕が、はためく度に体にまとわり付くので、私もコートごと一緒に冷たくなってしまうのだった。
ズボンのすそも水を吸い上げて足元の色が変わっている。
久しぶりに大声を出して歩き散会してから、近くにあった中国系スーパーで暖かい肉まんを買って食べた。
ほかほかが何よりうれしいひと時だった。














来週月曜日の夕方からクレフェルド市でも、別のオーガナイザーによって即脱原発デモが行われることになっている。
今日から11日までドイツ中で数多くの福島原発事故を受けての原発反対デモが行われる。

月曜日は雪がちらつく予報が出ていて、寒くなりそうだ。















要注意

2013-03-07 07:26:05 | 思考錯誤







太陽の暖かな日差しに当たるだけで機嫌がよいのだ。
天気一つで一喜一憂しているのをあきれる人も居るかもしれない。しかしこの冬は62年ぶりに暗い冬だという記事を読んだ。
だから仕方ない。
という事で洗濯日和だ。

しかし半覚醒状態で、ろくに手元も見ずに洗濯物を洗濯機に放り込んで洗濯をしてはいけない。
なぜなら、そういうおざなりな仕事は時に私にしっぺ返しをしてくるからだ。
洗濯機がピーピーと鳴って終わりを告げたので洗濯物を出してみるとなんと私の薄手のセーターがすっかり縮んでいた。フェルト状になってしまったセーターを手にとって、私は一人大笑いしてから、ため息をついた。
不思議の国へ旅をして完全に元に戻りきれなかったセーターは春先に重宝で出番も多かったはずなのだが、いまさら大きく育つ薬は無い。
私が洗濯機に入って洗われて縮んでしまえるならそれもいいかもしれないがそういうわけにはいかないし、実際それだって困る。
いっそのこと熱湯をかけてしまって、もっとしっかりと縮ませてスリッパか小物入れに、または鍋敷きか鍋つかみに変身して貰うのもいいかもしれない。
もっとも、失敗は成功の元と胸を張っていえるような代物はどうも出来そうにない気がする。
しばらく壁にでも飾っておこうか。。。
何事も、どんな行動も心を入れてしないといけないのだという戒めに?












胡桃

2013-03-05 22:57:29 | 思考錯誤





電話の向こうで春の空気に弾んでいる友人の声が流れる。
こんな日にはおしゃべりが弾むものだ。
イタリアに小旅行したい事とか、あの展覧会に行こうとか、ベルリン、ミュンヒェンに行くのもいいなあとか、プラハはどうだブタペストはどうだと町の名前が並んでゆく。
無性にどこかへいきたくなることはあるけれども、私はたいてい旅行を必要としていない。
まあ、実を言うと私は面倒くさがり屋なのだ。
私にとって旅の意味は「見つける事、感じる事」だろう。
身近なところにも「見つける、感じる」物がたくさんあるのでとても忙しい。
それでもたまに移動することで強い刺激を求めたくなることもある。
さて、手始めにどこへ行こうか?
頭の隅でそんなことをふつふつと思いながら友人の声を聞いていた。
彼女の言葉はかなりブロークンなドイツ語で神経を集中していないと糸口を失い、迷子になってしまうのでよそ事を考えていると大変なことになる。
(もっとも私の方だって人のことを言えた義理ではない)
外国人同士で異国語を話す時、迷路に嵌ってお手上げになることもあれば、または言葉を超えた相互理解が起こることもある。

話も終わりになった頃「ああ、そうだ!もうひとつ話があった」という。
彼女は毎年庭に出来た鳥の巣が空になっているのを見回ったり、集めたりしている。数日前に一つの鳥の巣の中に何かが入っている様子を見て、はしごに登って中をのぞいてみたらしい。
壊れた卵とか、雛の屍骸などを想像しながら、積もっていた枯葉を指でそっと取り除くと、胡桃がちょこんと収まっていたのだそうだ。完璧な胡桃だ。
私がリスの仕業ではないのかと言ってみたが彼女は納得しない。鳥が持ってきて置いたのだろうと言う。一体鳥が何を思って空の巣に胡桃をくわえてくるのだろうか?
そのままにしておいたら、朽ち果てた鳥の巣から胡桃の芽が出て来て、妙な場所に胡桃が生えているという景色を想像した。
それとも日差しのぬくもりが溜まっていって、ある日パカッと種が二つに割れ、胡桃の種ほどに小さい鳥が飛んでいくなんていうのも良い。

そんなことを考えながら、鳥の巣に編み込まれたた自分の髪の毛の事、別の巣には贈り物用のリボンが編まれていた事などに耳を傾けていた。
こんな話を受け取るのも、やっぱり一つの旅ではないのか。

そして「こういう報告はね、あなたにしかしないのよ」と彼女は言った。





(写真は、私が森を散歩していて見つけた中身を抜かれた胡桃の実)




























特急額作りで展覧会初日の巻

2013-03-04 15:41:18 | 美術関係





ようやく一段落。
今日は空も明るく太陽が出ている。太陽が出ている時間に散歩をしなければという強迫観念で近所の畑の周りを一回りしてきたところだ。
やっぱり天気が良いと心も晴れる。 
昨日はオープニングで半日喋りつづけたが、最後のお客様を見送ってからあと、急に空気の抜けた風船のようにしぼんで、スイッチが切れた。もうにっちもさっちも行かない。
入り口のドアにClosedの札を下げてから近所のタイ軽食屋からグリーンカレーを届けて貰い、くたびれ果て私たち皆は黙々とスプーンを口に運び続けた。だけど、悪い気分ではない。
うれしいことに、初日たくさんの方々に見ていただいた。
どうしても初日前日の土曜日に見たいとお客様からの連絡があった。
その日の昼過ぎにギャラリーから何点か作品が売れたので代わりがあるかどうかという電話があった。
別件のグループ展の初日でボッフムの美術館へ出かける直前だった。道中、材木が足りないかと心配が募る。
何しろ土曜日は何時もの材木屋も早い店じまいだし、日曜日は休みだ。早々に帰宅し、材料を調べるとちょうど額の分だけ木材があったのでホッと胸をなでおろした。
幸い中身は出来上がっているものがあったので仕上げることができた。
そんなわけで、展覧会の一週間も前に展示作品は先方に託しすっかり楽になったと思ったのもつかぬ間、結局前日の夜中まで作業をしていた。
私はどうしても額にこだわりがあって、それは立派な額だというわけではなく、シンプルな白木の額なのだが、どうも手ごろな値段で買える額では満足がいかない。
そういうわけでどうしても自作となるのだから仕方が無い。

今日は初日に来てくださった知り合いの作曲家からCDをいただいたので、聞いている。
少し春色に見えてきた空の光を眺めながら聞いている。
これはちょっとした御褒美だ。