散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

わたる鶴群れ

2020-11-29 17:50:00 | 散歩絵

                          

よく眠れない問題の解決は取り敢えず運動不足を解消せねばならないと思い、おやつを食べた後短い散歩に出かけた。
帰り際、特徴のあるあの鶴の鳴き声が近づいてきたので空を見上げていると、編隊を組んだ群れが少しづつ形を変えながら飛んで行くのが見えた。

あの声を聞くたびに、私もついて行きたいと強く思う。



寒い日曜の朝に

2020-11-29 10:31:00 | 散歩絵

                           



今朝4時半に目が覚めてしまった。6時頃から半時ほどうつらうつらとしたが、諦めて起きた。
空はまだまだ暗い。
身体をほぐす体操をするとあちこちが軋む。
頭もほぐさないと固まってしまう。かといって頭のトレーニングと言う様なゲームはしない。
数字が並ぶのを見つけると足し引き掛け割りして0にするのが癖だが、これは頭を使う程の計算では無いから、あまり役には立たない。衰退の一途だ。

私は展覧会場で大勢の観客がひしめく中にいた。この人混み。これはまずいのでは無いか?と思いながらも
佇んでいた。
そこには見上げる視線が彷徨うほど大きな美しい木が立っていた。
それは足元で蠢めく人間達の事など気にかけていない。
と言う夢を今朝は見た。
たまに樹齢の高い木があると聞くと訪ねることがある。春になったら何処かに大きな木を見に出掛けたい。


クリスマスは人々のコンタクト規制が弛んで12月23日から1月1日まで10人まで集まっても良い事になった。
(今は2家族で5人まで) クリスマスや大晦日に会食が出来なければ、世間にヒリヒリと唐辛子漬けの様な空気が充満しそうだ。
今年はクリスマスマーケットも無い。私はもうクリスマスマーケットにわざわざ出向くことはしなくなったが、それでもなんだか淋しい。
Covid19は私達にいろいろなことを突きつけてくる。無意識ではあっても大切に思っていた様々な事が明確になってくるし、不必要であった事も露わになってくる。
そして、草臥れてボロになったあちこち小さな不具合のある身体とは言え、そこそこ健康である事の幸せを感謝する。














この数日の小さな出来事など

2020-11-28 08:15:57 | 散歩絵


                            

11月25日

朝散歩の帰り道で、前方にぎこちない歩き方の婦人が見えた。道路脇の共同ゴミ箱にゴミを捨て帰る所だったらしい、彼女の足が僅かな段差を踏み身体のバランスを崩した。いきなり糸が切れた操り人形のように道路に倒れてしまったので、慌てて駆けつけ、無事を確認しながらゆっくりと助け起こした。細身ながらもなかなか大柄な婦人だったので、元の姿勢に戻るまで暫し時間がかかった。本当に大丈夫かと聞くと、大丈夫。。。。だと思うわ、膝が痛いけど。。。という。住居の入り口まで同行して別れた。

「ありがとう。まったく、良い瞬間にそこにいてくださって。天使ね」と言ってドアの向こうに消えた。

必要な時に誰かが側に来てくれることは、確かに天使の差配かもしれない。


11月26日

小さなサプライズ。

小さな作品を届けにある家を訪ねた。家の前に立った時、そこに見覚えがあった。

数年前に日本から遊びに来ていた友人の宿泊先を訪ねた事があって、その家だったのではないかという気がした。

お茶をいただきながら、その事を尋ねると、貸す事があると言う。部屋を見せるわ!と言うので、ついていくとまさに記憶通りの部屋で、この「偶然」にお互い驚いたのだった。


その家から電停まで歩いて行く途中、遠くに見覚えのある姿があった。大きなゴミ袋を抱えていて、コンテナーに取り付いている小柄な女性の姿だった。

「ハロー」と声をかけると、目を丸くして「あら、さっきまで彼とね、散歩していたのよ。そうしたら二人の知り合いに会ったの。だから、今度は貴女と会うかもねと彼と話していたのよ!」と言う。

思えば彼女はそこからそれほど遠くない所に住んでいるが、その道は私が通ったことは今までないので意外だった。

「会う時」と言うものがある。


11月27日

交差点で止まった車の中から声をかけてきた女性があった。道を聞かれるかと思って立ち止まると、

「貴女の髪の色、なんて言うの?」であった。

私の髪の色は無茶をして色々混ざっているけれど、言って見れば灰色がかった焦げ茶という感じか。。。

答えようがないので肩をすくめるとその時信号が青になった。

「素敵な色ね!」と笑顔で彼女は立ち去った。

コンタクトに滅茶苦茶規制がかかっている現在、こんな瞬間的なコンタクトもなんだかちょっと楽しい。



11月28日

昨夜は胃の不調もあってよく眠れず、夜中に目を覚まして眠れないのは不愉快だ。

そう言う時は思考がネガティブ軸に傾く。白湯をカップに一杯作ってお腹を温めベットに横たわる。

いっそ起きてしまえばいいのかもしれないがその元気も無かった。

うとうとすると何かの物音で目が覚める。その繰り返しで朝が来た。

人間の体は様々なそして膨大な量の腸内細菌によって操られているらしい。例えば、抗生物質などで腸内細菌を減らすと睡眠障害が起こると言う話を聞いた。

私の体は私の意思で動いているわけではないのかと思いを巡らせると、わけがわからなくなってくる。



また土曜日がやってきた。一週間の終わるのがなんと早いことか。








言の葉

2020-11-26 01:05:28 | 散歩絵


今年3月15日からいまだに展覧会は継続中。
三人展の開催直前にロックダウン宣言が出されて展示は氷漬けになった。
三人展は二人展へと展開し展示作品を入れ替え、二人展はもう一度展開して個展になった。もともと5月に個展を計画していたので準備はしていたのだが、現況の記録を含めて急遽展示内容を変更した。数十名の知人友人に、コロナ禍において感じたこと、考えたことを書いてもらえないかとお願いを送り、いただいた文章をインスタレーション作品に仕立てたものだ。
つまり参加してくださった知人友人とともに作り上げた作品だったので、初日に沢山の人に見て頂けたことは幸いだった。言葉の持つ力は大きく、強く、光のようなものだ。
私はすべての協力者に感謝の気持ちを伝えなければいけない。二週間後第二ロックダウン発令されて展示は再び眠ってしまった。そして、もう一度展示を入れ替えてみることにした。
私は毎日散歩に出かける。
私の思考力は脹脛にあって、歩くことで刺激を受けるのらしい。朝の一時間は散歩に当てている。
夏から秋にかけて散歩中に落ち葉を拾い続けた。(この癖は今も続いている)特に穴の開いた落ち葉が気に入っていて、虫食い跡の沢山ある葉を眺めていると、言葉が聞こえてくる気がする。木々が落とした手紙。家に戻り、木々の手紙を読みながら、紙で葉を作る。毎日1枚は葉を作る。ポプラ並木がある道を通るので当然ポプラの葉が多い。その上ポプラの葉はどこかかわいらしさがあって、饒舌なので、つい目につくのだ。

落葉を拾う。葉を紙で作る。何故かは分からず自然とそうなった。それから紙葉の一枚一枚に短い言葉をつけた途端に納得した。言の葉を拾い集めて散歩路から受けたのメッセージを確認したかったという事。これもコロナ禍のこぼれ種だ。

先日まで日記的な写真とドローイングの組み合わせが77枚展示されていた壁に、今度は事の葉を77枚を取り付けた。
これが今後どの様な展開をしてゆくのかしないのかわからない。このまま枯れ葉になって朽ちてゆくような気もしているし、それならそれで良いと思う。




第二ロックダウン

2020-11-06 18:01:53 | 思考錯誤



第一ロックダウンが始まった頃、まだ寒かったとはいえ春に向って日増しに明るさが増してゆく中で、幸い良い天気が続いて、飛行機の飛ばない空を静かで良いと喜ぶ暢気なものだった。
毎日ドローイングを続けたし、散歩で見つけた落ち葉を持ち帰っては、それを紙に書き写したり、紙で葉を作っ足りする事を決め、日々欠かさず遂行した。
幾つかの展覧会が取りやめになったり、延期になったものの、ロックダウン後には幾つかの展覧会を開くことができ、私の日常は買い物に行くたびに気を付けなければいけない事柄以外、それほど普段とは変わらなないものだった。(確かに簡単に人と会うことができなくなってしまったり、電車に乗るたびによぎる不安などもある)
今回の今年二度目のロックダウンは春のそれよりも気が重い。長引くコロナ禍の不安と苛立ちは色々なところで滲み出ている。
このところ太陽が顔を出す時間が少ないし、私の背中や腕が不調で作業がなかなかできない事が一番へこたれる。
それならば本でもゆっくり読んだらいいのだと思うのだが、最近それができない。昔は読書を一日中でもする事が出来たのに、その体力が無くなった。
やりたい事のリストは長くなるばかりで減る事が無い。
と書いていたらキーボードをたたくのが辛くなってきた。背中に子泣き爺が乗っているらしい、しかもそいつの体重がどんどん重くなる。

今日はこれでおしまい。






マスク

2020-11-05 20:57:28 | 思考錯誤
今朝は霧が出ていて、手がかじかむほどにかなり冷たい空気だった。





最近夢を見ることが少なくなっていた。
いや、少ないのではなく、覚えていられなくなったというべきなのかもしれない。
それがつい最近何度か人ごみに出てゆく夢を見て、ふとマスクをしていないことに気が付いて慌てて探すという場面のある夢を見た。
マスクを探すという行為が現状を投影するそのままの意味なのか? 
何かほかの象徴なのかはわからないが、立て続けに二度ほど同じような場面が現れた。
先日の夢の中ではその上、誰かと連絡を取りたいのに私の携帯電話の画面がどうしても理解できないものに変化していて、連絡不能に陥っていた。
昔、私の夢の中で公衆電話にコインが入れられないとか、電話が壊れているとか、知らない人につながってしまうとか、冷や汗をかいている、そういう夢を度々見たものだったが、そういう時私は草臥れていたように思う。

マスクと言えば、散歩をしていると道端に落ちているマスクが度々あって、これはあまり気持ち良いものではない。
ポケットから出し入れしたりする時に、落として気が付かないのかもしれない。
現在の事情が事情だけに、そんな落とし物を素手で拾い集めてゴミ箱に捨てるのもためらわれてしまう。。。。
何かいい方法はない物だろうか?

今回は軽めのロックダウンに入ったドイツだが、感染者数が増え続けている。街では道路でもマスク着用義務が発令された。