先日の事。
友人がイギリス旅の土産話を披露してくれた。
「僕たちはキャンプ場でテントを張って泊まっていたんだ。そこには小さなトイレ小屋があって、用を足した帰りにキャンプ場の料金は何処で払うのだろうかと通りがかりの女性に聞いてみると、ほら、向こうにパイプを咥えて長靴を履いた人、緑色のセーターの、手押し車で働いている男性が見えるでしょう?あの人、多分ここの人よ、聞いてみたら?と言ったんだ」
確かにキャンプ場で“パイプを燻らしながら泥だらけの長靴を履いて手押し車を押す人”を見たら私も“管理人”と見ただろう。
彼は通り過ぎようとする長靴紳士にキャンプ料金とそれを何処で払えばいいのかと声をかけた。するとかの紳士はゆっくり頷きながら「あーー、あそこの小さいトイレ小屋の脇に箱があるからそこに入れておけばいいですよー。幾らでもいいから。。」と答えたそうだ。成る程と頷きながらも思い返せば、今し方そのトイレを使ったが、その付近に料金箱を見かけた記憶がない。友人は去りかける長靴紳士を慌てて呼び止め、そのことを言うと
「うん、私も見たこと無い。。。」と肩をすくめてにやりと笑った。
という話だった。
この話、結構気に入っている。
霧の日にカメラを掴んで外に走りでるのは何故か?
在る物が見えず、ないものが見えてくる事。うっすらと見えるあたりに想像を膨らませる余地がある事。
これが毎日ならば高揚感は消えてしまうのかもしれないし日常に不都合をもたらすかもしれない。たまに起こるくらいがちょうど良い。友人の中国人に霧の写真を見せると、「綺麗な景色ね。でもこの写真を中国に住む中国人に見せても切ないだけなのでしょうねえ」と彼女は言った。中国の大気汚染は深刻だ。1952年に起こったロンドンスモッグも多くの死者を出した。。。
霧絡みの映画でジョン カーペンター監督のThe Fog と言う映画があったっけ。。。観たのはかなり昔なので記憶は霧越しでぼやけているけれど、確かどうしようもないB級映画ながらもじわじわと怖かった覚えがある。(今観たらどうなのだろうか?)
ところで最近、私の頭の中には濃霧が湧き上がったまま晴れる事がない。そんな感じがしている。
いろいろな事が仄かに見えているのだけれど一生懸命目を凝らしても薄っすらとしか見えない。
その上片付けをすると失せ物が増える。霧の向こうに置いて来てしまうからだ。何処に片付けたかを忘れてしまう事など昔は決して無かったのにと、地団駄を踏んでもやっぱり霧は晴れない。
歳のせいだと簡単に片付けられるのも気に入らない。
あんまり霧を追いかけたのでひと塊りの霧が頭の中に住みついてしまったのだ。
霧の向こうには必ず何か居る。
たぶん。
。
そして、探し物はなんとか見つかった。
一生懸命頑固な靄もやをかき分けながらやっと辿り着いた。
その内2度と見つからない事態も起こるのだろうね。と取り敢えず胸を撫で下ろした。
本日幸い。
大晦日の夜は日本酒の冷酒をアペリティフに生牡蠣、アヴォカドのディップとパン、舌平目のムニエルにビーツのムース添えや野菜のポタージュ、牛肉を煮込みとサフランリゾット、チーズのオイル漬け、ティラミスが食卓にのぼり年明けにシャンパンを抜き、楽しくいただき、夜中三時過ぎにそれぞれ眠りについた。
元旦、友人たちと昼の軽食後散会し、相棒とDVDを観たり散歩をしたりのんびりと平穏に過ごしていた。。。。しかしその夜中に腹痛で目を覚ます。
お腹をこわしトイレと寝室を往復し、翌日は体中が痛み、きしみ、寝床の中で朦朧と一日を過ごした。牡蠣にあたったらしかった。
情けない様子で年明けを過ごしてしまったが、一日半ほどの不調ですんだのは幸いだったと言えるのだろうか。自己治癒力に改めて感心した。
個人的な年明けの第一声がなんとも冴えないものになってしまったが、今年はどんな年になるのだろう? 新聞をひろげれば物騒な話が並んでいる。
ベルリンのクリスマスマーケットを襲ったテロのおかげで、近所のクリスマスマーケットでさえも警察の警備配置が増え、しかもマシンガンを携帯する事になった。
世の中の空気が目に見えて大きく動き、染め替えられているように思えてならない。自分の立ち居地をしっかり持っていることが大切なのだろう。
また過剰な心配や恐怖によっても空気は壊れてゆく。
少しでも多くの微笑が生まれますように。
そしてそれが少しでも長く続きますように。
新年明けましておめでとうございます。