薄暗い坂道を降りてゆく。
少し蒸し暑くなってきた夜闇。温い風がほんの少しだけ空気を動かしているのを感じながら歩くというのはとても心地よい。なんだかバカンスで南の方に出かけたような気分かもしれない。ちょっとばかり軽く酒に酔った様な気分に似ている。
坂の途中には、頭の天辺に不思議な四角い溝が何故だか穿たれた変な顔の獅子どもが守る寺があったり、そして”○○食料品店”があったりする。

その店の脇の電信柱には勢い良く柱を締め上げんばかりに朝顔らしき植物が巻きついていて、青紫の花を沢山付けていた。
「あれ?なにかな?朝顔みたいだけど綺麗だね。」と友人と"それ"を見上げて立ち止まると、脇の物陰から
「ありゃ、朝顔じゃないよ」というしわがれ声がいきなり飛んできて驚いた。
「へえ、それじゃあ、あれはナンですか?」と思わず聞くと
「外来種っ」と、ぶっきらぼうな答えが飛んでくる。
ふ~ん、朝顔じゃないんだ。最も夜なのに咲いてるね。などと言いながらその場をとおりすぎようとした時
「あれは、種が出来んっ」と言う。
「ふうん、それじゃあ、一体どうやって増えるんです?」
「挿し木っ」何処までも突っぱねるような答え方だ。かといって喋るのが億劫なのかといえば、そうではない。
「外来種は強い。日本の植物を押しのけちまう。外来種ってやつらはみんなそうだ。」
「外来種がこの頃多くてね」
この辺りから、テーマは植物を離れてこの世を憂う親父さんのつぶやきとなっていった。
「。。。だから大体今の40才台の人間辺りは早死にだね。」
外来種の繁殖と40歳台の人間の寿命の微妙な関係という、その複雑な関連性を論じ合うとなると私の知識は間に合わないので、口を挟まず親父さんのぼやきを聞いていたが、まもなく手に提げたビニール袋の中身が気になり始めた。
晩御飯のナスと豚肉のピリカラ炒め弁当と餃子が入っていて、かなりお腹は空いている。
親父さんのぼやきは又この次に聞く事にして、とりあえず”早死に組み”は挨拶をしながら道を急いだ。
”○○食料品店”は23年前にはちゃんと食料品店としての面目を保っていたから、そこそこの小品が棚に並んでいた筈だし、実際私も時々買い物をしていた。
今では食料品店の内外に植物が並び始めて、一体何の店なのか一見して不明になってきている。店の親父さんは植物好きらしい。軒先にはCD盤が何枚も釣り下がって多分これは虫除けか鳥除けなんだろう。
頑固親父を画に描いたような親父さんは天気が良ければいつも道の向かい側の水色のプラスティックで出来たボトルケースに座って顎を突き上げるような感じに顔を上げて目を瞑っているか、「暑いなあ」とかなんとかブツブツと独り言をつぶやいている。
ところで、前置き話で私はすっかり呆けて、そのままフェイドアウトしてゆく所だった。
話の中に出てきた「外来種」の植物について書こうとしていたのだった。
青紫の朝顔のような植物は学名Ipomoea indicaでオーシャン・ブルーとかブルー・ダーウィンとか呼ばれているものらしい。
そこで思い出したのは以前10月頃のポルトガルで垣根にぎっしり咲く似た植物を見ていることだった。種採集家を自称する私は当然垣根に目を凝らして種を捜したけれど、何処にもそれらしいものが見えなかった。
それは花の色身が違い濃い赤葡萄酒色の花で、そこここの空き地にシックな花模様を描いていた。
葉や蔓の感じは全く良く似ているので、多分近種類だったのではないかと思う。
これは朝顔とは違って殆ど一日中花を開いている。風情が無いといってしまえばそれまでなんだけれど、なかなか美しかった。
しかし、やはり私なら朝顔を植えたい。(ああ、朝顔市を見られなくて残念だったなあ。。)
「外来種」達は確かに繁殖して、雑草のように茂り始めている。道端のあちらこちらにアカバナの月見草(Oenothera speciosa "Siskiyou")が咲いているのをみかけた。これはアメリカ、メキシコ原産の植物だが、日本の気候が気に入っているようだ。
我が家ではこのアカバナ月見草を2度ほど園芸店で手に入れて植えてみたが、冬越し出来ないようだった。
ヨーロッパでは日本から入った"イタドリ”やインドから来た”ツリフネ草”が在来種を押しのける。
面白がってよいものか憂いた方がよいものか、良くわからない。