散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

5月30日+31日の天気模様とか。。。

2011-05-31 13:46:10 | 思考錯誤


現在までの大きな原子力発電事故

原発を簡単にとめられるか?というBundesministeriums für Umwelt, Naturschutz und Reaktorsicherheit (環境自然保護原子力安全連邦省)の出している教材に出ていた図。日本は三件も入っている。















今朝は久しぶりの雨だ。
植物にとって恵みの雨だ。
雨の中を植物を点検すると、薄いあづき色のケシが一つ咲いているのを発見。

昨日の日中気温は31度だった。
外に出てほんの小一時間作業をするだけでクタクタになってしまう。情けない。

夕方になって隣の町に出かけ、日本の御伽噺のチャリティー朗読会を聞いた。
朗読はCDでよく聞く。しかし朗読会で聞くのはまた一味違って良いものだなと思う。
また機会があれば聞きに行きたいものだ。
入場料はそのまま日本の被災地支援グループへの寄付となった。

帰り道、夜9時を過ぎていてもTシャツ一枚で寒くない。
ぬるい空気の中、また少し痛み始めた膝を気にしながらゆっくり停留所に向かって歩く。
電車の中はガラガラで、のんびり外の景色を楽しむ。

青みの強いグレーの空に
枯れ色の畑が発光しているように鮮やかで
その間に挟まる緑の濃淡の塊は、
"何か”を守っているような趣

外を流れる絵を楽しんでいると、頭に何か落ちてきた。
斑模様の虫だった。なかなかきれいな羽虫だった。
車両の風取り窓が開いていたので間違って飛び込み私の頭に衝突したらしい。
頭から座席の手すりに落ちた。
虫を観察していると、優雅な動きで触覚をゆっくりまわしながら辺りを警戒している。

畑は光を失い、外を流れる空色が暗さを増す。

虫に顔をグッと近づけると、触角の動きを止めて、不思議な眼がぐるっと私をにらんだように見えたのは気のせいだよね?
















2011-05-30 10:22:41 | 思考錯誤


  

 




この時期、苺とアスパラガスとジャガイモの露店があちこちに立つ。
クリーム色の貴婦人然としたアスパラガスの横に土にまみれたグノームの様なジャガイモが並んでいる。アスパラガスとジャガイモは度々セットで食されるためこういう取り揃えになるのだ。
ある露店で買った苺がめっぽう旨かったので、再びそれを買いに行った。
売り子のおばさんは愛想のよくないタイプでにこりともしない。
しかし苺は美味しいのだ。

「これは昨日と同じの?(同じ種類と聞きたかったのだけど)」と聞くと
「。。。(少し心外そうに)そうよ、新しく今朝摘んだ奴だわ」。。。という。
「私は昨日この苺を買ったのだけど、ものすご~~~く美味しかった。今年食べた苺の中で一番。それでね、今日も来たのね」
というとさすがにおばさんもにやりと笑う。
ほおら、笑えば気持ちいいじゃないか。私も貴女も。気分いいでしょ?
「だから今日は3箱ね」というと
「そ~お?じゃあ、どの箱がいい?」なんてことも言ってみる。
「いくら?」(毎日値段変動するのだ)
「えっと、一箱1,80ユーロだから5,60ユーロ」という
「えっ?」
「5,60ユーロ」
「でも一箱1,80でしょ?」
「そうよ。ほら。。。」(電卓をたたいて5,40の文字を見せる)
「5,40ですね」
「そうよ、5,40」
「。。。。」
「。。。。」
と言う会話をして、甘い香りの立ち上る袋を抱え家に帰った。


土曜日に友人の結婚式があった。
結婚式といっても新郎新婦は若者ではない。既に26年間の共同生活を経て決めたことなので、こじんまりと内輪だけの挙式で心温まる集いだった。
教会の挙式後、彼等の友人宅でパーティーをすることになっており、ケーキを一つ頼まれていたので苺を買ったのだ。
どんなケーキを作るかは決まっていなかったが苺はどうしても使いたかった。
この時期のケーキには”どうしたって苺を使う!”と個人的に決めているのだ。
いわゆる「苺ショートケーキ」にしようかと思ったが、熟考の末パブロバにすることにした。
新郎の好物だということ思い出したからだ。
パブロバにシェリーを加えたマスカルポーネとフレッシュクリームをたっぷり塗り、苺、桃、ブルーベリー、キーウィーを山と盛り上げたところはなかなか見栄えが良い。

苺はやっぱり飛び切り甘くて香りも高くパブロバに盛り上げながら、私の口にも放り込まれた苺が何粒だったのか?




























曖昧な表現

2011-05-28 12:07:01 | 思考錯誤








「今後、学校内では1ミリシーベルトを目指す」と文部科学省は発表したが、「目指す」という言葉の真意がわからない。
その上学校外では年間20ミリシーベルトという基準を撤回していない。
なぜ目指すなどという表現をしたのだろうか? 撤回する意向が当面無いのに世論が騒がしいのでお茶を濁したとしか思えない。

ニューヨークタイムズへの文部科学省高木義明大臣の発言は"当分の間年間1ミリシーベルトの元の値に戻す”とされている。→ 
これは一体どう解釈したらよいのだろう? 
言い間違ったのか、表向き格好をつけたのか?
これもまったく妙な話。









一掴み間違って
切ってしまった
のでガラスコップに
生けた
かなり小ぶりな可愛い
花が咲いている。
 








年20ミリシーベルト撤回署名運動 : 撤回されるまで署名運動は続くそうだ。




十年後の日本 : これから速やかによき方向に対処されますように。





"元気”な人間のいない国家は衰退する道しか持っていないと思う。

















赤い行例

2011-05-27 08:20:33 | 思考錯誤
くしゃくしゃの蕾がほどかれると甘い香りが客集めを始めるのだろう。
まもなく色々な花蜂が群がり始める。
一つの花に3匹のマルハナバチが夢中で仕事をしていることもある。
マルハナバチのころっとした身体は重そうだが実は軽やかにふわりと花しべに取り組んでいるのだろう。華奢な茎を撓める事無く任務を遂行している。
たまには脚を踏み外すようなドジな奴も見かけた。いつまでも見ていて飽きない。
朝、起き上がりに外に出て、ひな芥子の傍に立ち果てしなく続くほぼ単一な羽音に耳を傾けていると魔法にかかってまた眠くなる。zumzum....











去年、テラスの工事で大きなコンクリート箱(80x800cm)の土も植物もすっかり放り出されてしまった。
箱の下方にあった粘土質の土が表面に出てしまいガチガチと固いのでスコップで少しずつほぐしながら
新しい土や腐葉土を混ぜてみるのだがはかどらず、まもなく固まり始めた私の体がギシギシと音を立てる。
植物が傷んでしまったうえ、多くの球根達も行方不明になった。
お~い、何処だ? クロッカス !ブドウヒヤシンス! 








すると蒔き散らかしておいたヒナゲシの葉が現れ、あっという間に赤いひらひらの行列が出来上がった。
ガチガチの粘土だろうが何だろうが立ちあがる奴は立ち上がるのだ。
よく見ると花は似ているが3種類のヒナゲシがあった。
一つは日本の甥が採って来てくれた種ナガミヒナゲシ、一つは多分どこかで貰った種袋(蜂のえさシリーズ)を蒔いたことを覚えている。
もう一つは以前から箱に棲んでいた種(野原から風に乗ってやってきた?)だったのだろう。











時折ふく突風が吹いて天気が変わりそうな気配だった。
せっせと土をいじっていると風が土粒を私の顔にぶつける。
土ぼこりは目に鼻に口に容赦なく攻撃をかけてくるのでたまらない。











生命の徴のようなヒナゲシの赤い花が風に揺れるのを見るのが好きだ。




























Ja, zu Japan

2011-05-23 17:37:57 | 思考錯誤


ロシア人の知人と、北海の港で日本から来たコンテナから軽度の放射能検出された話をした。
すると彼は「俺の知人はわけあって国から逃げ無けりゃならなかったんだ。で、アメリカに逃げて、そのうちに輸出入で稼いでた。彼は米国で売れない”良品”とはいえないものをインドや東南アジアに売って儲けた。その方がよっぽど恐いね」などという。
恐いって、それはかなりいけない話だ。
世の中黒い黒いもやもやしたものがうごめいている。
こっちがぼんやりしていると早速もやもや巻き取られてしまうかもしれない。

そんなことを思いながら歩いていたらバスの停留所に新しく貼られたポスターに気が付いた。



”ああ、日本! 日本の大震災の犠牲者へ追悼の意を表し、残された人々に寄り添いたい気持ちです。
日本の全ての人々にこの大災害を乗り越えるための勇気と力を祈ります。
そして私達は2つの国の友情150年間の記念年でもあるこの時に心のそこから言います:Ja,zu Japan”

というような意味のメッセージが書かれている。このポスターはMeerbusch市と隣接するDüsserdorf市の発信で今日町中に貼り出された。
今年は日本ドイツ交流150年記念年で催し物の幾つかは自粛された。













日曜日のお勤め

2011-05-23 15:23:14 | 思考錯誤







昨日の日曜日
隣の街のお祭りで”飛ぶ鶴”キャンペーン続編を終えた。
。。とは言え、殆んど机の前に座って仲間と折り紙をしたりおしゃべりしているくらいなものだ。
街の教会自治会の男性会員が子供達の折った鶴を箱一杯、募金用のカップを抱えてお祭りの人出に飛び込んでは、重くなったカップを嬉々として持ち帰へる。
何故か年配の男性ばかりが張り切って活躍していて、ご婦人方は日陰で口を動かす方が忙しい。(もっとも彼女等は担当外であった)
8歳くらいの坊やがやってきて、折鶴の山を指差し"いくらですか?”と聞く。
"これは値段は無いんだよ。日本で辛い目にあっている子供達の為に 寄付があると嬉しいな、と思って配っているんだよ”と返事をすると、「寄付する!ボク、寄付するよ!」といってズボンのポケットをひっくり返した。ぽろぽろと40セントが出てきて、募金箱に入れてくれ 少しよれよれとした青色の鶴を選んで嬉しそうに帰っていった。

教会自治会のご婦人が隣の店で買った苺を差し出しながら「お一ついかが? 洗ってないけれど。。。」
彼女が次に言うであろう言葉は直ちに予測できた。
「。。洗ってはないけれど。。放射能汚染は無いわ」といいながらにやっと笑った。
本人は至って悪気は無く、こういうジョークを今、日本人に言っちゃう人が結構居る。
ブラックジョークにもならないところが、痛い。

「それはどうでしょう?知らない方が身のためかもね?」と私は肩をすくめる。





ドイツでも原発事故は知らない間に度々起こっている。→ ★















Bad Berleburg

2011-05-21 11:37:54 | 思考錯誤
グループ展のオープニングの為に出掛けた。
Bad Berleburgは保養地でこぎれいな、眠っているような街だ。
しかし一日散歩をするのはなかなか楽しく、城の公園は今色とりどりの石楠花やつつじがとても美しく
少し野生化した庭がなかなか良い。
またこの数日脚の具合が今ひとつなので、あまり歩くわけには行かなかったが、つい花に釣られて歩いた。
この地方はスレートの石切り場があるので、家々の外壁はスレート張りで、鱗のある家という感じだ。
よく見ると職人のセンスによるものかそれぞれに工夫が凝らされたスレートの組み合わせ模様が面白い。
歩きつかれて城の前にある小さなカフェに入り珈琲と水とメレンゲとグズベリーのケーキを注文する。
これがなかなか美味しい。
(このケーキは滅茶苦茶に甘い場合があるので、期待はしないで居たのだが、程よい甘さで美味しかった)

さてこの街にある小さな美術館での展示だった。
この展覧会は後4箇所の美術館を巡回することになっている。





  カタログ





















負の遺産

2011-05-18 12:04:57 | 思考錯誤


震災からもう2ヶ月以上が過ぎました。
改めて震災の犠牲になった方々へ祈りを捧げます。
地震と津波被害からの色々な意味での復興がこれから速やかに進みますよう。
そして原発事故が一秒でも早く収束してくれることを祈ります。






私達が後世に残してゆく負の遺産。
原子力発電所と残される廃棄物は世界の各地に存在している。当然ドイツも核廃棄物に手をこまねいている。
ニーダーザクセン州に半分目を覚ましかけながら眠る核廃棄物を詰め込んだ「AsseII」という岩塩の採掘抗がある。(Asse IIの他にも核燃料廃棄物集積場は他にも幾つかある)
1967年から1978年にかけて無数の"黄色いドラム缶”がこの岩塩鉱はに放り込まれた。当時、危険を訴える学者が居たにもかかわらずこの原始的な地層処分で良しとしてしまった。それらは驚くほど無神経に放り込まれ、外側のドラム缶が破損したりしている。(そういえばチェルノブイリ原発事故の頃、Asse IIで行われている"ゴミ捨て現場”がテレビで流れてあまりの無造作に驚いたことがあったのを思い出した。海に廃棄する国もあったけれど、今頃海の底でどうなっているのだろうか?そんな事をずっと忘れていたのは不覚。。。)
Asse IIでは地下水が染み出し、排水処置をするものの危険この上ない。これをコンクリートで固めてしまうか、掘り出し回収し地層処分にするかの提案が出されたが、"回収"に決定した。
かなりの危険度を伴う難しい作業だ。
しかし地層処分をするための場所が決まっていないうえ、処理にかかる莫大な費用を電力会社は「我々の問題ではない」と言い切る。結局国民の血税で処理されるしかない、それも何代ものジェネレーションが担うのだ。
日本で稼動している原子力発電所が現在半分弱だと言ってもそれぞれに危険な荷物を抱えている。
自分達が出した汚物を後世に残してゆく事がこのまま続いていいわけが無い。
少なくともこれ以上増やさぬように努めるべきではないだろうか。







ところで「チェルノブイリ」はウクライナ語でチョルノブイリ=「ニガヨモギ」の事だというのを聞いて少し驚いた。


第三の御使いが、ラッパを吹き鳴らした。
すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。
そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。
この星の名は、ニガヨモギと言い、
水の三分の一がニガヨモギのように苦くなった。
水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ

『聖ヨハネの黙示録』






椅子

2011-05-14 22:56:05 | 思考錯誤




椅子の写真は現在約130脚になった。



大震災、原発事故の只中、中国の出来事に心を砕くことについて。

ある日本人の方から、日本の原発が全面廃止になり、世界に堂々たる正義を見せられるようになったら、
中国の人権、民主化について語ることが許されるかもしれない、だから今は遠慮するという返事が届いた。
これはその方の言い方、やり方であって、基本的に立ち位置は変わらないのだろう。
多分時期というものもあるし、方法も異なる。それぞれに一番良い解決方法があるのだと思う。

事実、このような事は何の役にもたたないあがきなのかもしれない。あるいは野次馬根性的な安全な高みからのざわめきにも見えるかもしれない。
それでも、やはり小さなささやきであっても意見を述べてゆくこと、また人権にあり方について、
言論の自由について私達は常にチェックしてゆく必要があるのではないだろうか?と私は思っている。

今回日本の報道規制や体制側への厳しい意見を述べることで自由が束縛されてゆくことが見え隠れしている。
そういう意味でも おかしい と思ったことには 耳を貸したい。
何も出来なくとも 一緒に 考えたい。

最近ブログで、あるマハトマ・ガンジーの言葉を見かけた。
少しインターネット海を泳いで見ると沢山の人がこの言葉に注目していた。
多分今、多くの人々がぶつかっている現状に強く語りかける言葉なのだ。
それは
「あなたがする行動のほとんどが無意味であったとしても、それでもあなたはそれをしなくてはならない。それは、世界を変えるためにではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」という言葉だ。


私達は世界を変えるために ごまめの歯軋り をしているわけではなく、これは小さな個の抵抗だ。
笑いたくなるほどに小さな抵抗。

何も出来ない不甲斐ない自分だから、こういう機会があれば考えを確認する。

自分の位置を確かめる為の指差し確認をするのだ。




関連記事として。。。。(LEさんのブログからのリンク)








この際もう一つ。















ノスタルジア

2011-05-12 19:31:31 | 映画の話


アンドレイ タルコフスキーの「ノスタルジア」
この9分間ほどの
緊張感あるシーンは
主人公のアンドレイが
炎を消さずに
広場を横切れば
世界は
救われると
言われて
やり遂げる
所だ。
炎を
守ろうとする
アンドレイの
手が
印象的で
好きだ。

帰宅途中
この映画が
何故か
思い起こされて 
ずっと
木の枝に
絡んだ
風船みたいで
気になって
仕方なく
映像を
探した。




しかし 今 この映画を通して見る元気は無い。

























宝物

2011-05-11 19:03:26 | 思考錯誤
今日 遠くから 宝物が飛んできた。
外出前に玄関の郵便受けから取り出した 新聞や書類の入った茶封筒の間に
小さな薄い封筒がするりと現れたので なんとは無しに早く開けたくて 歩きながら封を丁寧にはがした。
桜模様の便箋が一枚入っており 去年 日本での私のワークショップに参加してくださった若い女性からのメッセージだった。
ワークショップのテーマは「散歩」で あいにくの台風で計画がすっかり台無しだったのだが 集まってくださった方々と画廊の中で
「散歩」をしたものだ。
便箋を封筒から引き抜いた時 ふわり と宙を舞ったものがあった。
あわてて拾い上げると それはシートの中に挟まった 桜の花 の押し花だった。
それは一瞬だけ 日本の満開の桜の木の下に 私を連れて行った。
手紙の中には 震災の後「散歩」は平和な環境 心の現われであり 散歩で発見したものは 宝 であることに気が付いたということがしたたらめられ
春の宝を同封してくださったのだった。そして彼女の手紙の言葉も宝だ。 
素敵な美しい宝物をありがとう。
春の宝を私の宝箱の中にしっかりと仕舞った。
胸の中の 一番上等な引き出しの中に 仕舞った。