散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

昨日の横道

2009-08-05 08:14:09 | 移動記録
友人と電話で庭の植物の話をしていると「そうだ、私は今からアロニアを収穫に行かねばならない」と言い出した。さらに話しているとそれほど遠くないところにアロニアを作る農園の話になり行ってみようということになった。何だか天気も上々なので作業場にこもっているのは酷くもったいない気分だったのだ。この天気はどうせ数日しか持たない。。。とつい天気については悲観的になってしまう癖が長年の間についてしまった。天気予報を見ると珍しく4,5日続きで快晴マークが気持ちよく並んでいる。驚きだ。恵みだ。これで作業場にこもっていては残念すぎる。(以上言い訳)

        


アロニアはビタミン豊富で最近見直されている果実だが、酸味と渋みが強く生食しても美味しくは無いし、種には青酸が含まれるので向かない。(そういいながらも何粒か食べてみた。酸味強くかすかな甘みがあり渋みがが最後に残る)果実汁、ゼリーやリキュールにすることがおおい。危ない成分を含むとはいえ、この果実はビタミンK,Cが豊富で鉄、ヨードなどのミネラルも含有し抗癌作用のある健康食品として最近もてはやされている。ロシアでは高血圧、皮膚病そして神経的病にも良いとされて親しまれているという。



      


今年は友人の庭のアロニア・メラノカルパも豊作だった。少しだけ貰ってきたのでこれでマルメラーデを作ろう。去年の秋には瀕死だった薔薇アブラハム・ダービーは切り戻して見事に復活し元気の良い新枝を沢山だして素晴らしい香りを放ちながら咲いていた。花に鼻を埋めてしばし恍惚とす。隣のトルコ人の庭には実らない枇杷の木(多分冬が寒いからなのだろう)があってそこから幾枚か葉をいただいてきた。これで又草木染も一寸しておきたい。


旅の記憶、記憶の旅:北海

2009-01-27 09:39:31 | 移動記録


数年前の事だ。
北ドイツのブクステフーデという街の美術館で個展をするために下見調査に出かけたついでに,北海を旅しようと相棒と共に旅立った。

ブクステフーデはハンブルクから極近い南西にあるロマンティック街道にある街でなかなか可愛らしい様子の街である。早々に"下見”を終えて、そこからそう遠くない北海に面したクックスハーフェンに向かった。

クックスハーフェンには大きなヴァッテンメーア=干潟地帯が広がっている。
それをぜひ見てみたかったのだ。
そこには干潟、低湿地帯、高地乾燥帯、泥土地帯といづれも興味深い自然環境がある。
海際の小さな宿の部屋に荷物を置いてから早速散策に出かけると風が強く五月半ばというのにまだかなり寒く上着の襟元をぎゅっと詰めて抑えながら歩いた。
そして翌朝、ホテルの廊下の窓から海を眺めると私は、一瞬面食らってしまったのだった。
そこにあるはずの海はすっかり引いて、濡れた砂の波跡が朝日を反射して鈍く光っているだけだ。
前日の夕刻に眺めた景色はすっかり消えていた。
干潟地帯を見慣れぬ者の目にこの風景は不思議な感動を与えるはずだ。
潮の干潮時には、遠くに小さく見えているノイヴェルクという島まで馬車で渡ったり歩いたりすることができるが、干潟地帯は知識を持たずに一人でうろうろ歩いては危ない。
彼方まで水が引いてしまった後の砂地を眺めていると、深呼吸する地球を想像して、私の頭の中もついでにザアーッと潮が引いてゆき、脳みそも引っ張られて行く様な気分になろのだった。








クックスハーフェンを出てから船に乗ってヘルゴランド島にも足を伸ばした。

ドイツに住み始めた頃、テレビ局は国営しかない時代で(当時我が家では三局入った。場所によってはイギリス軍放送BFBS-British Forces Broadcasting Service-もはいったっけ。。。今では30局以上入る)、放送終了時に国歌と共に画面に映るのはヘルゴランドの岸壁だった。何でこの画面なのかなあと思いながら放送終了画像を眺めたものだ。
"Helgoland”という名は"heiliges Land=聖なる地"から来ているのだという人もあるけれども、北海沿岸の高潮時に海没してしまうような小さな群島を指してHalligといって、そこから名前が生まれたのだともいう。
まあ、Heiliges Land=聖地であると言った方がちょっと楽しい。
そんなわけで一度行ってみようかと思いついたのだった。
小さい島だがかつてはデンマークやイギリス領であったこともある。さまざまな歴史を持った島だ。

島に着くと沿岸に色とりどりに可愛らしい小屋が立ち並んでいる。これは昔ロブスター漁が盛んだった頃使われていた小屋で、現在は小物を売る店に変身したりして観光客の目を楽しませている。その上最近では結婚式をあげることもできるという。ロブスター小屋の結婚式っていうのはどんな感じだろうか?見てみたかった。

野鳥観察、特に渡り鳥の観察に適した島で、重量級の撮影機材を持ってうろうろしている人達も多い。
街には小さな野鳥観察情報事務局があって壁に貼られたリストを見ると「何月何日何時何分何処で何が観察された」というような情報が随時記入されてゆくようだった。機材を担いだ彼らもそれを見て足の向く先を決めるのだろう。
風が強い日(いつも風は強いようだったけれど。。)は風が立てる色々な音が少し神経に障る気もした。そんな私の気分とは反対に鳥達は強風の中を吹き流されたり舞い上がったり、楽しく遊んでいる。

本島の脇にあるデューンという小島にボートで渡るとアザラシの群れにも会えた。群れに近づくのは危険だということで、人間達は遠巻きに固まってアザラシの群れを眺めて歓声を上げたり写真を撮ったりしている。
少し離れた所からその二つの群れを眺めるとアザラシの群れも人間の群れもそう対して変わらないように見えたし、この浜においては好奇心に包まれながら、ちょっと怖がっている人間の群れの方が影が薄いようにも見えた。

海を眺めていると、時々波間に現れる塊があった。海の中には座礁した船の残骸が沢山残っていて、その一部を波が繰り返し繰り返し洗っているのだ。
遠浅の海であるからこのあたりは船も事故を起こしやすい。
海底の砂は移ろってゆくので起伏が変化するのだ。それを見極めて航海するのも難しかった事だろう。
中世時分は海賊が頻繁に行き交っていたあたりである。
すっかりさびて朽ち果てんとする鉄の塊はかつては海賊船だったのかもしれない。


そういう意味で想像力かきたてられる場所なのだった。

また強い冷たい潮風に吹かれて見たくなっている。











ランザローテ島

2009-01-23 04:19:43 | 移動記録
昔の写真を掘り出していたら、ランザローテ島の写真が出てきた。
ランザローテはモロッコ沿岸のカナリア諸島の中の一つの島だ。
とても気持ちが良かったことを思い出す。








空さえ明るく青くなければ月か火星かと思い込めるような風景が広がっている、多肉植物がごつごつと地面から生えていたり、ちょっとばかり地面を掘るとそこはすでに熱く、火山弾がごろごろといたるところに在った。
ボートで20分ほど行くとLa Graciosaという小さな島があって、アフリカ大陸から渡ってきては産卵する地蜂の巣が砂浜に残っている。良く見れば地蜂の巣の化石も見つかる。気が遠くなる昔から繰り返される自然の営みだ。


また行きたい場所。。。


寒い灰色の空と雨が続いているので昔の夏の旅を頭の中でおさらいしている。

デュッセルドルフ Mediahafen

2008-12-05 17:11:12 | 移動記録


急に海が見たくなったので、海に。。。。は出なかったのだけれどとりあえず水際に近寄った。(海が見たいな)






ライン川沿いのMediahafenという地区。(写真はフランク・ゲーリーが設計したビル。)



写真は月曜日に撮った。
今日の空は黄味がかった灰色が重く重く垂れ込めて、私の脳みそを押しつぶす。
その所為かすこしだるい。結局今日もすべきことが為せずに外は真っ暗。





Monschau

2008-12-04 17:50:01 | 移動記録
日本からの客人を連れて...。


Fachwerk(ティンバー フレーミング)の家並みが美しい。木のゆがみをそのまま利用して作られているので、自然の中に生えてきたような家々の表情が豊かだ。






アイフェル地方のモンシャウというベルギー国境に近い、中世の面影そのままの美しい街。








このカフェで一休み。





この家は裏にそびえる岩と同化している。










孔雀館

2008-12-04 00:00:55 | 移動記録



メンヒェングラッドバッハという街の郊外にあるルネッサンス様式のRhyedt城には孔雀が何羽も住んでいるのでございます。
見かけて手を振ると「お、良く来たな」とばかりにやって来て「ま、一緒に行こうか。。」とばかりに私を同伴してくれるのでございます。
共に散歩するかのように時たまこちらが立ち止まるとやはり彼も立ち止まる振り返る様子さえ見えるのでございます。





城の外れまで来て小さなお堀の橋を渡りますと、孔雀の仲間たちが集っておりました。群れの中のひときわつわものそうな孔雀がベンチの背もたれに飛び上がって胸をそらして喉を震わせております。
私が孔雀たちに丁寧に挨拶をして月影の濃くなり始めた道を引きかえそうと致しますと、
枯葉がカソコソと舞い踊る音の隙間に
「久しぶりだな」
と、懐かしさをくすぐる声が私の耳に届いた様に思ったのは魔時の運んだ伝言であったのでございましょうか。

空に浮かぶのは満月でございました。






『君たちはひょっとしてかつてこの城を闊歩していた騎士たちではなかったのか?』







 城の装甲地下壕

(監獄にも用いられた・・・魔女裁判でとらわれていた人もあったという。)





散歩中に出会った奴ら

2008-12-03 11:13:59 | 移動記録
中世の町並みがそのまま残るZonsの冬の平日の昼は人っ子一人いないといっても過言ではなくなんだか妙な感じがしないことも無い。
妙な感じ。。。というよりも妙な想像が掻き立てられるという事。
良く見ればコカコーラの看板や携帯電話の広告なんかが石造りの家並みに散らばっているのが確認されても、少し目を細めて体を後ろに引いてみるだけで現代と過去がリンクする感じがする。



その町の窓際で挨拶したのは。。。。


砂糖大根の爺様



カメラに興味がありそうだった猫







第一アドヴェントの明かりが灯った。
さらさらに乾いた砂山を突き崩すように今年に残る日々が指の隙間をあっという間に流れてゆきそうだ。


おまけ

アドヴェントカレンダー 毎日新しい絵がその日付に現れます。

散歩

2008-07-29 00:07:49 | 移動記録
Schloss Dyck

日曜日

久しぶりに天気がよくなりそうな気配だったので散歩。





午前中はまだもやのかかった空気。肌寒いくらいだったが、午後太陽が顔を出し始めると途端暑くなる。



ここはウォーターキャッスルで、もともと3重のお堀があった。お堀には黒鳥や鴨がのんびり泳いでいたり、水面を飛ぶ虫を狙ってツバメ達がアクロバット飛行を披露しているので眺めていて飽きない。芝生の真ん中には孔雀がくつろいでいたりもする。



最近修復を終えたこの城の中では展覧会があったり、他催し物もあれば食事もできる。
9月5日から15日にはIlluminaが(世界中で似た催し物があるが、景色の中に光をアレンジするイベント)開催される。



なんとなくこの色合いは面白いな。しかし妙にオリエンタル調なのである。




取り立てて良いと思った椅子ではないけれども、二つ仲良く並んでいるところが気になった。



古き物の中に新しき芸術作品を組み合わせて展示する企画は珍しくはないけれど、どんな部屋の扱い方をしているか見るのは面白い。



私なら図書室に何か展示してみたい。(実はこの図書室にはたいした本が入っていなかった)




この城に近くにニコラウス修道院があって、お茶も飲める。
周辺には果樹園があるのでリンゴの花が咲く頃も美しいだろう。実はその時期にはまだ来たことがないので来年は忘れずにいよう。




※Schloss Dyck 入場料7ユーロ。(Illuminaを楽しむ人は入場8ユーロ:20時から24時まで)


今日は32度。仕事場もさすがに空気が温まり始めた。床に広げた紙の上でしゃがんだり、立ったり、またいだりしているとすぐに眼が回る。血液循環機能不全気味だ。仕舞いに気分も悪くなってきたので数分休んでは作業続行。

夕方5時半頃に家に帰ると部屋の中はまだひんやりしているのでむしろ窓もドアも締め切っていたほうが涼しい。

今、夜12時の鐘が鳴ったところだが外の方が暖かい。凝り固まった首をまわし、イタタタと情け無い事を言いながらしばらく星を眺めているうちに、なんだかのどが渇いてきたので、日曜日にSchloss Dyckで買ったシードルの冷えたのを具合良く思い出て開けてみた。もちろんその周辺で取れたリンゴを使っている。さわやかな軽い味。グラスの表面にできる水滴を眺めてホッとする夜なんて7月下旬にして今年初めてなのだ。

暑い夜にはこういうのもたまによい。


Bingerden 植物市報告

2008-06-22 21:13:01 | 移動記録
昨日の土曜日オランダのBingerden-園芸祭り-に出かけた。
幸い天気もよく、気持ちの良い散歩日であった。
今回のテーマは「薔薇」
開場の朝一番に間に合うようにと朝ごはんをさっさと済ませ、相棒と出発した。道も空いていたので一時間半もかからずに到着。
もうすでに駐車場はかなりの車が止まっている。
私の目と手はカメラなどにかまっている余裕がなくてとりあえず記録としてのスナップ写真を撮ってきたのだが、落ち着いて写真を撮っていればなかなか面白い被写体があったはずだ。
しかし私は写真を撮りに行ったわけではないから記録をとっただけでも上出来と言うもの。
少しだけ其の様子を紹介。



開場10時丁度に入場券を買って門を入る。



まだ開園したばかりで落ち着いて見学していられる。
毎年の常連客は手押し車を持ってやってくる。



キスゲ、ユウスゲのコレクションを集めた店。
美しい暗い小豆色の花を発見。一回りして
もう一度見てみると、素敵だと思った花の咲いた鉢は
一つも残っていなかった。
そうなると急に惜しい気分になってがっかりなのであった。
逃した魚は大きい。。。





薔薇を専門に出している店が数件あった。近所のナースリー
では見られないような類がたくさん見られた。

  

渋い植物コレクションを取り揃えた出店を点検しながら、庭が
欲しいとつくづく思うのだった。店主はなかなか洒落たセンス
のご夫婦。其の店はコレクター向きの店で、面白いものが揃う。
サルビアの珍しいもの発見。7月中旬にサルビア特集の企画がある
そうだが、其のナースリーは残念ながら少し遠いのだ。
泊りがけ旅行ついでに企画するかな?



野生蘭などの根っこを仕込んだ弁当箱(?)



庭で講演会がおこなわれる。

  

植物の展示の仕方にもそれぞれが工夫を凝らして楽しい。



桃色蒲公英の苗を見かけたので試そうと思っていたのに
買うのを忘れて帰ってきた。



ハーブと野菜の種屋。特に珍しいと思うものはなかったが、
おしゃれな展示に感心する。紫蘇の苗があったので一つ購入。



球根や宿根を売る店。



  


幾つかの収穫を得て満足して帰宅した。

こじんまりとしたなかなか良い庭だ。
ちなみに来年の祭りは6月19,20,21日とすでに決定している。


今日は妙な天気で、午後から急に湿度が上がりはじめた。
風がびゅーっと突風が吹き雷が鳴り激しい雨が降るかと思えば
パタッと止む。
夕方ニュースを聞けば地域によっては酷い嵐だった様子で、大きな木が根こそぎ倒れたり、屋根瓦が飛んだり豪雨に見舞われたとの事。 




土いじりをした後は我家から10分足らずのイタリア人のアイスクリイム屋まで歩き、トロンチーノとカラメル味のアイス球2個を買って食べた。

ふと、気がつくとアイスクリイムを握る手は爪の隙間に土を詰めたままの汚い手なのだったが、昼寝をしているかの様な日曜日の街ではそんなことにかまうものは居ない。。。と思う。




散歩:ケルン

2008-05-04 09:30:48 | 移動記録



天気が良いのでケルンの植物園「Flora」へ出かけた。
この植物園の古い部分は1864年に出来上がった植物園。
まだプロイセンの造園アーティストであったPeter Joseph Lenné (*1789年9月29日ボン生まれ、1866年1月23日ポツダム没)の手になる部分が残っているそうだ。
ケルン動物園、水族館が隣接し、良い天気に誘われて出かけた人々でにぎわっていた。
久しぶりに上着も脱いで陽射しを浴びながらの散歩は気持ちよい。


 ピンク花のすずらん。。。。初めて見た。














植物園を出た後は街方面に向かい、去年新築開館した美術館Kolumaを見学した。
以前大聖堂前にあったケルン教区美術館が移動した。この美術館の新しい名前の由来は建物にある。戦災で廃墟化していたロマネスク様式マリア教会、聖Kolumbaを土台にスイスの建築家 Peter Zumthorが設計。遺跡部分も見られるようになっている。 中世の作品と現代美術が組み合わされた展示で面白い。

建物は天井高く、余分なものを省いたストイックな空間。身近にありえない空間なのでひと時楽しめる。。。が、この手の空間は最近何度か経験しているのを思い出した。(隣接するWallraf-Richartz-Museum & Fondation Corboud も似た趣だった。建築家Unger作)そのうち、あちらもこちらもという事になって飽きてくるんじゃないか。。という気もしないでもない。
しかし遺跡を巧く取り込んで作られたこの美術館は個人的には悪くないと思っている。美術館内歩き回って足が棒になるような大きさではなく、丁度良い広さも具合よい。













 レベッカ・ホーンの作品。 羽ばたき舞い上がるトランクの内側にはユダヤの星と鳩が記されている。










非常に贅沢な展示空間だ。
















中庭で陽射しを楽しむ人々。
館内から時折中庭を望むと、陽だまりにしたがって休憩する人々の座る位置も陽時計のように移行してゆくのが見られた。

最後に大聖堂に入って、ゲルハルド・リヒターがデザインしたステンドグラスを一見。
思ったとおりにあまり面白く。。。無い。
騒がれるのはリヒターという名前に対してとしか思えない。




この次のケルン散歩目当てはWALLRAF-RICHARTZ-MUSEUM & FONDATION CORBOUDの印象派の展覧会(6月22日迄)


週末報告3

2007-10-06 17:23:07 | 移動記録
デュッセルドルフのモダンアートを展示する美術館の一つ〝K21”
。。。で展覧会を見た。。。と言う話は今日は書かない。
実は美術館の脇に公孫樹の木が2本生えている。
その木を見たときに私はふと『ぎ・ん・な・ん』を思い浮かべたのだった。ドイツにも公孫樹を好んで植えた時代があって(ゲーテも愛した樹である)時たま雌木があるので銀杏が落ちている事があるのだと友人に説明しかけているとき

『そうなの?あるかな? あっ、本当だ!!!落ちてる!!!!!』という声がした。

落ちている落ちている落ちている、落ちている、一面に落ちている。

臭いといわれても、手がかぶれるといわれても、食いしん坊としては拾わない手は無い。
お宝が落ちているも同然なのである。
手元に都合良くあった箱に臭い実をポイポイと投げ込み、あっという間に一杯になったこれをどうやって料理しよう?何を一緒に食べるべきか?。。と一同夕飯の献立に心掻き立てられながら散歩そこのけで帰宅したのは言うまでもない。
最もこれを抱えて街を散歩したら不味いよね。
臭い果肉を苦労して取り除いて(私は料理担当ゆえその苦役は免れる。出稼ぎ苦役労働者の気持ちがわかるなあ、とつぶやきつつ皮むき担当者達は戦った。ご苦労様。)しかし種を炒って現れた緑の美しい事は宝石のようだ。
食べ過ぎては身体に毒(小児7~150粒、成人40~300粒で中毒症状がおきるらしい。)だけどギンナンは美味しい。
銀杏登場で一挙に駆け足で盛り上がり日は暮れる。

(ちなみにその翌日も ”あるだけ全部拾いたくなるなあ。。。”なんて言いながら欲張って拾いに行った。)

その翌日、中世の街Zonsを散歩したときのこと。
(この街にはお客様をお連れしてたびたび来ているが、何時きても可愛らしい町で気に入っている。ライン河岸の景色も大変のどかでよろしい。)
野外劇場(グリム童話の出し物。)の裏を通って町の小さな美術館裏を歩いていたら当然木が沢山植わっている。
マロニエの実を拾い集める子供に混ざって2,3個ポケットに忍ばせて、すべすべした触感を楽しみながら落ち葉を踏む。
ア、あの木の根元に落ちている実の感じ、あれは栗だ。
よおし、今度は栗だぞ!
。。。というわけで
再び秋の味覚収獲に盛り上がったのは言うまでもない。
ちなみにこの栗の毬を煮て鉄媒染で布を染めると美しいグレーになるはずなので、痛い思いをしながらも毬も収獲した。
晩御飯は秋の味覚ピザ(栗ギンナンのトッピング!!!)をいただきつつまたもや日が暮れた顛末。






上の写真の中に見えるグラスに入った飲み物はFederweisserという若いワインでぶどうジュースのように甘い。発酵中のワインである。甘くて飲みやすいので思わずがぶがぶ飲んだら危ない飲み物だ。Zwiebelkuchen(玉葱のキッシュ)を一緒に食べるのが美味しい。



ついでに

10月3日(ドイツ東西統合記念日)のこと。

 近所の公園の栗の木を点検に行った。
もちろん袋は必携帯である。
ぼとッ、ぼた、ばたぼたと実が落ちてくる。無防備に拾うのに夢中でいたら栗爆弾脳天直撃で涙が出た。小さな実とはいえ豆粒ほどの瘤が出来てひどく痛い。これが毬ごとだったら頭に刺さったんじゃ無いかと想像して苦笑いしつつも拾い続けたのでありました。
一㌔以上は拾ったので、さてこれをいかに利用するか。
モンブラン?栗の甘露煮?栗鹿の子?栗御飯?
後でお礼肥えをあげてこなければね。



なんだか、この人は拾ったり摘んだりばかりして食べてばかりいる。。。と思われていることだろう。。。



まあ、そういわれてしまってもそのとおりなので黙ってニヤニヤするしかない。



PS:昨日栗毬鉄媒染色実験執行灰鼠濃灰色美也 ・・・また改めて

週末報告2

2007-10-04 08:45:39 | 移動記録
ロンドンから訪ねてくれた友人達とともにEssenに行く。
先ずは私の展示を見たいと言ってくれたので(感謝)直行し、その近所で初期ロマネスク黄金のマドンナに又挨拶をしてから、2001年にユネスコ世界遺産に認定された炭鉱産業遺産のEssen Zollvereinに向った。



Zollverein
3D地図
360度

このゲレンデ内にあるレッド・ドット・デザイン美術館はかつての巨大なボイラー室で、ノーマン・フォスターが内装を手がけた。世界中のレッド・ドットを受賞した作品などが展示されている。ボイラーを残したままの館内は中々の迫力で一見の価値はあり。。だ。

ゲレンデ内の建物ではコンサート、演劇、展覧会などが行なわれたりすることもあるが、あまり面白そうな企画の話を聞いた事が無いのが残念だ。
中にあるZollvereinグッズなどもあるのだが今ひとつ。

写真1”見学者センター”の24メーターのエスカレーター。
写真3”見学者センター”のなかのカフェ。



この後、帰宅途中に思いがけない美味しい興奮が待っていた。

楽しい週末報告

2007-10-03 11:26:09 | 移動記録


秋の長雨をかいくぐるようにして街へ散歩に出る。

1.2:
旧市街にあるUerigeという自前ビールの美味しい店の前はいつも、鈴なりの人だかり。ビールっ腹とはこのことか、感心するようなおなかの給仕さんがお盆にビールをぎっしり乗せて人ごみの中を歩き回っており、グラスの中身が1/4くらいに減ると黙って新しい一杯が届いてしまったりするので、すばやく断らないといけない。街の破瓜の道筋がガラガラであってもこの店の前はいつも沢山の人だかりだ。

3:
デュッセルドルフ名物killepitsch
98種の実、香草エキスのリキュールである。最近イメージチェンジをとげて若者にもアピールしている。アメリカ、日本にも多く輸出しているらしい。
隣にあるEt Kabüffke と言うリキュールバーで一杯飲んでみると面白い。

6,7:
メディア ハーフェン に建っているFrank O. Gehry の建物。ゲイリーの作品の中ではおとなし目のデザイン。
デュッセルドルフの建物




Bruges-la-Morte

2006-09-12 00:20:25 | 移動記録
朝起きると空には少し厚めの雲が空を覆っているが、端っこの方からめくれ上がるようになってきて明るみがましてくる。
良い天気に間違いなし。

。。。そしてブルージュにむかう。


 空には時々ドラマチックな雲が現われる。

ブルージュは毛織物産業で栄えたのが13世紀から15世紀であり、その後入り江が崩れ貿易船が入れぬようになった事から、商業都市としての機能を失い、そして衰退した。
1892年にローテンバックが『死の都ブルージュ』と言う幻想的小説を書き大人気を得、そしてこの本はブルージュを退廃的魅力に満ちた街として観光客を導いたのだった。

 この角度で取られた写真が世の中にうんざりするほどあるはずだ。この角度から撮るまいと思っていながら、つい一枚撮ってしまった。

15世紀から時間が停滞してしまったかのような街は、どこか非現実的な雰囲気を持っている。このような観光業で食べている街はたいがい似た空気の香があるものだ。
どういうものかこういう街は写真を撮るのが面白いようで面白くない。何処をとっても観光写真の一枚になってしまうのだから。どの角度から眺めても絵葉書様になってしまう。

St.Salvatorskathedraal 救世主大聖堂 


                               


聖血礼拝堂  

第2回十字軍遠征の折、当時の公主フランドル伯爵が、エルサレムからキリストの聖血を持ち帰り礼拝堂を建立した。
キリストの血を。。。ね。。あるはずがない事といえども、なんだかそういう話ってワクワクするものだね。

 

時空間を飛び越えて中世を歩いているような気分になる。観光客で溢れかえっているわりにはそんな気分に浸る事も出来るのは面白い。我々は皆タイムトラベラーで中世に今日到着したのだ。そんな気分だろうか。

 
 ブルージュの土産はチョコレートとヌガー。

グルーニング美術館ではヤン・ファン・エイク、ブリューゲルなどに出会える。
落ち着いたこじんまりとした良い美術館だ。
ここではフランドルの巨匠シリーズのなかの1部ヤン・ファン・エイクについてDVDを購入してみた。まだ冒頭しか見ていないのだがこれは中々面白いので、後日たっぷり時間のある時のお楽しみである。他ルーベンス、ブリューゲルを取り上げた2作が出ているようだ。

Invention of the Art of Drawing
1791
Oil on canvas, 267 x 131,5 cm
Groeninge Museum, Bruges

私が今回気にいったのはシュヴェの”素描の起源"だ。
実にロマンティックでドラマティックな主題の絵である。恋人をドローイングの中に閉じ込めてしまおうとでもいう様なまなざし。
コリントス、シュキオンの陶芸家ブタデスの娘ディブタデスは壁に映る恋人の影を描き写している。恋人は外国に向けて旅立とうとしているのである。


この街にも83m366段の階段を持つ鐘楼があるが、私はもちろん昇りはしなかった。

華やかな中世ブルージュを散歩するのもよいし、デカダンスな死の都を見るのもいいだろう。それには秋、冬に出かけるのがよいかもしれない。出来ればローデンバックの”Bruges-la-Morte”を片手に。

今度は暗い冬に出かけて見ようかと思う。


Fernand Khnopff
1887
Crayon 、pastel
47 x 101 cm