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できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

研究の「手薄な」領域を埋めていく努力が必要

2010-01-23 13:05:50 | 受験・学校

昨日、大阪市内のもと青少年会館での子ども会活動等のあり方を考える研究会に出ていて、あらためて実感したことを、ここに書いておこうと思う。

正直なところ、今の大阪での解放教育・人権教育系の諸研究のなかで、たとえば放課後の子どもたちの生活や、子どもの学校外活動に関する研究は、かなり「手薄」である。それがなぜ生じたかについては、今はあえて問わない。

ただ、たとえば大阪市内の公立小学校を使って行われている「放課後いきいき事業」だとか、民間学童保育や教育NPOの取り組みなどについて、あるいは各地区の子ども会活動のあり方などについて、今後、早急に足りない部分を埋めていく必要があると思う。

あるいは、大阪以外の各地で少しずつ広がりつつある自治体の「子ども条例」制定の動きだとか、その動きとリンクする形ですすんでいる児童館・青少年社会教育施設などを活用した「居場所づくり」の取り組みに関する研究も、大阪での解放教育・人権教育系の諸研究のなかでは、まだまだ「弱い」分野だというしかない。

さらに、生活保護世帯などの生活困難な課題を抱えた家庭と子どもを、学校教育・社会教育・児童福祉・社会保障などの諸領域を横断するような取り組みで支えていく、ということ。このことに関する研究も、本来、「きょうも机にあの子がいない」からはじまったような同和教育や解放教育の伝統から考えると、もっと活性化されていてしかるべきなのだが、今のところは「弱い」。

そもそも、「子どもの権利」の保障という観点にたって、「教育と福祉」を統一的に把握するような子ども理解をすすめようと、「同和教育・保育」論のなかで積極的に主張してきたのは、故・鈴木祥蔵ではなかったか(この点は、鈴木祥蔵の『「保育一元化」への提言』(明石書店)を参照)。

その鈴木祥蔵らが中心になってまとめられた1970年代の解放教育論関係の文献には、子ども会や保護者組織、青年の活動や識字の話も、就学援助や教科書無償配布といった教育条件整備の話も、地域教育計画づくりや「まちづくり」の取り組みを通じての学校と家庭・地域社会の連携の話も、保育所からの子育て運動の取り組みの話も出てくる(この点は、明治図書から1970年代に刊行された『講座解放教育』シリーズを参照)。

こうした「過去の議論に学ぶ」という取り組みが、今こそ解放教育・人権教育系の諸研究には求められていると思う。また、その当時の研究がもっていた視野や議論の広がりに比べてみると、今はある特定分野に研究が「特化」されすぎて、数多くの「手薄な」領域がかえって広がっているということ。このことをもっと意識して、「手薄な」領域を埋めていく作業をどんどん、したほうがいいように思う。

そして、なぜあえて今、こんなことを書くのかというと、その「手薄な」領域の部分で生じている教育・学習・子育ての課題に、まさに今、各地区の子どもや保護者、若者、住民たちが悩んでいるように思われるからである。また、その「手薄な」領域で生じている諸課題が整理されず、きちんとした対応も行われないまま、学校教育の領域にまで持ち込まれているようにも思うのである。

もちろん、「手薄な」領域がある反面で、たとえば「得意な」あるいは「充実した」領域があることも、大阪の解放教育・人権教育系の研究にはあること。そのことは、私も認める。でも、ここから先、各地区で子どもや保護者、若者、住民たちが直面している諸課題を考えると、「その得意な領域ばかり研究していても・・・・」と思ってしまうのである。

やはり、みんなで手分けして、その「手薄な」領域を埋めていく努力が必要ではないのだろうか。そのためにも、まずは私から、できることを、できるかたちで、「手薄な」領域を埋めていきたいと思う。

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戦車購入よりも就学援助費の増額を

2010-01-23 11:50:42 | 受験・学校

今日は最近読んだ2冊の本の内容から。

まずは『知られざる就学援助』のp.12によると、2002年度の市区町村が給与した援助費総額に対する国庫補助金交付決定額は、総額約313億円に対して国庫補助金交付決定額が約74億円。これに対して、2006年度は、総額約431億円に対して国庫補助金交付決定額は約6億円だという。

ちなみに、2005年度に「就学困難な児童及び生徒に係る就学奨励についての国の援助に関する法律」(略称「就学援助法」)の改正が行われた。このとき、国の「準要保護者」対象の補助金が廃止されたという。

したがって、このような数字からは、就学援助制度に関する制度改正(実際は「改悪」だが)によって、地方自治体(市区町村)が就学援助の運営において、かなり大きな財政上の負担をひきうけていることがわかる。

その一方で、『防衛破綻』という本を読む。p.81に陸上自衛隊が保有する90式戦車の調達価格が「9億円程度」、開発費が「400億円程度」と書いている。なおかつ、この90式戦車が旧式化しつつあるので、新たに新型戦車を開発して、今後約30年間で600輌を持つことを検討中だとか。

ちなみに、この本の著者は、「そもそも現在の我が国で600輌もの戦車が必要なのだろうか」とか、この600輌の戦車を上回る戦車を揚陸しての戦闘など(特に、攻めるほうが守るほうの3倍という「攻守三倍の原則」で考えると)、「我が国本土でこれほど大規模な機甲戦が行われると想定するのは妄想に近い」という(p.90)。

だとするならば、「ここに就学援助制度をより拡充するための財源、あるじゃないか?」と思うのは、私だけだろうか? 戦車一輌の購入をやめるだけで、現状では、生活保護世帯の子どもなどへの就学援助制度を運営するのにかかる国の補助金分が、そっくりそのまま、でてくるようにも思うのだが。

ところで、民主党政権が今後、既存の国の行政施策について「事業仕分け」を本当にするのであれば、まだまだ、切り込むべきところはいっぱいあるだろうし、そもそも「事業仕分け」をする人たちはいったい、何を基準に「予算のムダ」を洗い出しているのだろうか。その「ムダ」を検証する基準や、その基準を裏打ちしている人間観や思想の部分にも、今後は批判的な議論が必要だと思う。

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