去年の秋の政権交代以後、中央政界での動きは、なにか、もたもたしているような印象を受けます。まぁ、民主党・社民党・国民新党の連立政権が成立して、今まで自民党・公明党連立政権がすすめてきた諸改革・諸施策の動きをいったん止めるという作業と、新たに3党連立政権独自の諸改革・諸施策を実施しようとする作業とが、いま、同時に進行しているわけです。外から見ていると「いったい、どっちを向いているのやら?」と思われてもならないでしょう。
しかも、財政難のこの何年かで積極的にすすめられてきた行財政改革の手法は、「スクラップ&ビルド」。例の「事業仕分け」が顕著な現れ方ですが、既存事業で「ムダ」や「不要」と思われるものをいったん「廃止」「実施の停止」「縮小」等にした上で、それで生まれてきた財源や人員などを別の諸事業実施に振り向けていく、というのが、この「スクラップ&ビルド」という発想です。だから、既存の諸事業についての「廃止」等の動きと、新しい諸事業実施の動きとが並行的に現れるので、「いったい、どっちに向かっているのか、よくわからん」という雰囲気も生まれるわけです。
ただ、地方自治体レベルでの行財政改革の動向を見ていると、おおざっぱな言い方になりますが、「スクラップ」>「ビルド」という傾向。つまり、「スクラップ」される事業が多数なのに対して、新規に開始される事業はあまり多くない、という印象を受けるのです。あるいは、「スクラップ」される事業はかなり大きいものが多いのに、それに対して「ビルド」される事業は規模などが小さいという印象もあります。
要するに、「スクラップ」されて生まれた行政・財政上の「余力」は、どこかにその多くが吸い取られていって(おそらく、財政赤字の解消などに費やされているのでは?)、新たな事業を実施することには、比較的小さな部分しか「余力」が向けられていないように思うのです。(だから、いわゆる「市民オンブズマン」の方が、「そんなことに使うなら、もっと庶民生活の維持向上に使ってほしい」と、「善意」で「行財政のムダ」を追求し、「余力」が出るように働きかけるのですが、それは今の情勢下では結果的に、期待した効果を挙げていないように思います。)
もちろん、行財政改革の担い手の側からすると「費用対効果」を考えて、今、ふりむけることの「最小の予算・人員で、できるだけ効果の大きなものを狙ったら、こうなった」という「ビルド」部分もあるでしょう。しかし、「安かろう、悪かろう」という新規事業もあるでしょうし、「それ相応の予算と人手をかけたら効果はでるのだろうけど、たいして予算や人手をかけないがゆえに、逆に当初狙った事業の効果がそがれている」というケースもあるのではないでしょうか。(どうせ「市民オンブズマン」が行財政改革の動向を「監視」するのであれば、こういう方向をもっとチェックしたほうがいいのではないでしょうか? たとえば、「こんな事業をはじめるくらいなら、前の事業のほうがいい」という観点からは、どうして行財政改革の動きをチェックしないのでしょうか?)
さらに、たとえば「学力向上」を「実現すべき最大目標」のように考える研究者は、高校生がケータイの維持にかける数千円を「ムダ」と感じます。「そんなもん使ってる暇があれば、勉強しろ!」が、その人の目標から導き出されるケータイへの評価ですから。ですが、「ケータイこそ、いまどきの若者に人間関係を維持するのに必須のツール」と考えるメディア論系の研究者は、どうやってその数千円を獲得するのかは別として、さほどムダとは思わないでしょう。
あるいは、これは今日我が家で起きたことですが、指先に穴のあいた手袋を「もう使えない」と見てゴミ箱に捨てる人も居れば、「まだ、何かに使えるかも?」といって、ゴミ箱から取り出してくる人も居るわけです。
つまり、なにをもって「ムダ」というのかには、「何を実現すべき目標と設定するのか?」という次元に照らしあわせて決まるわけで、その「目標設定」が異なれば「ムダ」の理解も異なるわけです。あるいは、今「ムダ」と言って捨ててしまっている事業のなかにも、あらためて別の観点から見直せば、「もっと使い道があるのではないか?」というものも含まれているかもしれません。
これは身近なたとえで、それをどこまで行政施策にあてはめて考えていいのかという問題はあります。ですが、きっと行政施策においても、何を基準に「ムダ」だという評価を出しているのかを問い直せば、きっと「ほんとうはやめてはいけない事業」が出てくるかもしれませんし、あるいは、「もっと別のところに、やめたほうがいい事業がある」ということだって、出てくるかもしれません。(そういう意味では、これまでの「市民オンブズマン」的な「ムダ」感覚も、軌道修正が必要な時期が来ているように思います。「市民もいろいろ、オンブズマンもいろいろ」あっていいんじゃないでしょうか?)
少なくとも、この何年かの大阪市の行財政改革には、こうした事例が次々に積もっているようにも思います。たとえば、今の時点でふりかえってみて、「ほんとうに青少年会館(青館)事業をやめてしまって、それでよかったのか?」と問うてみることや、「青館事業にかわる形で、何かいい青少年施策・人権施策を大阪市は打ち出すことができたのか?」といった形で、この間、市政改革を推進してきた人々とは別の観点から、市政改革のあり方をふりかえってみると、いろいろと気づくことがあるように思います。
ついでにいうと、今の時点では自公連立政権の時代をふりかえってみて、「いろいろ改革してみて、何かよくなりましたか?」と問うことが必要ではないかと。特に、矢継ぎ早にこの10年間くらい、いろんな教育改革が行われてきましたが、「それでほんとうに、日本の学校、よくなりましたか?」と問うことが大事ではないかと思います。少なくとも、政権を担っていた当時、「こうすれば、日本の教育はよくなる」と称していろんなこと、やってきたわけですからねぇ・・・・。
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