もうひとつの日記帳ブログのほうにも書きましたが、今月に入って、日本教育行政学会の大会が筑波大学でありました。10月2日・3日にあったのですが、そこに自分たちの共同研究の発表があるので、私も久しぶりに学会に出てきました。それで、この3年くらい、教育行政学会では「こども・若者の貧困」をテーマにした「課題研究」が行われていたので、その報告の場に私も出ることにしました。
今回、日本教育行政学会での「こども・若者の貧困」に関する「課題研究」報告を聴いていて率直に感じたのは、やはり、私のこの問題に対するとらえ方と、教育行政学サイドからの問題のとらえ方とが「つながっている」という実感でした。
すなわち、「こども・若者の貧困」状況の広がりを前にして、この日本社会において、もう一度「教育を受ける権利」保障の内実を問い直すそうとしているということ。また、そのときに、子ども・若者の権利保障の充実という視点に立って、就学援助や生活保護の在り方など教育・福祉に関する施策の関係や、教育・福祉に加えて就労の問題まで視野にいれた形で、子ども・若者支援の施策の総合化について検討する必要があること。そういう視点からの議論が、教育行政学サイドからの「こども・若者の貧困」に関する報告には多々、あるんですよね。
少なくとも私にとっては、大阪あたりで「貧困と学力」について論じている人権教育関係の議論からは、こういった視点はあまり感じられない。たとえば、貧困世帯の子どもの家庭学習の習慣を問題にして、学校と家庭の連携でできる努力を求めていこうとかいう話はあっても、子どもの学校生活に関する貧困世帯の経済的負担を軽減する方策を検討しようという話には、なかなかならない。あるいは、保護者の生活保護や就労支援といった方策から、家庭の経済的な状態自体を改善する方策を考えようという話には、どうしても向かっていかない。
私としては、「貧困と学力」という枠組みから、根本的な「こども・若者の貧困」の部分をどうするか、そこにどういう支援施策や制度改革の提案を打つのかという議論を抜きにして、「学力向上」に向けて、たとえば「学校現場の努力」「家庭や子ども本人の努力」でできることばかりを論じることには、前々から違和感を抱いてきました。そういう議論の枠組みだと、今、大阪府内や大阪市内で進められている教育改革を批判的に検証する視点は、まったく出てこない。というよりも、「今ある改革の枠内でいかに有利な地位をしめるか?」という話にしかならないように思うんですよね。
あるいは、今回の「課題研究」の報告者や司会者に、私は「社会教育施設での居場所づくりを通じて、貧困世帯の子どもたちをサポートしていくことについてどう思うか?」とか、「学校外の文化的・芸術的な生活面での子どもたちの格差の問題にどう取り組むべきか?」という質問をしました。この質問に対して、報告者や司会者の人たちからは、「そうだそうだ、そういう課題もある」という好意的な受け止め方をしていただきました。
たとえばある報告者の人は、ユースワーカーが貧困世帯の子ども支援にはたす役割だとか、社会教育の実践を通じての支援の重要性について、質問への返答のなかで語ってくださりました。あるいは、別の報告者の人は、学校で身につける「学力」それ自体の問い直しが、貧困世帯の子どもへの支援においては必要ではないかとの返答。つまり、学習指導要領に枠づけられ、家庭の経済力でその獲得状況が左右されるような「学力」の枠内での競争のなかで、はたして根本的な子どものエンパワメントが可能なのか、という話をされました。
こういう視点からの話も、私としてはおおいに納得できるような話ですし、また実際、いままで大阪市のもと青少年会館などで、元職員の方や地元のNPOの方たちがやっている取り組みというのは、ここでいうユースワーカーの人たちの仕事にかなり近いわけです。ところが、私の知る限り、これまでの「貧困と学力」の枠組みからの話からは、こんな視点からの話が出せるのはほんの一部の人で、全体的に見ればあまり聞いたことがない。
このあたりは、教育社会学系の「学力」研究と、教育行政学系の「教育権保障」研究の視点の違いかもしれないのですが、でも、この違いって大きいように思います。なぜなら、現場教員たちによる教育運動、あるいは地域住民や保護者、NPOなどによる教育運動が、具体的に子どもの貧困のどんな課題の解決に、どのような発想・手法で取り組むのかという面で、ずいぶん取り組みの方向性が変わってくるからです。
そういうわけで、私はあらためて日本教育行政学会に出席して、「こども・若者の貧困」の「課題研究」に関する報告を聴き、「自分の視点は教育行政学寄りだ」ということを再確認した次第です。
あと、これは少し余談ですが。大阪市内で青少年会館条例が廃止になったあと、その条例運営や各館運営にかかわる文書は、どのように整理・保存されているのでしょうか? あるいは、大阪市内の人権文化センターが市民交流センターとして再スタートを切るにあたって、過去の文書類はどのように整理・保存されているのでしょうか?
今後、戦後日本の解放運動や同和教育・解放教育、あるいは同和対策事業の歴史的な検証作業が本格的に必要となってきたときに、このような文書類をきちんと整理・保存する作業ができていなければ、あらためて評価すべき取り組みを評価することすら、「資料がない」ということでできなくなってしまうでしょう。そのことについて、行政側・運動側・研究者側がそれぞれ、どのように考えているのか。私としては最近、そこも気がかりになっています。一応、この場をお借りして、指摘させていただきます。
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